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第一コンバットコミュの第3話「実録 第一コンバット十年史」

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バンド名も決まった第一コンバットであったが、そのあと3ヶ月は何も進展はなかった。なんせ、第一コンバットにはギター1本しかなかったのだから、何もしようがない。

確か1997年5月だったと思う。
引越したばかりの僕は部屋にベッドを買わなければならなかったのだが、ちょうどバイト代もその日に入るので、授業が終わったらどこにベッドを買いにいこうかと頭を悩ませていた講義中。別の友達とそんな話をしていたら、横にいたエイスケ氏改めエイスケイチコンは、その話をききつけたのか、ベッドもいいけど、ベース買ったら楽しいと思うよと言い出す。まるで「おせちもいいけどカレーもね」的なかんじで。

残念ながら、ベッドを買うとベースなんて買うお金はない。

なのでベッドを買うと僕はいうと、エイスケはベースは楽しいぞーと言い出す。
「いや、でもおれ中学生の時にギターひけなかったから、いきなりベース買って弾けないともったないないよなぁ」とかいってのらりくらりと逃れようとすると、
「ベースはバカでも弾けるから大丈夫だって、ほらあのグレンマトロックだって弾けてたんだから」とダメ押しをしてくる。(皮肉な話であるが、タクヤイチコン氏はこのバカでも弾けるベースが弾けずに7年後にボーカルに転向さされている)
「とりあえずみにいこう」と言い出し、どこぞの資格学校の勧誘のおねえちゃんのごとき手腕をみせたエイスケイチコンは、授業後まんまと連れ出してしまった。

その日は水曜日だったので、梅田のほとんどの楽器やが閉まっていた。ところが何故か阪急の高層ビルの32階とかいう、「なんでこんな場所に楽器やが」みたいなところの楽器やだけ営業していた。

ふつう、楽器やさんというとロンゲのあんまり社会になじめません的なにいちゃんとかが店員さんだったりすると思うのだが、これまたこういう時に限って何故か愛想のいいおねえさん店員だった。

気づいたら、家にはベッドのかわりにIbanezのベース(※1)が横たわることとなった。第一コンバットにギターとベースが揃った日である。

めでたい。

ところが、ベースが加わったのはいいが、弾けるわけではない。というか楽譜も読めない人間が買っても所詮弾きようがないのである。結局僕はベースで音を出すことはできたが、飽きるのに1ヶ月とかからなかった。最初にスキッドロウ(※2)のモンキービジネスという曲をタブ譜(※3)をみてベースでコピー練習したが、どうにもベースだけでやっても地味で仕方がないので、すぐにベースの練習をやめてしまった。ベースはベッドがないお部屋の飾りとなった。

そしてまた何もないまま1ヶ月が過ぎた。

1997年7月、僕は日本で初のロックフェスティバルとなるフジロック(※4)に行った。台風による急病人炸裂により、地獄絵図なロックフェスティバルとなったが、この地獄絵図な話題がむしろバズを生み出し、現在の日本のロックフェスブームにつづくのは周知のとおり。

この時、僕はレッチリのフリー(※5)のベースプレイを初めてみたのだが、これは驚きだった。大抵のバンドのベーシストというのはなんだかとっても地味で、ロッカーのくせに「僕、文化人です」みたいな顔をしてる人が多いのだが、彼はふるちんになってアヒルさん踊りみたいな明らかに勝手なことをしており、まさにロッカーだった。ここで、単純な僕は、「おぉ、ベースすげぇ」と思ったわけである。

フジロックから帰って、すぐにエイスケイチコンのところへ向かった。

「おれたち、曲をつくろう!」

こうして、まだコピー練習さえもしたことがないバンド 第一コンバットは、いきなり作曲活動に挑むこととなった。

<つづく>


※1 Ibanezのベース
Ibanezは明治41年に星野書店の楽器部として創業された星野楽器のギターやベースにつけられるブランド名。エレキギターの本国アメリカで唯一成功している日本のメーカーともいえ、「ニッポン人ならIbanezだろ」と言いたいところだが、スティーブ・ヴァイやポールギルバートなどテクニカルなプレイヤーに好まれるブランドであるため、日本でもIbanezを有していることは「テクニカル変態好きです」とアピールしていることに等しい。当時、IbanezはKORNやLIMP BIZKITのベーシストに使われおり、ミクスチャーのシンボル的ベースブランドでもあった。

