先日の讃美礼拝の時に、Dona Nobis Pacem(ドナ・ノービス・パーチェム:Give us peace.私たちに平和を下さい)を歌いました。私たちに平和を、という願いは、すべての人々に共通する願いです。しかし、世界の歴史は、争いの連続です。侵略者が現れたときには、平和のために武器を持って闘う、という、矛盾した必要性を持つこともあり、そこで武器を持った者たちが、武器の使用に対する抵抗力や自制を失い、まさに「剣をとる者は剣にほろびる」という言葉通りの結末を迎える、ということは、文学や映画の題材になり続けてきました。 21世紀に入ってからでは、スティーヴン・スピルバーグによる、「ミュンヘン」(2005年)はまさにそうです。72年のミュンヘン・オリンピックの時に、パレスチナの過激組織、「黒い九月」がイスラエル選手団を襲撃して、二人を殺し、選手ら九人を人質に取る、という事件がありました。そして、当時の西ドイツの警察との銃撃戦のすえに、誰も生き残らない、という悲惨な事件がありました。 これに対して、イスラエルの諜報組織、モサドが秘密裏に報復を行い、犯人たちをひとりひとり暗殺していくのですが、その時に、若くて理想に燃えていたはずの新人がだんだん特殊な組織のなかだけの常識の中に埋没していき、破滅に至る人生の道筋を描いた作品でした。80年代なら、ヒーローのように描かれたかもしれない主人公は、華々しさや見かけの勇ましさを越え、 徹底したリアリズム(現実主義、現実描写)によって、 破滅の道を歩む様子が描かれるので、映画であるにもかかわらず、娯楽という要素はそぎ落とされ、大変重く、暗い作品ですが、平和の道を歩むように訴える心が、ひしひしと伝わってきます。 もう一つ、「すべての美し馬たち」(All the Pretty Horses)は、大変な暴力や理不尽の中に置かれた若者が、身を守り、生きていくために、武器を取り、応戦してしまったこと、剣を取る者になってしまったことに対する、赦しと心の平和を求めることがテーマでした。これも、娯楽とは程遠い、重い作品ですが、同じように救いを求めて、 このような作品を読んだり見たりする人たちが存在することの表れなのだと思います。 讃美の礼拝の時に、Dona Nobis Pacemと同じ、ドナという言葉が入った、「ドナ・ドナ」は、どういう歌だったか、ということになり、私が一瞬凍ってしまったのですが、その理由は、「ドナドナ」について語りたい気持ちと、明らかに語るには準備が欠けている、という気持ちが交錯したためでした。 この歌は、日本でも1960年代のはじめにジョーン・バエズが歌ったことで知られ、またNHKのみんなの歌でもお馴染みでした。安井かずみ訳の日本語版はこうでした。