また先週は、母の日でした。母の日のはじまった経緯を、簡単にご紹介しましたが、この母の日をはじめた人たちにも、歴史があります。まず、南北戦争の後、奴隷解放論者で、讃美歌「バトル・ヒム・オヴ・ピパブリック」の作詞者でもあるジュリア・ウォード・ハウという女性が、もうこれ以上夫や息子たちを戦場に送るのはやめようという、「母の日宣言」を1870年に出します。これは、今のアメリカのお母さんたちの多くも、賛同するでしょうね。憲法9条とも相通じる心を感じます。Mother’s Day Proclamationという名前は、その7年前にリンカンによって出された「奴隷解放宣言」 Emancipation Proclamationを思わせますよね。そして、ジュリア・ハウが、この母の日という言葉を使ったのは、南北戦争中にヴァージニア州で、Mothers’ Work Days(母たちの働く日々)という活動からでした。敵味方関係なく、すべて、治療する必要のある兵士たちを助けようという、お母さんたちの勇気ある活動でした。この活動に取り組んだ人が、アンナ・ジャーヴィスという人で、この人が、1905年に天に召された後、娘で同名のアンナ・ジャーヴィスが教会での母の記念会に際し、白いカーネーションを出席者に配ったのでした。