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日本キリスト会川崎教会コミュの「神の国に住む」〜召天者記念礼拝〜

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「神の国に住む」
〜 召天者記念礼拝 〜

①ルカによる福音書13:20−21
 また彼は言った、「私は神の王国を、何と同じであると言おうか。それは、次のようなパン種と同じである。一人の女がそれをとって、三サトン(約40リットル)の粉の中に埋めた。すると全体が発酵した」。

②マルコによる福音書1:14−15
 さて、ヨハネが獄に引き渡された後、イエスはガリラヤにやって来た。そして、神の福音を宣べ伝えながら言い続けた、「この時は満ちた、そして神の王国は近づいた。回心せよ、そして福音の中で信ぜよ」。

③マルコによる福音書4章30〜32節
 また彼は言うのであった、「私たちは、神の王国を何と同じであると言おうか、あるいはそれを、どのような譬によって表そうか。それは次のような一粒の芥子種のようなものだ。すなわち、大地に蒔かれる時は大地の上のあらゆる種の中でも最も小さいが、しかしいったん蒔かれると、発育し、あらゆる野菜よりも大きくなり、巨大な枝を張る。そのため、その陰で、天の小鳥たちが巣を作りうるほどになる。

④マルコによる福音書12:27
 死人たちが起こされることについては、あなたたちはモーセの書の『柴藪』のくだりで、神が彼にこう言われたのを読んだことがないのか、この私がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。神は死人たちの神などではなく、生ける者たちの神だ。あなたたちはひどく誤っている」。

⑤ルカによる福音書24:5b−6a
「あなたたちはなぜ、生ける者を死人たちのところで探すのか。彼はここにはいない。まさに彼は起こされたのだ。」
新約聖書翻訳委員会訳

◎記念する方々(敬称略): 高田敏子、尾島真治、森豊吉、滝口卓治、滝口幹、
   大場ちよ、橋爪正芳、今井チヨ子、古市友邦、 古市美諸、園田俊吉、園田ミツ、
   富田喜一郎、宝田一蔵、宝田あい、宝田恵一、高橋秀良。

§「Do the Right Thing for the Right Reason
                                    (そうすることが正しい、だから正しい行いをする)」

  3月11日の大地震、大津波から、二週間が経ちました。ニュースを見る自分の目を疑うほどの災害に、ほとんどの人が大きなショックを受けました。そして今も、被災した人たちの状況、被災地の様子、そして福島第一原子力発電所の事故の進展状況が新聞やニュースで伝えられ続けています。
  教会にも、多くの人たちから励ましのお便りをいただきました。未曾有の災害ですが、今回は人々が今自分たちにできることを懸命に考え、行動することを望んでいることを強く思います。アラブ諸国からはじまったジャスミン革命でも、インターネットを使ったネットワークが人々を支えましたが、この災害でも、人々がネットワークを通じて経験や思い、情報を伝えあっていることを感じます。手を差し伸べ合い、希望を語り合い、祈り合い、募金をしたり、援助物資を送ったりすることで、この危機を共に乗り越えようとしています。
  この地震のちょうど一週間前まで、こじらせていた副鼻腔炎の手術の為、入院していました。その時、マイケル・サンデルの Justice -What’s the Right Thing to Do?(日本語版:これからの「正義」の話しをしよう)を通して、イマニュエル・カントの哲学を勉強していました。カントは、人々の行動が道徳的に正しいかどうかは、その行動がもたらす結果とは関係なく、その行動が正しいから、そうせずにはいられない、 そうすることが正しい、だから正しい行いをする、という動機にかかっている、と主張しています。
  わかりやすく言えば、そうしないと先生に怒られるから、ちゃんとやりなさいよ、というのは、その「ちゃんとやる」ことそのものを望むことが動機になっているのではないので、カントに言わせると落第なのです。サンデルは、ニューヨークのBetter Business Bureau(商事改善協会)が会員を集めるために出す新聞広告を例に出して説明します。Honesty is the best policy. / And it’s most profitable, too.(誠実こそが最良の施策/そして、誠実であることは、もっとも利益を生むことにもなるのです。) 前半の「誠実こそが最良の施策」であるために、誠実でいようとすることの動機が、そうすれば儲かる、というのでは、打算に基づく行動だというのです。カリフォルニアでクリスチャンのメッセージ・Tシャツがはやり始めた頃に人気のTシャツがありました。Smile, and people will wonder what you’re up to.(ほほえみなさい、そうすれば、人々はあなたが何に夢中になっているのかなあって思うだろうね) アメリカの教会や宣教師の人たちのお話に、Christian should ~ クリスチャンは、〜するべきだ、というお話が多いなあと感じていた頃でしたので、それに結びついて、心に引っかかっていたのを覚えています。人が、どう思うか、なんて考えないで、神さまの恵みを感じ、生きる喜びを感じ、人間一人ひとりの大切さを感じ取るなら、ほほえんでいたいではないでしょうか。I smile because I want to.(私はほほえむ、だってほほえんでいたいから)、という方がいいですね。
  これに対して、映画になるような例は、全然人格者でもない人が、その時の状況で、損得を秤にかけて立ち回っている内に、結果的に素晴らしい行動を取って人々を救う、「シンドラーのリスト」
のような例ですね。神さまの働きは、人の思いを越えている、ということが感動を呼ぶのです。
  そして、今度の災害に際して、多くの人たちがその行動の結果どんな見返りがあるかということを考えずに、したいことをする、助けたいから助ける、なんとかして力になりたい、という湧き上がるような思いが満ちあふれています。これは、軍事力よりも、経済力よりも、もっとずっと強い力です。「平和をつくりだす者たちは幸い」であり、「憐れみ深い者たちは幸い」ですね。

