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[mixi小説]BLACK OR WHITE?コミュのBLACK OR WHITE? 7〜意義と理由は波紋する.part2〜

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 ヴァチカンは、今にも空が落ちそうな曇り模様だった。
 太陽が無いため吸血鬼にとって過ごし易い日かと思われている。が、実際には曇りの日と晴天時を比べても紫外線量に大きな差がない。よって、
「…ダルい」
 とまあ、神祖ドラキュラ直系とはいえ、現在のアルカの様な半人前吸血鬼には過酷な環境なのである。薄暗い馬車の中とてそれは同じだった。
 加えて、三日間の馬車の旅で蓄積した疲労。追跡型魔弾を惜しげもなく使ったマシンガンの様な粘着質の質問攻めで、数少ない安息の場である棺桶の中へ入る暇も与えられなかったのである。
 目の下に深く刻まれた隈に、開いているのかも閉じているのかも判断に困る目蓋、脂汗でじっとりした服を着せられた不快感。普段よりも数段、吸血鬼らしい面構えだと言えるかもしれない。
 生き地獄を味わった気分だった。
 まあ、当の彼女は五百年ほど前に死んでいるのだが。
「もふすぐ着きまふげ」
 と、舌を噛んで絶命しそうな口調で爛々とした目が言う。
 ヴァチカンを囲む第一の城壁。地平線からでも見える眩しい白の巨壁だけあって、近くまで来ると息が詰まりそうな圧迫感である。
 滑らかで取っ掛かりの無い一枚岩の様な壁面は錬金術の産物であろう。画家が生涯をかけた最高傑作の如く、一縷の隙も許さずに埋め込まれた天使文字の魔法陣。霊脈を利用して発せられる結界は例外無く邪まな者の一切を拒んでいる。
「あの…本当にあんなのの中に私たち、入れるんですか?」
 無論、アルカたちも、死霊人形の御者も同様だった。
 近付く度に息苦しさを覚え、壁が迫る毎に身が散り散りになりそうな重圧に襲われる。彼女らにとっては台風の中心に向かっていることと同義である。
 しかも台風と違って凪の目が無い。むしろ中心部は退魔の術式だらけで最悪の危険地帯と化している。
 ふと、何もかも吸い込みそうに虚ろな目がアルカを凝視。
「…何ですか?」
「貴女は質問するのね?私の疑問に一度も答えてくれなかったのに」
「いやー…、あの、アハハ…」
 この人、ウザい。
 アルカ=ティープス。質問魔とは決してプライベートでの付き合いをしないと心に誓った瞬間であった。
 誓約とほぼ同時に、馬車がヴァチカンの北方城門に到着。
 昼間は常時開門こそすれ、通行時には憲兵による入念な検問がある。人相、所属、種族、及び積荷を徹底的にあらためて、危険人物や禁制品の流入を防いでいるのだ。
 四頭の馬が、同じく四人の憲兵の槍に止められる。
「すまんが、中をあらためさせてもらうぞ」
 既に黒と決めてかかっている目。
 骸骨が御者をやっている時点で当然だ。
「ええ、どうぞ気が済むまで」
 表情が見えない、だが毅然とした声で、虚ろな瞳が曇り空の下に立つ。
 色白の女。腰下まである柔らかなウェーブの金髪と、首から提げているだけの白のさらし布だけが申し訳程度に恥部を隠している。あとは全く着る物も穿く物も履く物もまとっていない。破廉恥極まりない性象徴、妖艶に誘う魔の物である。
 だが、それは白い翼を持っていた。
 それは紛れも無い天使の象徴。罰印の付いた天輪。
「教皇猊下の要請を受けまして外務協会より馳せ参じました。一等外務官のシンギルトです」
 箔付きの羊皮紙、所属する組織の公式文書を提示して、シンギルトは言った。
「こ、これはとんだ失礼を!御話は伺っております!」
 手の平を返して敬礼する憲兵たち。
 外務協会とは戦後に黒導と白導国家によって設立された外交仲介組織である。両国からより中立的な立場の者を選りすぐることで、戦後処理とそれに伴う国交の効率化を実現した集団だ。
