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日本キリスト会川崎教会コミュの「主人から託されたお金の使い方」マタイ25:14−

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「主人から託されたお金の使い方」

①マタイによる福音書 25章14−30節

 すなわち、天の王国はこれから旅に出ようという人が、自分自身の僕たちを呼んで、彼の財産を彼らに引き渡すようなものだ。そこで彼はある者には五タラントン、ある者には二タラントン、ある者には一タラントン、おのおのの力に合わせてそれぞれ与え、旅に出た。すぐさま、五タラントンもらった者は行って、それを使って働き、ほかに五タラントンを儲けた。同じように、二タラントンもらった者も、ほかに二タラントンを儲けた。しかし一タラントンをもらった者は、去って行って、地面に穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
  かなり時が経って、かの僕たちの主人がやって来て、彼らと清算をしようとした。そこで五タラントンをもらった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った、『主よ、あなた様は私に五タラントンを渡されました。ご覧下さい、私はほかに五タラントンを儲けました』。彼の主人は彼に言った、『よろしい、善き、忠実な僕よ。おまえはわずかなことに忠実であったので、多くのことをお前にまかせよう。お前の主人の喜びに与(あずか)ってくれ』。また二タラントンもらった者が進み出て言った、『主よ、あなた様は私に二タラントンを渡されました。ご覧下さい、私はほかに二タラントンを儲けました』。彼の主人は彼に言った、『よろしい、善き忠実な僕よ、お前はわずかなことに忠実であったので、多くのことをお前にまかせよう。お前の主人の喜びに与ってくれ』。また、一タラントンをもらった者が進み出て言った、『主よ、私はあなた様が厳しい方であることを存じ上げております。あなた様はご自分でお蒔きにならなかったところから刈り取られ、散らかされなかったところから集められる方です。そこで私は恐ろしくなったので、出かけて行って、あなた様のタラントン貨幣を地中に埋めました。ご覧なさい、どうぞこれがあなた様のものです』。すると、彼の主人は、答えて彼に言った、『悪しき、怠け者の僕よ。お前は私が蒔かぬところから刈り取り、散らさぬ所から集めるのを知っているのか。ならばお前は私の金を両替屋に預けておくべきだったのだ。そうすれば私は、戻って来た時、自分のものを利子と一緒にもらうことができたはずだ。そこでお前たち、こいつからその一タラントンを奪い、十タラントン持っている者に与えよ。というのは、『持てる者にはすべて、与えられるであろう」し、さらに付け加えられるであろう。しかし、持たざる者からは、持っているものも取り去られるであろう」からだ。そこで、この役立たずの僕を外の闇に投げ捨てよ。そこでは嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。
・注:1タラントンはほぼ6000デナリオン(=ドラクマ)に相当。(労働者6000人分の賃金)                        新約聖書翻訳委員会訳

§「悲しい記念日の数々」

  8月は、悲しい記念日が続きます。1945年8月6日は広島に原爆が落とされた日、9日は長崎に原爆が落とされた日。11日は、東日本大震災から五ヶ月目。12日は、1985年の日本航空123便墜落事故。そして、15日の終戦記念日です。
  しかし、このような悲しい出来事のひとつひとつから、私たちは学ぶべきことを学び、次のステップを歩み出さなければなりません。敗戦後の日本の歩みを検証したジョン・ダワーの「敗戦を抱きしめて」(Embracing The Defeat)という表現がとても好きです。敗戦と貧困との中で、軍国主義からの脱却、人々が社会を変え、平和と民主主義と人道主義的で、主権在民の社会を築いていくチャンスとして、この敗戦を抱きしめたのだ、というのです。「幸いだ、悲嘆にくれる者たち、その彼らこそ、慰められるであろう。幸いだ、柔和な者たち、その彼らこそ、大地を継ぐであろう」(マタイ5章)。困ったとき、逆境にこそ、振り返り、生き方を正すチャンスがある

§「タラントンの譬え」
  さて、今回は、タラントの譬をマタイによる福音書25章で読んでいきます。平行箇所のルカによる福音書19章11−27節との大きな違いは、ルカでは「王国の支配権を受けて戻るために、遠くの国へ赴いた高貴な生まれの人」で、しかもここにヘロデ大王の子、アルケラオが大王の死後、紀元前4年にローマに民族支配者の称号をもらい受けに行った際、50人ほどの住民が彼に支配権を与えないようにとローマに嘆願しに行き、後に報復としてこの人たちを殺してしまう、という歴史的な大事件のモティーフが挿入されていたのに対し、マタイではシンプルに「旅にでようという人」の話しとなっています。このアルケラオスの事件について、ヨセフスユダヤ戦記には、このように書かれています。

