ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

アンチ・ファンタシーコミュの文学講義

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
文学講義レポート課題

 エドガー・アラン・ポーが形而上的瞑想詩『ユリイカ』(Eureka, 1848)において、ビッグ・バン理論的な宇宙創世仮説を先取りした発想となる始源の“流出”と、それに伴う精神並びに物質の生成及び究極的な全面消滅の過程を物語る根本原理の提示という形で語ってみせた際に行った、ニュートン物理学的な“引力”とこれに拮抗すべき仮想的“斥力”を、“attraction”(誘引力)と“repulsion”(反発力)という名で呼ばれる精神的エネルギーの界面で置換した統合理論の主張は、影の原理に基づく統括的宇宙把握を試みようとする典型的なロマン主義の思想的特質を色濃く反映している点で、ビーグルの『最後のユニコーン』の創作戦略と軌を一つにするものであると言えよう。
 この物語の冒頭に登場し、不可解な予言者的役割を果たして、ユニコーンを探求の旅へと導くことになったあの蝶が、分裂的な連想と断片的な記憶の脈絡の無い奔出を通して体現していた透明性の意識と事象記述の不定性の自覚は、正しく宇宙の基本原理たる意味の生成と意味の消失の間にある関係性を暗示するものに他ならなかったからである。
 『最後のユニコーン』の記述における矛盾撞着と曖昧性について、上記の主題との関連を語れ。

コメント(3)

後期レポート別課題

 『最後のユニコーン』において特徴的な曖昧性、二重性、不可能性の記述についてそれぞれ該当する箇所を例としてあげ、これらと「時・空・精神連続体としての宇宙認識」との関連について語れ。
殊に「永遠性」と「虚構」という概念との関わりに留意せよ。
 後期レポート作成のヒントとして、『ピーターとウェンディ』におけるネバーランドについての記述の示す「時・空・精神連続体」的特質と問題点の指摘箇所を以下に抜き出す。

**************************

I don't know whether you have ever seen a map of a person's mind. Doctors sometimes draw maps of other parts of you, and your own map can become intensely interesting, but catch them trying to draw a map of a child's mind, which is not only confused, but keeps going round all the time. There are zigzag lines on it, just like your temperature on a card, and these are probably roads in the island, for the Neverland is always more or less an island, with astonishing splashes of colour here and there, and coral reefs and rakish-looking craft in the offing, and savages and lonely lairs, and gnomes who are mostly tailors, and caves through which a river runs, and princes with six elder brothers, and a hut fast going to decay, and one very small old lady with a hooked nose. It would be an easy map if that were all, but there is also first day at school, religion, fathers, the round pond, needle-work, murders, hangings, verbs that take the dative, chocolate pudding day, getting into braces, say ninety-nine, three-pence for pulling out your tooth yourself, and so on, and either these are part of the island or they are another map showing through, and it is all rather confusing, especially as nothing will stand still.

人の心の地図というものを見たことはおありでしょうか。お医者さん達は時に人の体の他の部分の地図なら描くことはあります。そしてその地図は、当人にとってはとても意味深いものになる筈です。けれどもお医者さん達が子供の心の地図を描こうとしているのを見てみると、それはひどく込み入っているだけでなく、いつもくるくる回ってしまうのです。その表面には体温の表のように折れ曲がった線がいっぱいあります。これらはひょっとしたら、この島の道なのかもしれません。というのは、ネヴァランドはいつも多かれ少なかれ、一つの島なのです。あちらこちらにびっくりするような鮮やかな色がついていて、サンゴ礁と、沖合いにはどうやら海賊船らしい船も浮かんでいます。それから野蛮人達と人気の無い隠れ家と、大抵は仕立屋である小人達と、川の流れる洞穴と、6人の兄を持った王子様と、見る間に朽ち果てて行くあばら屋と、鉤鼻をしたとても小柄な老婆もいます。それだけなら地図としては比較的簡単です。けれどもそこには始めて学校に行った時のこととか、宗教や父親達や丸池や針仕事や殺人や絞首刑や与格をとる動詞やチョコレート・プディングの日やズボン吊りを付けたり、自分で歯を抜いてまあ大体いつも3ペンスもらうとか、そんなようなこともやはりあります。これらがみんなその島の内部のことなのやら、あるいは透けて見えるもう一つの島のことかとなると、かなりややこしくなってはきます。じっと止まっているものは何一つとしてないからです。

