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[mixi小説]BLACK OR WHITE?コミュのBLACK OR WHITE? 6〜誰が為に騎士は行く.part20〜

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 まず目についたのは、白い天井と発光系石英の灯だった。次いで窓から差す暖かな日の出、小鳥のさえずり。微風が涼しげに梢を通り抜けている。
 目覚めるには最高の朝だ。
 鼻から頭へ、微かに冷たい空気を通す。薬臭さの中に何やら爽やかな、甘酸っぱい香りがした。深々と、延々と息を吐く。純白のシーツから出ようとした時に、クロードは異変に気付いた。
 動けない。
 腕に、足に、胴体に何かが食い込んでいる。ペーター=キュルテンの拷問を受けていた時に、嫌と言うのも億劫になるほど味わった感覚だ。革帯の拘束具である。
 白い天井、ベッド、拘束具…覚えがあり過ぎる。
 病院か…。
 突然、決闘中に見た妹との未来像が再起する。
 ピクニック、写真撮影、朝の時間…何でもない日常の中で、妹が笑っている光景ばかりが瞬きの間に流れた。
「おはよう、お兄ちゃん」
 ベッドの脇に目を向ける。誰もいない。代わりにオレンジが山積みのバスケットと、淡い桃色のバラを活けた花瓶があった。
「…そう上手くはいかねえよなぁ」
 無駄な期待をした。自分を嘲り笑い飛ばす。腕が動かせたら額を押さえているところだ。
 …そう言えば、俺は勝ったのか?覚束無い脳裏に、はっきりとした疑問が湧く。
 コンコン、とドアをノックする音がした。
「失礼します…おや、やっとお目覚めですか」
 と、返事を聞く前にドアを開けて入ってきたのはラファエルである。マスクと変形した額帯鏡とで顔の大部分を隠した四大天使の一柱。白衣のポケットからカルテを取り出して、慣れた手付きでクロードの容体を記入し始めた。
 未だまどろみが残る声色でクロードが言う。
「なあ、先生よお…。この前は悪かったと思ってる。もう暴れたり先生の方針にケチつけねぇからさ、このベルト何とか…」
 言葉を遮るように、ラファエルが金属のへらでクロードの舌を押さえつけた。
「はいはい。喋り続けるとオエッ、てなりますよー」
 魔力の光を指先に灯して喉の奥を照らす。額帯鏡越しにクロードの喉を覗きこむ。額帯鏡に映ったクロードの顔は、膿でくすんだ脱脂綿と包帯だらけだった。
「うん…まあ、あれだけ声が出ているなら肺と気管の状態は良好ですね」
 へらを舌から離して、カルテにペン先を走らせる。
「な、なあ先生…いい加減、ベルト…」
 傾ける耳はないと言った様子で、ラファエルはクロードの顔に手をかざす。放たれる暖かな光が、包帯と脱脂綿から薄泥色の膿を吸い出す。両腕、胴体、両足へと、空を撫でるように優しく手を動かして、汚れた布から膿を搾り出す。
 光に吸い寄せられた膿の塊が大きめの飴玉くらいになったところで、包帯と脱脂綿は本来の純白を取り戻した。
 角度を変え、異臭を漂わせる膿の塊を観察し、ラファエルが呟く。
「ふむ。治りが早いですね。騎士公たちの応急処置があったとは言っても、人間の治癒速度じゃありませんよ?」
「おいおい、人間であること医学的に否定かよ」
「鼻は吹き飛んだ。皮膚の熱傷深度は三度、呼吸器系は浅達性二度…傷と治療魔法との相性が良かったとは言え、三日で原型を取り戻す人間はいません」
「………三日、か」
 三日も寝てたのか…。
 手の光を強めて膿を燃やすと、肉の焦げる臭いが立ち昇る。むせ返りそうな臭気にラファエルが目をしかめた。
「つか、ベル…トぅおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
 ここ最近、無理をして我を通し続けてきたツケが返ってきたとしか思えない。クロードはベルトを外してもらうことさえ頼めない。その上、決闘中にも感じなかった激痛が脳髄にまで響いている。
 柄にもなく涙が出た。何でも良い。苦痛から逃れようと身をよじらせる度に、ベッドが暴れ馬の如く跳ね回った。ベッドの脚が床を叩く度に、振動が傷口へ響いた。
 左胸の触診。丁度ミカエルの剣の一撃を食らった箇所を、ラファエルは執拗に押していた。
「あー、そんなに痛みますか。もしやとは思ったんですけど、さすがに肋骨が繋がるまではいきませんよねー」
 か、確信犯だ…っ!
 コイツ、この顔…絶対、わかってて…っ!
 胸の痛みは、クロードの思考に至っても禁ずる。ラファエルは顔に影を落とし、尚も断たれた肋骨を押し続ける。
「いやあ、『医者の心、患者知らず』って言葉はないんでしょうかねえ。何で治した矢先に大怪我して戻って来るんでしょうねえ貴方。私たちは人の健やかな生活を望んでいるというのに、貴方ときたら…。
 一から医学の精神を叩きこまねばなりませんねぇー」
 目が笑っていない。
 終わった…。
 死なないにしても、ミカエル以上のことされる…。
 クロードは目を閉じ、病室にあって然るべき安穏を諦めた。

