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ダイオキシン中毒(カネミ油症)コミュの[GEN 619] 枯葉剤機密カルテル【第33回】

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     世界の環境ホットニュース[GEN] 619号 05年11月13日
     発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
           枯葉剤機密カルテル(第33回)         
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 枯葉剤機密カルテル                    原田 和明

第33回 第二の油症

1970年8月19日の 毎日新聞は「第二の油症だ。三井東圧化学大牟田で20人。農薬
製造で2年前から症状、治療効果全くなし。」との見出しで、枯葉剤245Tと
その原料 245TCP(トリクロロフェノール)を製造していた工場 従業員と
カネミ油症被害者の症状が酷似していることを伝えています。PCB(ポリ塩化
ビフェニル)でも枯葉剤と同等の人的ダメージを与えることが、少なくともこの
時点ではわかっていたことになります。(以下引用)

 福岡県大牟田市の三井東圧化学大牟田工業所の農薬工場で働いている従業員20
 人(組合調べでは30人)がカネミライスオイル患者と外見がそっくりの有機塩
 素中毒に罹っていることが判った。症状は顔、首筋、背中に黒いニキビが一面
 に噴出している。同じように有機塩素中毒による油症の治療がはかばかしくな
 いように 今度の中毒も 熊本大学などで治療しているが、一向に 好転しない。
 医師も将来内臓にも異常がでないとは言えない。」と言っており、中毒患者は
 不安な日々を送っている。

 有機塩素中毒患者が発生したのは除草剤245TCP(注:実際は除草剤24
 5Tとその原料245TCP)を製造している同所の農薬工場と実験室。同社
 は昭和42(1967)年10月に 245TCPの製造を 始めた(注:このとき始め
 たのは245Tの生産)が、1968年夏頃から実験室、工場で働いている従業員
 の顔や首筋にブツブツがでるようになった。大牟田市内の病院や熊本大学付属
 病院で治療を受けているが2年後の今も完治した者はいない。

 このため労組は(1)中毒している者は 全員人間ドックに入れ、精密検査を受
 けさせ、所見あるものが 発見されたら 適切な処置をとる。(2)中毒患者に対
 する抜本的な治療対策を立てること、を要求。今後とも中毒患者の発生がある
 なら生産を中止するよう申し入れている。これに対し会社側も「スタート時の
 混乱で患者がでた」ことを認め、245TCP の生産体系を 再検討している
 (安達倫也事務部長)と言っている。

 なお、同社では7〜8年前にも245TCPと同系の除草剤PCP(ペンタクロ
 ロフェノール)の製造中に同じ症状の患者がでてPCP製造をやめたが再び同
 じミスを繰り返した。カネミ油症患者の場合は、ライスオイルの中に有機塩素
 剤PCBが油の摂取とともに体内に入って中毒を起こしたが今度の場合は侵入
 経路はわかっていない。有機塩素剤が製造過程で微粒子か蒸気で吸い込まれた
 のか、あるいは皮膚から吸収されたとの見方が強い。
 
 治療に当たった熊本大学・野村茂教授(公衆衛生学)は「現在の医療水準では
 完治は難しい。今のところ皮膚症状だけだが、油症も最初はそうであったよう
 に、将来 体の内部、特に 肝機能や 血液系の異常がでないとは断定できない。
 今後も農薬工場で同様の中毒が起こる恐れがある。245TCPは低毒性とい
 うことになっているが、単に毒性検査ばかりでなく、人体への刺激性試験をし
 てから生産体系を作るべきだ。」と警告している。(引用終わり)

野村茂は、三度に亘り三西化学周辺住民の健康診断を行い、1972年に三井東圧化
学で行なわれた「人体実験」の担当医で、「今更実験しなくても症状はわかって
いる」と言いつつ「実験は合法だ」と語った人物です。「人体実験」の1年半前
に「人体への刺激性試験をしてから」と事前の実験を会社に推奨していたことが
わかります。記事のもうひとつの注目点は「1962〜63年頃、PCP工場でも従業
員に同様の症状が見られたこと、その後三井東圧化学ではPCPの生産を中止し
たこと」です。

私はGEN601号(第16回)で 60年代前半に三井東圧化学が生産していたPCP
とは実は枯葉剤原料245TCPだったとの仮説を提起しました。同じ枯葉剤原
料を生産していたなら、その従業員に同じ症状がでても不思議ではありません。
そして、年代は不明ながら三井東圧化学がPCPの生産を中止していたとの記載
には驚きました。日本国内でのPCPの需要は枯葉作戦中止まで続いていて、三
井東圧化学社史では 60年代半ばにPCPの製法転換を図ったこと、国内 他社は
PCP生産を断念し、60年代後半は三井東圧化学が唯一のPCP供給メーカーに
なったことが記されています。

そして60年代半ばといえば、ダウ・ケミカル社が245T工場を「ダイオキシン
低減化」製法に転換した時期にあたります。そして横浜国大教授・中西準子が指
摘したように三井東圧化学はダイオキシン低減化の手法を知っていたわけですし、
同時期に 三井東圧化学は 大牟田工業所を 代表する 除草剤として商品名をMO
(M:三井、O:大牟田)とするCNPを開発しています。そして1960年代後半
には台湾苛性会社安順工場が東洋一のPCP工場を建設した時期であり、製品は
ほとんど日本に輸出していました。(GEN594号既報)

ここから導き出される結論は以下の通りです。

三井東圧化学は ダウ・ケミカル社より 製法転換の技術指導を受けましたが、ダ
ウ・ケミカル社のような大型投資はせず、小型の実験工場程度の建設に留めたも
のと考えられます。だから事故の現場は「同所の農薬工場と実験室」と報道され
ましたが、実態は「農薬工場を兼ねた実験室」ではなかったかと思われます。一
方、枯葉剤原料245TCPの大量生産は台湾苛性会社安順工場に委託。従来の
工場については休止せず、新除草剤CNPの原料供給工場に転用したと思われま
す。CNPの生い立ちが製法転換前の枯葉剤原料ですから、ダイオキシンが社会
的に問題となるたびに、製法をチェックしてダイオキシンを減らしていたものと
思われます。それを2000年に中西準子から指摘され、図星だったために三井化学
(旧・三井東圧化学)と農水省は狼狽したのでしょう。

毎日新聞は同日の夕刊で続報を掲載しています。(以下引用)

 三井東圧化学大牟田の立入調査始める。
 事故を重視した福岡労働基準局は大牟田労基署とともに19日朝から同農薬工場
 の立入調査を始めた。同労基署に報告された中毒患者はこれまで入院2人、労
 災補償に伴う療養給付申請20人の計22人とわかった。

 中毒患者が最初に発病したのは問題の245TCPの操業開始直後の1968年1
 月頃。農薬製造工場だけで15人が中毒に罹った。このため大牟田労基署で調査
 した結果、68年7月24日 労働基準法42条の安全衛生規則違反として会社に改善
 を勧告。会社側も直ちに改めた。

 ところが245TCP工場とは別のモノクロル酢酸小工場に勤めていた従業員
 7人が次々に発病した。(引用終わり)

モノクロル酢酸とは245TCPと反応させて枯葉剤245Tを作る原料のひと
つです。以上の記事から、三井東圧化学の枯葉剤工場従業員とカネミ油症被害者
はほぼ同時進行で推移し、極めて酷似した症状を呈していることがわかります。
その状況下で農林省は「米国ヒナ水腫事件の原因は未解明」との偽情報をだし、
カネミ油症事件へとつながるダーク油事件の原因究明を遅らせています。

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