・ヘロデ大王の息子アルケラオスは、ヘロデ大王の死(紀元4年)後、彼が王にならないようにユダヤ人から訴えられた。しかし皇帝が彼をユダとサマリア及びイドマヤの民族指導者にして、彼がローマから帰還した時、直訴者たちに復讐して殺害した。後に、紀元六年サマリヤからの告訴により、ローマ帝アウグストゥスに廃位させられた。(ヨセフス「ユダヤ戦記」)

 この、ヘロデ大王の困った息子の一人、アルケラオスがローマ皇帝から王位を受けに行く旅とその帰還を、主イエスが十字架上でなくなり、復活して、神より王位を受けて帰ってくるまでになぞらえています。人々のアルケラオスへの憎しみと、人々の主イエスを排除する姿勢とが重ね合わされているのですね。
 しかし、それでもなお「寓喩化がかなり進んでおり、『ある人』はキリストを、『旅に出る』のは地上の生から離れて天上的存在となることを、僕たちはキリスト教徒を、主人の旅が長びいたことは終末の遅延を、彼の帰還と清算は終末の到来と裁きを、それぞれ意味する」(橋本滋男)ことが明らかです。寓喩化がかなり進んでいるということは、主イエスのオリジナルな言葉の意味からは離れてしまって、原始キリスト教会の信仰理解が表されていることを意味します。(主イエスご自身は、譬え話を、寓喩としてではなく、譬え以外では伝えられない概念を伝えようとされました。)
  旅に出たある人、すなわち、キリストを待つという表現は、終末が遅れていること、しかし最後の審判は必ず来る、ということを表します。では、14−18節をお読みしましょう。

*マタイによる福音書25章14−18節
 すなわち、これから旅に出ようという人が、自分自身の僕たちを呼んで、彼の財産を彼らに引き渡すようなものである。そこで彼はある者には五タラントン(一タラントンは六千デナリオン、六十ムナ)、ある者には二タラントン、ある者には一タラントン、おのおのの力に合わせてそれぞれ与え、旅に出た。すぐさま、五タラントンもらった者は行って、それを使って働き、ほかに五タラントン儲けた。同じように、二タラントンもらった者も、ほかに二タラントン儲けた。しかし一タラントンをもらった者は、去っていって、地面に穴を掘り、主人の金を隠しておいた。

 ルカでは預けられるお金は皆、一定(1ムナ=100デナリオン、労働者百人分の日給)でしたが、マタイでは、「それぞれの力に合わせて」ひとり一人違う額を預けます。それにしても、五タラントンとは、大変な額ですね。3万人分の日給、普通の人の給料の約100年分です。最初の二人は、同じように働いて、それぞれ利益をだしました。しかし、最後の一人は、地面に穴を掘り、そこにお金を隠してしまいます。余談ですが、この「貨幣」という言葉は、銀貨を指します。六千万円銀貨って、ちょっとおもしろいですね。
 さて、寓喩として見るなら、この巨額のお金は何に当たるでしょうか。神から与えられた恵み、生命、そして福音。マタイによる福音書5章13節以下には、「あなたがたは世の光である」という言葉があります。しかし、「人々はともし火をともした後、それを枡の下に置きはしない。むしろ燭台の上に置く。」のですね。

*マタイによる福音書5章13〜16節
 あなたたちは大地の塩である。しかしもしその塩が愚かにも味を失ってしまったら、何によって塩漬けされうるであろうか。もはや何の役に立たず、外に投げ棄てられ、人々に踏みつけられることになるだけであろう。
 あなたたちはこの世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
 人々はともし火をともした後、それを枡の下に置きはしない。むしろ燭台の上に置く。そうすればそれは、家の中にいるすべてのものを照らすのである。このように、あなたたちの光が人々の前で輝くようにせよ。そうすれば彼らは、あなたたちの良い行ないを見て、天におられるあなたたちの父を讃(ほ)め称(たた)えるであろう。

 ともし火を升の下に置く、というのは、ともし火を自分だけのために使って、他者のために生かすことを考えていない、ということにも通じてきます。
  J.エレミアスは、イエスご自身までさかのぼると、この譬がどのように話され、どのような意味で話されたかをたどりつつ、大きな宝を与えられていながら、それを使わなかった当時の人たち、律法学者たち、戒律を守ることばかりに主眼を置いて、正しく用いなかったものたちに対する批判であったであろうと指摘していますが、それはまた、神から受けた恵みを、愛を、困っている人たち、隣人と分かち合わずに、自分だけ安全地帯にいようとする姿勢を批判するものだったのだと思います。 「自分の十字架を担って私に従って来るがよい」、という言葉とつながってきますね。

