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日本キリスト会川崎教会コミュの「最初の者の多くは最後の者になり、 最後の者の多くは最初の者になるだろう」

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「最初の者の多くは最後の者になり、
最後の者の多くは最初の者になるだろう」

* マルコによる福音書10章28−31節
 ペトロが彼に語り始めた、「ご覧下さい、この私たちはすべてを棄て、あなたに従って来ました」。イエスは言った、「アーメン、私はあなたに言う。私のゆえに、そして福音のゆえに、家、兄弟たち、姉妹たち、母、父、子供たち、または農地を棄てた者は、必ず今のこの時期に、迫害のする中にあっても、百倍の家々、兄弟たち、姉妹たち、母たち、子供たち、そして農地を受け、また来るべき世においては永遠の命をうける。
 しかし、最初の者の多くが最後の者となり、最後の者の多くが最初の者となるだろう」。    
                                       新約聖書翻訳委員会訳

§「『永遠の命を継ぐには』、についてさらに考える」
        
   今年の夏は大変暑いですね。朝の8時台から教室の中が30度を超えることは滅多にないのですが、今年は毎日です。その中でも私たちが健康を保って、お互いに平和な気持ちで過ごせるのはとても嬉しいことです。また、今年は、この教会の礼拝にはじめて出席されたかたが数人いらして、それぞれよい交わりを持つことができていることも、大変嬉しいことだと思います。
   今日も共に聖書を読み、共にメッセージを読み解こうと努力し、またそこに浮かび上がる驚くべき主イエスの生き方、神の国の福音のメッセージを共に分かち合うことができることも、嬉しく思います。
  主イエスの伝えられた神の国の福音は、大変根源的でまっすぐなものでした。「神を愛しなさい」、そして、「あなたの隣人をあなた自身として愛しなさい」。さらに、「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」、というに至っては、人間の常識や、本能的な反応や、闘争心や、復讐心や、そういうものをすべて越えた愛と平和の生き方ですね。男女も、子供も、老人も、異邦人も、異教徒も、病気の人も、貧しい人も、皆、神の目からは大切な愛する子なのだ、という、まっすぐなメッセージ、生き方なのです。
  当時のユダヤ教徒は、大変にまじめに生活を送る人が多く、戒律を守って、自分を清く保ち、穢れているものに触れないようにする、という生活を送っていました。大変まじめに一生懸命に自分を清く保つのですが、その過程で、そうしない者たち、そうできない者たちを穢れた者たちとして、差別してそれを疑問に思わなくなるのです。でも、これはユダヤ教徒だけの問題ではなく、人間社会の犯す、基本的な過ちなのです。そして、多くの場合、その過ちは、宗教的な戒律などによって、よしとされると、人々が反省することを止めてしまうのです。
  日本でも、奈良などに、今でも女人禁制の山があって、女性は登れません。相撲の土俵にも女性は乗れませんね。伝統だから、しきたりだから、というと、それを見直そうとはしなくなってしまうのです。
  主イエスは、そうだね、伝統だからね、とは決して言いませんね。神さまは、そのような差別や区別を望んでおられない。最も小さく、私のためになんて、救いはないんじゃないか、と思っている人に、あなたは神さまの子なんだよ、神さまの子として、神さまに愛されているんだよ、と教える方ですから、きっと女人禁制の山でも、女の人たちと一緒に登るでしょうね、彼らが登りたいなら。
  社会の制度や、規則は、入れ替わるとまた新たな制度や規則ができます。ユダヤ教から、イエスを経て、キリスト教が生まれて、キリスト教社会ができあがってくるうちに、主イエスが批判したのと同じような律法主義がキリスト教社会にも生まれ出てしまうのです。また、清い、穢れている、と人々を分けて、自分たちを清い側とし、穢れているとされる人たちを差別して疑問におもわなくなってしまうのです。
  主イエスは、そのような場合に、また人々が主イエスが伝えた、神の国の福音のありかたに立ち帰って、反省して、神さまと共に歩む生き方にいつも戻れるような言葉を語られました。今日のお話の題になっている、「最初の者の多くは最後の者になり、最後の者の多くは、最初の者になるだろう」、という言葉も、その一つだと思います。キリスト教の歴史で、常に改革者が出て、新しい改革をする、ということが繰り返すのも、主イエスの言葉にある、人々に本来の神との歩みに立ち帰られせる性質によって生まれた、自浄能力なのです。
  先週学んだ箇所を、もう一度読みますね。

