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日本人の心の歴史コミュの【文献紹介】武家

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 武家に関する文献を紹介するトピックです。

 日本では,12世紀終わりの鎌倉幕府創設から19世紀中葉の大政奉還まで,実に700年近くにわたって武家の天下が続いてきました。このような長きにわたって武家=軍人の政権が続いたというのは,世界史でも余り例を見ません。
 そして,徳川幕府を打倒して成立した大日本帝国もその創設者は志士と呼ばれた下級武士であり,武家のエートスが充満し,強大な陸海軍を建設して盛んに対外拡張を試みるなど,軍国主義の色彩の濃い国家でした。
 戦後の平和憲法は,こうした連綿と続いてきた日本の「武」の系譜を否定したところに成立しているものと言えます。従って,日本史における「武」の系譜を顧みることは,平和憲法に象徴される戦後日本という時代を逆照射することにもなります。

既読,未読を問いません。

著書名,著者,出版社名は最低限,挙げてください。

内容の紹介,感想等にも触れていただければありがたいです。

コメント(10)

山川菊栄「武家の女性」(岩波文庫)

「幕末の水戸藩の下級武士の家に生まれ育った母・千世の思い出話をもとに,武士の家庭と女性の日常の暮らしをいきいきと描きだした庶民生活誌。動乱に明けくれる苛酷な時代の中で精一杯生きぬく女たちが巧みな筆致で描かれる。女性解放運動のすぐれた思想家であった著者が,戦時下の閉塞状況の中で書き下した名著」(紹介文より)

巻末の芳賀徹氏の解説中に著者と母千世が庭で並んで写っている写真が収録されています。この時73歳だった千世は,小柄ながらも,しゃんと背筋が伸び,手に持った熊手の柄をまるで薙刀のように構えていて,如何にも武家の女性という風情です。こうした何気ない仕草一つに,今は殆ど失われて記憶からも拭い去られつつある,かつての日本の面影がうかがわれます。
大道寺友山「武道初心集」(岩波文庫)

「江戸時代中期の兵法家で諸藩を遊説して軍学を講じた大道寺友山(1639−1730)晩年の著作。『初心の武士心得のため』として書かれたもので,武士道の入門書として広く読まれた。」(紹介文より)

初版は1943年11月25日。この頃の岩波文庫は,この手のものが多いです。
奈良本辰也「武士道の系譜」(中公文庫)

「この著作は,中世武士と近世武士を連続したものととらえ,その美学に焦点をあてて論じているが,『武士道』は,戦いがなくなりながら戦闘者としてのあり方を要請された近世社会における武士の編み出した特異な倫理である。氏が解説する山鹿素行の『士道』論がまさにそうであるし,『葉隠』などは,倫理というよりも処世術のようなものだった。そうい意味で,筆者は,中世には『武士道』はないと考えている。『武士道』とは,泰平の時代の武士の行動規範にすぎない。しかし,武士の心にある倫理観には,連続したものもまた存在する。それが氏の言う『武士道の系譜』であり,そうした美点を拾い上げて構成した本書は,まさに現代文明批判の書としてなお命脈を保っているというべきであろう。」(山本博文「武士道の『系譜』とはなにか」より抜粋)。

著者(1913−2001)は歴史学者,元立命館大学教授。著書に「吉田松陰」などがある。
「三河物語 葉隠」(岩波書店日本思想大系26)

「『三河物語』は,大久保彦左衛門が子孫に伝える家訓の書。主家に対する忠勤をひたすら説くとともに,鬱々たる不平,憤懣,悪罵までが,土臭いながら迫力のある文章で綴られ,戦国の余韻の残る近世初期の武士の気概と生活信条とが躍如としてみられる。」

「『葉隠』は,江戸中期,太平の社会に生れた鍋島藩の記録。戦闘員として死の覚悟を根本にふまえる戦国武士の思想の流れをくむ武士道論が展開される。」

以上,紹介文より。
岡谷繁実「名将言行録(一)〜(八)」(岩波文庫)

「戦国の武将を中心に,192名の名将の言行を浮き彫りにする。」
「著者は16年の歳月をかけ,明治2年にこの大著を脱稿した。」(紹介文より)