「確かに、貴方はもう少し自分のことを考えて行動すべきです。クロード=スティグマン」
 ドアから若い女性の声がした。足音は二人分。床を突く金の音とともに病室に入って来る。
 ヨハンナ八世と、その守護天使ミカエルであった。
 ヨハンナの手には、花瓶のものと同じ薄桃色のバラの束があった。
「ですが、怪我人に教育的指導は酷でしょう?医学のご教授は、退院の後でも遅くはありませんよ」
 本当に安らかな声色だと、本当に慈悲深い笑顔だと、クロードは心臓を熱くして思った。
 ラファエルが身体をヨハンナに向けて答える。
「…それもそうで御座いますね。私としたことが、危うく患者の症状を悪化させてしまうところで御座いました」
 裏のないからこそ恐ろしい発言だ。
 ラファエルが続ける。
「今朝も御早う御座いますね。猊下」
「…正直な話、大人げないのですが………その、結果を早く伝えたいと虫が騒いでしまっているんですよ。
 今日は意識が戻っているか。明日は、明後日は…?そう思うと、毎日お見舞いをせずにはいられません」
「いえ、結構な御気持ちに御座います。この男には勿体ないほどです。
 ですが、それならば一言御伝えいただければ、クロードさんの意識が回復し次第連絡いたしましたのに…」
「や、野暮なことは抜きにしなさい。ラファエル」
 顔を赤らめ、咳払いでヨハンナは話をはぐらかした。
「それで、今朝の診察は終わったのですか?」
「いえ、あとは点滴の交換ですが…すぐに終わります」
「そうですか…それは良かった。
 …しばらく、彼と二人きりにして欲しいのですが」
「…はあ。別に構いませんが………」
「そう。ありがとうございます」
 感謝をするなら、素直に喜ぶべきではないのだろうか。何故、猊下はこんなにも物憂げな御顔をしていらっしゃるのだろう。ラファエルには度し難い。そもそも人間、特に教皇ともなれば腹の内を知ることは骨だ。
「では、ごゆっくり」
 クロードの栄養補助用に点滴を交換し、ラファエルは病室を後にする。大理石の廊下を渡って、靴音が遠くなって行った。
「…ミカエル」
「…心得ております」
 ミカエルは一礼し、ローブを翻して病室を出る。ドアを背にして、誰も入室できないように見張りを始めた。
 その前を通り過ぎる看護婦の視線が痛い。

 静かだった。
 ヨハンナが部屋の内側から鍵をかける。花瓶の花と水を替えて、脇にある椅子に腰かけた。クロードの瞳に、一層色濃くなった物憂げなヨハンナの表情が映る。
「花、お前だったんだな」
「……はい」
 風に揺れる木々のざわめきが耳に迫るようだった。
 ロンギヌスの金輪がチリン…チリン…と鳴っている。
 一分が何時間にも感じた。
 ヨハンナの口が先に動く。
「窓…開けましょうか」
「………ああ」
 ヨハンナが窓を開けると、心地良い風が病室の沈んだ空気を洗い流した。朝日を受けて輝き、柔らかな風になびく金色の長髪。こんなにも見事な髪の持ち主が、こんなにも物憂げである理由がわからない。
「気持ち良い風…。良い朝ですね」
「そうだな。
 …こっち、来いよ。伝えることあるんだろ?」
「…はい」
 再び椅子に座るヨハンナ。
 伝えることがあった。だが、どれから話して良いのだろう。教皇としての自分と、一人の人間としての自分。どちらの口から語れば良いのか。いっそのこと、口が二つあれば良かった。
「どうした?」
 クロードの問いに、ヨハンナは答えない。
 困惑と安心が半々の溜め息を吐き、普段では見せない感慨深い表情でクロードが続けた。
「お前、大きくなったなあ。
 大きくなって、立場も大きくなったのに、中身は昔のまんまだ」
 ヨハンナの心が人間の方へ傾く。
「もう良いだろ。今日は、今くらいは、エミリーに戻って良いんだ。な」
 この時までに溜めていた覚悟が、一気に決壊して、目から止め処なく溢れた。

