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[mixi小説]BLACK OR WHITE?コミュのBLACK OR WHITE? 7〜意義と理由は波紋する.part1〜

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 小鳥さえずる農村地帯では、キャベツの収穫期を迎えていた。浮かれた陽気に誘われて、畦道にはシロツメクサが咲き誇る。ミツバチやモンシロチョウも花の惚気に当てられて、ひらひらと蜜を集めていた。
 その白と緑の道を、一台の馬車が駆けて行く。朽ちかけた風車と納屋には不釣合いな、厳格で高貴な黒の車体。馬は四頭引き。轍と蹄が土を蹴り飛ばす。
 馬車の上に、それは座っている。
 全身にボロ布をまとっている。成人男性の三倍はある長身でありながら、その体躯は恐ろしく細い。まるで若い一本杉。
 その背後、御者席に、同じく風化しかけたローブを深く被った者が手綱を持っている。
 白――骨。
 黒導の死霊魔術。
「ねえ」
 馬車の中から虚ろな、しかししかと見開いた瞳が外を眺めて言った。
 返事がない。
「ねえ、貴女に言っているのよ?」
「え…ああっ!はい!すみません…」
 人間が流すどんな赤よりも濃い紅の瞳が、おっかなびっくり遅めの返事をした。
 生命を寄せつけない万年氷の青い髪、車内の暗がりに溶ける男性用喪服を着た吸血鬼…アルカ=ティープスである。
 すっかり疲弊した顔をしている。
「ねえ、何で蝶は飛ぶと思う?」
「………はい?」
 もうこれで何回目だろうか。
 神出鬼没。彼女の意味不明な質問で頭を悩ませるのは。
 あまりにどうでも良い。かつ稚拙過ぎて考えたこともなかった。しかしながら、だからこそどこか核心…盲点に触れるような、高尚な質疑だった。
 高尚が過ぎて雲の上。何百年という年月にも耐えられるアルカの頭でさえもパンク寸前で、ただの返事も遅れてしまう。これこそ、彼女の疲労の主たる原因である。
「いかがなさひまひた?」
 たどたどしいが知性を臭わせる口調で、爛々とした目が答える。
「この子、また私の疑問に答えてくれない」
 アルカが、苦笑いで誤魔化す。
「それはそれは…。して、どのよふな疑問で?」
「…貴方も聞いてなかったのね」
 口調は平時と変わらない。だが不思議と、不満なのは明確にわかる。
「申し訳ござひませふ。してご質問は?」
「何で、蝶は飛ぶのか」
「花が眩しく踊るからでふげ」
 もうこれで何回目だろうか。
 支離滅裂。彼の珍妙な回答にまた頭をひねるのは。
 消耗を加速させる、副次的な原因だった。
「じゃあ何で、花は踊るの?」
「今は、春でふから」
「質問の意図を明確化。何で、春だと花が踊るの?」
「…殿下は、春をどのよふにお考へで?」
「質疑応答が逆転しているわ」
「左様でござひまひた」
「それで?」
「春は、恋の季節にござひまふげ」
「だから?」
「花は、恋の喜びを、身の丈一杯に巡らせてひるのでござひまふげ。花弁の一つや二つ、容易く舞ひまふげ」
「何で、花は恋をするのかしら?」
「殿下と同じ理由にござひまふげ」
「旦那様がいるから?」
 爛々とした目が閉じて頷く。濁った鈴の音が、頷きに合わせて鳴った。
「納得。花も恋をするのね。だから、まばゆく踊って、蝶が飛ぶ」
「ご満足いただけまひたか?」
 虚ろな瞳が、首を横に振る。
「蜂が飛ぶ理由をまだ聞いていないわ」
 針の如く細い指が、車窓の外から不機嫌そうに小突いた。
「いい加減にしろ。一体、どれだけ同じ事を聞けば気が済むのだ。これではゆっくり眠れん」
 一本杉の様なそれが、あくび混じりに悪態をついた。
「あら、貴方は何で眠いの?これから仕事なのに、休養も取っていないの?」
 いや、そこを疑問視するのは失礼ですよ!?というアルカの声なき声は空しく、
「…」
 窓の外で、震える指先から黒い煙が燻る。
