今日は母の日です。私たちが生まれてから、一番最初に100パーセント信頼して、命を預ける相手はお母さんですね。お父さんもがんばりますが、子供たちにとって、存在感としてもお母さんには比較になりません。私たちの話す言葉も、母語(mother tongue)といいます。まさに、母からもらった言葉です。とても大切な存在です。 母の日は、しかし、ただカーネーションをあげる日、というわけではありません。母の日の誕生には、南北戦争の時代から、女性の参政権を得るための活動に至る、三人の女性がかかわっています。一人は、アン・ジャーヴィスという人で、この人は南北戦争の時に、Mothers’ Day Work Club(お母さんたちの昼間の仕事クラブ)という運動を始め、負傷した兵士、南軍北軍問わず、中立な立場で治療し、食べ物を食べさせ、服を着せるという運動をはじめた人です。 そして、この運動に感銘を受けた、ジュリア・ウォード・ハウという人が、1870年に夫や子供を戦場に送ることを拒否しようという運動をはじめ、Mother’s Day Proclamation(母の日宣言)を出しました。これは、国家が戦争をすることに決めて、国民を兵士として徴収することに真っ向から反対する運動ですから、大変勇気のある行動ですね。この人は、Battle Hymn of Republic(リパブリック賛歌)の詩を書いた人でもあります。女性の参政権を求める運動をした人としても知られています。 そして、もう一人は、アン・ジャーヴィスの娘、アナ・ジャーヴィスです。母が亡くなった2日後、43才のアナは、お母さんを記念して母が好きだった白いカーネーションを献げました。そして、翌年、1908年の五月の第2日曜日に、それぞれの母を記念する日を持つことが大切だと共感した人々が教会に集い、最初の母の日を祝ったのだそうです。アナは出席した人たちに白いカーネーションをプレゼントしました。 男性中心社会の持つ大きな問題への解決の一つが女性の、そして母親の視点であることは大切なことだと思います。これは、主イエスの福音にまっすぐにつながっています。