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パレスチナ問題と日本国民の対話コミュの私のナショナリズム観

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私は、多くの世代がそうであるように、アサヒと日教組の言説に影響されて育ちました。

また、母親がクリスチャンだったので幼いときに、聖書の世界に親しみ、高校生で湾岸戦争を経験し、パレスチナ問題に出会いました。

当時のパレスチナ問題は、サヨク的な幻想に十分に浸れる「帝国主義により抑圧された人民の民族自決権を求める闘争」という認識だけで、かなり十分にこの問題を捉えることが出来た時代でした。

そして、私は、団塊の世代のこのような言説による説明をそのまま受け入れ、アラビア語とヘブライ語を学び、エルサレムに飛ぶことにして、大学でアラビア語やヘブライ語や中東地域研究にのめり込み、93年のオスロ合意達成直後の西岸・イスラエルを訪問したのが95年です。西岸のビールゼイト大学で数ヶ月留学し、ガザやイスラエルを含めてあちこちを旅行しました。

その後、オスロ合意を達成し、西岸とガザ地区でのパレスチナ国家建設による和平を追求していたラビン氏が95年11月に暗殺され、その後継を目指したラビン首相の内閣で外相をしていたペレス氏が、選挙で破れ、オスロ合意の破棄を目指していたナタニエフ氏が選出された時点で、和平交渉の破綻を確信し、また、パレスチナ側が、PLOという世俗的民族主義勢力に代わって、イスラム原理主義勢力(ハマス、イスラミック・ジハード)などが台頭し、イスラエル国内での民間人に対する自爆テロ戦略を展開するようになり、あまりにしんどく、希望が持てないので、この問題に深くコミットすることを避けるようになりました。

予想通り、オスロ合意による和平交渉は、最終的に2000年の第2次インティファーダ勃発により確定的となり、私は「お互い殺し合いをするしかない」状況に更に絶望的になり、一層、興味が薄れていきました。

私は2001年から2004年に、サウジアラビア王国の日本大使館で、情報収集・分析の仕事に携わり、9.11からイラク戦争をサウジ内部から観察し続けました。

その後、2004年からヨルダン王国の日本大使館でUNRWA(国連パレスチナ難民救済機関)に対する日本からの援助調整の仕事に従事し、またこの問題に関わることになりましたが、上記の通り、もうこの「殺し合い」に至ってしまった紛争の出口に希望はなく、また、オフィスはヨルダン国内で、現場を見ることも出来ず、金額を円からドルにして、英語で国際会議をしては、報告するだけという業務でしたから、正直、「関わった」というにはちょっと特殊な経験でした。

コメント(6)

そして、上記の2回の公職を通じ、日本外交の限界や問題の実情を目の当たりにして、また、団塊の世代の言説の「帝国主義支配により抑圧されている「アラブ民族」の闘争」という認識に疑問を持つようになり、日本外交における中東政策の実態から、日本外交そのもの、ひいては、「主権国家」という題目だけの日本国のあり方に疑問を持つようになりました。

私の結論。

●日本の中東外交は、全てワシントンで決定され、外務省はそれを実行しているに過ぎない。

●いや、中東外交だけでなく、そもそも日本の外交そのものが、そうである。

●日本の外交には国益を追求するという「国民的」な政策は存在しない。

●同様に、日本「国民」にも外交が国益追求の手段であるという認識が欠如している。

●なぜ、国民が、外交による国益の追求が出来ないのかというと、外交の本質を理解しておらず、また、日本「国」という「国家」自体が、構造上、外交を行えないからである。

●外交とは、戦争の延長であり、戦争は外交の延長である。

●国際法とは、そのような排他的な暴力を独占する主権国家の外交=戦争のルール、作法を定めているに過ぎないが、このルールに違反した主権国家を処罰する制度は、非常に限界がある。

●国連とは、そのような外交=戦争を行う主権国家同士が、論理的な言論闘争を行って、国益を追求する舞台でしかない。「完全中立」な主権国家を超越する統治機関ではない。強国が、その決定権を独占している。

●9条により、明確に交戦権と軍や兵器の所有を禁止されている日本には、解釈による自衛権と自衛隊という非常に限定的な暴力装置しか所有できない上、その暴力装置を行使することすら非常に困難である。

●このような限界のある日本の安全保障の中核は、日本国に駐在している米軍であり、日米安保であり、究極的には米国の核の傘である。

●よって、外交=戦争である国際社会において、独自外交を行うことそのものが不可能である。

●自国の安全保障を米国に握られているという現実や、また、国益を追求する国民的な政治意思そのものが、「反ニッテイ原理主義」のサヨクと、その反動である、暴力的なウヨクや、米国の指示を受けるだけの保守との対立により、麻痺していることが、日本のナショナリズムの破綻の原因である。
よって、日本が独自外交を追求するためには、

●外交=戦争レベル

まずは安全保障の米国への完全依存をやめ、出来る限りの自主防衛を構築する必要がある。

●国民的政治意思決定レベル

一方で、「反ニッテイ原理主義」のサヨクとその反動の暴力的ウヨクと米国の指示を受けるだけの保守との対立により、見失われてしまったナショナリズムを立ち上げなおす必要がある。

よって、9条を中心とする現行憲法の改正により、自律的な国防軍と、外交=戦争を決定するための独立した国民的なインテリジェンス体制を構築しなければならない。

と考えると、大東亜戦争の功罪を評価しなおし、東京裁判以降の日本のナショナリズム否定を反省し、明治維新以降の日本ナショナリズムの成功と失敗から学んで新たなナショナリズムを立て直すことになる。

しかし、一番の問題は、国家神道と深く結びついた天皇制をどうするか、であろう。

北一輝に従えば、天皇制を掲げて、理念や統治制度として活用し、これをもって、国民を統合し、国民的革命を遂行すべきってことなんでしょうね。

という論理的帰結に対し、私自身は信仰を持つムスリムとして、このような宗教である天皇制に、国民として帰属意識を持てるかと問えば、答えはNO。

よって、私が望む日本国は、フランスやトルコのような世俗的ナショナリズムによる共和制であるが、そのような主張をする既存政党も政治組織もないし、そのような理念を掲げても、日本ナショナリズムとして機能しないことは明白。

よって、私は、日本のナショナリズム運動に参加することは不可能である、という論理的帰結。
とはいえ、ためしに思っている日本の在るべきナショナリズムをまとめて吼えてみただけ、のなんちゃってコミュを運営していたりしています。

こっちも除いて見てください。

「世俗的愛国国民戦線」

http://mixi.jp/view_community.pl?id=3874507
ここではナショナリズムの議論ができないようなので返答を「世俗的愛国国民戦線」にトピックとしてつくりました

一つだけ歴史専攻の人間から言うと、今から過去を見るのと当時の人が当時を見るのとは違います。左翼のナショナリズム観だってそうです。現在に惑わされないように!!
>牧 志乃(小山 剛)さん

ぜんぜん大丈夫ですよ。というか、歓迎です。

あっちの半分冗談半分本気のコミュはあまりに参加者が少ないので、こっちのコミュのトピで立てました。

ありがとうね。

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