「兄さん…」



 光と開放感のある病院の廊下。車椅子に乗った者、松葉杖を突いて歩く怪我人がほとんど、看護師、特別入庁許可証を首から提げた一般人の見舞い客らが点々と往来している。
 戦後一〇年。一生ものの傷を負った者は数え切れない。そして終戦処理で負傷した兵は日々その数を増やしている。院内はそこそこ静かでありながら、負傷者で賑わいを見せていた。
「小悪魔ちゃん。クロード、今日は起きてると思うか?」
 人々の間を縫って、ルチアーノはオレンジばかりのバスケットを手に、ルナを肩に乗せたソフィアが幼い姿のリリムを連れて、クロードのいる病室に向かっていた。
 リリムがバスケットからオレンジを一つくすねて答える。
「どうじゃろうな。この際、死ねば良いのじゃ」
「おいおい、随分なお言葉じゃねぇか」
「うむ。真に美味じゃのう。嗚呼、オレンジよ。そなたは何故、こうも甘美なのじゃ?もはや、そちはわらわの生涯に欠かせぬぞ」
 リリムにとって、クロードよりも橙色の果物が大事らしい。幸せそうに黒い尻尾を振っている。
「ルチアーノは大丈夫なの?」
 目の下に隈を浮かべたソフィアが聞いた。
「あん?」
「その………ね。あの…復帰が昨日の今日だし……さ」
 ソフィアがルチアーノの下に目を向ける。赤に紅を上塗りした顔色になって、目を反らした。
「あぁー!ハハッ!なぁに、ルチアーノ様のシンボルは鋼鉄製だぜ!」
 ルチアーノが踏ん反り返って下品に笑い上げている。
「最低ね」
「最低じゃな」
「もうっ!最ッ低!」
 傍を通った看護師が、指を一本口の前に立てる。
「あ、すみません…」
 ソフィアとルチアーノが小声で頭を下げた。
「もう、大声で下ネタはやめてよ…!」
 当の本人に反省する気配はなく、笑って誤魔化すだけだった。
「つか、お前こそ大丈夫かよ。顔色悪いぞ?」
「………うん、まあ」

 決闘の結果は、僅差でクロードの勝利だった。
 騎士団員達からは反対の意見が多く挙がった。あの竜が現れた時点で決闘は不成立だとする声。それ以前に、三対一というのが間違いであるという声。そもそも、決闘の手続き自体が異例中の異例であるという声。…反論は尽きなかった。
 不服な怒りが飛び交う中、ミカエルの一喝。
「私が敗北を認めた!!それで不満か!!貴様ら!!
 それにこの決闘、評価不要と猊下が仰ったのを忘れたのか!?恥を知れ!!」
 一斉に口を噤んだ闘技場を、ミカエルは気を失ったクロードとリリムを抱えて後にする。ルナが慌てて後をついて飛んで行った。
 ヨハンナが決闘終了を告げる。騎士公叙任式の日程は追って連絡することを伝えて、解散を宣言した。
 余談になるが、この時、ミカエルは闘技場の入り口で無様に股間を押さえて気絶したルチアーノを発見していた。しかし無視に徹する。彼が第一発見者。後から来たルナが第二発見者である。
 ルナは慌てて助けを呼びに行き、ルチアーノは病院に搬送。大事には至っていないとのことで、様子見のために二日間だけ入院していたのだ。

