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作家志望、小説家志望コミュのtwitter感覚☆ つぶやきトピ2

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前トピに続いて、パート2ということで……。


・このトピでは、何をつぶやいてもらっても、結構です☆
・小説などに全然関係ないつぶやきでも、全然構いません!

※なお、このトピは、レス禁止です^^

個人を特定するつぶやきは、やめて下さい。

コメント(271)

合評会で現実と違うことをバシバシ叩かれた。知ってる人は知ってるが調べようがないことが一番困る。叩かれるのはやっぱりつらい。
ワイヤレスキーボードが突然使えなくなったので、古いノートPCを使っている。
一太郎は問題ない、というか、むしろ快適(ATOKのバージョン的に)だけど、ネットが重い。
今年の自分は去年の自分を超えられていたのだろうか・・・・と不安に思いつつ、今年が終わろうとしている orz
志望とは……

志し望むことexclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2



こんなん言っている私は作家への道は遠そうだwwwヽ(´▽`)/

さ、コンタクト外すべ〜ε=┏( ・◇・)┛
いかん。志望とは……、出し惜しむこと、と読んでしまった。本当に目が悪くなったなあ私。重度の近視と老眼と緑内障のトリプルだ。
最悪な年越しでした。でも、そんな出来事やシチュエーションもネタの一つになるかなと、身を削る自分。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
ガチで年賀メッセージ終わらないお。(´;ω;`)
これだけで三が日終わるお。(´;ω;`)
しかもFaceboo満月、一定人数超えたら、制限かかるおww。スパムじゃないってば。恋愛以外はリア充なだけだ。(´ω`)
テンション上がりすぎて、眠れなかったふらふら
執筆中はすぐ眠くなるのにたらーっ(汗)
賞に応募するつもりで8月の終わりまで書いていた小説があるけど、海外旅行の準備で忙しくなって、結局お蔵入りになったというたらーっ(汗)
その主人公と同じ名前の女子高生に出会った。けど、そんな小説を書いていたことさえ、今日まで忘れていた。
なんで、出会ったときに思い出さなかったんだろう。
そのとき読んでいた小説の主人公が、偶然にも同じ名前だったから、そっちの印象に消されてしまったのかも知れない。

書きかけの小説には、ピアノに関するエピソードがある。その子も、ピアノを習っている。
更に、物語の鍵を握る、変な小動物が登場する。その子も、変な動物ばかり飼っている。

これが、シンクロニシティという奴だろうか?

事実は小説より奇なり。
もうだめだ、電話こねぇ! なのに諦めきれない自分がいる。気持ち切り替えられればいいのに。
お〜い、もう1月が終わるぞ。一年の12分の1が早くも去ろうとしている。
 私は普段からメモ帳を持ち歩いている。覚えておかなければならないことはもちろん、興味の惹かれる話や、本を読んでいる時にみつけた気の利いた一節、ふと思いついたこと、なんでもとりあえず書き留めておく。世の中には、暗算では計算できない算数がたくさんあるように、文章に書かなければ理解できない事柄もたくさんある。そう思うので、なんであれ字に書いてみることは大切だと私は考えている。

 そして走り書きのメモを取りながら、インクの出が悪いボールペンにたびたび腹を立てる。

 ボールペン自体は好きで、どこにいる時もよく使う。筆圧が弱くても黒々と字が書けるのは便利だ。冬の寒空の下、かじかんで力の入らなくなった手にやさしい。普段から持ち歩いているメモ帳は、出したりしまったり、乱暴にポケットに突っ込んだり、扱いが悪い。だからページ同士がすれ合って、鉛筆やシャーペンで書かれた字だと擦れてぼやけてしまうこともある。ボールペンならその心配がない。

 インクの出が悪いボールペンの罪は、インクが出ないことではなく、出たり出なかったりすることにある。完全にインクが出ないボールペンなら捨てればよい。出たり出なかったりするから捨てるに捨てられない。例えば「インクの薄いボールペン」なら、薄墨の筆ペンのように用途があるだろう。インクの出が悪いせいで、「必ず点線のようになるボールペン」なら、キリトリ線か何かを書くときに重宝するかもしれない。