 が、無駄だと諦めて、彼女の視界から音もなく消えた。
 胸を撫で下ろすアルカ。生物学上は既に心停止、死亡しているとはいえども、これでは心臓に悪い。命が足りない。
 続いて、呂律の回らない弁明。
「議長の職務は多忙を極めておひででふ。今回の件は突発的かつ予測不可能…。休息などとてもとても…」
「納得。彼の仕事は忙し過ぎる」
「でふから、殿下の好奇心猛々しひこと、存分に理解申し上げまひた故、これ以上のご質問はご遠慮ひただきとふござひまふげ」
「納得。でも、最後に一つ」
 屋根の上から、一本杉の心労と苛立ちの溜め息が聞こえた。
「私たちは、何処に、何で向かっているの?」
 馬車の旅は、思ったよりも長かった。と、アルカは後に語る。



 三日前――リリムから黒い竜が発現した直後。
 黒導教皇庁。緊急七罪王会議。
 予定より一時間遅れて、魔王尊、傲法王ルシフェルが入室。
 …のはずが、憤野王サタナエルの有無を言わさない巨拳が飛ぶ。当然の制裁であった。
 その当然さえも傲慢に、必然と、ルシフェルは軽く受け流して、円卓に着座する。
 サタナエルが壁に激突する轟音で部屋が大いに揺れた。
 肩の埃を払って一言。
「やーやー、ゴメンねー。マイハニーが『ディナーは一緒じゃなきゃヤダ!』って言うもんだからさぁー。ハハッ!参った参った!」
「妬ましい。殺すぞ」
 七つの大罪の魔王が一柱、嫉海王リヴァイアサン。嫉妬たっぷりに睨む。
「我とて晩餐を諦めて、この会議に臨んでいるというのに、いけしゃあしゃあと」
 同じく、食武王ベルゼバブ。花瓶のバラをかじりつつ。
「壁と扉の修繕費、精神的苦痛、」
「全員分の食費、こうして拘束されている間に稼げる資産、」
「「…諸々考慮して、金三百の損」」
 同じく、欲財王マモン。十露盤を弾きながら。
「ていうかラブラヴ度自慢とかウケる。マジ空気読めよオッサン」
 同じく、色遊王アスモデウス。円卓に足を乗せて。
「…以下同文」
 同じく、怠知王ベルフェゴール。発明の図引きのついでに。
 殺伐と乾いた空気。嫉妬、暴食、強欲、色欲、怠惰、そして、投げ飛ばされた憤怒の化身が放つ圧倒的覇気。生身の、何の能力もない人間がこの場に居合わせていたら、確実に圧死圧壊していただろう。
 しかし、悪魔の頂点に立つ傲慢の化身は、その確実さえ踏み躙って通る。
 それどころか、
「何を言ってるのさ?」
 善く笑って、
「この僕が直々に遅刻したんだから、君らはありがたく平伏すべきじゃないかな」
 悪く笑った。
「ぎゃはは!オッサンらしいぜ!超ウケるし!」
 文字通り抱腹絶倒しているアスモデウスを黙らせる地鳴り。豪奢な円卓がただの木屑へと粉砕される。サタナエルが円卓に拳を叩きつけていた。足の支えを失って、アスモデウスは愉快な絶倒から無様に転倒した。
 パチリ、と、マモンの十露盤が動く。
 備品損壊を気に留めず、ベルゼバブの反論に続く。
「おふざけは結構。その食事は間に合っておる」
「さっさと言え!俺たちを呼んだ理由!さもなきゃ、マジで潰す!」
「はいはい。わかった。わかったよ。さすがに机と同じ末路を辿りたくはないしね」
 そりゃ失敬。と言わんばかりに肩をすくめるルシフェル。皆に聞こえるよう喉の調子を整えた。
「では君たち、まずは何も聞かずに喜びたまえ!耳にしたなら更なる歓喜に悶えたまえ!」
 誰も喜ばない内に両手を広げ、一人だけ嬉々として言い放つ。

「僕の可愛い愛娘が見つかった!」

 斯く語る一柱を除き、悪魔の長らしからぬ抜けた顔で、会議が凍る。
 解凍。ベルフェゴールが無駄を省いて尋ねる。
「…場所は?」
「白導教皇庁でコード六六六を確認した。直後に外務協会を通して向こうから入電。まず間違いないね」
 衝撃。よりにもよって敵地。となればすなわち…。と、マモンが間髪入れずに言を発する。
「「保釈金…いや、この場合は身代金か」」
「君の興味はお金だけなのか?もっと他の事に着目しなよ」
「…六六六が発動していた時間は?」
