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☆週刊薮上文庫☆コミュの1998年、中野フレグランスMにて (下)

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『持田くん。
君はもう一度、“仕事の順序”というものを考え直したほうがいいのかもしれない。
それにここ最近はフットワークも悪いし、いつも何かを考えているようだ。
仕事でなにか抱え込んでいることがあれば、なんでも私に話してくれ』

上司の吉田さんの机の前で、僕はただただうなだれている。
ユウキを置き去りにしたあの夜から、僕の心の中には例えようのない灰色のモヤモヤした物体が住み着くようになった。
その灰色のモヤモヤは僕の頭の回転を鈍くし、僕の両足にいくらかの重りを課す働きを持っている。
当然仕事にも影響し、それまで僕がこなしていた細々とした日々のルーティンも乱れ、担当しているスーパーでの売り上げも少しずつ、右肩下がりに下がってきた。

『どうだ持田くん。
今日の仕事上がりにでも、久しぶりに二人で飲みにでもいかないか?』

曇った顔を和らげて、吉田さんが僕を覗き込む。
机の上には【論理的思考のすすめ】という本が置いてある。
仕事に対して、そして自分の責任に対してどこまでも真っ直ぐな人なのだ。
部下の悩みは自分の悩み。
そう思う思考回路が彼の頭の中に、それまでの人生によってしっかりと時間をかけて構築されたのだろう。
その回路は極めて明確で、精巧に作られていて、そして健全だ。
誰が見ても綺麗なかたちをした、教科書通りの思考回路。
そして彼のように、一つの思考回路だけを所有して生きる事ができれば、自分もどれほど幸せだろうか。

『お気持ちは嬉しいのですが、今日は少し用事があって。
本当に何もないので、心配なさらないでください。
今日からまた気持ちを切り替えて頑張ります』

僕はそう説明して、吉田さんの席を離れる。
オフィスを出て階段で屋上に向かう。
屋上の扉を開き、外の風をゆっくりと吸う。
空は何とも言えない曇り空をしている。
それでもオフィスの中のコピー機みたいな匂いよりかは幾分かましだ。
胸のポケットからキャスターのソフトケースを取り出して、しわのついた一本のタバコを取り出す。
ゆっくりと煙を吸い込み、胸の中に一拍溜め込んで、そしてゆっくりと吐き出す。

『仕事の悩みじゃあないんですよ』

僕はそう呟いて、福島の街を見渡しながらゆっくりと背筋を伸ばした。


その日も僕は仕事を終えて、いつも通り7時45分に家に着いた。
8時までには部屋着に着替え終わっていて、いつものようにテレビの前のソファに座り、ビールの缶をそっと開けた。
巨人は久しぶりに負けていて(この日まで4連勝中だった)、僕は何を考えるでもなく、ぼーっとしながら打ち込まれる巨人の中継ぎ陣を見ていた。
3杯目のビールを半分まで呑み終えた時に、僕はウトウトしてそのまま眠りに落ちた。

テレビから聞こえる歓声でふと目を覚ます。
テレビの上に置いてあるデジタル時計は1時32分をさしている。
電源を消そうと体を起こしたとき、聞き覚えのある声がした。

『まさかね、僕たちも自分達だけのコントをテレビで披露できる日が来るとは夢にも思っていませんでしたよ』

特徴的なストレートヘアに、黒のジャケット姿。
寝ぼけた目を通して、僕の前にいたのはユウキだった。

『今日はね、30分間、僕たちの自信たっぷり、厳選された3本のコントを皆さんに見ていただきたいと思います。
こんな日はなかなか無いですからね』

そうユウキが言うと、彼の後ろにいるスタジオ内の観客がわっと手をたたいた。

僕は目を掻いて、そしてぬるくなったビールを口に運んだ。
ユウキと相方が二人でコントの作成秘話なんかをした後で、CMにはいった。

一本目は『喫茶店』という名のコントだった。
ユウキが注文に対して的外れな接客を行うという設定のコント。
観客はユウキがボケる度に大きな笑い声を上げ、ユウキ自身もその声をきっかけにさらに動きがよくなっているようにみえた。
二本目の『おしゃれ美容室』もスピードのある、切れの良いコントだった。
相方との息もぴったりで、相性の良いジャズのセッションを聴いているようだった。

『次のコントで、今日は最後になります』

舞台のセットから中央に戻ってきたユウキは、CM明けにそう言った。

『このコントは、僕の尊敬する仲間がまだお金のない大学生の時に考えついた物語で、僕にとってもとても意味のある作品なので、今日のためにコント用に作りなおした作品です!
それでは見てください!
3本目で、【男・ラブ一代】!』

ユウキが演じた【男・ラブ一代】は、確かに僕が大学4年生の時に、1998年の中野フレグランスMで作り上げたそれだった。

ユウキの放つ台詞は、僕のオリジナルとほぼ変わらず、そのままだった。
ただお笑いのコント用に、いくつかの細かな設定やキャラクターの見た目が違うだけだ。
観客の笑いは止まらず、僕がそう思っているだけかもしれないが、ユウキはその日最高の輝きを見せた。

『今日は皆さんありがとうございました。
アヴァンギャルズもまだまだこれから、皆さんと共に進んでいきたいと思います!』

ユウキの額を幾筋かの汗が流れる。
僕はそっと立ち上がり、机に向かう。
引き出しの中から、ボロボロになったノートを取り出す。
机の上のライトを灯し、目を閉じて天井を向く。
新しい綺麗なページを広げ、そこに新しく、思いのままに描き始めてみる。
サングラスをかけた怪しい中年の男や、ダラダラのトレーナーを着たこれまた中年の女性がそこに描かれる。
その二人を陰から見つめる刑事が出てきて、そして空からはパラシュートが落ちてくる。
夢中になって描いている途中、ふとある事に気がついて手を止める。

ユウキにメールしなくてはいけない。
今日のコントが素晴らしかった事と、あの夜の事について。
1998年の中野フレグランスMの事も少しばかり。
そして次にいつ会えるかという事と、あの夜のGペンをまだ貰えるか、という事についても。

                                 
                                  [終わり]

コメント(1)

もーこのままこのコミュニティーがなくなるんじゃないかと冷や冷やしていたので、

やっと続編がでて、良かったです☆

これからも書き続けてください★

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