11日の大地震と津波の後、私たちの周りの世界は、がらっと変わってしまったような感じです。多くの人が住むところや、街や、また生命さえも失いました。今、悲しんでいる人、弱い気持ちになっている人、たくさんおられることを思います。 このあたりでも、当たり前に使っていた電気も、電車も、不安定なものとなり、食料品を調達するのも苦労するほどとなってしまいました。実際に行われるのかどうかも定かではない「計画停電」に振り回され、店を閉めるところもたくさんあります。実際夜に停電したときには、本当に真っ暗になり、電気のない夜の室内の暗さや、街灯のない街の暗さを実感しました。星が大変きれいに見えましたし、今までの街での電気の無駄や使いすぎをも感じますね。高田英語学園は、ほとんどの生徒が休む中、停電でも来た生徒たちとはロウソクで勉強しました。とても和やかで、その時に来た生徒たちは大変楽しんでよく勉強して帰りましたが、信号のつかない暗い道を帰るのは、大変心細かったことと思います。 このような時に、助け合い、声をかけ合い、手を差し伸べあい、また語りあい、祈りあい、励まし合うことが、どんなに私たちにとって心強いことであるかを思います。 80年代のゴスペルの映画の傑作、「カラー・パープル」に、Maybe God is trying to tell you something.(もしかしたら、神さまはあなたに何かを語ろうとしているのかもしれませんよ)という挿入歌がありました。このようなときに人々が手を差し出し、励まし合う姿に接し、また自分もその喜びを感じ、希望を手にするとき、ああ、神さまが私たちに希望を与えて下さっているのだ、という、明るい希望のメッセージを得ることができますね。 昨年大阪で知り合った小南さんという写真家は、「つながろう、みんな手を取り合おう。こんな時だから」、というメッセージと共に、子供たちが手を取り合う作品をウェブを通して分かち合ってくれました。台湾の林さんからも、また、30年近く前にサマー・ステューデントとして日本に来て川崎教会に滞在したシャロン・ミラーさんからも、安否の確認と励ましのメールが届きました。また、去年知り合ったシカゴのモア・ライク・クライスト・クリスチャン・フェローシップ・ミニストリーという教会のミッティー・コリア牧師からも、「あなたの教会の人たちが無事だったことを大変嬉しく思います。日本の人々に心の平和と希望が与えられますよう、お祈りしています」、というメッセージをいただきました。オバマ大統領が送り出した米国軍の救援部隊の作戦名は、「オペレーション・トモダチ」だそうです。 「神、我らと共に」(インマヌエル)、ということをお互いに実感することができる第一歩は、お互いの思いやり、助け合い、そしてつながりですね。そしてたとえ一人であっても、神が共にいてくださる、という想いが私たちに希望を与えてくれます。
ルカの主張は、今、この時に生きる生き方を、主イエスの福音と共に生きよ、その選択をせよ、ということです。しかし、このような箇所は、例えば今のような災害や災難に遭ったときに、因果応報として、「さあ、大災害がありました。それは、あなたが、あなたたちが罪を犯しているからです」、というような、新興宗教的な脅しの勧誘に使われてきました。先ほどの、Maybe God is trying to tell you something.という表現も、そのような意味合いで使われることがあります。同様に、今度の災害を、「天罰だ」と言った政治家がいましたが、そういう主張は、主イエスにはありません。