 リヴァイアサンの歯切れ良さに、満悦して答える。
「ものの数分さ。おそらく一匹だけ。反応からして、爆心地は地下だろうね」
「…にも関わらず、白導からの電信があっただと!?」
「そう。とっくに消えているはずの、白導教皇庁からね」
 言葉が絶える。最初とは別の意味で。
 かつて天使の三分の一、すなわち彼らが起こした神への反逆から現在に至るまで、悪魔は馬鹿としか言いようのない死に様を迎え、それを超える馬鹿としか言いようのない速度で繁殖し続けている。生き死にに強弱や地位によるばらつきがあるとはいえ、分け隔て無く起こる自然だった。
 だが、七つの大罪の魔王とは、その分け隔て無い自然を圧倒的な力で否定してきた。未だに揺るぎなく、馬鹿のような存在である悪魔を統括する天性の才だった。
 そんな馬鹿どもを統べる天才が、脅威に押され、驚愕に締められ、恐怖に冷やされる。
 警戒の対象は『六六六』と呼ばれるものから、白導を存続させ、あまつさえ数分程度の発動で抑えた何かに切り替わる。
「…それで、どうすんだよ?」
 アスモデウスが口元を引き結び、初めて本当の意味で会議に参加する。
「決まっている。戦争だ」
 前々から決めていたかの如く、あっさりと淀みなくベルゼバブが切る。
「さすがは食武王!血気盛んだねえ!
 …と、言いたいところだけど………」
 そんな決め事も、ルシフェルはただ傲慢に切り返す。
「はい、マモンさん!」
「「そんな余裕、あるなら見せて欲しいね」」
 戦争するだけの国力があれば、一〇年前に停戦などする理由がない。その上、外務協会の目がある。下手に動けば、動いた方が容赦なく潰されるだろう。
「…なら、どうしろと言うのだ?」このまま黙る我らではなかろう。と、ベルゼバブ。「よもや、娘の門限を理由に返還を求めるのではあるまいな?」
 お手並み拝見。と、肘掛で頬杖を突く。
 対して、もっとソフトに考えろ。と、指を振って見せる。
「古今東西、生き別れた親子のすることは限られてくるものさ」



 その四日後。ヴァチカンの衛生部隊属帝国立大病院。
 個人用としては最高の病室、そのベッドから、花瓶に生けた薄いピンクのバラを見つめる男が一人。
 光をたたえた眩しい金髪。全身に包帯を巻いている。形の有無に関わらず切り裂きそうな碧眼にはいつもの覇気が無く、虚ろな鈍らだった。
 クロード=スティグマン…最高の栄誉である騎士の称号を力技で得た男。
 クロードは最強の天使であるミカエルとの決闘で勝利を手にした。しかし代償として瀕死の重傷を負う。ラファエルの魔術によってある程度は回復し、現在は、職務を離れて治療に専念していた。
 目覚めた途端、ラファエルに「人間の回復力ではない」と言わしめたが、今の彼はただ死を待つ末期患者のようであった。今朝の検診でも、ラファエルが革ベルトを外したばかりだ。
 バラの花弁が一つ落ちる。
 揺ら揺らと落ちる薄ピンクの軌跡を、虚ろな目で追う。
 花瓶の周りには、しおれた花弁が散乱していた。
 教皇ヨハンナ八世…妹のエミリーとの繋がりが、一枚、また一枚と消えていくような気がした。
 ノックも無いのに、図々しく我が物顔で、ドアが開け放たれる。
「感謝するが良い、クロード!二日連続でわらわが直々に見舞いに来たのじゃ!」
 安静が基本の病院で、常識外れの高笑い。小さな女の子が入室した。
 二本の角とトカゲの尻尾は悪魔の証。赤い瞳が映える黒髪を肩に切り揃えている。胸を隠すボロ布と、カットジーンズ、ブーツという、白導にはあるまじき露出の高い服装。首にはクロードの特製チョーカー。
 自称『クロードを殺すため従ったフリ』、リリム。
 大方、見舞いのオレンジが目当てで来ているだけだろう。
「ういーす。生きてっかー?」
 病院で言うには不謹慎過ぎる一言で入ってきた金髪トゲトゲ頭の男は、ルチアーノ=イディオクラン。クロードの悪友である。
 大方、サボりの口実で見舞いに来ているだけだろう。
