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帆船小説が好き!コミュのラミジとホーンブロワー

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ラミジの第一巻読了しました、ラミジは明るくて、前向きなキャラクタです,好感が持てます、まあ影がなさ過ぎの感ありですが、21歳の青年だからいいでしょう,ところでこんな事が書いてありました、ラミジは候補生時代ホーンブロワーと一緒だったと、「イタリアの海」p180-181、ホレイシヨーに球面三角法を習ったと、さらに彼にホイストをさせられたと、同p247。それで気になって調べてみたら、ラミジは1775年生まれ、88年度に海軍に入り94年に任官、一方ホレイシヨーは1776年生まれ94年に海軍入り、ということは候補生として一緒だったのは一年間以内、加えて、ラミジはホレイシヨーと一緒だったのはスパーブ号だったと、でも当時ホレイシヨーはジャスティニアン号に配属され,例のシンプソンのいじめに悩まされていたのでは??どなたかこの話をうまく解決してくれませんか?

コメント(4)

ちょっと調べてみなくはいけませんが、ホーンブロワーは、決闘事件後すぐにジャスティニアン号を退艦して、エドワード=ペリュー艦長の指揮するフリーゲート艦に移っているのではなかったかと・・・
ペリューがインディの艦長になるのは95年なので
その間、スパーブ号だたのでは?
戻ったら、調べてみます。

ホレイショ・ホーンブロワーの生涯とその時代 によるとHHは1794年のいつかジャスティニアン号乗船 4ヵ月後、シンプソンとの決闘騒ぎにより新兵練習艦モデストに移り、その期間に改造中のインディファティガブル号の構造を勉強し、「時鉦と将旗」の事件をきっかけにアレスーザ号の艦長だったペルーに知られ、アレスーザ号に転属したのが74年4月のことであると記載されています。ちょっと矛盾があるような気がしますが・・
ま、74年にはペルーの指揮下にはいっているので、そこでラミジと出会ったのでしょう。
とりあえず・・
パーキンソンでしたか!その手があったんですね、早速本棚の奥からホコリのかぶったヤツを出して来て確認しました,しかしアレスーザ号の事がパーキンソンの言う通りだとすると、「海軍士官候補生」の半分くらいがインディが舞台じゃない事になるんで、これは矛盾どころではない,と---やはり、ラミジとホレイシヨーがあったのはインディでの事なのでしょうね。まあ,ダドリー•ポープも人騒がせな。でもこの設定ですからラミジとホレイシヨーを編年で見て行くと面白いかも。
ラミジ第2巻です,ここにはホレイシヨーとの関係は触れられてはいませんが、面白い暗合があります。1796年秋ラミジはコルシカからカッター艦キャスリン号を指揮してジブラルタルに向かうのですが、スペイン艦隊の真ん中に入り込んでしまい捕虜になります。この艦隊は翌年二月カルタヘナを出港してサンビセンテ岬方面に向うのですが、その途中でさまよい込んでしまった拿捕船ル・レブ号を捕獲します,コマンダーはもちろんホレイシヨー。この二人数ヶ月の差で同じ艦隊に捕虜になるのです,さてラミジは97年1月末カルタヘナから脱出しサンビセンテ岬の海戦に参加しますが、ホレイシヨーは北スペインのフェロルに送られそれから二年間の捕虜生活をおくる事になるのは御存じの通りです。

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