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日本キリスト会川崎教会コミュの「特別な出会い、人生の転機」

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「特別な出会い、人生の転機」

?ヨハネによる福音書1:35−42
 その翌日、ヨハネはまたその弟子たちのうちの二人と立っていた。そして歩いて行くイエスに目を注いで言う、「見よ、神の小羊だ」。二人の弟子は、彼がそう語るのを聞いて、イエスについて行った。イエスは振り返り、彼らがついて来るのを観て彼らに言う、「何を求めているのか」。彼らは彼に言った「ラビ(訳すれば、先生)、どこに留まっておられますか」。彼らに言う、「来なさい。そうすれば見るだろう」。そこで彼ら行って、彼がどこに留まっているかを見、その日は一日彼のもとに留まった。時刻はおよそ第十刻であった。ヨハネから聞いてイエスについて行った二人のうちの一人はシモン・ペトロの兄弟アンドレアスであった。この人が最初に自分の兄弟シモンを見つけて言う、「俺たちはメシア(訳すれば、キリスト)を見つけたぞ」。彼をイエスのところへ連れて来た。イエスは彼に目を注いで言った、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたはケファ(訳すればペトロ)と呼ばれるようになる」。

?マルコによる福音書1:14〜
 さて、ヨハネが獄に引き渡された後、イエスはガリラヤにやって来た。そして「神の福音」を宣べ伝えながら言い続けた、「(この)時は満ちた、そして神の王国は近づいた。回心せよ、そして福音の中で信ぜよ」。
 そして彼は、ガリラヤの海辺を歩んでいたとき、シモンとシモンの兄弟アンドレアスとが海で投げ網をしているのを見た。彼らは漁師だったのである。そこでイエスは彼らに言った、「さあ、私の後について来なさい。そうすればあなたたちを、人間を捕る漁師になれるようにしてやろう」。そこで彼らはすぐに網を棄て、彼に従った。
 また少し進んで行くと、彼はゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネを見た。すなわち彼らは、舟の中で網を繕っているところだったのである。そこで彼はすぐに彼らを呼んだ。すると彼らは、その父ゼベダイを雇い人たちと共に舟の中に棄て、彼の後について去って行った。
新約聖書翻訳委員会訳

§「Never Give Up」

  今日は、「父の日」です。「母の日」のように、それぞれの母、それぞれの父を想う日があるのは、嬉しいことです。「母の日」を提唱して成功を収めた、アンナ・ジャービスに続き、お父さんを想う気持ちから「父の日」を作ろうとした、ワシントン州スポウケインのソノラ・スマート・ドッドが、何十年もかかって訴え続けて定着したのだそうです。
 さて、ビルマのアウンサン・スーチーさんが、1991年のノーベル平和賞を受賞したときには、軍事政権によって自宅軟禁されていて授賞式にでられなかったため、21年経って、昨日、ノルウェーのオスロで受賞スピーチを行ったというニュースがありました。平和のための働きを、いかに道は険しくとも、あきらめずに続けていく大切さを語ったそうです。
  素晴らしいこと、また、当然正しいと思えることが、なかなか社会では実現しないこともあります。昨日のもう一つのニュースは、野田総理大臣が、政府による大飯原発の再稼働を正式決定したということでした。原子力発電が危険な技術であるにもかかわらず、また70年代に作られた原子炉が老朽化し、いつ壊れるか分からないほどの危険にあるにもかかわらず、原発に依存する社会へ戻っていくという事実には、大変がっかりさせられますが、スーチーさんのように、決してあきらめない、希望を捨てない、失望に潰されないということは、とても大切なことだと思います。10年、20年、あるいはひとりの人の一生にあたるほどの時間だとしても、希望を持ち続け、努力し続けることが大切なのだと思います。
  先日、2006年にイギリスで作られた「アメイジング・グレイス」という映画をDVDで観ました。18世紀、奴隷貿易を禁止しようと努力するウィリアム・ウィルバフォースという政治家が主人公で、長年かかっても、なかなか人々の理解を得ることができず、傷心の年月を送るけれども、ついに目的を果たして、奴隷貿易を終わらせるときが来るまでの人生の歩みを描いた素晴らしい映画でした。「アメイジング・グレイス」の作者で、若い頃に奴隷貿易にたずさわっていた経験がある、ジョン・ニュートンも、ウィルバフォースを支える大切な人として描かれていました。
  ウィリアム・ウィルバフォースも、神さまと共に歩み、間違っていること、非道なことをやめさせ、奴隷とされてきた人々の人間としての尊厳を取り戻すために懸命に闘ったひとでした。
   ですから、平和を求めるのも、子供たちや、他の人たちのために働くことも、脱原発を求めることも、パレスチナやシリアに平和を願うことも、私たちそれぞれが出会った、人生の課題に立ち向かうことときにも、決してあきらめない、希望を持ち続けることがとても大切なのです。
   有名な「幸いなるかな」の箇所も、現在の状況如何にかかわらず、希望を持ち続けることの大切さにつながります。たとえ、今泣いていても、その心に素晴らしいことを持っているなら、希望が生き続けているのです。