「傷の具合はどう?」
 茶髪のショートヘアの女性が微笑んで入室。同じく同僚のソフィア=テンダー。肩にはクロードの契約天使であるルナが、ちょこんと置物よろしく座っている。
 大方、普通に、真面目に見舞いに来ただけだろう。
「…寝てるのかしら?」
 ルナが花瓶に割り込んでクロードの眼前に出る。
「…起きてるなら、返事くらいしてよー」
 ルナが頬をプゥと膨らませても、眉すら微動だにしない。
 と、ルチアーノが閃いた。
「待て、きっと目を開けたまま寝る癖…」
「クロードはそんな変な癖無いもん!」
「え、冗談にマジギレすか…」
 クロードは賑やかな来客に目もくれず、ただ呆然とバラを眺めている。
 ソフィアがルチアーノに耳打ちする。
「…やっぱり、まだ本調子じゃないのかしら?」
「だとしてもガン無視はねーだろ」
 昨日もそうだった。普通ならリリムにちょっかいの一つは盛大に仕掛けて怪我を悪化させるという、安直丸出しのお約束があるはずである。
「何じゃー?今日もだんまりなのかえー?」
 しかし、昨日と今日に限ってはそれが無な。目の前でリリムがオレンジを貪り食っているのに、罵声の一つも飛んでこない。
 と、今度こそルチアーノが閃く。
「なあ、小悪魔ちゃん」
「むう?何じゃ?」
「クロードをちょっとでも喋らせたら、オレンジ一週間分って、どう思う?」
 瞬間、脳内が橙色で埋め尽くされる。
 オレンジジュース、オレンジケーキ、鴨のオレンジソース、オレンジ風呂、オレンジベッド、オレンジオイルのアロマ、
 オレンジの家(それ無理)…!
「実に重畳!」
 勝手極まる妄想の暴走。決闘以上の士気高揚を見せて、リリムがベッドの上で仁王立ちする。
 サディスティックな赤い瞳だ。
「おい、そこな人間!わらわの見舞いを無碍にしようとは良い度胸じゃのう!下等生物にしては見上げた者じゃ!天晴れじゃ!
 …じゃが、愚の骨頂じゃ!愚の骨頂の誇張じゃ!
 現にわらわに見下されておるではないか!天の晴れじゃのうて、地のくすみじゃのう!」
 こいつ、命が惜しくないのか!?
 いや、惜しい。器用にも、クロードの目が届かない背中だけが滝の様な汗だ。足は虚勢ばかり張っているが、その実、尻尾が震えて影分身している。
 これが魔王の魂なのか!?という、意味不明な誤解をされつつも、オレンジのためにリリムは罵り続ける。
「この大悪魔を従えておいて木っ端如きに苦戦するとはのう!情けのうて涙が出るわ!」
「………」
「このリリム様を従えようと思うのであればのう、まずはもっと強くなってからの話じゃ!そうは思わぬか?木っ端のカスが!」
「………」
「何じゃ?悔しゅうてぐうの音も出んか?」
「……ろよ…」
「はあ?木っ端の言葉などわからぬのう!」
「だったらさっさと消えろっつってんだよ役立たずがッ!」
 自暴自棄になった荒声の次に感じたのは、背中の痛みと床の冷たさだった。
「ちょ…どうしたのよいきなり!?落ち着きなってば!」
「そうだ!傷が開くぞ!?」
 リリムが起き上がると、悪霊に取り憑かれたかの如く暴れるクロードを、ルチアーノとソフィアが取り押さえている。
 クロードに突き飛ばされて、ベッドから落ちたらしい。
 痛む腰をさすり、リリムが吠える。
「な…っ、何をするんじゃたわけ!」
「うるせえ!全部テメエのせいだ!テメエが悪魔だったおかげで、俺は全部失くしちまった!」
「…何じゃと?」
 二人がかりでどれだけ寝かせようとしても、クロードは力で捻じ伏せようとする。切断された肋骨から、身を引き裂く激痛が走る。爆発する感情が、身体で暴れまくる。
 クロードには、これ以外にどうすることもできなかった。選択肢にすら存在しない、これでしか、自分を保てなかった。
「何度でも言ってやるよ!テメエのせいなんだよ!俺じゃない!俺にミスは無かった!テメエを除いてな!テメエのせいで、俺は…ッ俺の八年は…ッ!」
