May God bless and keep you always May your wishes all come true May you always do for others And let others do for you May you build a ladder to the stars And climb on every rung May you stay forever young 神がいつもあなたに祝福を与え、守ってくれますように あなたの願いがすべてかないますように あなたがいつも他の人たちのために働き そして、他の人たちがあなたのために働くことを受け入れますように あなたが星々へのはしごを作り、 一段一段登りますように あなたが、ずっと若い心を持ち続けますように May you always do for others/ And let others do for you (あなたがいつも他の人たちのために働き/そして、他の人たちがあなたのために働くことを受け入れますように)というのはいいですね。人と人との交流ができて、人間関係が健全になりたっているのは、「お互い」に受け容れあえる、ということですね。othersは、訳しにくい言葉です。それは、「自己」に対して、「他者」という概念なので、自分以外の人たち、という意味です。ですから、親しい人たちや家族ももちろん入ります。「他者」は決して他人ではないのです。 星へのはしごは、夢や希望ですね。夢、希望、理想、そして人々とのつながりを喜びとともに持ち続けることが、この「いつの日も若く」いる、ということなんだと思います。 May you grow up to be righteous May you grow up to be true May you always know the truth And see the lights surrounding you May you always be courageous Stand upright and be strong May you stay forever young あなたが成長して、良識を持った人になりますように あなたが成長して、誠実な人になりますように あなたがいつも真実を知り、光があなたを包んでいることが見えていますように あなたがいつも勇気を持ち、背筋をまっすぐ伸ばしてたち、そして強くありますように あなたが、ずっと若い心を持ち続けますように May you always know the truth /And see the light surrounding you. は、直訳すれば、「あなたがいつも真実を知っていますように/そして、光があなたを包んでいることが見えていますように」 です。この「真実(the truth)」は、「神」を指します。ちょうど、Amazing Graceで、Grace(恵み)が「神」を指しているのと同様です。know the truth(「真実を知る」)のknowは、「よく知っている、仲よしである」という意味ですから、柔らかく訳すと、「あなたがいつも真実である神となかよしでいますように/そして、光があなたを包んでいることが見えていますように」、となります。また、the light (光)は、神の福音(gospel/よい知らせ)の光、神の恵みの光です。 神と共に歩む、主イエスが共におられるということを自覚して生きていけると言うことは、大変力強く、心に平和が訪れますね。 *イザヤ書2:5 彼(ヤハウェ)は国々の間を裁き、多くの民に判決を下す。 彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち変える。 国は国に向かって剣を上げず、戦いについて二度と学ぶことはしない。 ヤコブの家よ、われらもヤハウェの光のうちを歩もうではないか。
いかに世の中の動き、潮流や常識とされていることと違っても、「光のうちを歩」んで到達した真実、大切なことに目が開かれたなら、そのように生きることに喜びと心の平和があるのです。 May you have a strong foundation When the winds of changes shift 風向きが変わりやすい強い風にさらされるときにも、 あなたが強い土台を持って、しっかり立っていられますように 預言者たちの生き方も、このようなものでした。預言者とは、神の言葉、真実を神から預かって語る人たちでした。これから先を占うのではなく、神から与えられた真実を語るのです。ホセヤやアモスも、形式的な宗教の形骸化、また本当の生き方ではなく、献げる捧げ物の額で信仰を計るような宗教のあり方に反対しました。イザヤも、反戦、非戦のメッセージを語りました。主イエスに至っては、すべての人を愛すること、敵をも愛することを教えて下さいました。そこで、偽善や宗教的な教義に基づいた人間の差別を批判しました。残念なことに、この世の中では、十字架につけられた主イエスのように、殺されてしまった預言者たちは少なくありません。預言者の時代の人たちだけでなく、現代でも大きな変化をもたらそうと活躍した人たちが凶弾に倒れるといった悲しい出来事は起こります。 そこで一つの問いが生まれます。人が生きていると死んでいるとはどういうことか。ただ流されて生きていても、また、真実を曲げて、大きな力に屈して生きていても、あるいは、人種差別的な精神に感化されて、憎悪のうちに生きていても、それでも生きていると言えるのか。また、正しいと信じることを貫いて、命を奪われたら、やっぱりただ死んだだけなのか。それに対する答えは、もちろん人間の肉体的な死は、死としてあるけれど、信仰にとっての、義としての生と死も、やはりあるのだ、と聖書は主張しているのです。そして、世界は不条理そのもののように感じられるにもかかわらず、そこに神の義、justiceがなされるとするなら、そのようにとらえる他ないとも言えます。しかし、やはりそこに希望があるのは、愛と信仰に根ざした生き方、行動、勇気は、種としてまかれ、時代や場所を越えて、いたるところで芽をだし、私たちの人生に大きな変化をもたらすからでしょう。 *ヨハネによる福音書11:25 私は甦りであり、生命である。私を信じている人は、たとえ死んでも生きる。