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日本キリスト会川崎教会コミュの「来るべき世界」へ 1 ヘブル人への手紙

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「来るべき世界」へ  1.


§「人の歴史には」 

   先週は、川崎教会の年次総会が行われました。教会の今までを振り返り、そして、これからの一年、そしてその後についての展望などについて、活発な意見が交わされました。小さな教会ですが、教会のメンバーがそれぞれ、教会をしっかりとささえていることは素晴らしいことだと思います。神さまと共にあって、この教会が、さらに用いられますように。その中で、教会の歴史、成り立ちについて、資料をそろえて、まとめてはどうか、という意見が出されました。
   ふと思いついて、インターネットで日本キリスト会川崎教会を検索しますと、百科事典のサイト、ウィキペディアの、教会の創始者の「高田敏子」の項目にぶつかりました。高田先生について書かれた二冊の本、「友情の架け橋」(エルシー・フィールド著、高田育英会刊)と、「凛として生きる」(加藤重著、晩聟社より復刊)が出典で、とても簡潔にまとめられています。教会の設立に着いても、簡単に触れられています。戦前に27才で東京に高田女塾という英語学校を開き、順調に発展していたところに、戦時下、英語は敵性語だということから、文部省から圧力を受けて学校を閉じなければならなかったのですが、戦後すぐ、三島の国分寺の本堂で英語学校を再開、そして川崎に移り、高田英語学園を作って、尾島真治牧師やバレンタイン先生、ラウ先生など、多くの宣教師の助けを得て川崎教会を設立しました。その経緯には、神さまとのつながりで得られた、不屈の魂を感じます。逆境や、権力による弾圧があってもつぶされない、主イエスによって与えられた自由を味わった人たちの草の根パワーを感じます。

* ヨハネ8:31b-32
「あなたがたが私の言葉に留まるなら、あなたがたは本当に私の弟子である。そして真理を知るようになり、その真理があなたを自由にするであろう」

   また先週は、母の日でした。母の日のはじまった経緯を、簡単にご紹介しましたが、この母の日をはじめた人たちにも、歴史があります。まず、南北戦争の後、奴隷解放論者で、讃美歌「バトル・ヒム・オヴ・ピパブリック」の作詞者でもあるジュリア・ウォード・ハウという女性が、もうこれ以上夫や息子たちを戦場に送るのはやめようという、「母の日宣言」を1870年に出します。これは、今のアメリカのお母さんたちの多くも、賛同するでしょうね。憲法9条とも相通じる心を感じます。Mother’s Day Proclamationという名前は、その7年前にリンカンによって出された「奴隷解放宣言」 Emancipation Proclamationを思わせますよね。そして、ジュリア・ハウが、この母の日という言葉を使ったのは、南北戦争中にヴァージニア州で、Mothers’ Work Days(母たちの働く日々)という活動からでした。敵味方関係なく、すべて、治療する必要のある兵士たちを助けようという、お母さんたちの勇気ある活動でした。この活動に取り組んだ人が、アンナ・ジャーヴィスという人で、この人が、1905年に天に召された後、娘で同名のアンナ・ジャーヴィスが教会での母の記念会に際し、白いカーネーションを出席者に配ったのでした。