“人の心の地図”というものを持ち出した、バリお得意の奇想である。Peterの支配する世界Neverlandが、子供達の心の中の主観の世界であることが暗示されている。しかし心の世界だけが唯一の実世界ではなく、日常の些末な現実世界の印象が主観の中に侵入し、意識を混乱させるのである。観念論的実在の把握を不安に陥れる、現象世界の影の存在を忘れないのが、Barrieのスタンスである。この醒めた感覚が本作品においては、antifantasyの要素として辛口に機能していくこととなる。


Of course the Neverlands vary a good deal. John's, for instance, had a lagoon with flamingoes flying over it at which John was shooting, while Michael, who was very small, had a flamingo with lagoons flying over it. John lived in a boat turned upside down on the sands, Michael in a wigwam, Wendy in a house of leaves deftly sewn together. John had no friends, Michael had friends at night, Wendy had a pet wolf forsaken by its parents, but on the whole the Neverlands have a family resemblance, and if they stood still in a row you could say of them that they have each other's nose, and so forth. On these magic shores children at play are for ever beaching their coracles. We too have been there; we can still hear the sound of the surf, though we shall land no more.

勿論、ネバー・ランドには様々なものがあります。例えばジョンのネバー・ランドは珊瑚礁があってフラミンゴがその上を飛んでおり、ジョンはフラミンゴを撃ったりします。でもマイケルのネバー・ランドは、マイケルががとても小さいせいもあって、フラミンゴの上を珊瑚礁が飛んでいます。ジョンは砂浜の上に引っくり返したボートの下で暮らしていて、マイケルの家は草で編んだ小屋でした。そしてウェンディは、木の葉をきれいに縫い合わせた家に住んでいました。ジョンには友達は一人もいませんでした。マイケルの友達は、夜に訪れました。ウェンディは捨てられた狼の子をペットにしていました。いろんな違いはあっても、ネバー・ランドには一家の同じ特徴を窺うことができます。ですからネバー・ランドを一列に並べたら、みんな同じ形の鼻だね、などと指摘することができるでしょう。こんな不思議の海辺で子供達はいつまでも小舟を浮かべて遊んでいるのでした。私達も以前はそうだったのです。私達もまだ渚の音を耳にすることはできます。上陸することはもう無理ですけど。

 再びネバー・ランドが、主観の中の心象世界であることが暗示される。・ネバーランドは子供達個々の独立した内面世界であると共に、互いの意識の共存を許す交わりの空間でもある。そこでは誤解に基づいた矛盾も、観念的多重世界の一つを形成する要素として積極的に機能することになる。ピーターとウェンディの間に生起した、キスと指貫の意味交替の可能世界の生成と同等の機構が既にここで暗示されている。
 ネバー・ランドが個々の別個の主観の世界でありながら、それぞれが同心円的連続性を持って重ね合わせの存在様態を示すものでもあることが、見事なファンタシーに対する総括として機能している。心象世界における意識の連帯の可能性こそロマン主義の基本原理であり、外界世界をも取り込む心理学的な手法による実在世界の再解釈こそ、ファンタシー文学世界の背後に潜む創造原理となる世界解式だったのである。

"John, there's the lagoon."
"Wendy, look at the turtles burying their eggs in the sand."
"I say, John, I see your flamingo with the broken leg!"
"Look, Michael, there's your cave!"
"John, what's that in the brushwood?"
"It's a wolf with her whelps. Wendy, I do believe that's your little whelp!"
"There's my boat, John, with her sides stove in!"
"No, it isn't. Why, we burned your boat."
"That's her, at any rate. I say, John, I see the smoke of the redskin camp!"
"Where? Show me, and I'll tell you by the way smoke curls whether they are on the war-path."
"There, just across the Mysterious River."
"I see now. Yes, they are on the war-path right enough."
Peter was a little annoyed with them for knowing so much, but if he wanted to lord it over them his triumph was at hand, for have I not told you that anon fear fell upon them?
It came as the arrows went, leaving the island in gloom.
In the old days at home the Neverland had always begun to look a little dark and threatening by bedtime. Then unexplored patches arose in it and spread, black shadows moved about in them, the roar of the beasts of prey was quite different now, and above all, you lost the certainty that you would win. You were quite glad that the night-lights were on. You even liked Nana to say that this was just the mantelpiece over here, and that the Neverland was all make-believe.

