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史跡コミュの田中正造の墓および救現堂

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 群馬県館林市下早川町1896

 1973年04月01日、館林市が史跡に指定。

 https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%9B%B2%E7%AB%9C%E5%AF%BA/@36.2774112,139.5519102,17z/data=!4m14!1m7!3m6!1s0x601f256a889cc853:0xa17bd900279f93c4!2z5aSn6LC35LyR5rOK57-B5aKT5omA!8m2!3d36.2556079!4d139.5069886!16s%2Fg%2F11gfjd8n5f!3m5!1s0x601f3aeb774f0ffd:0x75c31fbfda65171e!8m2!3d36.27838!4d139.552719!16s%2Fg%2F12307fjz?entry=ttu

 曹洞宗瑞光山雲龍寺にあります。
 明治29(1896)年に田中正造衆議院議員が当寺に栃木群馬両県鉱毒事務所を設け、更に足尾銅山鉱業停止請願事務所として栃木・群馬・埼玉・茨城の四県鉱毒被害民の反政府活動策源地としました。明治33(1900)年2月には、ここに集結した鉱毒被害民が請願のため上京する途中、利根川を渡ろうとして川俣村(現;明和町)で警官隊によって撃滅されています。
 また、三つ作られた足尾鉱毒被害者救済施療所である救現堂(キュウゲンドウ)の一つが当寺にも設けられて現存しています。
 大正2(1913)年9月4日、田中正造は当寺で没して密葬が行われました。本葬が行われた佐野の惣宗寺や田中家菩提寺の浄蓮寺と共に、当寺にも遺骨が分骨されて墓が設けられています。
 この墓標は正造の没後20年に当たる昭和8(1933)年に渡良瀬川流域住民の浄財で建てられました。高さ6mで、平成6(1994)年に修理されています。
 現在、救現堂には正造の坐像が祭られています。
 田中正造についての詳細は以下を御参照下さい。
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985127979&owner_id=250900

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