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史跡コミュの小泉城跡 附 城之内古墳

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 群馬県邑楽郡大泉町城之内2丁目21−11

 1979年11月30日、大泉町が史跡に指定。

 https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%9F%8E/@36.2613623,139.4114211,17z/data=!3m1!4b1!4m6!3m5!1s0x601f26db70ee72a7:0xc8cb8777d06ccbca!8m2!3d36.261358!4d139.413996!16s%2Fg%2F121_j1cg?entry=ttu

 小泉城は、結城合戦で敗れた結城持朝(1420〜41)の息子の持光が、後に古河公方(コガクボウ)足利成氏(アシカガシゲウジ;1437〜98)から邑楽(オウラ)郡に所領を与えられ、延徳元(1489)年に築いたと伝えられています。周辺には山が無いため、比較的標高の高い33mの台地に造られており、本丸・二の丸・三の丸から成る囲郭式平城です。
 当初は富岡城と呼ばれ、結城持光改め富岡直光を初代とする富岡氏歴代の居城となり、後に小泉城と改名されました。
 その後、富岡氏は古河公方→上杉謙信→北条氏政と主君を変えながら小泉城を本拠とし続けました。北条氏に属していた時期には、大幅な改築が行われ、本丸の北東側や南西側の隅に二層か三層程度の隅櫓があったとも伝えられています。しかし、天正18(1590)年に関白豊臣秀吉が小田原征伐を行った際、浅野長政に攻められて落城し、そのまま廃城になりました。
 現在でも、内堀・外堀が残っており、三の丸南部は大泉町立北中学校になっていますが、三の丸北部(北曲輪)・本丸・二の丸は城之内公園となって整備されています。

 城之内古墳は7世紀築造の横穴式石室を持つ円墳です。東西直径18.1m・南北直径15m・高さ1.5m〜1.7mの規模で、玄室は胴張型玄室と呼ばれる三味線の胴の様な形状をしており、全長5.4m・玄室部長さ3.6m・羨道部長さ1.8m・玄室部幅1.2m・羨道部幅0.5mです。昭和43(1968)年の発掘調査では太刀や耳環(ジカン)等が出土しています。
 元来は小泉城北方の民家敷地にありましたが、昭和53(1978)年に小泉城北曲輪の現在地へ移築、復元されました。

コメント(8)

左・中;三の丸土塁
右;北曲輪土塁
左・中;北曲輪 城之内の百庚申(ヒャクコウシン)
右;外濠
左;二の丸虎口
中;二の丸石垣
右;三の丸

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