 「ジョン、礁湖(ラグーン)があるよ。」
 「ウェンディ、見て。ウミガメが卵を砂に埋めている。」
 「ほら、ジョン。あなたの足の折れたフラミンゴよ。」
 「マイケル、あそこに君の洞穴がある。」
 「ジョン、薮の中にいるのは何?」
 「あれは母狼だ。子供を連れている。ウェンディ、あれは君のお気に入りの子狼だ。」
 「僕のボートがあるよ、ジョン。舷側に穴を開けてある。」
 「違うよ。だって、君のあのボートは燃やしちゃったじゃないか。」
 「でも、あのボートだ。ほら、ジョン、インディアンの野営地から煙がたっている。」
 「どっちだ?煙の立ち方で、戦いに出かけるところかどうか分かるんだぞ。」
 「あそこ。丁度、“不思議な川”の向こうだ。」
 「見えた。やっぱり、戦いに出かけるところだ。」
 ピーターは、子供達がネバーランドのことをよく知っているので、ちょっととまどっていました。でも、ピーターが子供達に思うがままに指図したいと思っていたとしたら、それはすぐに叶えられることになりました。だって、さっき恐怖の念が子供達の心に忍び寄ってきた、とお話したでしょう。
 お日さまの残した光の矢が消え去ってしまうと、島は闇の中に包まれ、恐怖が訪れたのです。
 ネバーランドは、以前お家にいる時も、床につく頃にはいつも、暗く不安に満ちたものになっていました。まだ見知らぬ部分が沸き上がり、広がっていって、黒い影がその中で揺れ動き、今はもう猛獣のうなり声は、これまでとは全く違うものになっていました。どちらが勝利をおさめるものやら、確信が持てなくなっていたのです。ベッドの脇に蝋燭の灯りがあるのは、とてもうれしいことでした。あちらに見えるのはただの暖炉で、ネバーランドなんていうのは、ただのごっこ遊びなんだと、ナナが言ってくれると有り難いとさえ、思えるのでした。

 ネバーランドの上にあるものは、何らかの意味で子供達がすでに見知っていたものばかりである。因果関係上の矛盾や時間順序的な錯綜も含めて、全ての条件が記憶と想念の原型的な集合体としてそこには集約されて存在している。
**************************

本講座のテキストとして用いられた論考のリンクを以下に示す。

http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/anti/14_van.htm
 後期レポート課題に関連する資料として、『最後のユニコーン』における「両義性」あるいは「多義性」を指摘した論考の以下の部分を提示しておく。

**************************

『最後のユニコーン』において最も曖昧で謎に満ちた存在であるレッド・ブルは、ビーグルという現代の天才的神話創成者の手になる新機軸の神話的造型の見事な成果であると共に、やはり実は申命記に語られていたものとは別の意味で、最も根源的かつ原初的な存在物の発現可能態に対するこの上無く素朴な記述手法のもたらした結果でもあったのだ。永遠の対立物であると共に延長線上の外周として常に堅固な同一性を保持し続ける本体と影の示す、ありとあらゆる変化形と主客転倒の順列組み合わせの可能性の総てを、ハガード王とレッド・ブルの一見したところとりとめない錯綜した関係性が如実に指し示しているからだ。例えばハガード王の衛兵達がシュメンドリック一行に与えるレッド・ブルに関するはなはだ頼りない情報は、その矛盾撞着と意味の不確定性においてこそまさに、自我の分裂もしくは無からの生成過程の発端となる真空分極の暗示する相補的存在属性のマトリクスの展開領域の全幅を雄弁に語っているものなのである。

