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日本キリスト会川崎教会コミュの「新しい朝を迎えて」

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「新しい朝を迎えて」

① ルカによる福音書10章30〜37節
 イエスは〔この問いを〕取り上げて言った、「ある人がエルサレムからエリコにくだって行く途中、盗賊どもの手中に落ちた。彼らは彼の衣をはぎ取り、彼をめった打ちにした後、半殺しにしたままそこを立ち去った。すると偶然にも、その道をある祭司がくだって来た。しかしその人を見ると、道の向こう側を通って行った、また同じように一人のレビ人も現れ、そのところへやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。
 さて、あるサマリア人の旅人が彼のところにやって来たが、彼のあり様を見て断腸の思いに駆られた。そこで近寄って来て、オリーブ油と葡萄酒を彼の傷に注いで、その傷に包帯を施してやり、また彼を自分の家畜に乗せて宿屋へ連れて行って、その介抱をした。
そして翌日、二デナリオンを取り出して宿屋の主人に与え、言った、『この人を介抱してやって下さい。この額以上に出費がかさんだら、私が戻ってくる時、あなたにお支払いします』。この三人のうち、誰が盗賊どもの手に落ちた者の隣人になったと思うか」。
 すると彼は言った、「彼に憐れみの業を行った者です」。するとイエスは彼に言った、「行って、あなたもまた同じようにしなさい」。      
                                                                                                  新約聖書翻訳委員会訳

§「新しい朝を迎えて」

  明けましておめでとうございます。新しい一年がはじまりました。私たちはそれぞれ、この一年がよい一年であるよう、祈ります。皆さんの新年を迎える折の祈りは、どのような祈りだったでしょうか。
  昨年は、激動の一年でした。特に何もなくても、日本の社会も、世界の経済も、世界の政治情勢も混乱と閉塞感とでいっぱいであったところに、3月11日の東日本大震災と、それに続く原発の事故は、大変大きな悲しみと、不安とで、人々の心をいっぱいにしてしまいました。そして、原子力を使う人たちの傲りや慢心、まさに聖書を通して私たちが陥ってはならないと学んでいる、その代表的な人間社会の問題が、次々と露呈していきました。幻想や神話の崩壊。
  しかし、ガリラヤという、日本から遠く離れた地方での主イエスの歩みが、2000年後の私たちに大きな影響を与えているように、一人、あるいは小さな群れの愛と平和の行いが、共感を持つ人々と共に広がり、人々の心のよりどころになり得ることを思い、ますますこの輪が広がることを祈ります。また、 「あなたの隣人を、あなた自身として愛しなさい」、というその愛を実践し、その教えのもとに教育をし、子供たちを育てていくという、私たちの歩みの一歩一歩に、神さまが共にいて下さることを思い、神さまの恵みに感謝します。

 そして、主イエスにあって、私たちは、私たちの弱さのゆえに、神の前に謙虚に立つ者であることを誇りに思います。パウロの言葉を読んでみましょう。

*コリント人への第二の手紙11:29ー31
 誰かが弱っている。そうだとしたら、この私も弱らないでおられようか。誰かが躓いている。そうだとしたら、この私も燃えないでおられようか。
 もし誇らねばならないとするなら、私の弱さのゆえのことがらを、私は誇ろう。神であり、そして主イエスの父なる方、永遠の賞むべき方は、私が偽りを言っていないことを知っておられる。

 さて、今年は西暦2012年。歴史的には、4年から6年程度のズレがあるとされていますが、それにしても、これは主の年代、主イエスがお生まれになってからの年代、2012年ということです。主が私たちと共に歩まれて、これだけの年月を重ね、歴史上の多くの人々が福音の中に生き、しかも今もなお、主の福音によって日々私たちが新しくされるのですから、感慨もひとしおです。
 私たちが使っている西暦は、英語では普通ただ、the year 2012という言い方をしますが、この西暦をきちんと言うときは、ラテン語のまま、A.D.(anno Domini)を使います。主の年代という意味です。正式には、ADは数字の前に置いて、AD2012と書きます。これは、文章として、主の年代2012年、ときちんと成り立たせるためです。一方、紀元前はB.C.(before Christ)で、数字の後につけるのが普通です。(例:circa 2000B.C.=紀元前2000年頃)しかし最近は、このようにADとBCでつける場所が違うのは使い勝手が悪いということで、共に数字の後に置くことが多くなりました。(2005A.D.)
そしてさらに、この西暦が、キリスト教徒以外にも広く使われる基準となる年号なので、みんなで共通に使う年号、という意味でC.E.(common era)とB.C.E.(before common era)と表記する動きも活発になってきています。(2012C.E.)こうした動きは、キリスト教徒以外の人々への配慮ですね。