 また、同組織には結果的にソロモン級の実力者が集結したため、戦争抑止力の役割も果たすという思わぬ結果を招いた。『多数精鋭』と称される白導と黒導の軍隊に対して、外務協会は『少数絶大』。そういう意味では白と黒を調停する第三勢力と見なしても良い。
 憲兵が畏敬するのももっともな話である。
「何故、軍人でもない私に敬礼をするのかしら?」
 ここでもシンギルトの質問癖が発動。最初に声を掛けてきた憲兵に向ける。
 対して緊張が過ぎて金縛りになっている憲兵は、汗臭く裏返った声で答える。
「これが、我々が敬意を表し方だからであります!」
「納得。なら、私もその流儀に従うべきかしら」
 シンギルトも敬礼して「ご苦労様」と労った。
 主観も無く、客観も無く、誰の胸も打たない。ただの空気の振動でしかない言葉。いわゆる『心のこもっていない言葉』でも、嫌味の一つは感じられるというのに。
 そして思い出したように、
「ああ、まだご苦労様には早いわね。
 今回は私一人ではないので、他の面々をあらためてください。それと、彼らに敷地内の結界を限定解除する手続きを。馬車は…まあ良いわ。町の視察もついでにしますから、預かってくれるかしら?」
 時間もまだあるし。と、シンギルトが尋ねる。
 この世のどんな無感情よりも無機質な字句。些細な感動の起伏も見えず、ただ平坦で白い地平に取り残されて虚空を眺めている様な…
「………」
「…何か、問題でもあるのかしら?」
「あ、いえ…失礼!」
 何て、空っぽな声なんだ…。
「えー…それでは、外務官以外の方はこちらの書類にお所属とお名前を。例外的存在として一時的に結界の効果の対象外にします」
「はい。じゃあ皆、並んで」
 まず、馬車の上に座っていた長身の悪魔。
「黒導顧問外務官、連合議長兼契約管理官、バアル=ベリトだ。署名をする必要はないな?」
 立ち上がるとやはり巨大だ。無骨な外殻に覆われた手足さえ見えなければ、ボロ布の下は竹馬でした!…というオチを期待してしまうほどの長身である。背の高さのおかげで、風が吹けば折れそうな細さがより際立っていた。
 続いて、車内から爛々とした目が出て来る。
「魔王尊様の宰相を勤めておりまふ、ルキフゲスク=ロフォカレスクでふげ」
 うって変わって、大人の肩くらいまでしかない悪魔だった。ずんぐりむっくり、おまけに短足。頭と胴の境目がわからない。そのくせ腕は地面に垂れるほど長い。豪奢な彫刻を施した釣鐘型の鎧を、これまた豪奢な南京錠一つを留め金代わりに着ている。ヒルを模した三角帽の先には、形の悪い真鋳の鈴が付いていた。
 体格に見合わない巨大な手にもかかわらず、器用に小さな羽根ペンで署名してみせた。
 最後は酷くやつれた吸血鬼。日除けのローブとサングラスをかけ、日傘を差し、ベッド代わりの棺桶という重装備。
「アルカ=ティープス。黒導教皇庁陸軍魔導災害駆逐部隊所属の一等陸士です」
 覚えたての不器用なラテン語を書き連ねる。綴りに自信がないし、所々で文字が潰れているが、憲兵ならちゃんと添削してくれることだろう。そう祈ろう。
 記名した書類を門の脇に設置してある派出所に持って行く憲兵。書いた名前を天使文字に訳し、城壁の魔法陣に上手く組み込むことで例外処理ができるらしい。
 さすが白導。魔術の芸が細かい。アルカの率直な感想だった。
 一分も経たない内に魔法陣の挿入が終了し、アルカとルキフゲスクには特別入庁許可証が手渡された。
 一行が壁の内側へ足を踏み込む。
「ようこそ、ヴァチカンへ」

 とりあえず、これは何の罰ゲームか聞きたいのですが。
「首都になると、やっぱり栄えるものね。結構なことだわ」
 一人はほぼ全裸の露出狂女。すごく恥ずかしい。
「左様で御座ひまふげ」
 一人はチビデブ釣鐘。すごく変てこ。
「愚見だな。堕天使が敵側の繁栄を喜んでどうする」
 一人は人間の三倍はある高身長。すごく目立つ。
 こんな連中(上司)と、何が嬉しくて町を練り歩かなければならないのでしょうか、マスター?