 妹と生き別れてからの八年…クロードが、妹を取り返すために必要だった年月。そのために、彼は利用可能なあらゆるものを、ありもしない頭をひねって、似合わない計算尽くで、利用し尽くした。
 孤児院…生命線。
 第二の孤児院…コネクション。
 軍隊学校…妹を取り返す第一歩。
 卒業…現役軍人と交流。
 対魔導災害駆逐部隊入隊…ミカエルを倒す方法の探索。
 フラン=K=シュタイン…殺人的・殺神的発想。
 リリム…第二歩にして鍵。
 バスカヴィル、ヴォーティガーン…神を殺す黒狗と白竜、赤竜、第三歩。
 異端審問…教皇への接近。
 裁判…騎士へ決闘申請、第四歩。
 決闘…鍵の活用、第五歩。
 勝利…妹奪還、大団円。
 元の生活に戻ろう。その一言で、全てが上手くいく。
 …はずだった。
 エミリーは言った。自分はヨハンナ八世だ、と。ロンギヌスの槍を狙う悪魔…黒い竜を傍らに置く理由が無い、と。酷い悲哀を押し殺している姿が、酷く悲しかった。
 全ての誤算はリリム。確かに妹はそう口にしたのだ。
 その言葉の真意は、彼女の覚悟だった。ロンギヌスによって穢れつつあるヨハンナ八世とエミリーが同一人物であると、兄が目の当たりにすることへの例えようもない恐れだった。
 それを、クロードは知らない。
 だから、全ての責はリリムにある。
「よくもここに来れたな!テメエのせいで、エミリーはもう…ッ!!」
 満身創痍など関係ない。同僚二人に引き止められようが、身体が勝手に暴れる。
 と、無理がたたってクロードの左胸が裂ける。繋がりかけていた筋繊維、血管、骨が、水っぽい音を立てて弾けた。
 身体の悲鳴に、さすがのクロードも心から悲鳴を上げた。壮絶な雄叫びと言っても良い。亡者の様に見開いた目が、彼に潜む野獣を炙り出す。
「ルナ!ナースコール!急げ!」
「わ、わかったわ!」
 やっとのことで、クロードを横にすることができた。もう身体を動かす体力は無いらしい。各地で災害に繋がる魔法を討伐しているというのに、たった一人の人間の癇癪に手こずるとは、皮肉なものだ。
 ソフィアが、回復魔法で応急処置をする。
 目の前で暴走していた喧騒に反して、リリムの燃える様な瞳は静かに、冷たい。心は濃厚に、熱い。
 血飛沫の跡が生臭いベッドの脇へ歩み寄り、無様に自滅したクロードの存在を、見下す。
「のう、人間。何やら知らんが、それは見当違いじゃ」
「ア゛アァッ!?」
「聞けば先の決闘、わらわがいればこそ勝てたようなもの。それを、わらわのせいで失った?思い上がるな、人間が!そこは、わらわのおかげで大いに得た、じゃろうが!?突き飛ばすのではない!平伏して感謝の辞の一つや二つ、述べておく場面じゃろうが!?罵ったことなら謝っても良い!じゃがな、わらわの戦いを無意味にすることだけは許さぬ!!」
「無意味だったんだよ、馬鹿野郎!気付かねえのか!?俺が軍隊に入ったのも、シュタイン博士と手を組んだのも、必死の思いで決闘にこぎつけたのも、死にかけたのもな!全部、テメエが悪魔だったおかげで!全部、台無しだ!」
「貴様!それ以上わらわを愚弄するならば、未来永劫許さぬぞ!!」
「それはこっちの台詞だ!!何が大悪魔だ!!デカかろうがチビだろうが悪魔は結局悪魔なんだよ!!」
「…もう一度言う。それ以上」
 花瓶が飛んだ。

「テメエらなんか、生まれてこなけりゃ良かったんだよ!!」

 クロードが投げた花瓶は、見事にリリムの童顔を捉えて、砕けた。
 赤黒い血が、水に濡れた彼女の額から流れ、目尻を伝う。床に落ちた血は紫煙となって、綺麗に消えた。
 クロードの虫の息だけが、妙に大きく聞こえた。
「…もう良い。うんざりじゃ」
 絶対零度で静かに燃える瞳。凍傷で細胞が壊死するような、つんざく眼差し。血が、止め処無く目を伝う。
 リリム以外の時が止まったかの如く、彼女はゆっくりと、ドアに手をかける。
 振り返らず、
「貴様など、わらわが殺す価値も無い」
 あっさりとリリムは姿を消した。
 色々と難癖つけて、クロードと離れなかったくせに。
「おい、待てよ!」
