もう9月も半分過ぎましたが、まだまだ暑い日が続きますね。そろそろいつもなら二階の礼拝堂でまた礼拝できるようになる時期ですが、今年は、あと二週間ぐらいかかりそうですね。 先週で、2001年9月11日のテロから11年目が経ちました。しかし、リビアなどでテロがあり、アメリカの大使らが殺害されたり、イスラム教の国々では、誰が作ったのかもよくわからないイスラムの指導者たちを冒涜した映画に抗議して、反米デモが暴徒化する、という事件が起きています。また、中国では日本の尖閣諸島国有化に抗議するデモが暴徒化しています。そして、焼き討ちや破壊、そして人々の襲撃も報告されています。 いったい、人々はいつになったら、このような暴力の連鎖から自由になれるのだろうか、と思います。そして、ほんの些細なことや、情報操作や、煽動によって、簡単に人々が暴走をはじめる、ということも恐ろしいことだと思います。 ナチスのドイツがそうであったように、国内、あるいは自分たちの中での深刻な問題から目をそらさせるために、外に敵を作ったり、差別心を煽ったりして、自分たちの本当に直面しなければならない問題から目をそらさせようとすることもあります。そして、民衆が日頃抱いている不満が、ふとしたことから爆発してしまうこともあります。 人間の歴史を学ぶ意義の一つは、過去に人々がおかした過ちをくり返すのではなく、新たな解決を模索する希望を得ることだと思います。人々に、このような教育がなされることを望みます。 60年代にたくさん歌われたフォークソングに、ピート・シーガーのWhere have all the flowers gone?(花はみなどこへ行ってしまったの?)があります。
Where have all the flowers gone? /Long time passing Where have all the flowers gone?/ Long time ago Where have all the flowers gone? /Young girls picked them every one When will they ever learn? ? When will they ever learn?
花はみんな、どこへ行ってしまったの?若い女の子たちがみんな摘んでしまった。そして、二番で、若い女の子たちは、皆、夫を持ち、三番で、若い男の人たちは兵隊に行ってしまい、四番で、兵士たちは、墓に行ってしまい、そして、ついに、墓は皆、花に覆われてしまうのです。そして、繰り返しで私たちの心に残るのは、When will they ever learn?(いつになったら、彼らはまなぶのだろう?)という問いです。ピート・シーガーは、このtheyを最後にweに変え、 いつになったら、私たちはまなぶのだろう?と歌っていました。あいつら、いったいいつになったら、わかるんだ?と言っている自分が、わかっていないこともあるではないか、という反省や自戒があるのだと思います。 マルコによる福音書に、興味深い言葉があります。