ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本キリスト会川崎教会コミュの「サマリアの女性との対話」(3)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「サマリアの女性との対話」(3)

*ヨハネによる福音書4:27ー42

27 この時、彼の弟子たちが来た。彼らは、イエスが女と語り合っていることに驚いた。もっとも、何を求めておられるのかとか、この女と何を語り合っておられるのかなどと言う者は誰もいなかった。そこで女は水瓶を残して町に去っていった。そして人々に言う、「来て見て下さい。私のしたことをすべて言った人がいます。もしかしたらこの人がキリストではないでしょうか」。彼らは町を出て、彼のところへ来始めた。
31 その間に、弟子たちは「ラビ、召し上がって下さい」と言って彼に頼んでいた。ところが彼は彼らに言った、「私には食べるべき、あなたがたのわからない食べ物がある。そこで弟子たちは互いに言い始めた、「まさか誰かが食べさせようと持ってきたわけでもないだろうに」。イエスが彼らに言う、「私の食べ物は、私を派遣した方の意志(おもい)を行ない、その業をなしとげることである。
  たしかにあなたがたは言っているではないか、『まだ四ヶ月もある。そして刈り入れが来る』と。見よ、あなたがたに言う、目を上げて畑を観なさい。刈り入れに向けてもう白っぽくなっているのを。刈り入れ人が報酬を受けており、永遠の命へと実を集めている。種蒔き人と刈り入れ人とが共に喜ぶために。つまり「ある人が種蒔き人で、他の人が刈り入れ人だ」ということばはこの意味で本当なのだ。私はあなたがたを、自分たちの労苦しなかったものを刈り入れさせるために遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその人々の労苦の成果に与(あずか)っているのだ」。
39 さて、その町のサマリア人の多くが「私のしたことをすべて言った」と女が証ししたそのことばのゆえに、彼を信じた。さて、そのサマリア人たちは彼のところにやって来ると、自分たちのところに留まるように頼んだ。そこで、彼は二日間、その地に留まった。そして彼のことばのゆえに、ずっと多くの人々が信じるようになった。彼らは、あの女に言っていた、「もう、俺たちはお前が言ったから信じているんじゃない。つまり、自分の耳で聞いて、この方こそ本当に世の救い主だとわかったんだ」。
 新約聖書翻訳委員会訳

§「変化」
 
  昨日、久しぶりに雨が降りましたね。暑さが多少和らいだようです。まだ、湿度はかなり高いですね。8月中にあまりにも雨が降らなかったために、宮城県の鳴子ダムの貯水量は、2%まで落ち込んでいるそうです。群馬県にある、渡良瀬川流域の草木ダムも貯水量が40%ほどにまで落ち、取水制限をはじめているそうです。普通に雨が降り、日差しがあり、季節が変わり、という私たちが当たり前に思っていることが、とても大切だ、ということを感じますね。
  昨年の震災、そして原発事故によって、このような当たり前のこと、人々の日々の営みの輪が、非常に多くの点で断ち切られてしまいました。降り注いだ放射性物質のために、土も、牧草も、わらも、腐葉土も、木の枝や、椎茸栽培用の原木すら、安全ではなくなってしまった地域がたくさんあるのです。
  あの時から1年半がもうすぐ経とうとしています。そして、ほとんどの人が、原発をなくすことが必要だと考えるようになりました。これは大きな変化ですね。人々が、きちんと考えて判断する、ということをはじめた、そしてその思いを共有しはじめたことの表れの一端であると思います。
  アメリカでは、今年は大統領選挙があります。四年前に、バラク・オバマが大統領に選出されたことは、大変大きなできごとでした。日本でも、バラク・オバマの力強く、理想に満ち、しかも現実をしっかり見据えた演説に感動した人は非常に多かったですね。英語の教材でも、オバマの演説、そして、他の様々な演説が次々と出版されるようになりました。
  オバマの演説が素晴らしく、そして感動を呼んだのは、そこに素晴らしい理想があったからです。彼は貧しい人たちの生活、苦労、彼らに何が必要なのかをよく知っています。ですから、社会の中での貧しい人たち、弱者を大切にすること、そのためにどうするべきかを知っています。戦争をするよりも、平和を作り上げることが、いかに大切か、またそれが困難なことではあるけれども、しかし、一歩踏み出して、考えを変えたときに、平和をつくり出すことは可能だと言うことを、情熱を持って語りました。それは、主イエスの福音そのものが、彼の理想の中心にあることを感じました。
  先週から、フロリダ州タンパで、オバマ大統領に対抗する候補者を選出する共和党の大会が開かれています。出席者のほとんどが白人の共和党大会では、ある議員が、「アメリカ人は、特別です。それは、ただアメリカで生まれたと言うことではなく、アメリカ人であるということは、他のどんな国の人々とも違うのです」、と力説すると、熱烈な反応が返って来ていました。この「アメリカ人」を「白人」に置き換えれば、50年以上前に、白人至上主義の人々が主張していたことと同じです。その自分たちの優位、優越を主張するときに、差別心が生まれているのです。
  イエスも、そして洗礼者ヨハネも、このような考えを痛烈に批判していました。