 あの決闘から三日経つ。
 対魔導災害駆逐部隊バートン=バナー小隊では、クロードがスパイの容疑者から騎士に豹変したことで半ばお祭り騒ぎになっている。リリムも元の見た目が可愛らしいことから、すぐに隊員と馴染めた。
 あの竜の話…猊下は他言無用と仰っていたけど、もしも話が漏れた場合は………。実際にあの惨状を目の当たりにしていただけに、ソフィアだけは素直に喜べなかった。
 現在、縁もあってリリムとルナは彼女が預かっている。リリムは竜が現れた後のことを覚えていないようで、ミカエルに勝てたことが今でも不思議でたまらないらしい。
 しかし、いつまたあの怪物が現れるかもわからない。ソフィアは眠れない夜が続いて、仕事も思うように進まなくなっていた。

「ん?おい、あれ…」
「え、何?」
 リリムが七つ目のオレンジに手を伸ばす頃に、クロードの病室前に着いた。だが、どう見ても場違いな光景がある。
 ドアの前で、威圧感を剥き出しにしたミカエルが仁王立ちをしている。
「あの…ミカエル様?何をなさっているのですか…?」
 ソフィアが恐る恐る近付く。
「テンダー曹長か。悪いが、見舞いならしばらく待て。
 現在、猊下の御所望でいかなる者の入室も禁じている。猊下が御退室になるまで、例え医者であっても通すわけにはいかない」
 それはどうなのかと、皆が思った。
 八つ目のオレンジを取って、リリムの紅い瞳が不敵に輝く。影が不自然に歪み始めた。
 ほぼ同時に、ミカエルの剣がリリムの足元の床を貫いた。
「同じ手が通用すると思うな。燃やし消すぞ悪魔」
 ミカエルなら一片の躊躇もなくやり遂げるだろう。
 リリムは少し遅れて、力なく地面に腰を落とした。泣きべそをかいて必死に謝り続ける姿には、破壊の限りを尽くした黒い竜を感じさせない。
 少しだけ安心した。少なくとも、リリムちゃん自体は悪い子じゃない。それがわかっただけで、急に眠気がソフィアに襲って来た。大きなあくびと背伸びが心地良かった。
 腰の抜けたリリムを抱え上げて、ルチアーノが一言。
「まあ、教皇猊下たっての御希望とありゃあ、しゃーねぇわな。
 ソフィア、どっか適当に座るトコ探そうぜー」
「あ、そうね。確か院内にカフェがあったはずだから、そこにしない?」
「マジで?丁度良いじゃん!」
「わらわはオレンジジュースが良いのじゃ!」
「まだ足りねぇのかお前!?」
 記憶にも残らないような日常会話が、クロードの病室から遠ざかって行く。



「確か…もう一六だよな」
 クロードがヨハンナ…妹のエミリーに聞いた。
 泣き終えたエミリーは先程と比べて表情が柔らかくなっている。涙をしきりに拭ったせいで目の周りが痛かった。
 エミリーに戻って良い。それがきっかけで、身体の力も口調の固さも抜けた。それでも困惑は拭いきれず、作り笑顔がぎこちない。
「覚えててくれたんだ。兄さん」
「当たり前だろ。たった一人の、血の繋がった家族だぜ」
「嬉しい…」
 エミリーは頬を紅潮させてはにかんだ。
「一六かあ…そりゃ、大きくもなるよなあ…」
「…大きくなっただけ?」
「………その……………可愛くなっ、…た」
「ぷっ…!やだぁ!兄妹なのに何恥ずかしがってるのよー!おかしー!」
「…やっと、良い顔になったな」
「あっ…」
 いつの間にか、どこかに引っかかっていた不安が取れて消えていた。
 ああ、やっぱり私の兄さんだ。エミリーの胸が暖かく、はち切れそうに膨らんだ。
「私だって覚えてるよ」
「ん?何を?」
「兄さん、今年で二二でしょ?」
「お、正解。やるじゃん」
「たった一人の、大切な兄さんだからね」
 子供っぽい、満面の笑みでエミリーは答えた。
 教皇ヨハンナ八世はどこにもいない。どこかの街角で見かけてもおかしくない、一六歳の普通な女の子だ。
「兄さんは、…たくましくなったね」
「そ、そうか?」
「頼り甲斐があって、優しくて…約束だって、ぜっ………」
 言葉が途切れて、エミリーはうつむいた。
「どうした?」
 エミリーは首を横に振った。
 儚げな指先が、時折、赤らんだ目の周りを痛めないように撫でていた。
「絶対、や、約束、く……はっ、八年も覚えててくれて………。
 あはは…何でかなあ…?もう、使い切ったと思ったのに。出てくる。コレ」
「エミリー………」
 羽根が落ちるよりも優しく、エミリーがクロードの胸板に顔を埋めた。それでも左胸の肋骨に響く。