*マルコによる福音書10章17〜19節 
 さて、彼が道に出ていくと、一人の男が走り寄って来て彼の前にひざまずき、彼にたずね出した、「善い先生、永遠の命を継ぐためには、私は何をすればよいのでしょう」。そこでイエスは彼に言った、「なぜ、あなたは私を『善い』などと言うのか。神お一人のほかに善い者なぞいない。掟なら知っているだろう。殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、だましとるな、お前の父と母とを敬え」。

  「永遠の命を継ぐ」は、「神の国に入る」と同じことを指しています。これは、多くの人々が神社仏閣で祈るように、家内安全とか、なんとか成就とか、自分が何かをがんばった報酬として天国に行けるとか、そのような利益誘導的なものでは、実はないのです。きちんとした生き方をするかわりに、お守りを買ったり、正しいことをするかわりに、儀式をする
  神さまと共に歩む、神と共に義しく生きる、という生き方を選択することなのです。そのような生き方それ自体に喜びがあり、その生き方がずっと継承されていくように生き、教育をし、魂を継承することが、神の国に入る、ということであり、永遠の命を継ぐ、ということなのです。
  ですから、この若者が、「永遠の命を継ぐ」方法を尋ねているその姿勢は素直なものですが、生き方そのものではなく、how toで、つまり、自分のなんらかの業やコツによって、自分だけが天国に入る方法を知って安心したいと考えること自体に、すでに誤りがあるのです。
 この若者の「永遠の命を継ぐためには、私は何をすればよいのでしょう」、という問いに対し、しかし、イエスは十誡の一部を挙げて応えます。「掟なら知っているだろう。殺すな(第六の戒め)、姦淫するな(第七の戒め)、盗むな(第八の戒め)、偽証するな(第九の戒め)、だましとるな(第十の戒め)、お前の父と母とを敬え(第五の戒め)」。
  ここで引用されているのは禁止の戒めと、「最後の父と母とを敬え」だけで、十戒の第一から第四の戒めが引用されていません。これも意図的なのでしょうか。そうなのです。
  主イエスがこの若者に言った6項目は、律法主義に染まっているまじめなユダヤ教徒が守っているという自信があるものばかりなのです。
  イエスが挙げなかった戒めのうち、4番目は安息日を守るように、という項目ですが、これは、主イエス自身が他の人に対して、「守りなさい」、と言う内容ではありませんね。また、3つめの「汝の神エホバの名をみだりに口にあぐべからず」も、実際の人々の生活の中で、義しく生きることの本質とは遠い気がします。
  大切なのは、最初の二つの戒めなのです。それらはすなわち、「汝、我が顔の前に、我のほか何物をも神とすべからず」と、「汝、己のために、何の偶像をも彫むべからず」です。それは、律法主義に陥り、律法を守ることによって、また、その自分の努力と、律法を守ることを可能にしてくれる社会的に恵まれた地位や富によって、救いが得られると信じてしまっている人々に対して、あなたは、神と共にあって、今、目の前にいる困っている隣人を助けることを忘れていたら、あなたは神を愛することができていないではないか。そしてそれは同時に、律法や富を、神の代わり、すなわち偶像にしているではないか。すなわち、主イエスの導きの応えられないこの若者は、この二つの戒めを守れていないことになるのです。
  ですから、主イエスはあえて、この若者が自信を持って答えることができる項目のみを挙げているのです。これに対して、この人の応えは素直なものでした。

*マルコによる福音書10章20〜22節
 すると彼はイエスに言った、「先生、それらなら、自分の少年の頃からすべて守ってきました」。そこでイエスは彼を見つめながら、彼を慈しんだ。そして彼に言った、「あなたには一つ、欠けているものがある。行って、自分の持っているものを売り払って、これらの貧しい者たちに与えなさい。そうすればあなたは、天に宝を持とう。そうして私に従ってきなさい」。すると彼はこの言葉のために陰鬱になり、悲しみのうちに去っていった。なぜなら、たくさんの資産を持っていたからである。

   主イエスと共に生きる生き方そのものを選ぶことは、この人にはできなかったのです。

§「最初の者の多くは最後の者になり、最後の者の多くは最初の者になるだろう」

  そして、今日の箇所は、この続きです。この若者とは違い、ペテロは大変自信を持っています。

*マルコによる福音書10章28〜30節
 ペトロが彼に語り始めた、「ご覧下さい、この私たちはすべてを棄て、あなたに従って来ました」。イエスは言った、「アーメン、私はあなたに言う。私のゆえに、そして福音のゆえに、家、兄弟たち、姉妹たち、母、父、子供たち、または農地を棄てた者は、必ず今のこの時期に、迫害の中にあっても、百倍の家々、兄弟たち、姉妹たち、母たち、子供たち、そして農地を受け、また来るべき世においては永遠の命をうける。
 しかし、最初の者の多くが最後の者となり、最後の者の多くが最初の者となるだろう」。   
 