*マルコによる福音書8:34ー35
 そして彼は、その弟子たちと一緒に群衆を呼び寄せ、彼らに言った、「もし人が私の後ろから従って来たいと望むならば、自分自身を否み、自分の十字架を担って私に従って来るがよい。実に、自分のいのち(魂、霊)を救おうと欲する者はそれを滅ぼすだろう。しかし、自分のいのちを私と福音とのために滅ぼす者は、それを救うだろう。

 では、19節以下をお読みしましょう。「かなりの時が経って」、主人が帰ってきて「清算をしようとする」、すなわち、遅くなったけれども、最後の審判の時が来た、と言う場面です。

*マタイによる福音書25章19−23節
 かなりの時が経って、かの僕たちの主人がやって来て、彼らと清算をしようとする。そこで五タラントンもらった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った、『主よ、あなた様は私に五タラントンを渡されました。ご覧下さい、私はほかに五タラントンを儲けました』。彼の主人は彼に言った、『よろしい、善き、忠実な僕よ。お前は僅かなことに忠実であったので、多くのことをお前にまかせよう。お前の主人の喜びに与ってくれ』。
 また二タラントンもらった者が進み出て言った、『主よ、あなた様は私に二タラントンを渡されました。ご覧下さい、私はほかに二タラントンを儲けました』。彼の主人は彼に言った、『よろしい、善き忠実な僕よ。お前は僅かなことに忠実であったので、多くのことをお前にまかせよう。お前の主人の喜びに与ってくれ』。

  二人の者たちは、「お前の主人の喜びに与ってくれ」という言葉を受けます。これは「喜びの祝宴への招待」を指します。「喜びの祝宴」は、神の国のイメージですから、神の国の祝宴への招待を受けるのです。
  五タラントンものお金を「僅かなこと」と表現しているのは興味深いですね。私たちひとり一人に与えられている生命は、あたりまえのようであり、小さなものであり、簡単に無駄にされてしまうようなものであり、また神の目から、また神の愛に触れた者の目からは、かけがえのないものだ、ということ、それが驚くほどの金額で表されている理由なのでしょう。

*マタイによる福音書25章24−30節
 また一タラントンもらった者が進み出て言った、『主よ、私はあなた様が厳しい方であることを存じ上げておりました。あなた様はご自分でお蒔きにならなかったところから刈り取られ、散らされなかったところから集められる方です。そこで私は恐ろしくなったので、出かけて行って、あなた様のタラントン貨幣を地中に埋めました。ご覧なさい、これがあなた様のものです』。すると彼の主人は、答えて彼に言った、『悪しき、怠け者の僕よ。お前は私が蒔かぬところから刈り取り、散らさぬところから集めるのを知っているのか。ならばお前は私の金を両替屋に預けておくべきだったのだ。そうすれば私は戻って来た時、自分のものを利子と一緒にもらうことができたはずだ。そこでお前たち、こいつからその一タラントンを奪い、十タラントン持っている者に与えよ。というのは、「持てる者にはすべて、あたえられるであろう」し、さらに付け加えられるであろう。「しかし持たざる者からは、持っているものも取り去られるであろう」からだ。そこで、この役立たずの僕を外の闇に投げ捨てよ。そこでは嘆きと歯ぎしりとがあるであろう』。

 この最後の部分では、罰が二重に与えられています。先ず、この世界での罰「こいつからその一タラントンを奪い、十タラントン持っている者に与えよ。」そして、最後の審判の後、地獄での滅亡を表す、「この役立たずの僕を外の闇に投げ捨てよ。そこでは嘆きと歯ぎしりとがあるであろう」という厳しい罰で罰が強調されています。この表現は、マタイによる福音書が、最後の滅亡を表す時に好んで使う表現です。(cf.22:13)
  「持てる者にはすべて、あたえられるであろうし、さらに付け加えられるであろう。しかし持たざる者からは、持っているものも取り去られるであろう」、という表現は、マルコによる福音書4章24〜25節にもあります。もとは、貨幣経済や、人間社会の常に対する絶望にも似た考察ですが、それを逆手にとって、神の恵みを受ける人々にあてはめているのです。

*ローマ人への手紙 13章11−13節
 以上のこと(「あなたの隣人をあなた自身として愛すること」など)を、あなたがたは時をわきまえつつ(なすように努めなさい)。すでにあなたがたが眠りから覚めるべき時節が来ているからである。今や、私たちの救いは、私たちが信仰に入ったときよりも、さらに近づいて来ている。夜はふけた。日が近づいてきている。それゆえに私たちは、闇の業を脱ぎ捨てようではないか。そして光の武具を身につけようではないか。日中におけるように、品位のある仕方で、私たちは歩もうではないか。
2011年 8月14日  礼拝   高橋  誠/日本キリスト会川崎教会牧師 

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