「本当に…本当に………ありがとう」

 震えた声が、切なくて、痛みも引いた。
 身体を縛っているベルトがなければ、力一杯抱きしめているところだというのに…ラファエルは本当に余計なことをしてくれたものだ。
「もう、放さねえ。これからはずっと、一緒だ」
「うん…っ!うんっ!」
 エミリーの抱きつく力が次第に強くなる。激痛のはずだった。だが、苦しくはなかった。
「エミリー、お前、よく頑張ったよ。八年も…。
 だから、もうやめにしないか?」
「…え?」

「もうヨハンナ八世なんて演じなくて良い。俺は軍を辞める。
 だから、一緒に元の生活に戻ろう」

 瞬間、全てが冷たく砕けた。
 春の日のような夢心地の時間はあまりにも短く、呆気なく壊れて、忘れていた凍てつく不安に呑みこまれた。
 エミリーが失意に突き落とされたことなど知る由もなく、クロードがあまりに甘美な言葉を綴る。
「国とか国民とか政治とか、もう一人で背負いこむな。もう充分だろ?お前は普通の女の子なんだから、普通に生きて良いんだ。
 これからは、何でもかんでも自分だけで決める必要なんてない。人並みに、他人を頼って、頼られて生きよう、な」
 突然、血相を変えてエミリーが立ち上がった。
「どうした…?」
「それは…なりません!」
 声が震えているが、口調から子供っぽさが消え去った。
「おい、エミリー、一体…!?」
「私はヨハンナ八世です!!」
 クロードの声を掻き消す、ほとんど奇声に近い荒声だった。
「神の子に代わって十字架を背負ったあの日から、私は教皇になる運命だったんです!それは今も変わりません!私じゃなきゃならないんです!
 最初はただの予感でした…。でも、ロンギヌスを手にして確信したんです!
 これは、私が守らねばならないと!少なくとも、次に十字架を背負う者が現れるまでは守らねばならないと!」
「お前………」
「思い上がるな!クロード=スティグマン!
 貴方は決闘に勝った!私に近づけた!
 だから何です!?何もかも元通りになるなんて本気で思ってるんですか!?
 馬鹿にしないでください!
 貴方が考えているほど、八年は短くないのですよ!!」
 ヨハンナは、エミリーの時にも見せたことがないくらい悲しい顔をしていた。精一杯の大声で悲哀を否定して、強がっているようにも見えた。
 その姿が酷く胸に刺さり、クロードは全身の傷以上の苦痛を覚えた。声が出なかった。
 ヨハンナが荒くなった息を時間をかけて整える。崩れた髪形を手くしで軽く直した。
「…すみません。取り乱してしまいました。
 ………失礼します」
 ロンギヌスを床に突き、クロードに背を向けて言う。
「騎士公叙任式は全快し次第執り行います。勲章も授けます。ですが、貴方を騎士団員にはできません。
 あの悪魔は、あの黒い竜はロンギヌスを狙っていました。そんな危険なものを傍に置く理由がありません。では」
 それだけを言い残して、ヨハンナはドアの向こうに姿を消した。
 ミカエルと、二人分の足音が遠退いて行った。

「………………………………何がいけなかったんだよ」
 窓の開いた病室で、味気ない白天井を眺めながら、クロードが呟いた。
「もう………手遅れだったのかよ」
 新しく替えたバラの花弁が、風に煽られて散った。
「クソ……っ!!何でだよ…っ!!
 クソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
 革のベルトを引き千切ろうと暴れても、びくともしない。自分の無力が情けなかった。理由は分からない。だが、エミリーを傷つけてしまったことが、酷く悲しませてしまったことが許せなかった。これでは、何のために騎士になってまで、妹に手が届く距離へ登り詰めたのかもわからない。
 一人になった病室で、喉が潰れるまで、クロードは号泣した。