 ここでは、ペテロ(ペトロ)が誇らしげに「ご覧下さい、この私たちはすべてを棄て、あなたに従って来ました」といいますが、ここで再びマルコの教会の様子が描写されています。クリスチャンになることによって、家族との断絶が生まれることや、迫害という大きな問題は、マルコの教会の大きな問題でした。自分の肉親を失っても、「百倍の家々、兄弟たち、姉妹たち、母たち、子供たち、そして農地を受け、また来るべき世においては永遠の命をうける」、と続きます。家族、共同体としての教会で、文字通り今まで以上の家族が与えられたのでしょう。
  ここに、妻が出てこないのはおもしろい点です。10章9節に書いてあった通りに、「神が一つ軛に合わされたものを、人間が離してはならない」、とある通り、妻を失うことは、ここでは前提にされていないことが、このリストに妻が出てこない理由だと、考えられます。
  しかし、ここでもまたペテロのような人にも、反省を促すのです。「ご覧下さい、この私たちはすべてを棄て、あなたに従って来ました」、でもそのことを勲章にして、傲ってはいないか。
 30節の「最初の者の多くが最後の者となり、最後の者の多くが最初の者となるだろう」は、最後まで、人間が傲ることを戒めている、主イエスの言葉なのです。それは、人間の歴史の中で、常に同じ過ちが犯される、同じような過ちを犯す危うさを私たち人間が皆、持ち合わせているということへの警鐘です。   
  この同じ表現は、ルカによる福音書の13章と、マタイによる福音書20章に、全く違う状況の中で使われています。ルカによる福音書13章では、 「最初の者」は「最初に救われた者たちと自分たちで思っていたユダヤ教徒を指し、彼らが、「最後の者たち」、救いから遠い者になるものも多く、それに対して「狭い戸口から入る者」、「最後の者たち」は、キリストに連なる者たちを指し、それが「最初の者たち」すなわち、救いを得る者たちになると言っています。
  マタイによる福音書20章は、主イエスの持つ平等感、神に愛されていることの満足感がよく現れ、それを他人と比較して優越感に浸ること、あるいは嫉妬することの愚かさの主張が大変良く現れています。今日はこの箇所をお読みして、お話を終えたいと思います。

*マタイによる福音書 20章1−16節
 なぜなら、天の王国は次のような家の主人と同じである。彼は、自分の葡萄園に労働者を雇おうとして、夜が明けると同時に外へ出て行った。彼は、労働者たちと一日一デナリオンの約束をし、彼らを彼の葡萄園に遣わした。また、第三刻頃(午前九時頃)出て行くと、仕事もなく市場に立っているほかの者たちを見、その者たちに言った、『君たちも葡萄園に行きなさい。そうすればそれなりのものをやるから』。そこで彼らは葡萄園へおもむいた。さらに彼は再び第六刻頃(正午頃)と第九刻頃(午後三時頃)に出て行って、同じようにした。また十一刻頃(午後五時頃)出て行くと、ほかの者たちがいぜんとして立っているのに気がついた。そこで彼は彼らに言う、『なぜ君たちは一日中、何もしないで立っているのか』。彼らは彼に言う、『誰も俺たちを雇ってはくれないから』。彼は彼らに言う、『君たちも葡萄園へ行きなさい』。
8 夕方になって、葡萄園の主人はその管理人に言う、『労働者たちを呼んで、最後の者たちから始めて最初の者たちに至るまで、彼らに賃金を払うのだ』。そこで、第十一刻頃(午後五時頃)雇われた者たちがやって来て、一人一デナリオンずつもらった、そこで最初に雇われた者たちがやって来て、もっと多くもらえるだろうと胸算用した。しかしその彼らもまた、一デナリオンずつしかもらわなかった。そこで受け取ると、彼らは家の主人に対して不満を漏らして言った、『この最後に来た奴らは、一刻の間しか働かなかった。それなのにあなたは、こいつらを、日中の辛さと暑さにもめげずに働いた俺たちと同じように扱った』。しかし彼は、彼らの一人に対して答えて言った、『友よ、私は君に対して不正を行ってはいない。君は私と一デナリオンの約束をしたではないか。君の取り分を取って行け。私はこの最後の者にも、君と同じように与えてやりたいのだ。あるいは私の者について、私が好きなようにするのがいけないとでも言うのか。それとも、私が寛大なものだから、君の目がよこしまに(嫉妬深く)なったのか』。
16 このように、最後の者たちは最初の者たちになるであろう、そして最初の者たちは最後の者たちになるであろう」。 
                                     
2011年 7月17日  礼拝   高橋  誠/日本キリスト会川崎教会牧師 

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