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日本キリスト会川崎教会コミュの最も大いなる者とは

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「最も大いなる者とは」

①マルコによる福音書10章42〜45節
 そこでイエスは、彼らを呼び寄せ、彼らに言う、「あなたたちが知っている通り、異邦人たちの支配者と思われている者どもは、彼らを暴圧で支配し、異邦人たちの尊大な者どもは、彼らに圧政を加えている。しかし、あなたたちの間ではそうではない。むしろ、あなたたちの間で大いなる者になりたいと思う者は、あなたたちに仕える者となるだろう。また、あなたたちの間で筆頭でありたいと思う者は、皆の奴隷になるだろう。
 なぜならば、人の子も仕えられるためではなく、仕えるために来たのだ。そしてまた、自分のいのちを多くの人のための身代金として与えるために来たのだ」。

②マルコによる福音書10章35〜41節
 すると、ゼベダイの子らのヤコブとヨハネとが彼に近寄ってきて、彼に言う、「先生、私たちがお願いすることをかなえていただきたいのですが」。そこで彼らに言った、「私に何をして欲しいのか」。そこで彼らは彼に言った、「あなたの栄光の中で、私たちの一人があなたの右に、一人があなたの左に座ることを私たちに許して下さい」。しかし、イエスは彼らに言った、「あなたたちは何を願っているのかわかっていない。あなたたちは私の飲む杯を飲むことができるのか、あるいは私のこうむる洗礼をこうむることができるのか」。すると彼らは彼に言った、「私たちにはできます」。しかしイエスは彼らに言った、「なるほど、私が飲む杯をあなたたちも飲み、私がこうむる洗礼をあなたたちもこうむることになるだろう。しかし、私の右、ないし左に座ることは、私が許してやれることではなく、備えられている者にのみ与えられるのだ」。すると十人はこれを聞き、ヤコブとヨハネに対して激しく怒り出した。                                                                     新約聖書翻訳委員会訳

§「告別式」

   先週は、鈴木みち子さんの告別式がありました。一緒に出席してくださった皆さん、ありがとうございました。集まった人たちそれぞれに、鈴木さんとの思い出をかみしめながら、優しい気持ちで鈴木さんに向き合っているのが通じてくる、あたたかいひとときでした。告別式のはじまる前に、「昨日の前夜式は、とても落ち着いた、いい式でした。心が通っていてね」、と声をかけてくれた人がいました。普通のお寺の形式的なお葬式との違いを感じたのだそうです。これも嬉しいことでした。
  私たちの行いのひとつひとつと共に、神さまと共にある喜び、そして愛と平和とがあることは、とても大きな恵みですね。

*マタイによる福音書28:20
 私があなたたちに指示したすべてのことを守るように、彼らに教えよ。そして見よ、この私が、世の終わりまで、すべての日々にわたり、あなたたちと共にいるのである。

  鈴木さんのおうちのお墓は、平間にあるお寺にあるのだそうです。ご遺族は、鈴木さんもそこに、夫や幼い頃に病のために召された子供たちと共に入れてあげたいというご希望です。ご希望通りにしてあげたいと思います。
 
§「人を大切にする、ということ」

  さて、この一週間は、低気圧に伴う豪雨で、韓国や、新潟県や福島県は、大変な洪水に見舞われました。水害で不安な思いをしている人たちに平和な生活が早く戻ることを祈ります。
  先日は、中国の新幹線の事故がありました。国威発揚の為に、急いで作ったばかりに、多くの問題が指摘されていました。事故後の対応にも、隠蔽体質があらわれたり、一般の人々を大切にしない姿勢が批判されていました。
  中国政府の姿勢には、このような事故の時にも、様々な問題を感じますが、翻って考えてみると、今回の福島の原発の事故やその後の対応の一つひとつにも、同じような問題があることに気付きます。中国で、国産だと報道してる新幹線の車体は、カナダや日本のメーカーの製品を元に作ったものです。これに対して、日本でも、初期の原発は、ジェネラル・イレクトリックから輸入して、すべて動くようにしてもらって、引き渡してもらっていたのを国産と言っていたのですから、同じようなものですね。その後の事故の対応の問題や、隠蔽主義もよく似ています。
  未だに、日本では、福島第1原発3号機の水素爆発の映像は、日本では公開されていません。また、東京電力から、福島県、経済産業省、気象庁、原子力保安院、そして政府のスポークスマンに至るまで、秘密主義や隠蔽体質、それから、人命よりも、組織防衛の方が大切だというような姿勢で溢れています。
  こうした問題の例を、原子力発電の危険を訴え続けている、武田邦彦は、このように言っています。