 書けたり書けなかったりするという予測可能性のなさが、価値や用途を不明確にするがゆえに不便なのだ。どんな欠陥があるものでも、必ず同じ欠陥を示し、恒常的に使えるならば、それ相応の使い方が見いだせる。

 そして子供の頃から今に至るまでインクの出が悪いボールペンと私はどこか似ている。
 「いいや、インクの出が悪いボールペンにも用途はある。例えばインクの出が悪いボールペンを手に取り、ノートを開いて星マークを描いてみよう。線が途切れることなく五芒星をきれいに描けたら本日はラッキーデーだ。占いくらいには使える。

 モノには本来、意味も価値も用途も無い。意味を付与するのは人間の認知だ。意味や価値や用途を発見できない人間がいるだけで、いかなるモノにも罪はない。チャールズ・M・シュルツ『ピーナッツ』のスヌーピーは"You play with the cards you're dealt...whatever that means."と言う。配られたカードでできる勝負を考えるしかない。持っているものがインクの出が悪いボールペンだけなら、それでできることを考えよう」

と考えることもできる。持ってる道具が不便だという認知的不協和を「買い換える」という行動レベルで解決するのではなく「それなりの用途を見出す」という認知レベルで解決する方策だ。ボールペンくらいなら「いや、買い換えろよ」と気楽に言えるが、より複雑な問題、どうにもならないように思えること、問題解決にかかるコストが大きい場合などは、こちらの方策の方が有効な場合もあるだろう。

 いま私の出身大学(多摩美術大学)が事務職の募集をしていて、一次専攻にレポート課題を課している。テーマは”「少子化時代を生き残るための提案」大学を取り巻く環境についてまとめ、“本学”が少子化時代を生き残るための提案をしてください。(2/7必着)”というものだ。

 私ならどう答えるだろうと考えながら、大学時代のことを思い出す。これを治せばもっといい大学になるのに、と私が感じた大学の不便な点は数多い。

 だがこの不便感にどれだけ一般性があるのかを測るのは面倒だ。多数の人が問題だと認識する事実が実在するのか、それとも、問題だと感じている私の個人的な認識が存在するだけなのか。問題は外部にあるのか、環境に適応できない私の内部にあるのか。おかしいのは学校か、私の頭か。そこそこの規模のある調査や統計で裏付けできない私見は、もし書くにせよ添える程度だなと思う。でも厄介なことに、美術大学に関する規模のある調査というのがそもそも少ない気がするから、何を書くにも面倒だ。

 多くの学生は学校の問題にあまり関心がないようだった。結局大学なんて4年で卒業するのだから、学校の改善に時間や労力というコストを割いたり、意見を異にする教員や職員、学生と対立するリスクを支払うメリットは必ずしも大きくはない、学業や個人的な人生に専念するべきだ、と意識的にか、無意識的にか、判断してのことだと思う。不便があっても認知レベルで解決したほうがメリットは大きい、という判断だ。

 江國香織が『思いわずらうことなく楽しく生きよ』という小説を書いていて、読んだことはないがタイトルが気になっていた。やっかいな言い回しだなぁと思っていた。
全然無関係な人間であっても、障害者に対する中傷は気分が悪いものだ。自分が健常者だった頃は、そんなことをいうのは表現の自由に反する間違いだと思っていたけれど、障害者手帳を持つ身になってしまうと、やはり人ごとではなく気分が悪い。立場によって考え方って変わるものだなあ。
 深夜、ラジオをつけてPCに向かう。ぼんやりとぼけた頭でネット掲載の政府統計から必要なデータを探し、Excelに数字を打ち込み、グラフを作る。この作業を2・3時間続けていると『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』のOPが流れてきた。聴くともなく聴いていると、突然気がつく。「『sailor moon』「月」と「船乗り」」か。あるいは「『sailer moon』、月と帆船・・・なかなかポエジーなイメージじゃないか?」

