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知瑠恵コミュの加古藤市の歩み

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三代目 東核芒種(とうかくぼうしゅ)大伝道師 加古藤市の歩み

加古藤市は平成元年2月24日、昭和天皇の大喪の礼(たいそうのれい)の日、NHK総合テレビを通して弥勒(三六)再下生の御姿を拝受して、天皇家のご先祖の霊魂(たましい)を今上陛下(きんじょうへいか)にお伝えするお役目を戴くと共に、三代目東核芒種大伝道師の名前を神より戴き、まる20年の歳月が経ちました。

途中、平成14年4月26日、長男を急に昇天させたことは、孝明(こうめい)天皇の霊魂を天皇家に復活させるための神仕組みでありました。

(孝明天皇・ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87

平成13年2月8日
自宅の伊勢生成(いせいいなり)の神のもとに、平成14年6月6日の*「芒種の日」に、天皇家の御本自佛・太元帥明王(だいげんすいみょうおう)をお迎えすることの御啓示を戴いていました。

〔註〕
*芒種:ぼう‐しゅ
二十四節気の一。太陽の黄経が75度の時。6月6日ごろ。稲・麦など芒(のぎ)をもつ穀物の種をまく時期とされていた。

平成14年4月26日 長男を急に昇天
孝明天皇の霊魂を天皇家に蘇(よみがえ)らせるための牲(いけにえ)として、長男時男の生魂(しょうこん)を二つに分け、一つは孝明天皇の護衛の隊長旭形亀太郎を生まれ変わらせ、もう一つは孝明天皇の御霊(みたま)を天皇家に蘇らせると御掲示。

平成14年6月6日 芒種の日
その当日は、長男の死後42日目でした。人は死ぬと49日までは生魂(しょうこん)のままであり、その間に過去の霊魂と結ぶと、過去の霊魂を生まれ変わらせる事が出来るという霊界の仕組みを教えて戴き、生魂の引き取りの行事をしたのでございました。

平成15年
太元帥明王さまは、幕末の動乱の中に在って、孝明天皇の国思う情念が、妹皇女「和宮(かずのみや)」と有栖川(ありすがわ)家との婚約を破棄してまでに、国の安寧(あんねい)、国民の志合わせ(幸せ)のために、意思(こころ)砕かれた孝明天皇の御霊魂(みたま)を蘇らせるために、有栖川識仁(さとひと)殿下・晴美妃殿下をお使わせになり、一日も早い「世界平和神宮院」と竝宮(ならびのみや)「昭和神宮」の建設をお望みになられたのですが、これもテレビラジオ等のマスコミ報道により、国民の霊魂(たましい)をないがしろにしてしまい、事件として消されてしまいました。

平成15年12月
小泉総理アメリカに追従してイラクへ向け自衛隊を派遣する。

平成16年元旦・5日
元旦に小泉総理靖国神社へ、5日には伊勢神宮へと世界平和の祈願に参拝する。イラクへ自衛隊を派遣して平和を唱える行動はおかしい。神も仏も判っていない迷い御魂(みたま)。

平成16年6月5・6日 芒種の日
豊受庵にて大正腑天神(だいしょうぶてんじん)の祭典。太古の昔、加古藤市の住んでいる場所が、神社(かみやしろ)があった土地であると御啓示。

平成16年11月30日
秋篠宮さまの誕生日に、招待された鳥羽水族館名誉館長中村幸昭(はるあき)さまの手に依って、「神聖画」を届けて戴きました。

平成17年3月14日
孝明天皇の護衛の隊長旭形亀太郎の霊魂の蘇りに、孝明天皇を祀る玉鉾(たまほこ)神社の宮司家に長男「空彦さま」誕生。
(今年、平成21年3月14日は熱田神宮の元宮近くにJR南大高駅誕生。)

平成18年9月6日
孝明天皇の御魂の蘇りに、秋篠宮家に「悠仁(ひさひと)親王さま」誕生の神仕組みをされました。

平成20年6月5日 芒種の日
豊受庵にて日本霊魂(やまとだましい)発祥の地の蘇りの祭典。
〔景行天皇の皇子小碓尊(こうすのみこと)が熱田の生産(しょうぶ)の神より「日本長尊(やまとたけるのみこと)」の名を戴かれた場所と啓示。〕

平成20年6月21日
鳥羽水族館名誉館長中村幸昭さまのお導きにて、秋篠宮さまに直接お会いして、今上陛下(きんじょうへいか)にお伝えしたい資料をお渡しすることが出来ました。