・原発事故が起こった3月12日の夕刻のことだった。私は、政府やNHK、それに東大教授が「遠くに逃げろ!」と言ったのにビックリした。原発から「放射線」がでるのではない。「放射能物質の灰」が火山の噴火と同じように風にたなびいて移動する。だから、「遠く」ではなく、「風をみて」ということだ。政府は直ちに気象庁に風向き予想を求め、それをNHKが発表し、それを東大教授が解説しなければならない。ところが、気象庁は福島原発付近の風向きを出さなかった。
奇妙なことにNHKは事故から2週間ぐらいたって、「地震で風向風速計が壊れていたが、昨日から使えるようになった」として風向きの報道を始めたが、実は気象庁は風向きの予想をIAEA(国際原子力機関)には報告をしていたのだ!!! 原発の事故でもっとも大切なのは風向きだから、IAEAは原発の事故が起こったら、その国の気象庁に直ちに報告を求める。だから、気象庁は風向きが大切であることをよく知っている。そして気象庁の職員が生活しているのは「日本国民の税金」だ!!それなのに、気象庁は日本国民を見殺しにして、IAEAに英語で報告し、一週間たって官邸から指示されると、「私たちは日本国民に報告する義務はないが、官邸から指示されたので、しかたなく公表する」という注釈までつけて英語のまま発表した。福島の人が被曝した量が「即死」までいかなかったから、良かったが、もしもう少し放射線の量が多ければ、気象庁は殺人犯だ!気象庁は「放射性物質の飛散を予測するのは文科省だ」と言ったが、何省だって良いのだ。必要なときにはそれを判断して国民の命を救う。...武田邦彦
  現実に迫っている危険を知らせることより、真実を知った人々がパニックを起こさないように、という理由で事実を隠す、というような情報の操作がたくさん行われてきていることが、大変大きな問題です。新聞も、地上波のテレビも、この意味で全く同罪です。真実がいかに深刻であっても、発表して人々の知恵と行動力に委ねる、ということは、とても大切なことです。これは、信仰生活から得られる知恵そのものです。
  ヨウ素やセシウムは、放射性物質の灰、すなわち、死の灰なのだから、きわめて注意しなければいけないということを、最初から周知徹底していれば、今になって出て来ている、死の灰が降り注いだ稲わらを食べて育った牛肉の汚染、などという問題すら、なかったかも知れないのです。そして、福島の子供たちを被爆から救う、ということだって、できるはずなのです。
  武田先生が言っているように、人の命を救うという判断は、誰だっていい。必要なときに、それを判断して、できる人がする、という「現場主義」で、良心ある人たちが動く社会が、民主主義の社会のはずなのです。まさに、それが、「よきサマリア人の譬え」の精神なのです。

*ルカによる福音書10章30〜37節
 イエスは〔この問いを〕取り上げて言った、「ある人がエルサレムからエリコにくだって行く途中、盗賊どもの手中に落ちた。彼らは彼の衣をはぎ取り、彼をめった打ちにした後、半殺しにしたままそこを立ち去った。すると偶然にも、その道をある祭司がくだって来た。しかしその人を見ると、道の向こう側を通って行った、また同じように一人のレビ人も現れ、そのところへやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。
 さて、あるサマリア人の旅人が彼のところにやって来たが、彼のあり様を見て断腸の思いに駆られた。そこで近寄って来て、オリーブ油と葡萄酒を彼の傷に注いで、その傷に包帯を施してやり、また彼を自分の家畜に乗せて宿屋へ連れて行って、その介抱をした。
そして翌日、二デナリオンを取り出して宿屋の主人に与え、言った、『この人を介抱してやって下さい。この額以上に出費がかさんだら、私が戻ってくる時、あなたにお支払いします』。この三人のうち、誰が盗賊どもの手に落ちた者の隣人になったと思うか」。
 すると彼は言った、「彼に憐れみの業を行った者です」。するとイエスは彼に言った、「行って、あなたもまた同じようにしなさい」。

