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史跡コミュの二宮赤城神社社地

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 群馬県前橋市二之宮町886

 1984年03月12日、前橋市が史跡に指定。

 https://www.google.com/maps/@36.3701666,139.1755047,16z
 二宮赤城(ニノミヤアカギ)神社〔延喜式名神大社〕〔上野国二之宮〕〔郷社〕は豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)と大己貴尊(オオナムチノミコト)を祭ります。
 赤城神社全体の歴史は《https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979155874&owner_id=250900》を参照して下さい。
 豊城入彦命は人皇第10代崇神天皇〔位;97B.C.〜30B.C.〕第一皇子で、上野国造(コウヅケクニノミヤツコ)上毛野(カミツケヌ)氏の祖とされる人物であり、大己貴尊は大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名です。社伝によれば、創建は人皇第11代垂仁天皇〔位;29B.C.〜A.D.70〕の御代だとされています。
 元々は上毛野氏の氏神的存在だった物が、律令時代になって上野国二之宮と定められたと考えられますが、赤城山上の大洞(ダイドウ)赤城神社、中腹の三夜沢(ミヨサワ)赤城神社に対する里宮であり、上野国府から国司が赴きやすい地点にあるため、本社として扱われていた様です。
 しかし、平安後期になって国司の遥任(ヨウニン)が一般化した上、修験道の影響で山上の大洞社への信仰が強まると勢いに陰りが見え始めたため、平安末期頃から格式を強調して巻き返しを図るため「二宮赤城神社」と称する様になります。また、大洞社に対抗するため、三夜沢社と連携する様になった模様で、現在でも4月・11月の年二回両社間での神輿の渡御が行われています。
 建久5(1194)年に源頼朝が安達盛長に命じて社殿造営を行いましたが、永禄年間(1558〜70)に上杉・武田・北条の三つ巴の戦乱が繰り返される中で焼失してしまい、厩橋(マヤバシ)・大胡(オオゴ)城主北条高広(キタジョウタカヒロ)によって再興されたものの、天正4(1576)年に至って小田原の北条氏直麾下(キカ)の南方氏によって焼き討ちにされて壊滅してしまいました。
 その後、天正18(1590)年に大胡城主となった牧野康成が二宮山神宮寺玉蔵院との神仏混淆霊場として社殿を整備しましたが、大洞社・三夜沢社に比して衰勢は否めませんでした。現在でも、国道に案内表示が出ておらず、観光ガイドでも黙殺されている事が多いため、訪れる人は希な様です。
 境内には土塁や空堀が残り、戦国時代には城塞的存在だった事が窺えます。

+時沢の夫婦マツ
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=320240&id=96947759
・旧赤城神社参道松並木
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=96985605
+三夜沢赤城神社のたわらスギ
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=320240&id=96987020

コメント(6)

 3月24日水曜日に訪れました。

左;一の鳥居
中;神代橋と随身門
右;拝殿
左・中;宝塔〔前橋市指定文化財〕
右;土塁と堀跡
左;鐘楼
中;梵鐘〔前橋市指定文化財〕
右;二之宮の式三番叟(附 伝授書)〔前橋市指定無形民俗文化財〕
左;絵馬〔前橋市指定文化財〕
中;御神幸〔前橋市指定無形民俗文化財〕
右;太々神楽〔前橋市指定無形民俗文化財〕
 納曽利面〔群馬県指定文化財〕です。

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