 回れ右して全速力で逃げ出したい気持ちを抑えつつ、アルカが赤面しながら三人の後を歩いている。
 一行は、大通りにある市場の中心を堂々と進んでいた。
 門の外から見た様子だと、通り抜けるのも困難などころか、人の流れで目的地に着けないのではないかと不安になるくらいの人混みだったはずだ。商人の威勢と愛嬌を備えた声かけや、買い物客の値切り、雑談、子供の騒ぎ声で、吸血鬼の心臓も思わず動いてしまいそうな盛況振りのはずだった。
 アルカたちが来るまでは、そうだった。
 道を空ける群集。奇異の視線。買い物客と店主同士のひそひそ話。目に痛い、耳に痛い、もう触覚も嗅覚も味覚も全部痛い。
 ごめんなさい。ごめんなさい。楽しい雰囲気をぶち壊してごめんなさい。
 嗚呼、いっそのことサーカスに入れば良かった。ピエロだったら気が楽だったのに。変に見られても、変に言われても上等だと思えたのに。
 嗚呼、マスター。貴方はどうして吸血鬼だったのですか?私、普通なのに、この人たちに付いて行くだけで際物扱いです。
 シンギルトの悪い癖。
「何で皆こっちを見ているのかしら?」
 ルキフゲスクの回答。
「町民と我々の格好を比べてくださひませ。我々は、彼らの服飾の風潮から外れてひまふげ。特に議長の背丈と体型は異常でふげ」
「おい。どう考えても貴様らの格好よりはマシだろうが」
 全員異常ですよ気付いてくださいよ。と、アルカは言葉の代わりに溜め息を吐いた。
「何で皆と違うと注目の的になるのかしら?」
 この程度では悪癖を止められない。
「見解は色々と御座いまふが、今回の場合はシンギルト様の奇抜なファッションが民衆の心を奪ったこととお見受け致しまふげ」
 いやいやいや、むしろ防衛本能が危険だと告げているパターンのやつですよこの視線は!集団内の異常に対して警戒しているんですよ!
「…納得。フフッ」
 納得しないで!それお世辞ですから!何ちょっと嬉しそうなんですかやめてください!
 …と、魔王の側近とわたり合える三柱に物申すことを、一般兵に過ぎないアルカにできたらどれだけ楽になれるか。
 フラストレーションの蓄積は下っ端の宿命だ。と、割り切ってしまう自分が悲しかった。春風を受けて、悩み事なんて馬鹿らしいと思える人が羨ましい。
 …風?
 何だろう。取り返しのつかない展開が待っている気がする…
 伏せていた顔を上げると、たなびく一枚布。
 シンギルトの肌を、人間と交友できる最低限度で隠していた一張羅がめくれる瞬間。目撃。衝撃。
「いやあああああああああ!駄目ですッ!シンギルト様、お召し物が…ッ!」
 男どもが共鳴し、漢へと昇華。奇異の目ではなく志望の目。むしろ女子供が漢に奇異の目を向ける。
 天にまします我らが神よ!本当に有難う御座います!独身既婚バツイチを問わず、漢の魂と歓声が燃え上がるッ!情熱と血が滾るッ!
 いざ、そびえる双子山と!際どい谷を!この目に焼き付けるッ!
 そして、布が全て翻る瞬間の訪れ。
 漢たちの狂喜の絶叫が、
 いや、静まり返った。卑しい興奮のボルテージが急転直下、真冬の池の氷に乗って、突然割れ落ちた極寒が全身を硬直させる。
 直後、裸体を目撃した全員の狂気の絶叫が響いた。我先に逃げ惑う人々が、店の軒下に、路地裏に、山積みのオレンジの中に、一斉に身を潜める。
 シンギルトより前の道は、首都とは思えないほど閑散とした幽霊街に成り果てた。
 ………。
 貴女の身体はどうなってるんですか!?
 風が止み、引き寄せられるかの如く布が肌を隠す。
「何で皆、突然いなくなったのかしら?」
「ンッフフ…理解に苦しみまふげ」
 フォローする言葉が見つからず、ルキフゲスクの口からまず初めに笑いが漏れてしまった。
 悪癖を逆撫でしてしまったようだ。
「…何がおかしいのかしら?」
「あっ!?ひやーそんな、おかしひことなど何一つ…」
「何がおかしいのかしら?」
「ひや、でふから、そんなことは御座ひま」
「何がおかしいのかしら?」
「アルカさん、何がおかしひのでふか?」
 嫌ああああああああああ!こっち振るな!