The fourth man, who was the youngest, leaned toward Molly Grue, his pink, wet eyes suddenly eager. He said, "The Red Bull is a demon, and its reckoning for attending Haggard will one day be Haggard himself." Another man interrupted him, insisting that the clearest evidence showed that the Bull was King Haggard's enchanted slave, and would be until it broke thebewitchment that held it and destroyed its former lord.
 p. 147

一番年下の4番目の男が涙にしょぼついた赤い目を突然見開いてモリーの方に身を傾けて言った。「レッド・ブルの正体は悪魔なんだ。そしてこいつがハガード王に助力するその代償は、最後にはハガード王自身の魂を奪うことになるのだ。」すると別の男が横から口をはさんで言った。「レッド・ブルは魔法にかけられたためにハガード王の奴隷となっているのであって、いつかはこの魔法を打ち破り、主人であるハガード王を殺してしまうことになるのは、どこから見ても間違いの無いことだ。」

そしてまた仲間達の世界からの消滅の原因という謎を解くべく出立するユニコーンに対して伝えられる、情報の当て処の無い不確かさという点においては、ユニコーンの探究の旅に同行し彼女の運命に深く関わることになる、聞き覚えの知識ばかり豊富ではなはだ魔法の腕は頼りにならない魔法使いのシュメンドリックが与えてくれた情報もまた同様に、互いに他を否定し続け、全体像を結ぶことなく拡散し続ける切片的情報の束であるという一点においては疑いようも無く正確に、ハガード王とレッド・ブルとの間の関係を物語っていた訳なのであった。

"As for the Red Bull, I know less than I have heard, for I have heard too many tales and each argues with another. The Bull is real, the Bull is a ghost, the Bull is Haggard himself when the sun goes down. The Bull was in the land before Haggard, or it came with him, or it came to him. It protects him from raids and revolutions, and saves him the expense of arming his men. It keeps him a prisoner in his own castle. It is the devil, to whom Haggard has sold his soul. It is the thing he sold his soul to possess. The Bull belongs to Haggard. Haggard belongs to the Bull."
 pp. 54-5

「レッド・ブルはと言えば、耳にしたことよりも分かっていることの
方がより少ないのです。何故ならばあまりにも様々の逸話が伝えられ、
その各々が矛盾するものであるからです。牡牛は実在する、牡牛は幽
霊だ、牡牛の正体はハガード王自身で、日が落ちた時の彼の正体だ、
という具合です。牡牛はハガード王の来る以前からこの国にいた、と
いう説もあれば、ハガード王と共にこの国に来た、という説もあるし、
ハガード王のもとに後に牡牛がやってきた、という説もある。牡牛は
略奪や反逆からハガード王を守っていて、兵隊達を武装する経費を省
いてくれている、という者もあれば、城の本当の主人は牡牛で、ハガ
ード王は捕われの身に過ぎない、という者もいる。牡牛の正体は悪魔
で、ハガ−ド王はそいつに魂を売ったのだ、という意見もあるし、こ
の牡牛を手に入れる代償としてハガード王は魂を売ったのだ、という
意見もある。牡牛を支配しているのがハガード王だ、とも言われれば、
牡牛の方がハガード王を支配している、とも言われている。

誰もユニコーンを視認する透徹した目を持たなくなってしまったこの世界の中で、唯一ユニコーンを選んで狩り立てることができるというレッド・ブルは、ユニコーンの体現する崇高さに対する渇望を全く抱いたことの無い、完璧な程に盲目的でありうるこの世で唯一の存在でもあった。レッド・ブルという、飽くまでも正体の不明瞭なままで有り続けるかのような謎めいた神話的存在と象徴的悪漢ハガード王との間の輻湊した曖昧至極で不可解な関係性とは、正しく本体とその影との不即不離の微妙な合体/離反状況を、揺らぎと共に同調する重ね合わせとしての存在原理そのものとして、網羅的に不確定性のまま取り込む、典型的に20世紀的な事象の記述様態を示すものに他ならないものでもまたあったのである。
*************************

不毛の王国の貪欲なストイスト
 ーフック的アンチ・ヒーローと神格化された無知

http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/anti/12_stoist.htm

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

アンチ・ファンタシー 更新情報

アンチ・ファンタシーのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング