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Hannah Arendtコミュの『全体主義の起源』

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彼は不機嫌である。仕事でも人付き合いでもうまくいかず、チームプレイによる達成感というものを味わったことがない。とりたてて親友という者もおらず、仕事を失うのではないか、という不安に絶えず苛まれてもいる。不安と孤立感とが彼を苦しめ、時々自分でも驚くほどの残忍な感情にかられることがある。社会的な連帯感なんかクソクラエと感じており、ほとんどの社会制度や政党活動などは自分には無縁の世界のことだと思っている。時折自分をとらえる衝動は、悠久の昔から無条件に自分が属していたこの日本民族という抽象的な帰属観念であり、この観念と衝動とにより、朝鮮半島や中国に存在する人間群は、自分とはまるで種類の異なる存在のように思える。仕事を失う不安感や社会制度への不信感から、生活保護受給者への違和感が強く、在日に対してと同様、社会保障制度の恩恵に預かっている者への軽蔑の意識を強く感じる。時間潰しに参加しているSNSでは、大衆のひとりを装った匿名の陰に隠れて、在日や生活保護受給者に対して汚い言葉で攻撃を仕掛けるが、匿名を離れればとてもそんなことを言う勇気はない。自分と同じようなやり方で匿名の攻撃を仕掛けている連中も目にするが、「やってるな」と思うだけで、連帯感などという感情はまったく湧かない。そんな連中と会ってみようなどということは髪の毛ほども考えたことがない。そんな連中と会えば、互いの精神的貧しさをいやと言うほど感じ、孤立感をさらに深めてしまう。そのことは直感的にわかる。仕方がないので、きょうも匿名性の陰に隠れて、汚い言葉の攻撃の大波の中に揺られている。いっそのこと、この大波を一挙にさらってどこかに連れて行ってくれる、そんな激情的な強烈な力が現れないかな。不安と不信の裏に残忍な攻撃性を隠した大衆の波に揺られながら、彼はぼんやりと夢想して日々を過ごしている。

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ハナ・アーレントの『全体主義の起源』を読んだ。欧州における反ユダヤ主義の起源を説き起こしながら、政権を取るまでにナツィがいかにこの反ユダヤ主義を大衆操作の道具として活用していったかを分析する。ヴェルサイユ体制下の経済恐慌の中で常に失業の不安に苛まれていたドイツ国民は孤立感と焦燥感に駆られて「反ユダヤ主義」、「外国人に対する敵意」を育てていく。国内で排撃されたユダヤ人、外国人は、「無国籍者・無権利者」、あるいは「亡命者」となって生活の場所を失っていく。


――生活の広い部分が公的問題の対象とされるようになった高度に発展した政治共同体は、つねに外国人に対する敵意を示す傾向がある−−もはやドイツ人、ロシア人、アルメニア人、あるいはギリシャ人としては認めてもらえなくなった彼らは、ただの人間以外の何者でもない。−−彼らが世界に対して何らの関係も持たないこと、彼らの無世界性は、殺人の挑発に等しいのだ−−世界に対して法的にも社会的にも政治的にも関係を持たない人間の死は、生き残った者にとって何らの影響も残さないという限りで。たとえ人が彼らを殺しても、何ぴとも不正を蒙らず苦しみさえ受けなかったかのように事は過ぎてしまう。


アーレントの言う「大衆」は、個人主義や利己主義が世間的に敗残し、「自分はいつでもどこでも取り替えがきく」という負け犬的な感情に支配されると同時に、またその感情と裏腹に「世界観的な問題」や「歴史の幾時代をも占め幾千年の後までも跡の消えることのないような使命に選ばれて携わるという大いなる幸福」に酔い痴れたい願望に浸された人間群である。そのようないわば「没我」的状態に陥ったアトム的状態の大衆がユダヤ人や外国人を排撃し、その排撃自体の中にドイツ人の「大いなる幸福」を味わっていく。

アーレントは、全体主義について、ナツィ支配とともにスターリン治下のボルシェヴィズムを名指しする。スターリンは、ヒトラーとちがって、「絶滅」政策によって人間の連帯の芽を摘み、アトム状態の大衆を人為的に作り出していく。? 少数民族と自治ソヴェートの絶滅、? 農民階級を嚆矢とする諸階級の絶滅(ウクライナでは1年間に800万人の死者)、? スタハノフ制度などによる労働階級の清算、? 仕上げとしてソ連管理者層の清算(GPU自身の粛清)

人類史上初めて出現した「全体主義」システム。それをもたらしたヒトラーとスターリンの方法は複雑ではない。問題はただひとつ、彼らが大真面目にそれを実行したということだ。


−−二人の全体主義的支配者がそれぞれのイデオロギーを武器に変えるのに用いた方法は、あっけないほど単純で平凡なものだった。彼らはそのイデオロギーを大真面目に考えた。−−二人ともイデオロギーの含む内容をその究極の論理的一貫性にまで突き詰めようとした。この一貫性は傍観者の目には途方もなく〈素朴〉で馬鹿馬鹿しく見えるほどである。つまり、「死滅する階級」は死ぬべく定められた人々から成り、「生きる資格のない」人種は絶滅されねばならぬというわけなのだ。−−殺すという結論を引出さぬ人間はすべて、愚者であるか卑怯者であるかいずれかにすぎなかった。行動の指針としての過酷な論理性は、全体主義運動と全体主義的統治の構造全体に浸透している。これはヒットラーとスターリンとを俟ってはじめて実現されたことである。この二人は−−ただこの理由だけで最も重要なイデオローグとみなされねばならない。


ヒトラーの「過酷な論理性」はまず純潔ユダヤ人に向けられた。次いで半ユダヤ人と4分の1ユダヤ人、さらに計画ではポーランド人とオランダ人、ロレーヌ人、アルザス人、ドイツ人の中での精神病者、心臓疾患病者、不治の病者、不治の病者の家族、外国人と婚姻・姻戚・友人関係にあるすべてのドイツ人が処刑、追放の計画対象となった。スターリンにおいては、かつての貴族・ブルジョア階級、農民階級と官僚階級、ポーランド系ロシア人、クリミア・タタール人、ヴォルガ・ドイツ人、被捕虜ロシア人、西方駐在ロシア人、そして最後にユダヤ人。

アーレントの言う全体主義は、静的な国家体制ではなく、動的な運動である。組織の中で、人々の中で常に粛清のテロルが動いていなければその推進力を失って倒れてしまう。このためテロルの対象は恣意的に変化し、恐怖の意識と支配の構造は組織、人々の全体に、それこそ隈なく行きわたる。その「過酷な論理性」は、Aと言えばBと言うことを求める。さらに、Bと言えばCを言わなければならない。そして、過酷な論理性の連鎖は鉄の法則をもって最後の宿命的なZを断言するに至る。

この鉄の法則を免れる道はないのか。アーレントは最後に、鉄の法則を破る言葉を提言する。


−−この強制と、矛盾のなかで自己を喪失しはすまいかという不安とに対する唯一の対抗原理は、人間の自発性に、「新規まきなおしに事をはじめる」われわれの能力にある。すべての自由はこの〈始めることができる〉にある。
−−始まりというものは、それ自体すべての終りに含まれているのであり、いや、終りというものが本来われわれに約束してくれているものなのだ。−−「始まりが存在せんがために人間は創られた」とアウグスティヌスは言った。この始まりは常に、そしていたるところにあり、準備されている。その継続性は中断され得ない。なぜならそれは一人ひとりの人間の誕生ということによって保障されているのだから。


きみの意識も感情も大きい大衆の波間に揺られている時、きみはきみ自身の始まりの「A」を言えるか?

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