 病院を足早に立ち去ろうとするヨハンナの後を、ミカエルが同じ歩幅でついて行く。
 珍しく、ミカエルから話しかける。
「よろしいのですか?」
「…何がですか」
 不機嫌な声が返った。
「無礼を承知で、御二方の御話を立ち聞きさせていただきました。
 …尊兄様の御言葉に御応えなさってもよろしかったのではないでしょうか?彼は、猊下…いえ、エミリー様を取り戻すために、今日まで生きてきたのです。それ相応の報いがあって然るべきではないかと。
 猊下に代わる新たな教皇はこのミカエル、心血を尽く注いででも御探し申し上げます」
「…それは、償いのつもりですか」
 ヨハンナとミカエルが同時に立ち止まる。
 ヨハンナは振り返って、爆発寸前の感情を押し殺しながら言う。
「八年前、貴方は私たちを引き離しました。貴方は私から、私としての人生を奪いました。貴方はクロード=スティグマンの人生を、こんな私に縛りつけました。今更、その罪を償おうと言うのですか」
 人々が行き交っていた廊下が急に静まった。ヨハンナたち以外に誰もいない。窓からの日差しが強まる。ミカエルは、ヨハンナの瞳の底をじっくりと推し量っていた。
 沈黙が破られる。
「私は…我らには、こんな下賎な手段でしかロンギヌスを封じることはできません。神の子がこの槍に屈して以来続けてきたこと…今更、償いなどとほざく口は御座いません」
「では何故!?」

「…八年前、猊下を迎えに参りましたあの日、私は尊兄様に『私を倒せ』と言い渡しました。決闘こそが数ある中で、最も早く教皇猊下の御前に立つ手段だからで御座います。
 復讐心でも良い。最後の肉親を失った彼に、生きる目的を与えるために与えた言葉に御座いました。
 しかし、勝たせる気など毛頭御座いません。そもそも、決闘を行うつもりもなかったのです。
 混血の彼が白導教皇庁軍に入隊する。そして、決闘の手続きを通過する。この二つがまず不可能だと考えておりました。
 仮に決闘に挑む頃になれば、彼も世間を知り、身の程を知った男児となるでしょう。力で圧倒し、徹底的に敗北の苦汁を噛み締めれば、エミリー様を取り返すという夢を諦め、別の道を歩むことだろう。…そう考えておりました。
 が、現実に彼は力技で決闘の機会を獲得し、あまつさえ勝利したのです。
 部下からは彼の勝利に反論する者が多く出ておりますが、戦力は均衡。私は、本気で戦うべき時を見誤っていません。
 私は、人という存在を高く評価しております。一見、ただの無力な、誘惑に弱い生き物ですが、我々にはない弱さと強さを持っています。彼は、己の虚弱に鞭打って、己の強壮に磨きをかけ続けました。そして、彼は天使があり得ないと判断した所業を成し遂げたのです。

 私は、彼を認めます。皆が認めるべきです。
 そうでなければ、あまりにも救いが御座いません」

 ミカエルの目は一厘たりとも揺らがない。何もかもを見透かされているような感覚。ヨハンナは根負けして視線を反らした。
「…それが理由ですか」
 うつむいて、ヨハンナが細い声で言った。
 ミカエルは加減しない。
「それ以上に、尊兄様がエミリー様を寵愛しているからで御座います」
 病室の情景が浮かんだ。確かに、クロードはヨハンナを、エミリーを大切に思ってくれていた。
 不機嫌な口元が、達観した微笑みに変わる。
 ヨハンナはミカエルに背を向けて、再び歩み始めた。
「猊下…?」
「何でもありません。…ただ、私が私に戻ることを拒んだ理由と、全く同じというのが少々滑稽で……」
「…どういうことで御座いますか?」
 返事はなかった。

 病院の外では、一〇名の騎士が待機していた。平伏してヨハンナを迎えると、ミカエルごと囲む陣形を取り、議事堂に向かう。
 藪から棒にヨハンナがミカエルに語りかける。
「それにしても、今日は随分と饒舌ですね」
「どうにも、スティグマン公の味方になりとう御座いまして…」
「貴方、それじゃ従者失格ですよ?」
 ヨハンナが失笑する。
 いつもの淑やかで慈悲深いヨハンナ八世だった。





BLACK OR WHITE? 6〜誰が為に騎士は行く.part20〜 part21に続く

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