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「心養塾」〜語り学び合う場〜コミュの(8月の疑問)自分を知るための学問〜学は覚なり〜

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(8月の疑問)自分を知るための学問〜学は覚なり〜

語り学び合う場「心養塾」 

2009年8月 討論題材
・自分を知るために学問〜学は覚なり〜

 中学生を過ぎるころ、「自分とは何んだ?」と疑問を持つようになります。 

宇宙の大きさを想像し、その広がりが理解を越え、夜空を見て眠れない。

 自己のぶつかり合いで、友人と喧嘩したり、非難したりする。

この「自分とはなんぞや?」の疑問は、一生続く人生の課題であり、思考の素となります。
自分、私、俺、吾、・・・・・、己とは何か、何のために生まれて来たか?
この命題は、いにしえ(昔)から、問い続けられてきた言葉(疑問)と思います。

 「心養塾」の最初の疑問は、この「自分とはなにか、何のためいるのか」について語りたいと思います。 私は、この答えを持ち合わせていません。また、それぞれは生きる目的が違います。昔の哲人は、この疑問にどんな答えを見つけたのでしょうか?
 昭和の哲学者、安岡正篤氏の解説から、心学と言われる「陽明学」の先覚者、中江藤樹の教示から、学びたいと思います。参考資料、安岡正篤緒「人生と陽明学」から転載。

(本文)
 一体人間の存在、その生活というものは、これを大して言うならば人間の文明というものは、先ず人間が本当の自分に反って自分を役立てる、ということの上に立たなければ空々寂々であります。

 藤樹先生が殊に研鑽された『孟子』の中の名高い一語にも、「君子は必ず自ら反る」と言っておる。これは大事なことであります。先ず自らが自らに反る、自分が自分に反る。そこからはじめて本当の生(せい)、生きるということが生ずるのであります・
 ところが大抵に人間は、いろいろ欲望もあるし、外の刺戟も多くて、なかなか自分に反れない。ともすれば自分を忘れて物を追う、外に馳せるのであります。

 例えばなにか物を考えながら道を歩いておって、ついうかうかして石に躓(つまづ)いたとします。その時ハッとして、自分が迂闊(うかつ)だったと気がつけば、その人は正しい。

 ところが大抵はそうは参りませぬ。こんちくしょう!とばかりその石を蹴飛ばす。尚その上に、どうかうすると、どいつがこんなところへものを置きやがったのだ!と今度は人まで責めて、自分がうっかりしておったことははなから考えがないものです。(中略)

 ・・、学んでも覚めなければこれは学ばざるに等しい。藤樹先生は、先ず自ら反って覚ろう、という事に懸命に取り組まれたわけであります。
  (以上、安岡正篤著「人生と陽明学」)

 自分の生きる目的を、物(モノ)や、地位、財、に求めている間は、自分がなにか分からない。自分が生れたのは、母が有り、父があり、祖母があり、祖父があり、その命の連鎖の中で、居ることは現実です。
 しかし、何故、日本か?、なぜ今の時代か?、・・・、誰がこの世に送り込んだか、?????、意外に、今居ること時代を自覚する人は、少ないと思います。

 こんなバカな意見交換を、真剣にする人が、既に2,500年前から、ギリシャ、中東、インド、中国に居たのです。その一人が、ソクラテス、イザヤ、ブッダ、孔子、等々の賢人(哲人)達です。
 その疑問を解く、問答は現代に十分通じるものがあります。そんな言葉を、読みながら、自分がこの世に生を受けた意味を考える事は、生きる「バックボーン」も見つけ出すことにつながり、この世の役割を探す手立てになると思います。

〜学は覚なり〜 
 自分を知るための学問を、心養塾の最初の課題であり、ずっと根底で語り継がれる疑問と思います。学問は、疑問を気づくことから始まると思います。
 もし興味があれば、「まず疑問を投げかけてください」、そこから人生の扉を開く、準備が始まると思います。

*参考資料: 安岡正篤著「人生と陽明学」

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