*マタイによる福音書 3:8−10
 ならば回心にふさわしい実を結べ。そして、『俺たちの父祖はアブラハムだ』などと心の中でうそぶこうとするな。なぜなら、私はお前たちに言う、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのだ。すでに斧が木々の根元に置かれている。だから、良い実を結ばぬ木はことごとく切り倒され、火の中に投げ込まれるのだ。

  オバマ大統領を批判する内容をまとめてみると、「反植民地主義であり、反米的である」、「オバマの本当の狙いは、米国の力を弱め、金持ちから富を奪い取ること。核兵器をなくすのは、他国の脅威に丸裸にするためだ」(鵜飼啓によるサマリー)、ということになります。これを聞くと、多くのアメリカ人の白人は、「ああ、タイヘンだ!」ということになりますが、愛と平和を渇望する人々にとっては、理想です。平和の道を取り、侵略などせず、どんなに貧しい人でも同じように大切であり、取り返しのきかないような危険な武器は捨てる、という勇気を持つことは、是非実現して欲しいですね。核兵器と同時に、原子力発電も、同じように廃止に向かうべきです。
  パウロも、これとよく似た気持ちを、以下のように言い表しています、「十字架の言葉は滅びる者たちにとっては愚かさそのものであるが、救われる者たち、すなわち私たちにとっては、神の力だからである」(コリント人への第一の手紙1:18)
   イエスが私たちに与えた大変大きな感動、そして変化は、ガリラヤ湖の上をあるいたり、病を癒したり、5つのパンと2匹の魚とで多くの人々を養ったという、超自然的な、いわゆる「奇跡」を行ったことにあるのではありません。人間の社会で成しえないように思われること、民族、宗教、性別、これらの違いをなんでもないことのように乗り越えて、その誰もが大切なのだ、だからあなたの隣人をあなた自身として愛しなさい、と語り、その通りに生き、その喜びを私たちに伝えてくれたことにあります。富んだ者が、その財力に任せて食料を買い占めたり、値段を操作したりするのではなく、あるものを正しく、そして等しく分配するなら、貧富の差など生まれないではないか、また、大きな格差など、生まれないではないか。やってみようよ、できるよ!

§「サマリアの女性との対話(3)」

  さて、先週からの続きの箇所です。

 *ヨハネによる福音書4:27ー30
27 この時、彼の弟子たちが来た。彼らは、イエスが女と語り合っていることに驚いた。もっとも、何を求めておられるのかとか、この女と何を語り合っておられるのかなどと言う者は誰もいなかった。そこで女は水瓶を残して町に去っていった。そして人々に言う、「来て見て下さい。私のしたことをすべて言った人がいます。もしかしたらこの人がキリストではないでしょうか」。彼らは町を出て、彼のところへ来始めた。

  弟子たちが帰ってきて、イエスがサマリアの女性と話していることに驚きますが、特に取り立てて語るほどのことでもないようです。そして、この女性は、イエスと引き合わせるために、町の人々を呼びに行きます。そしてこの続きは、39節にとびます。

 *ヨハネによる福音書4:39−42
39 さて、その町のサマリア人の多くが「私のしたことをすべて言った」と女が証ししたそのことばのゆえに、彼を信じた。さて、そのサマリア人たちは彼のところにやって来ると、自分たちのところに留まるように頼んだ。そこで、彼は二日間、その地に留まった。そして彼のことばのゆえに、ずっと多くの人々が信じるようになった。彼らは、あの女に言っていた、「もう、俺たちはお前が言ったから信じているんじゃない。つまり、自分の耳で聞いて、この方こそ本当に世の救い主だとわかったんだ」。