※2 スキッドロウ
ジョンボンジョビと幼馴染だったデイヴ“ザ・スネイク”セイボを中心に結成されたバンド。ボンジョビの子分的イメージを嫌ってか、91年にはパンキッシュなHR/HM路線のセカンドアルバム「スレイヴトゥザグラインド」を発表。モンキービジネスもその中におさめられている。
非常にメタルちっくな曲であり、ベースだけで練習してもどうにも楽しめない、とても悲しい曲である。

※3 タブ譜
バンドコピー練習をするとき用にバンドスコアなるものが書店で販売されている。このバンドスコア(通称バンスコ)の中に、この弦をおさえたらそのままコピーできますよという、みたまんまのわかりやすい表記になっている譜面があり、それがタブ譜である。これだと楽譜が読めない音楽初心者がコピーすることも、ベースで簡単な曲であればなんとかなる。但し、音感で覚えられないので、タブ譜にかいてある数字(つまりそれがおさえる弦のフレット数になるのだが)をそのままおぼえるというようなことをした場合、まるでバーコードを覚えるかのようなとてつもない数列を呪文のように覚える羽目となる。そしてその行為を続けると、結局「バンドでジャムる」みたいなかっこいいバンドマン的要素には永久にたどりつけることはなく、落ちこぼれとなる。

※4 フジロック
1997年からはじまったフジロックフェスティバルのこと。この年は天神山で行われたが、1999年以降、苗場で毎年開催されており、今年で10周年を迎えた。
第一コンバットでは、エイスケイチコンが9回、タクヤイチコンが6回、ヒコが1回観覧している。
フジロックでは、ここ数年、インディーズアーティストに向けた「ルーキーアゴーゴー!」なる企画を実施しており、毎年オーディションを行っている。ここからは、サンボマスターやアジアンカンフージェネレーションなどもデビューしており、第一コンバットも出場を狙って2005年、2006年と書類と音源からなる応募書類を送ったが、2回とも落選の葉書が届いている。来年度の出演に期待したいところだ。

※5 レッチリのフリー
レッチリとはレッドホットチリペッパーズのこと。最近ではレッチリのことをホッチリという人もいるらしい。
メタル色の強かった当時の日本にオルタナティヴを一気に普及させるきっかけとなったのはフジロックにおけるレッチリ演奏中のボーカル・アンソニーが骨折した腕をつったまま、嵐に向かって叫ぶ写真がロック雑誌で取り上げられたことによるのではなかろうか。その後、1999年発表のカリフォルニケーションで「レッチリ」は一気に日本の洋楽好きの共通言語となり、ミュージックステーションでタモリと共演するほどお茶の間の人となった。
第一コンバットにしては珍しく、メンバー全員が聴いているアーティストでもあり、アザーサイドやカリフォルニケーションがコピー練習で用いられていた。

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ここまで読んでしまったのに、この第一コンバットコミュニティに加入していない人は、みんなこのコミュニティに加入しよぅ!!
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10834075&comm_id=410594

コメント(12)

僕はフジロックに2回行きましたよ。ケミカルの時とビョークの時。間違えないでくださいな。
おぉ、なんかみんなで話して問題解決!だね
というかバックトゥーザフューチャーは知らなかった!!
なんと2も3も出てるらしい。
もう一度これはみてみないと!
>キラリンさん
ファンクとは何やろうと風呂に入りながら考えました。
正確な定義とかは知らないのですが、
リズムが立ってて、体がぐいぐい動かされてしまう
不思議な音楽やと思います。

ジェームスブラウンなんかが大家なのでしょうが、
スライアンドザファミリーストーンや
ファンカデリックはロック寄りで聴きやすいと思います。
ミーターズなんかも少し変わってて面白いです。
みんなリズムが楽しくて、魔法みたいです。
>キラリンさん
是非。JBは濃くていいですよ。ライブではセックスマシーンという名曲を40分やるらしいです。
スライストーンのベスト盤なんかも垂涎の名曲ぞろいです。

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