§「最も大いなる者とは」

  さて、今日の聖書箇所も、まさに今日のことを言っているようですね。 マルコによる福音書のイエスは、ここでも、弟子たち、そして私たちの価値観を破壊し、謙虚で、平和を造り出す者のあり方を示します。主イエスのメッセージは、世の一般の考え方の正反対、常識の正反対であり、人間社会からみたら、まさに逆説なのです。十字架の死を、救いの象徴として捉えるというのも、まったく人間社会の常識の反対です。

*マルコによる福音書10章42〜44節
 そこでイエスは、彼らを呼び寄せ、彼らに言う、「あなたたちが知っている通り、異邦人たちの支配者と思われている者どもは、彼らを暴圧で支配し、異邦人たちの尊大な者どもは、彼らに圧政を加えている。しかし、あなたたちの間ではそうではない。むしろ、あなたたちの間で大いなる者になりたいと思う者は、あなたたちに仕える者となるだろう。また、あなたたちの間で筆頭でありたいと思う者は、皆の奴隷になるだろう。

  権力を持つ者、人々を支配しようとする者、このような者たちは、まっすぐな神の愛ではなく、それ以外の雑音とも言うべき、様々な思惑や、大人の事情などを優先して考えるために、「よきサマリア人」に出て来た祭司たちのように、まっすぐ手をさしのべることができないのです。まるで、今の日本の政治家たちのようですね。
  ですから、「あなたたちの間で大いなる者になりたいと思う者は、あなたたちに仕える者となるだろう。また、あなたたちの間で筆頭でありたいと思う者は、皆の奴隷になるだろう」、というのは、まさにその通りで、身を粉にして働く人でなければならないのです。
 「異邦人たちの支配者と思われている者ども」は、「いわゆる支配者」、この世の中で支配者の顔をしているけれども、その実は、権力欲とマモンとに操られている者たち。この者たちと同じような価値観で生きるのでは意味がない。神は「小さな者たち」(9:42)をこそ愛しておられる。

*ルカによる福音書6:20〜23
 そして彼は、その弟子たちに向かって目を上げ、語り始めた。「幸いだ、乞食たち、神の王国はあなたたちのものだ。
幸いだ、いま飢えている者たち、あなたたちは満腹するだろう。
幸いだ、いま泣いている者たち、あなたたちは大笑いするだろう。
幸いだ、あなたたちは。人々があなたたちを憎む時、そして人の子ゆえにあなたたちを排斥し、侮辱し、あなたたちの名を悪しき者として唾棄する時は。その日には喜べ、そして跳ね回れ。見よ、あなたたちの報いは天において多いからだ。実際、彼らの父祖たちは、預言者たちにも同じようにしていたのだ。

    「小さな者たち」を愛するのは、この人たちが傲ることなく、神さまのほうを向いているので、希望があるのです。まっすぐに、神と共に、そして人と共に歩き、愛し、正すべきを正すのです。

・神の根源的なあり方は、イエスにあって受肉し、文明の常識(私たちの罪あるいはこの世の罪)がイエスを処刑した。人類の進化の中で不正が生まれ、(それが)暴力によって保たれてきた。正義は暴力によって抑圧され、踏みにじられてきた。この真理に直面せよというのがイエスの処刑が与える警告なのである。その警告に耳を傾けるならば、それが救いとなるのである。   ...J.D.クロッサン


                                     
2011年 7月31日  礼拝   高橋  誠/日本キリスト会川崎教会牧師 

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