「ねえ、何がおかしいと思う?」
「…はあ」うわあ、乗ってきたァー!「な、何もおかしいことなんてありませんよね?バアル=ベリト様…」
「どう見ても貴様の身体を恐れたのだろう。状況的に」
 空気読んでくださいよおおおおおおおおおおおおおお!!馬鹿ああああああああ!!
「………」
「シ、シンギルト様?」
 無表情で何を考えているかわからない分、底が知れなくて恐ろしい。
 と、おもむろに自分の服へ手をかける。
「そんなにおぞましいかしら?」
 アルカの目の前で服を脱ぎ、何のためらいも無くたわわに実った乳房を見せつけた。メロン大の山が二つ、大迫力三次元映像で揺れた。
 瞬間、落雷を受けた激震。先程と同じ現象が発生する。アルカの後ろにいた群衆まで喧騒と共に姿を暗ませてしまった。
 この世にも恐ろしい物を至近距離で見てしまった。そして部下として逃げるわけにはいかないアルカへの打撃は表現できるものではない。ただ、この時の光景は彼女の目、彼女の脳に焼き付き、いつ終わるかもわからない一生を共にする記憶として残り続けることだろう。
 人は、それをトラウマと呼ぶ。
「ああああああああああああ!!もうっ、嫌だっ!やってられないわよ!」
 肌蹴たシンギルトの服を正し、アルカは三柱を残して先に進み始めた。今までのストレスを足から地面に吐き出しながら、ズカズカ早足で距離を置く。
「あら、どうしたのかしらー?何で先に行っちゃうのー?」
「もう付き合ってられませんよ!皆さんと一緒にいたらこっちまで色物だと思われちゃうじゃないですか!」
 はて、何を今更。と、恐らく顎辺りをさすりながらルキフゲスクが言う。
「こんな天気で日焼け対策万全の格好して、大きな棺桶を持ち歩ひてひるアルカ一等陸士も十二分に同類でふげ」
 客観的に見て必然。論理的に思って当然。理性的に考えて毅然としているからこそ、御年五百歳で未だ乙女のままである心情を、繊細なガラス細工の百合の扱いをルキフゲスクは知らなかった。
 腸沸騰的に激昂して愕然。こういう時の乙女の返事が言葉ではなく青果店の前にあった木箱であるかも知れないことも知らなかった。
 運悪く顔面に木箱の角がめり込み、ルキフゲスクはあっけなく卒倒。石畳の道路に落ちた木箱が全壊する。中から商品保護用の藁と旬の終わりを迎えた根セロリが転がり、閑散とした町に土の芳しさをもたらした。
「とにかく!私!先に教皇庁に行ってますから!皆さんはどうぞ!ごゆっくり!来てください!」
 殊更に決別の意を強調して、アルカは戻り始めた人混みの中へ消えて行った。
「…あの子は、何を怒っているのかしら?」
 悪癖ではなく、純粋な疑問だった。
 気絶したルキフゲスクに代わって、嫌々バアル=ベリトが答える。
「貴様がわからんことを、俺が知っているとでも思うか?」
「女が知らないから、男が知っているのでしょう?」
「何だその理屈は」
「質疑応答が逆転しているわ」
「………」
 だから嫌だったのだ。と、バアル=ベリトは頭痛の根に手を当てた。
「貴様の成育振りが気に食わなかったのだろう」
「あまり納得しない」
「ならば、奴が未だに年頃の女だから。ではないか?」
「断固として納得しない」
 シンギルトの満足を誘えなかった苦し紛れに、地面に転がっている根セロリを一つ、枯れ枝の様な指に刺す。生の野菜は思ったよりも硬い。
 遥か高みの頭まで運び、匂いを嗅ぐ。泥付きを気にせず、生を意に介さず、口に入れる。
「それ、美味しい?」
 シンギルトの問い。
「…イモと、セロリを混ぜた感じだな」
「美味しいの?」
「さあな。だが、店の親父に弁償するだけの価値はあるだろう」
 青果店の物陰から、酷く怯えた店主が覗いていた。シンギルトたちと木箱から散乱した根セロリを交互に見つめている。
「表通りの視察はもう結構。これからは裏道を通りましょう」
「…賢明な判断だ」
 ルキフゲスクを引きずって先を急ぐシンギルト。どうせ自分が払うことなどわかっていたと言わんばかりの嘆息を吐いて、バアル=ベリトが懐から金貨袋を取り出した。