§「よきサマリヤ人のたとえ」
 
   主イエスのメッセージの一つは、人々を分け隔てしないことです。差別を生み出さない。すべての人が神の子として大切な存在なので、偏狭な民族主義に対する辛辣な批判が随所でなされます。このよきサマリア人のたとえも、隣接するサマリア地方の人々を差別する人々の耳に痛い譬え話です。  「良きサマリア人の譬」自体は、ルカによる福音書にしか出ていません。従って、ルカによる福音書の特殊資料です。しかし、「先生、私は何をしたら永遠の生命を嗣げるのでしょうか」という問いでは、マルコによる福音書12章28〜34節までの並行箇所とは違い、ルカによる福音書では、この申命記6章5節の引用「あなたは、あなたの神なる主を、あなたの心を尽くし、あなたの命を尽くしつつ、あなたの力を尽くしつつ、(あなたの想いを尽くしつつ)愛するであろう」と、レビ記19章18節の引用「あなたはあなたの隣人をあなた自身として愛するであろう」を、イエスが答えるのではなく、「どのようにしたら永遠の生命を嗣げるのでしょうか」という問いを発した律法の専門家に対して、イエスが問い返した質問、「律法には何と書かれているか」に対する答えとして、この律法の専門家が答えるかたちになっています。
   この律法の専門家は、大変よい答えをするのですが、最後に、「私の隣人とは誰ですか」という問いを発します。実は、彼はこの答えを持っていたはずです。隣人とは、同胞である、ユダヤ人を指していました。これは、「あなたはあなたの隣人をあなた自身として愛しなさい」が書かれている旧約聖書、レビ記19章も、「主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々の共同体に告げてこう言いなさい」という言葉からはじまっていることでわかるように、レビ記での「隣人」も明らかにユダヤ人同胞を指しています。
    しかし、「良きサマリア人の譬」を語ったイエスの指した「隣人」は、そのような民族や宗教の壁を乗り越えたものでした。このことは、マタイによる福音書とルカによる福音書の主イエスの誕生物語にも表れています。主イエスの誕生はマタイによる福音書では、系図は父のヨセフではなく、母マリアの名前で書かれ、東方の賢者たち、すなわち、異邦人である、アラブの占星学者たちによって祝われ、自国の王からは命を狙われます。ルカによる福音書では、故郷から遠くはなれたベツレヘムの家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に横たえられます。誕生を祝うのは、貧しい羊飼いたちです。社会の中で、最も小さな者、子供、女性、貧しい人々、病人、異邦人など、それまでのユダヤ教の律法主義に陥っていた人々が神の前に平等だと思いもしなかった人々とともに、神の子である主イエスが寄り添っている、まさに、彼らこそ隣人なのだ、ということを身をもって示されました。 この違いが、イエスの教えが、「権能を持った新しい教え」(マルコ1:27)であることを如実に表しています。
   「ある人がエルサレムからエリコにくだって行く途中」と聞いたとき、イエスの譬え話の聞き手は、ユダヤ人であったでしょうから、彼らは、「ある人」を自分たちと同じユダヤ人だと捉えて聞いたことでしょう。そして、エルサレムからエリコへ降る道は、ユダの荒野です。日陰のあまりない、大変暑いところです。しかも、海抜800メートルのエルサレムから、海抜マイナス400メートルのエリコまでは標高差が1200メートルもある、険しい道のりです。下に降りて行くに従って、暑さもましてきます。徒歩で、ちょうど一日の距離でした。また、山道で見通しも良くない場所が多いことから、盗賊も出やすそうな感じがしたことでしょう。雨季には鉄砲水がでて、非常に危険なところです。
 「...盗賊どもの手中に落ちた。彼らは彼の衣をはぎ取り、彼をめった打ちにした後、半殺しにしたままそこを立ち去った。すると偶然にも、その道をある祭司がくだって来た」
 聞いている人たちは、襲われた旅人と自分を重ねて聞いていて、ここに祭司がくだってくることを聞いて、助けてほしい、という期待を持ちますが、レビ記21章の祭司たちに対する律法の規定を思い出すと、やがてその期待は絶望にかわります。

