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史跡コミュの九十九坊廃寺跡

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 千葉県君津市内箕輪191
https://www.google.com/maps/place/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E5%9D%8A%E5%BB%83%E5%AF%BA%E9%98%AF/@35.3280666,139.9292746,17z/data=!3m1!4b1!4m6!3m5!1s0x60180dc773c4d73b:0x848f128027a3d7eb!8m2!3d35.3280622!4d139.9314633!16s%2Fg%2F11h7ftl46s
 1935年12月24日、千葉県が史跡に指定。

 小糸川下流右岸の標高27mの台地上に立地する7世紀末建立寺院の跡地で、上総国周淮(スエ)郡の郡寺だったと推定されています。
 戦国時代に北条・里見両氏の合戦で炎上したとの伝承があり、近くの鐘ヶ淵へ梵鐘が投げ込まれたとされています。
 昭和8(1933)年に内務省神社局考証課の大場磐雄(オオバイワオ;1899〜1975)の調査で三重塔跡が確認され、昭和59(1984)年から翌年に掛けての千葉県教育委員会による発掘調査で講堂や中門の跡も確認されて、法隆寺式伽藍配置だったと可能性が高まりました。
 平成7(1995)年には、廃寺西方の八重原公民館建築工事に伴って、寺域を区画する溝、奈良・平安時代の掘立柱建物跡、鍛冶工房跡を有する南子安金井崎(ミナミコヤスカナイザキ)遺跡も確認されています。
 塔跡は東西7.5m・南北9.0mの基壇上に凝灰質砂岩(ギョウカイシツサガン)の心礎と側柱(ガワバシラ)礎石5個が残されています。心礎は東西185cm・南北98cmの楕円形で、中央部の孔は直径約50cm・深さ14〜27cmになります。
 伽藍の屋根瓦として。四葉単弁蓮華紋(シヨウタンベンレンゲモン)の軒丸瓦(ノキマルガワラ)や重弧紋(ジュウコモン)の軒平瓦(ノキヒラガワラ)等が出土しています。これらの瓦は、木更津市大久保の牛ヶ作瓦窯(ウシガサクガヨウ)か君津市の大鷲(オオワシ)瓦窯の産だと考えられます。
 出土品の一部が八重原公民館に展示されています。

+鐘ヶ淵
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=99913301

コメント(1)

 3月2日木曜日に訪れました。寒緋桜が咲き乱れていました。

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