  サマリアの地で、イエスの福音が人々の心に響きました。「もう、俺たちはお前が言ったから信じているんじゃない。つまり、自分の耳で聞いて、この方こそ本当に世の救い主だとわかったんだ」、という気持ち、よくわかりますね。ユダヤ人が差別をし、普通の人は交流をしなかったサマリアにも、イエスはなんの気兼ねもなく入って行き、彼らにメッセージが伝わっていることは、素晴らしいことだと思います。使徒行伝の8章に、フィリッポス(ピリポ)という人が、サマリアの伝道に尽力したことが書かれています。また、6章には、ステパノという伝道者について書かれています。
  使徒行伝や、パウロの手紙を読んでいくと、ペテロたちや、パウロたちが伝道旅行にでて、行く先々で立ち寄る教会や、キリスト信者たちがたくさん登場します。そこで生まれる疑問は、これらの人々に福音を伝え、教会を持つまでに育てたのはだれか、ということですが、それが、このステパノやフィリッポスや、その仲間たちではなかったか、という意見もあります。このことを頭に入れて、以下を読むと、新しい発見があるかもしれません。

 *ヨハネによる福音書4:31−38
31 その間に、弟子たちは「ラビ、召し上がって下さい」と言って彼に頼んでいた。ところが彼は彼らに言った、「私には食べるべき、あなたがたのわからない食べ物がある。そこで弟子たちは互いに言い始めた、「まさか誰かが食べさせようと持ってきたわけでもないだろうに」。イエスが彼らに言う、「私の食べ物は、私を派遣した方の意志(おもい)を行ない、その業をなしとげることである。
  たしかにあなたがたは言っているではないか、『まだ四ヶ月もある。そして刈り入れが来る』と。見よ、あなたがたに言う、目を上げて畑を観なさい。刈り入れに向けてもう白っぽくなっているのを。刈り入れ人が報酬を受けており、永遠の命へと実を集めている。種蒔き人と刈り入れ人とが共に喜ぶために。つまり「ある人が種蒔き人で、他の人が刈り入れ人だ」ということばはこの意味で本当なのだ。私はあなたがたを、自分たちの労苦しなかったものを刈り入れさせるために遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその人々の労苦の成果に与(あずか)っているのだ」。

  ここでもイエスと弟子たちの会話も、噛み合いません。マルコによる福音書14章で、これから経験する苦難を杯にたとえ、「アバ、お父さん、あなたには何でもおできになります。この杯を私から取り除いて下さい。しかし、私の望むことではなく、あなたの望まれることを」、と言われたことが思い出されます。「私の食べ物は、私を派遣した方の意志(おもい)を行ない、その業をなしとげることである」、というのもこれに通じます。そして、弟子たちに対しては、『まだ四ヶ月もある。そして刈り入れが来る』、とのんびりしているけれども、もう機は熟しているではないか、と語ります。
  そして、あなたたちが刈り入れるのは、あなたたちが蒔いたのではなく、他の人たちが蒔いた種から育った果実だといいます。「私はあなたがたを、自分たちの労苦しなかったものを刈り入れさせるために遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその人々の労苦の成果に与(あずか)っているのだ」。確かに、私たちも、私たちが得ている恵みは、私たちの蒔いたものからすべて生まれているわけではなく、信仰の先達たちの努力によるところがありますね。
   田川建三は、ステパノやフィリッポスらの伝道の努力のあと、ペテロら、エルサレムの教会の人々が、彼らの努力の成果を、自分たちの努力なしに受けているこたことへの皮肉、批判が込められているのであろうと語っていました。
いずれにせよ、私たちにとっても大きな恵みは、イエスとイエスの福音に出会ったことです。あなたの隣人をあなた自身として愛しなさい、という愛と平和と平等のメッセージとともに、生きることができる、という喜びです。
*ガラテヤ3:27−28
「実際、キリストへと洗礼を受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男性も女性もない。」
 2012年 9月 2日 高橋   誠 日本キリスト会川崎教会牧師

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本キリスト会川崎教会 更新情報

日本キリスト会川崎教会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。