「…信じられない。何なのよ…ったく。ダルい」
 人通りの戻った市場。その中で一際目立つ格好、黒尽くめで日傘を差し、棺桶を運ぶアルカ。程度の差はあれ、どういう展開でどこへ行っても注目の的だった。
 人目は苦手だ。
 日の当たらない世界で生きる吸血鬼だからではなく、かつてアルカが人であった頃からの気質である。
 五百年前、ワラキアの地、黒導の内乱。突き殺され、すり潰された少女の幻影が、いつまでも目の前で泣き続けている。
 隣で女が笑えば、それが自分への嘲笑に聞こえる。
 屈服、服従しなければ生き残れない。靴で潰されたパンを夢中で食べた記憶。水を取り上げられて、代わりに熱い尿を頭からかけられた。屈辱。教育と銘打った性的虐待。
 すれ違う男に見られただけで、身体の芯に嫌悪が走る。
 現場にて先輩たちの実践、見稽古。金のため、媚びへつらう。作られた嬌声と笑顔。吐き気を覚える。
 幼い彼女にも需要はあった。団長監視の下、顧客相手に本番へ至らない行為を受ける。劣情に歯止めが利かなくなった男の野犬にも似た凶暴さが怖かった。
 アルカと名乗ってもいなかった時代、彼女は戦災孤児だった。
 服などとうに燃え尽きて、代わりに捨てられていた麻袋に穴を開けて着た。全身の骨が浮き出ているのにもかかわらず、腹だけを異様に膨らんでいた。両親の消息はおろか、どこで死んだのかさえわからない。戦乱で散り散りになった親戚も当てにならなかった。
 逃げて、逃げて、何から逃げているのかも忘れた頃、ワラキア軍駐屯地へ迷い込む。我も彼も無く瞳が空の方を向いていた所を、団長と呼ばれる人物に拾われ、あるグループへ迎え入れられた。
 最初は皆、優しくしてくれた。食べ物をくれたし、お姫様みたいなドレスも用意してくれた。家族と姿が重なることもあった。
 いつでも暖かくて、夢みたいに楽しくて、枝葉で歌う小鳥みたいに充実して…
 家族が戻ったみたいで、幸せだった。
 蛇口をひねって優しさが流れるほど、世界が甘くない時代なのに。
 団長は、ワラキア軍慰安所から派生した売春組織のトップだった。
 食べ物を与えたのは、アルカを売れるようにするため。着飾らせたのは、商品価値を底上げするため。アルカを選んだのは、見た目が良かったから。
 授業。
 できなければお仕置き。
 三週間後、理論から実践へ。
 あの行為を理解できなかった。
 汚くて、嫌だった。
 だけど、生きるためには仕方がない。
 食べさせてもらえているのだから、働かなければならない。
 いつでも優しい団長がいるから安心できると思い込んだ。
 虚像でも優しさは優しさだった。
 その内、行為の何たるかを理解し始めた。
 笑顔の作り方もわかった。
 どんな人がどんな言葉に喜ぶのか、わかった。
 楽しかった。
 色々と教えてもらったことを試してみたくなった。
 歳のせいで制約があったのが悔しかった。
 大人だったらもっと稼げるのに。
 先輩たちと競いたい。
 誰よりも一番になりたい。
 散々侮辱してきた奴らを、見返してやりたい。
 団長へ懇願。
 渋い顔をする団長に、教えてもらった通りのことをした。
 何度も、
 何度も、
 枯れるまで。

 根負けさせた。
 許可を得る。

 夜明け前。アルカはあえて麻袋の服を着て、仕事に出向いた。
 最近気付いたことだ。
 日没がワラキア騎馬隊進軍の合図。そして必ず夜明け前に戻って来るのだ。
 そして騎馬隊の先陣を切る鎧の男、いつも一等猛々しい男がいた。
 恐らく、彼が軍隊で一番偉いのだろう。出陣の祭には兵士を鼓舞する激励を放ち、個別の集団を一体化させる。背中に国旗を掲げ、一番返り血を浴びて帰還する。
 その男が行う帰還後の儀式とも言える風習があった。目に付いた孤児へ食料を分け与えるのだ。
 そして、グループで誰も抱いたことのない男。
 狙わない理由が無かった。
 東の空が白み出した頃、彼の元へ集まっていた孤児たちが腹を満たして帰り払ったのを見計らって接近する。