平成20年7月11日
淡路にお住まいの加治木義博さまを訪ねる。

(加治木義博氏のサイト)
http://www.pkn.jp/kajiki/index.html

平成20年8月19日
竹尾貴江さまにより、日本長尊が通られた旧道があった場所、豊受庵の入り口に「日本霊魂発祥の地の石柱」が建立されました。

平成20年10月21日
加治木義博さまの紹介、山川次夫さまより加古藤市自宅に祀られている伊勢生成の神の元に、広島の熊田良雄画伯が神によって描かせられた神聖画が届けられました。

平成21年2月16日
私、加古藤市の誕生日に、孝明天皇の御意思(みこころ)を明かす資料が、平成10年(1998年)大本教の出口和明(やすあき)さまの手によって発表されていた「神の国」が届けられました。
このことは、世の建て直しになる、大きな神仕組みとなることを確(しっか)りと一人ひとりの御霊魂(たましい)に入れ、世界恒久平和の活動気(はたらき)に力組をして行きたいものでございます。

(「神の国」・みいづ舎)
「神の国」合本(1998年1月〜6月)\2000+税 送料\300
http://www.miidusha.jp/28/1179.html

この「神の国」に明かされていることは・・・

●なぜ孝明天皇の神社を玉鉾神社と大本教の教祖ナオ「出口ナカ(戸籍名)」に命名していただき神社を建立しなければならなかったのか。
(鉾を収める。戦いや攻撃を止める意味であること。孝明天皇の国を守る一念で純粋なお方と解かる。)
(玉鉾神社:愛知県知多郡武豊町字向陽2丁目17)

●なぜ孝明天皇は護衛の隊長「旭形亀太郎」に、熱田神宮と伊勢神宮の中間に天皇自身を祀ることを遺言されたのか。
(熱田神宮【剣】、伊勢神宮【鏡】、玉鉾神社【玉】。日本が世界の中心となれ。)

(熱田神宮)
http://www.atsutajingu.or.jp/

(伊勢神宮)
http://www.isejingu.or.jp/

●なぜ孝明天皇は神国の秘法「紙切り神示」を旭形亀太郎に、紀元(皇紀・神武暦)2600年(昭和15年)まで明らかにさせない秘伝とさせたのか。
「その日が来るまでは誰にも見せても話してもならぬ。その時になったら70歳になる男に黙って渡せばその人が任務を勤める。」としたのか。
(昭和15年平安神宮に桓武(かんむ)天皇と並んで孝明天皇合祀された。)

(平安神宮)
http://www.heianjingu.or.jp/index.html

●なぜ「たまほこのひ可里」佐藤紋次郎が口伝で佐藤徳祥に書かせたのか。
(聖師弾圧の時、大本教神棚にあった「たまほこのひ可里」を強制的に焼かれてしっまたとのこと。)

(たまほこのひ可里について書かれたブログ)
http://onisablog.seesaa.net/article/7042248.html

●なぜ「照日乃影」玉鉾神社に存在していた宝物を旭形亀太郎の後妻藤女(ふじ)が遺されていたのか。
(旭形亀太郎の所持していた、玉鉾のご神体・神社の神殿が敷地に建立していた図面・お軸・置物・戴き物等の写しをまとめた本。旭形亀太郎は玉鉾神社を県に寄贈する考えだったこと。)

●なぜ「正八位 旭形亀太郎小伝」を明治35年秋季皇産祭日に、吉田五郎が書いて遺したのか。
(後世に遺すために、旭形亀太郎の経歴が書かれている。苦労された証し。)

明治天皇崩御後、3年で明治神宮が建立された。

孝明天皇は崩御後、明治32年に玉鉾神社の名称により建立され、紀元(皇紀)2600年昭和15年平安神宮に平安京最初の桓武天皇と並んで最後の孝明天皇を合祀した。

昭和天皇は崩御後、今年で21年目に入りました。現在の世界中の不景気は、日本は明治以後約100年、権力政治が化学産業を推し進め発達させてきたことにより生命界が温暖化を迎えてしまいました。このまま進むと生命界の破壊を招き、先がなくなってしまうため化学産業を閉ざし、化学産業から「知瑠恵産業」に移行するための時間を、不景気で以って神佛が現しているのでございます。

そのことを良く理解していく道標が、今上陛下の御詞(おことば)を戴き、熱田神宮の元宮に、「世界平和神宮院」と竝宮「昭和神宮」を建設することから、「知瑠恵産業」を始めなければならないのでございます。

(熱田神宮の元宮:氷上姉子神社)
http://www.atsutajingu.or.jp/keidai/hikami.htm




平成21年3月11日

三代目 東核芒種大伝道師 加古藤市

 



('09.03.20 20:49)

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