*マタイによる福音書5章9節
   幸いだ、平和を造り出す者たち、その彼らこそ、神の子らと呼ばれるであろう。

*ヨハネによる福音書11:25ー27
   私は甦りであり、生命である。私を信じている人は、たとえ死んでも生きる。

   この人たちも、大変大きな勇気を持って、信じたことを実現させる自由な心を神さまから与えられていました。

§「来るべき世界」へ

   さて、今日から、ヘブル人への手紙の学びをはじめます。福音書に比べても、またパウロの手紙に比べても、なかなか読みにくい文体だと思います。ヘブル人への手紙は、伝統的にパウロによる手紙とされて来ました。カトリックでは1911年まで、パウロによって書かれた手紙とされていました。しかし、パウロとは大分違う点が多くみられます。実際には、この手紙を書いたのは誰か、わかりません。書かれた年代は、90年代ではないかと見られています。
   パウロとの違いとして、三つの点が挙げられます。一つは、イエスが神の子で、超越した存在であるという主張、二つ目は、イエスを、大祭司イエスとして表現すること、三つ目は、来るべき都が来る時まで(ということは、イエスの再臨の時まで)、この世で仮住まいを続けることが求められ、イエスに目を据えたままで、競争を忍耐をもって走り続けよう(12:1)と、読者に迫る点です。
  では、この一つ目の違いから述べたいと思います。神が、イエスを介して世々を造った(1:2)という表現にあるように、イエスが世の始めから神の子であったとする点です。また、「もろもろの罪の清めを行った後、高きところで偉大な方の右に座った」(1:3)、これは、生涯、そして十字架の死、そして復活を経験した後に、天国に上げられて、神の右に座ったということですが、このため、イエスが御使いたちよりも優れ(1章)、モーセよりも優れた者である(3章)ことが主張されています。
  そして、その理由として、神の子でありながら、弱い人間として、この世に生きた経験から、従順を学び、神の前に出て、人々のためにあがないの生け贄をささげる大祭司イエスとなったとします。(これが、二つ目の違いです。)

*ヘブル人への手紙 5章7−8節
  彼は肉なる人として生きた日々、自分を死から救うことができる方に向かって、力ある叫びと涙をもって、願いと嘆願を献げ、畏敬のゆえに聴き入れられたのであって、神の子であるにもかかわらず、忍んだ苦しみから従順を学んだ。

  この、神の子であるにもかかわらず、肉なる人として生きたというところは、ヨハネによる福音書と共通点がありますね。

*ヨハネによる福音書1:14
「ことばは肉なる人となって、われわれの間に幕屋を張った。 ー われわれは彼の栄光を、父から遣わされたひとり子としての栄光を観た ー 彼は恵みと真理に満ちていた」

* ヨハネによる福音書1:16〜17
「私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」

    「恵みの上に、更に恵みを受けた」というのは、モーセによって、神から律法が与えられたという恵みの上に、さらに主イエス・キリストを通して、恵みと真理が現れた、という表現は、素晴らしいですね。この恵みと真理とは、神を指しています。恵みと真理という言葉を擬人化して使っているのです。ですから、恵みと真理が与えられたのではなく、恵みと真理が現れたのです。
   これは、モーセの十戒によって、私たちは、神の意志(おもい)を垣間みることができ、どう生きるべきかを、十戒に求めることができた。しかし、主イエスが、神の子であるにもかからわず、人間と同じ経験をし、同じ生きる苦しみを味わい、同じ社会的問題の中に生きながら、私たちに、神さまの姿、恵みと真理を見せて下さったのだ。それほどの恵みがあるでしょうか、という大きな喜びです。
    これは、イエスが、私たちに神の国の福音を伝えて下さり、私たちが神の国の福音の中に生きることができること、マルコによる福音書の最初につながりますね。
   
*マルコによる福音書1:14−15
   さて、ヨハネが獄に引き渡された後、イエスはガリラヤにやって来た。そして、神の福音を宣べ伝えながら言い続けた、「この時は満ちた、そして神の王国は近づいた。回心せよ、そして福音の中で信ぜよ」。

   ヘブル人への手紙は、それにもかかわらず、人々が生きて行く上で、また信仰を守る上で困難に遭遇して、気持ちが萎える時のために、励ましの言葉を投げかけてくれます。

*ヘブル人への手紙 12書1−3
  それゆえ、私たちも、雲のような証人たちの群れに囲まれているのだから、すべての重荷と絡みつく罪をかなぐり捨てて、私たちの前に置かれた競争を忍耐を持って走り続けようではないか、信仰の導き手であり、完成者であるイエスに目を据えたままで。彼は、自らの前に置かれた喜びのゆえに、恥ともせず、十字架に耐えた。そして神の座の右に着いているのである。つまり、罪人たちから自分に対してなされたこれほどの反逆に耐え抜いた方のことを熟慮しなさい。あなたがたが力を落としてしまい、その魂が弱り果てないために。


 2009年 5月 17日
日本キリスト会川崎教会牧師
高橋  誠

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