*ルカによる福音書6:20〜23
 そして彼は、その弟子たちに向かって目を上げ、語り始めた。「幸いだ、乞食たち、神の王国はあなたたちのものだ。
幸いだ、いま飢えている者たち、あなたたちは満腹するだろう。
幸いだ、いま泣いている者たち、あなたたちは大笑いするだろう。
 幸いだ、あなたたちは。人々があなたたちを憎む時、そして人の子ゆえにあなたたちを排斥し、侮辱し、あなたたちの名を悪しき者として唾棄する時は。その日には喜べ、そして跳ね回れ。見よ、あなたたちの報いは天において多いからだ。実際、彼らの父祖たちは、預言者たちにも同じようにしていたのだ。

  そしてパウロは、このことを次のように言っています。

*ローマ人への手紙5:1−5
 かくして私たちは、信仰によって義とされたので、私たちの主イエス・キリストをとおして、神に対して平和な思いにひたされている。そのイエス・キリストをとおして私たちは信仰によって恵みへと至る路を獲得しているのであり、今や私たちはその恵みの中に立ち、神の栄光に与る希望を誇っている。のみならず、私たちは患難の中にあっても誇っている。それは、私たちが次のことを知っているからである。すなわち、患難は忍耐を生じさせ、忍耐は確証を、確証は希望を生じさせるということを。希望は私たちを欺くことはない。なぜならば、私たちに与えられた聖霊をとおして、神の愛が私たちの心のうちに注がれているからである。

   大変大きな、希望のメッセージですね。


§「特別な出会い、人生の転機」

  先ほどの映画のウィリアム・ウィルバフォースは、神さまに出会い、奴隷貿易の問題に出会いました。そして、同じ志を持つ人たちに出会いました。その出会いのために、それからの人生は大きく変わります。神さまに出会うということは、このように人生が大きく変わることです。
  今日お読みした、ヨハネによる福音書の1章でも、ペテロの兄弟アンドレアスとペテロとが、「俺たちはメシアを見つけたぞ」、と喜びを爆発させるほどの出会いが描かれています。ヨハネによる福音書では、弟子たちはすぐにイエスをメシアだと思い、イエスもすべてをすでに知っていて、その不思議な能力を発揮するところは、マルコによる福音書とは大分違います。
  そのマルコによる福音書1章、 この箇所の元になっているところでも、彼れらのイエスとの出会いの衝撃は私たちにも伝わってきます。

*「神の福音」を宣べ伝えながら言い続けた、「(この)時は満ちた、そして神の王国は近づいた。回心せよ、そして福音の中で(神を)信ぜよ」。

   エッ、神の国は私たちの手が届くところにあるって?今まで思ってもみなかったことだったに違いありません。そして、神の国にいるような生き方を示されたのです。
  非常に簡潔なこの物語で気がつくことは、シモンとアンドレアス、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの決断の早さです。
  しかし、当時の社会にあって、このようにあっさり家族や仕事を離れることは容易ではなかったはずです。当時の家族像は「家(オイコス)」の経済でなりたっていて、主人を頂点に、妻や子供達が家業を手伝いますが、主な労働力は成人男性です。他にゼベダイは雇い人をも持っていて、日本の家族経営の会社のような形態をしていました。この家族から離れることは、本人が経済的な活動から切り離されるようになるのと同時に、家族も貴重な労働力失うことになります。
  それでも、イエスに従って行ったのはなぜなのでしょう。普通考えたらできないようなことをも、絶対的な引力を持ったイエスや神と出会うことによって変えられ、できるようになってしまう。これが神との「出会い」の力強さなのだと思います。

・「この物語では、強制力を持つ言葉の奇蹟だけが働いている。この言葉に直面するや、ここには人間の自由な決断が実現するのか、または神の意志のみが王者の権威をもって支配するのかと問うことは無意味になってしまう。何故なら、この体験の特別さは、ここでこの二つが共存することにあるからである。神の声が命じ、人は正にその声に従うことによって全く自由になる。すなわち、窮極的には、彼が本来欲していたことをなすようになるからである。」(ヘンヘン)

 イエスによって、神によって、私たちは本当に進むべき道を与えられて、喜びのうちに人生の旅路を歩んでいくことが許されます。この旅路の道しるべとして、ガイドとして、神が私たちを導いてくださいます。
  この際、私たちが背景に持っている文化やしきたりに拘わらず、主が指し示してくださった道を歩いていくことができる喜び、これこそがイエスによって与えられた私たちの自由なのだと思います。
  それを、ヨハネによる福音書は、興味深い表現で言い表しています。

* ヨハネによる福音書3:3
「アーメン、アーメン、あなたに言う。人は上から(新しく)生まれなければ、神の王国を見ることはできない」。

* ガラテヤ人への手紙5:13
実際あなたがたは自由へと召されたのだ、兄弟たちよ。ただその自由を、肉へと向かう機会のために用いず、むしろ、愛を通してあなたがたは互いに仕え合いなさい。」

   
            2012年 6月 17日
  高橋   誠
  日本キリスト会川崎教会牧師

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