 ルチアーノがその後を駆け追う。
 退室直前、これまでになかった侮蔑の目。
「お前、最低だよ」
「…………………」
 クロードは決して、目を合わせるどころか、目を向けようともしなかった。八年間築いてきた全てを否定する。
 ルチアーノの拳が熱くなる。半殺しまで殴れと言っている。
 しかし、もう彼は、クロードの中に存在しない。クロードにとって彼は、もう誰でもなかった。
 舌打。乱暴にドアを開けて、ルチアーノも消えた。
 残るは、開いた傷に応急手当をするソフィアとルナのみ。
「…今のは、いくらなんでも酷いよ」
 状況の急変に感情が追いつかない。困惑したソフィアが呟く。
 やはり、答えない。
「リリムちゃん、あんな風にしてたけど、昨日は本当に心配してたんだよ?」
「…………………」
「元気が無いって、いつもなら喧嘩するって、殺す前に死んでしまうんじゃないかって…」
「…………………」
「あ〜〜〜ッ!!もうっ!いい加減にしなさいよ!」
 手を止めて、痺れを切らしたルナが無理やりクロードの視界に入る。身動きの取れないクロードは、目だけを逸らす。
 それでも執拗に、ルナはクロードの視界を追跡し、飛び回る。彼女にとっては雑作もないことだ。
「いつまで不貞腐れてるつもりなのよ!?猊下と何かあったの!?話してよ!私たち、家族じゃない!」
「………母親面かよ」
 背骨に一本通る串を刺された様な悪寒。
 ルナの知っているクロードは、こんなに空っぽな瞳では、物みたいな目ではなかった。
 面と向かっているはずなのに、誰とも向き合っていない。
「ふざけんな。母さんを殺したくせに」
 フラッシュバック。一一年前の記憶。
 燃える家。死んだ人。血。血。血。
 天使は感情を感じ取り易い。だから、悪に反応して堕天する者も少なくない。
 ルナが感じた。表向きは突き刺す恨み、怒り、拒絶…心臓が痛い。
 そして裏向きの無関心。
 負の感情が、フラッシュバックを加速。
 血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血!!
 ふっ、と、糸が切れたみたいに、ルナが床に落ちた。
「…ルナちゃん?」
 ソフィアの声にも反応しない。
 生気が、無い。
「ルナちゃん!?」
 駆け寄ろうとする身体を、グッと堪える。今、クロードから手を離しては、彼の身が危険になる。傷は回復するどころか、ドクドクと膿の混じった血を吐き出しているのだ。
「行けよ」
 クロードが、初めて自分から話し出した。
「駄目。アンタの方が深刻なのよ?」
 おもむろに、クロードが左腕を突き出す。ガーゼと包帯が、スルスルと勝手に解ける。
 暗黒に染まった腕。黒い竜を吸収してから、全く衰えを見せない黒い傷。
「見ていたならわかるだろ?あの竜」
 教皇の結界ですら打ち破り、将軍の援護をものともせず、ミカエルでさえ追い詰められた、リリムの黒い竜の力。
 この左腕に、力の名残。ソフィアなどが敵う力ではない。
 まさか本気ではないだろう。と、クロードの目を見る。
 本気も向きもない。退屈に、どうでも良く、無関心が理由で、仲間であったソフィアを殺そうとしている。
「行けよ」
 腕に黒い雷が走る。思い出す、あの黒い竜の底なしの目と、しわ枯れた笑い声。
「放っておいてくれ」
 暖かな癒しの光を放っていた手をゆっくりと離し、ルナを拾い上げる。小さな天使は、断末魔を上げた後の苦悶を見せている。こちらはこちらで深刻かもしれない。
 背中を向けず、あってはならないことだが、クロードを警戒しながら、ソフィアは退出し、とうとう独りになった。

 消えるなら、何も残さずに、消えたい。
 クロードを引き留めていたバラも、全て死んだ。





BLACK OR WHITE? 7〜意義と理由は波紋する.part1〜 part2に続く

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