*ローマ人への手紙5:1−5
 かくして私たちは、信仰によって義とされたので、私たちの主イエス・キリストをとおして、神に対して平和な思いにひたされている。そのイエス・キリストをとおして私たちは信仰によって恵みへと至る路を獲得しているのであり、今や私たちはその恵みの中に立ち、神の栄光に与る希望を誇っている。のみならず、私たちは患難の中にあっても誇っている。それは、私たちが次のことを知っているからである。すなわち、患難は忍耐を生じさせ、忍耐は確証を、確証は希望を生じさせるということを。希望は私たちを欺くことはない。なぜならば、私たちに与えられた聖霊をとおして、神の愛が私たちの心のうちに注がれているからである。

§「神の国に生きる」

  さて、今年はこのような時に召天者記念礼拝を持つことになりました。私たちの人生の先輩として、神さまに出会い、人生を全うした多くの人たちは、戦争を経験し、終戦後を経験し、とても苦しい時代を乗り越えてきた人たちでした。 戦後まもなく、この地に川崎教会が与えられてから66年あまり、その間に、多くの人々がこの教会を通して神さまと出会い、結びつき、世代から世代へと、愛と信仰の継承が続いています。
   その間に、既に神に召された方々は17名いらっしゃいます。高田英語学園とともに、川崎教会の設立に尽力された高田敏子先生、初代牧師の尾島真治牧師、二代牧師、森豊吉牧師。長老として教会を支えた滝口卓治兄弟、教会の中で、お母さんのような存在だった大場ちよ姉妹と滝口幹姉妹。橋爪姉妹のご主人の橋爪正芳兄弟、私の学生時代からの友人、古市友彦さんのお母様で、20年以上この教会で共に信仰の道を歩んだ古市美諸姉妹とお父様の古市友邦兄弟、長年この教会に連なり、私の幼い頃から励まし続けて下さり、今も子供達を励まして下さっている今井八郎兄弟の奥様の今井チヨ子姉妹。私たちの眼科のお医者さんで、晩年にご夫妻で教会に通われた、園田俊吉兄弟と園田ミツ姉妹。長年長老として、また会計の担当として教会を支えた富田喜一郎兄弟。山本れい子姉妹のご両親、寶田一蔵兄弟、寶田あい姉妹と、お兄様で80年代によく礼拝に通われ、一昨年天に召された宝田恵一兄弟、そして60年以上にわたってこの教会と共に歩んだ高橋秀良牧師です。
   さて、聖書の中では現代の私たちとは違う死生観があります。しかし、具体的に私たちがこれらの人々とのつながりを思い起こすとき、とてもよく理解できます。私たちの心の中で、大切な存在だった人たちは生き、そして生き続けているのです。
   ヨハネによる福音書(11:25ー27 )には、「私は甦りであり、生命である。私を信じている人は、たとえ死んでも生きる」とあります。イエスの死生観では、死んでいるというのは、ただ生物として生きているだけ、この世の価値観にとらわれて、流されている人々の状態を言っています。そして、生きるのは、神の国の福音に生きる人々です。
  ですから、マルコによる福音書に、 「死人たちが起こされることについては、あなたたちはモーセの書の『柴藪』のくだりで、神が彼にこう言われたのを読んだことがないのか、『この私がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。神は死人たちの神などではなく、生ける者たちの神だ。あなたたちはひどく誤っている』」とあるように、アブラハムも、イサクも、ヤコブも、主イエスからみると、生きているのです。
    現代風に言ったら、生きて行く上で、大切な影響を与え続けていることがまさに生きていることだと言い換えることができるかもしれません。そして、私たちの心の中では、今、生物学的に生きている人とも、もはや召された人とも、対話をすることができるのです。
   そして、もちろん、私たちともっとも大きな存在としてつながっているのが、主イエスです。主イエスは、人間としては、十字架によって殺されてしまいましたが、私たちに、もはや死んだ歴史上の、過去に生きた人として、見なすことをお許しになりませんでした。
   ルカによる福音書によると、イエスの亡骸を葬った墓にいた天使は、マグダラのマリヤたちに、このように告げました。

*ルカによる福音書24:5b−6a
 あなたたちはなぜ、生ける者を死人たちのところで探すのか。彼はここにはいない。まさに彼は起こされたのだ。

   主は、いまも共にいてくださり、私たちを導いていて下さるのです。

*マタイによる福音書28:20
 私があなたたちに指示したすべてのことを守るように、彼らに教えよ。そして見よ、この私が、世の終わりまで、すべての日々にわたり、あなたたちと共にいるのである。


2011年 3月 27日  礼拝   高橋  誠  日本キリスト会川崎教会牧師


We shall overcome

1.We shall overcome/ We shall overcome / We shall overcome someday
Oh, deep in my heart, I do believe / We shall overcome someday

2.We are not afraid / We are not afraid / We are not afraid today
Oh, deep in my heart, I do believe / We shall overcome someday

3.We walk hand in hand / We walk hand in hand /
We walk hand in hand today
Oh, deep in my heart, I do believe / We shall overcome someday

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