 そのイメージを頭のなかで検討する。闇夜、私は船乗り。1人漂流している。眼前に広がる墨色の海に夜空の星々のきらめきが映っている。海と空の境界が分からないほど深い暗闇がどこまでも続いている。水平線は存在しない。まるで宇宙だ。どこに向かえばいいのか分からない。見慣れた星座がひとつもないのだ。ここは地球じゃないのかもしれない。しかし大きな「月」が明るく輝いている。地球じゃないのならあれは「月」ではないのかも知れない。だが「月」と呼ぼう。「月」の方角に向かえば「島」があるのかも分からない。しかし目印がこの「月」しかないのだから、これを目指すより仕方がない。それでも潮流と風は「月」の方角へ船を進ませようとしない。だからただ「月」を見続けることしかできない。「月」のお陰で方角は分かるようになった。それでよしとしよう。しかし、自分はいま月から遠ざかっているのだろうか? 近づいているのだろうか? 

「月」という目印は、方角を示すが距離は示さない。「月」というのはそういう存在の象徴だ。いいぞ、これはいいぞ、という思いが次第に高まってくる。この思いを誰かに伝えたくなる。ブログを開く。

 このタイミングでちょっと頭がおかしいなと自覚する。
最近、mixiの利用頻度が劇的に落ちた。
五輪って残酷すぎる・・・・

でも、この感慨を書いたら、「手垢の付いた内容」「既視感たっぷり」と評されてしまうんだよな。

誰もまだ見た経験のない、読んだ覚えのないモノを書かなきゃならない。

小説って難しすぎる・・・・
誰もかれもが、オリンピック大好きだとは限らない。

きっと大多数の人は大好きなんだろう。

でも、ね。
 今度TOEICを受けるので英語の勉強をしている。そこでハフィントン・ポストの本国版(アメリカ)記事を読んでみることにした。分からない英単語や言い回しを辞書で調べていると普段使わない言葉、自分の語彙になかった表現を見つけてなかなか楽しい。

「10 Things You Didn't Know About The Birds And The Bees 」(http://www.huffingtonpost.com/2014/03/26/birds-and-bees_n_5028701.html) というタイトルの記事をトップページで見つけた。動物行動学の記事かと思いつつ、なぜ鳥とハチなのかよくわからなかった。

 そこでググってみると「《口語》 性に関する初歩的知識, 性教育の基礎知識 《★【由来】 子供に鳥やハチの性の習性を例に教えることから》」.( http://ejje.weblio.jp/content/the+birds+and+the+bees )とある。なるほど、と思いかけたが、鳥やハチの性の習慣を例に英語圏ではどんな性教育をしているのだろうと謎は深まるばかりである。
 図書館で村上春樹の『1Q84』の英語版( translated by Jay Rubin and Philip Gabriel )を見つけた。全3巻の作品を1冊にまとめているのでちょっとした辞書のような厚さだ。噂には聞いていたが、表紙のデザインが和風になっていておもしろい。「一二三」ときたか、と思う。

 適当に開いたページを読んでみた。ちょうど章の冒頭だ。章題は「IS THIS WHAT THEY MEAN BY BACK TO SQUARE ONE?」(729P)。原作Book3の「第13章 これが振り出しに戻るということなのか?」(249P)にあたる。「back to square one」で「振り出しに戻る」。すごろく的なゲームをイメージした表現なのは日本語・英語で変わらないようだ。

この章に「 But man of few words he was able---probably unintentionally---to conceal how boring and ignorant he really was.」(730P)という文がある。「しかし口数を少なくすることによって、おそらく意図的にではないのだろうが、彼はその退屈さと愚昧さを世間の目から巧妙に隠していた」(251P)の訳だ。だが読んでいたとき私は"unintentionally"の意味が思い出せなかった。

 そこでweblio辞書で調べてみた( http://ejje.weblio.jp/content/unintentionally )。

【副詞】1 故意でなく (without intention) 
・she hit him unintentionally  彼女は彼を何気なく殴った

 なるほど、と思いかけたが、例文の訳「彼女は彼を何気なく殴った」って味わい深いなと思う。
 「『意図的にではないのだろうが』殴った」なら分かる。それなら、きっと「彼女」はラジオ体操第1の体をねじる運動をしていたのだ。そのとき彼女のそばを、たまたま彼が通りかかる。腰のひねりで加速された彼女の拳が偶然彼の頬を殴打する。
 「あ、ごめんなさい!」と彼女は慌てる。「いや、いいんだよ」と彼は爽やかに彼女を許す。「よくある事故さ」