 初めて近くで見た男は、何もかもを見通し、地平の彼方を見透かしそうに厳かな目をしていた。たっぷり蓄えた口髭が滑稽だったが、こういうのはむしろ褒めて悦ばせる部分だ。僅かに痩せた顔に影が落ちて、口髭の滑稽さを中和している点も評価できる。
 縮れた黒髪の間から尖った耳が見える。人間ではない。だが、そんな些細な事実など関係ない。むしろ付け入る隙だ。
 見ない顔に向かって、男は少し訝しげに顔をしかめた。
 垢の臭いが少なかったか?役作りを完璧にすることもできたが、本番に持ち込むためには難があると思い止まったのが仇になった。
 と、アルカが諦めかけた時、
 男が無言で、冷めて乾いたピタパンを差し出す。
 かかった。
 わざとらしく頭を振る。
「…これは嫌いか?」
 何故か心がくすぐったくなる、厳つい声音。
「内緒にするんだぞ?」
 と、豚の血で作ったソーセージを一本。取って置きと言わんばかりに出し渋る。完全に差し出した今でも、赤黒いソーセージへ未練の視線を向けている。
 そんな途方もないご馳走でも駄目。
「なら、何だ?」
 麻袋を脱ぎ捨て、男を魅せる魔性の表情を作り、アルカが猫撫で声で媚びる。
「ぜんぶくれたら、すきにしていいよ」

 股間にドリル。
「んぁぼふ!?」
 最近では下ネタにも使われない衝撃のせいで、アルカの回想中断。
 見下ろすと、白い布を被った十歳くらいの子供が尻餅をついていた。
 うつむいたまま微動だにしない。
 怪我をさせた?
「ご、ごめんなさい。大丈夫…?」
 顔を覗おうとしゃがんで見ると、
 その子供は、歯茎を粉々にしそうな勢いで泣きじゃくっていた。
 修羅泣きとでも呼ぼうか、王者のプライドと悲境がせめぎ合っている壮絶な気迫である。
 神話が与太話に聞こえる様な怪物の類は色々と目にしてきたが、この子供はそれに迫る…ひょっとしたら追い越すものがあった。
「ぎっ…ざば!ヴァブ、ヴァビビャッ…ばばッ!?」
 鼻腺崩壊していて何を言っているのかわかりません。涙腺崩壊していて表情からも何を伝えたいのか判断できません。おまけに感情がノアの大洪水並みに荒れていて心を読み取ることもできません。
 これだから子供は…。
 肺の空気を一新する溜め息で、暗黒思い出巡りをしていた沈んだ気持ちも改めて臨む。
「はい。チーンして」
 真白のハンカチを出してあげた。
 ローブの裾で、惜しげもなく鼻をかまれた。
 お気に入りだったのに…。
 子供が鼻水を根元まで完全放出する。涙を拭くに至ってようやくハンカチを手に取った。
 仕上げに両頬を叩いて気合を入れる。
 目も眩む赤い瞳が、高飛車にアルカを睨む。
「貴様!ヴァンパイアじゃな!?」
「え…っ!?あ!?」
 鏡に映らないなど、吸血鬼と判明する可能性があるにはあるのだが、この人混みでは考え難い。
 と、まず考えるべき場面かもしれないが、この場においては思考以上に重要なことがある。
 そんなこと、ヴァチカンの真ん中で宣言されたらマズイって!
 通行人が不穏な単語を耳にして、一人、また一人と足を止める。騒然とアルカが吸血鬼かもしれないという情報が人々に広まっていく。
 吸血鬼に入庁許可が下りているなど、市民が知る由がない。
 あー、もう!大声で言うからー!
「あ…っ!?」
 何が気に入らないのか知らないが、子供が大層ご立腹な様子で胸ぐらを掴み、アルカを引き寄せる。
「王族の命令じゃ!今すぐ血を飲ませろ!徒歩で帰るなど埒が明かん!」
 もう何から指摘したら良いのか…。
 とりあえず、吸血はこちらの専売特許だ。
「…あのー」
「飲ませんかたわけ!」
 軍で教わらなかったこと。その最たるものが子供への対処。武力で子供を制することができないというのは皮肉なものだ。
「いや、あの、ちょ!?」
 本気で突き放して四肢爆散されても困るし、かと言って咄嗟の力加減を心得ているわけでもない。
 よって、吸血鬼の喉元に牙を立てられる。
 冗談にもならない実話が出来上がってしまった。
 今日は、つくづく厄日である。

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