*レビ21章1〜4節
 主はモーセに言われた。アロンの子である祭司たちに告げてこう言いなさい。
 親族の遺体(あるいは、民のうちの死人)に触れて身を汚してはならない。ただし、近親、すなわち、父母、息子、娘、兄弟および同居している未婚の姉妹の場合は許される。間違っても、親族の遺体に触れて、身を汚すことがあってはならない。

 彼らは、祭司としての勤めをするために、汚れた身になってはならない、というこの規定を守るなら、もう死んでいるかも知れない、あるいは、もうすぐ死ぬかも知れない人に触れることはできない、ということになります。残念ながら、「しかしその人を見ると、道の向こう側を通って行った」そして、「また同じように一人のレビ人も現れ」ます。レビ人は、下級祭司で、一般的に貧しく、一般民衆と近いものがありましたが、彼らも同じように律法の規定を守らなくてはなりません。
 エルサレムからエリコへ降る道には、そう多くの人は通りません。しかし、通った二人が、ユダヤ教の祭司と下級祭司であったにもかかわらず、その宗教的な戒律に縛られているために、この人を助けることができません。「...そのところへやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった」。
 戒律を守る方が、この人を助けるよりも大切なのでしょうか。そういう基本的な疑問と、このような戒律に縛られて大切なことができないことに対する怒りが湧き上がって来たことでしょう。これでは絶望的です。これは、マルコによる福音書2章23節から、3章6節までの、「人の子は安息日の主でもあるのだ」と安息日の癒しの箇所と、考え方が共通しています。「安息日に許されているのは、善をなすことか、悪をなすことか、命を救うことか殺すことか」
 そこで通りかかるのは、あるサマリア人です。いまでも、サマリア人はヨルダン川西岸地域のナブルス周辺に住み、ゲリジム山で礼拝をしています。バビロン補囚から帰ってエルサレムに神殿を再建しようとするユダヤ人たちに、サマリア人たちは協力を申し出でますが、過去に異教の神を崇拝したことなどを理由に拒否され、エルサレムのかわりに、ゲリジム山に神殿を築いて礼拝していました。その他にも、サマリア人が、セレウコス朝シリア王アンティオコス・エピファネスに屈して、異教神をゲリジム山に奉ったことで、怒ったハスモン王朝のヨアンネス・ヒュルカノスがゲリジム山神殿を攻撃して破壊したことから、サマリア人とユダヤ人の間は断絶し、サマリア人はユダヤ人からは差別の対象になっていました。にもかかわらず、この譬え話で、イエスはここでサマリア人を登場させます。
   そして、治療の方法や、宿屋への運び方も具体的に目に見えるかのように語られます。そして、彼を助けた人が、なんと自分たちが差別をしているサマリア人であるとは。しかし、そんなことも忘れて、この譬え話の中に入り込み、このサマリア人に自分を置き換え、自分と同一化して、聞き入っている姿はどうでしょうか。これは究極の教育ですね。

*35節
 そして翌日、二デナリオンを取り出して宿屋の主人に与え、言った、『この人を介抱してやって下さい。この額以上に出費がかさんだら、私が戻ってくる時、あなたにお支払いします』。

 宿屋に預けるお金も具体的です。2デナリオン。労働者の2日分の給料にあたります。聞いていた人たちは、まるで我がことのように、この譬えを受け容れたことでしょう。もはや、自分たちをサマリア人の上に置くことも、彼らを下に見ることも無意味です。神の支配するところでは、このような偏見もなくなってしまいます。イエスは、この譬えによって、人々の目の前で、彼らの偏見を形づくていた価値観を崩してしまわれ、そして多く人々はそれを喜んで受け容れたであろうと思います。

*ヨハネによる福音書13:34
 新しい命令をあなたがたに与える。あなたがたも互いに愛し合うようにと、私があなたがたを愛した。同じように、あなたがたが互いに愛し合いなさい。
*コリント穸5:17
もしもある人がキリストのうちにあるのなら、その人は新しく創造された者なのである。古きものは過ぎ去った。見よ、新しくなってしまったのである
                           2012年 1月 1日  新年礼拝 高橋   誠   日本キリスト会川崎教会牧師

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