 でも、何気なく彼を殴っちゃう彼女というのもなかなかいいなと思う。「何気なく」、すなわち特別な意図や深い考えがあるわけでもなく彼を殴る彼女。ライトに捉えれば不器用なコミュニケーションの形であり、ツンデレの香りがする。重く捉えればただのDVである。辞書に載っている英語の例文には、ときおり想像力を刺激する素敵なフレーズが潜んでいる。
現実と小説は違うと改めて思いました。年下のイケメンと甘い空気、小説→甘い恋愛に発展。現実→恐怖に近いかも。……最近の若い人は気が早いのね。(^_^;)
ゴールデンウィークの只中というのに仕事とは・・・orz・・・・なんて日だ!
小説を書き始めて5年目、ようやく新人賞の1次選考通過。
2次選考には残れなかったけれど、
「はじめの一歩」「千里の道も一歩から」ということで、
更に精進していきたい。
1次選考で落ちてしまった文学賞。
でも、送られてきた文芸誌を見たら、
『候補作以外に注目した作品』の一つとして、
選考委員の先生からの選評を頂いていた。
「見てくれている人がいる」と思うと
モチベーションが上がる。
初心に立ち返る。

・万年筆(昔のを掘り起こしたもの)
・原稿用紙(100均で)

うむ、準備よろし!←
 承認された。メールで連絡があって、忘れていたコミュを、思い出す筈が、曖昧。
 mixiで小説を地道に書いてる人って今はかなり少ない気がする。読もうと思えば、かなりの確率で他所に誘導される。何故か。mixiが匿名性を守っているから。名を売りたい人には向かないということだろう。私は小説や詩をきっかけにした交流を楽しみたい。

 小説は固めに書いてるけど、コメントは柔らかめ。私の中で小説のイメージは昭和色をしてるのでそんな感じが心地いい。
 まだ初心者だな。クラシック音楽を奏でるように文を書けるようになりたい。よく迷うのが、語尾の、過去形、完了形、現在形、現在進行形の混在具合。書くしかないんだろうけど。いや、読むという手もある。読むの遅いからなあ。
終わり
 
先日、慶事があり上京した。
広島から東京までの間、ずっと乗客を観察していた。
小説というより、紙媒体を読んでいる人がいない。
大人から子供まで、みなスマホやPSでゲームをしている。
頭ではわかっていたが、これで本が売れるはずがない。
小説というコンテンツの終焉をあらためて痛感した。

人間の物語に対する欲求自体がなくなったわけではないだろう。
TVや映画やRPGの中に物語はあり、日々消費されている。
ただ、紙媒体内にあるものが求められなくなっただけだ。
しかし、それが致命的だ。作家が食えない。

プロでさえ少ないパイを奪い合っている時代に、新人が出る余地があるのだろうか。
かつて裕福であった出版社、新聞社が次々に倒れ、あるいは資産を切り崩しながらかろうじて存在を保っている状況で、まだ新人に投資しうるとは思えない。
圧倒的な速度で携帯電話が普及していく現実の中で、固定電話器を大事に磨いている自分の姿が見える。

学生時代、小説の指導をしてくれた師から、
「健康でなければ基本的には小説は書けないよ」
と言われた。

一時期に比べると、だんだん読めるように、少しずつ書けるようになってきたけれど、自分のピークを知っていると厳しい現状。

すでに投稿してしまったものに関してはとりあえず行方を見守りつつ、健康を目指しますか。
先日、学生時代の恩師に、最近書いた作品を読んでもらった。

ダメ出しはたくさんあったけれど「趣味で書く以上の水準」「どこかに投稿してみなよ」と言われた。

まだ本調子ではないけれど、少しずつ感覚を取り戻している実感でいっぱい。

読書もいいペースでできているし、嬉しい限り。
乱歩賞の締め切りをクリアして以来、することがなくなった汗
ヒマでヒマで、、、
自由業だからお金はないけど、時間だけはあるんだよなぁ。。。

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