本書第一巻は大戦中の1943年9月に発行されています。

著者略歴
「館林藩・藩の大目付・世子時侍講・中老・雄略帝陵修補用係となる。元治元年7月蛤御門の変あり,嫌疑により錮せらる。明治に至りて帰藩家禄を復す。次いで行政官となりしが,辞して歴史を研究す。大正9年12月9日歿。行年86歳。著書「名将言行録」「日本全史」。
「保元物語」(岩波文庫)

「『平治物語』とともに日本文学で最初の完成された軍記物語である。鳥羽法皇崩御によって風雲しきりに動きついに崇徳院が讃岐の地へ流されるまでの約1ヵ月の経緯を中心とし、源平両氏が合戦の衝にあたり、骨肉相殺傷する悲劇である。為朝はここに全局を支配する花形役者として大写しに描かれ、いわば為朝の英雄譚ともいうべきものである。」(「岩波文庫解説総目録1927〜2006」の解説より)
「平治物語」(岩波文庫)

「『保元物語』と姉妹篇をなし、編次・体裁・構成・措辞など、両者ほとんど赴きは同じである。藤原信頼、源義朝の挙兵・待賢門・六波羅の合戦を経て義朝の子がことごとく処刑されるまでの約3ヵ月を中心とする悲劇的運命の物語である。『保元物語』と同じく叙述の随所に内外典の訓言を挙げて君臣父子の道を明らかにし、異国の例を引いて治乱興亡の理を示している。」(「岩波文庫解説総目録1927〜2006」の解説より)

武家の世界の始まりは源氏・平氏ということになります。
「義経記」(岩波文庫)

「義経記は曾我物語と並称せられる中世の歴史小説である。形態・傾向・文章の上からは、軍記物の系列に属すると観られ得るのであるが、曾我物語と共に、英雄伝的な意図の下に構成せしめられた物語である所に、おのづから他の軍記物とは同じからざる存在を成してゐる。即ち「判官贔屓」といふ諺を生んだほどの国民敬愛の標的たる九郎判官源義経の一代記−但しその戦功時代を欠き、幼児と失意と即ちその逆境時代に主力を注いで精叙した−で、謂はば義経に関するさまざまな伝説の淵叢たる観を呈してゐる。作者は不明であるが、流布本の成立は室町時代、恐らくその中期以前(義満の晩年以後、義政以前、大略義持から義教頃までの間か。従つて太平記の成立には先立ち得ない)と推定し得られる。」(「はしがき」より)
福本日南「元禄快挙録 上・中・下」(岩波文庫)

「明治42年に刊行された本書は、その簡潔平明でジャーナリスティックな叙述により、数ある義士伝中出色の作となり、その後の『忠臣蔵もの』の原典となった。」(下巻紹介文より)

「日南が執筆にあたって、つねに念頭においていたものは、『仮名手本忠臣蔵』・・である。これは浄瑠璃としても、また歌舞伎としても、もっともポピュラーに上演され、その内容が常識のごとく普及して、いわゆる『忠臣蔵』のイメージがつくられているのであるから、これを批判の対象としたのは無理もないことで、その虚構を去って、史実を明確にし、義士たちを顕彰し、勧懲の材料にしようとしたのであった。
 こうした意図のもとに、忠孝礼賛・指導者顕彰を目的として日露戦争直後の1908・1909年(明治41・42年)の時期に纏められたものであるというところに、この書の意義があるというべきであろう。」(「解説」より)

 著者は明治期のジャーナリスト・評論家。本書は著者が主筆をしていた玄洋社系の新聞「九州新報」に連載されたものである。
新渡戸稲造「武士道」(岩波文庫)

「之は先師新渡戸博士著英文「武士道」の全訳である。始め本書を著述せられしは1899年(明治32年)病気療養の為め米国滞在中であって、博士38歳の年である。・・・
 明治32年と言えば日清戦争の4年後、日露戦争の5年前であつて、日本に対する世界の認識の尚未だ極めて幼稚なる時代であった。其時に当り博士が本書に横溢する愛国の熱情と該博なる学識と雄勁なる文章とを以て日本道徳の価値を広く世界に宣揚せられたことは、その功績三軍の将に匹敵するものがある。本書が世界の世論を刺激し、広く各国語に翻訳せられたるも亦当然である。」(訳者(矢内原忠雄)序より)

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