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中東・イスラム世界との対話コミュのイスラム主義の思想的起源と近代宗教改革とスーフィズム

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http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=6451&id=43591231

パレスチナ関連コミュで書いていたのですが、「パレスチナと関連性が薄い」というもっともな指摘を受けたので、こちらに移行することにしました。

(なぜ、パレスチナと関連性が薄いと突っ込まれることが予想できるトピをあえて立てたのか、それはながーい話になります、が、一言で言えば、「政治思想・運動」や「民主主義」や「表現の自由」の正しさのために、信仰者の信仰を否定したり、裁いたりする行為が、正当化されうるのか、しかも、「パレスチナ問題を考える会」という、ムスリムとクリスチャンであるパレスチナ人を考えるコミュにおいて、という議論の末にこういうトピを立てざるを得なくなったのですが、興味のある方は、是非、上記URLをクリックしてください。本当にながーい、ながーい、論争の末にこうなったので、まあ、暇つぶし程度にどうぞ、というか、「パレスチナ人に連帯する」と騒ぎ立てるあの国内イデオロギー闘争で偏向した日本人のイスラム教理解、中東理解、東地中海理解、パレスチナ理解の実態がよく分かるという点で、日本人ムスリムのかたがたにこそ、じっくりと読んでいただきたい、論争ですが。で、彼らに突っ込みたいこと、質問したいことがあれば、遠慮なく、トピでも立ててくださいな。あのコミュは、管理人が実質不在、誰が何をしても、許される状態のコミュで、管理人もそれを認めているので、ご安心ください。)

また、別トピで、トルコのアタチュルクによる近代化とはイスラム教の視点からはどのように評価されるのか、という難しい質問もありましたので、このトピで扱いたいと思っておりますが、そこまで分析がたどり着くか、いや、そもそもトルコをきちんと調べたことも、おそらく、アタチュルク革命を評価するのにもっとも有効と思われるイスラム法学の「マスラハ」に関しても、きちんと学んだことがないので、非常に稚拙なものにしかならないとは思いますし、その点、トルコや「マスラハ」に関して詳しい方々のコメントを願います。

また、同じネタでタダ単にコピペしただけの別のトピは削除します。

(で、当然、マルチトピになるわけですから、どなたか、トピ主の違反を管理人もしくはミクシー当局にまで通報してください。)

以下、上記アドレスのトピより、一部コピペ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この文章を書いた人物は、プロフィールによると、

元中日新聞カイロ特派員

で、

エジプト留学

で、

アラブ協会の関係者

を名乗り、いっぱしに本など書いている、「アラブ」通や、「イスラム世界」通を気取る「知識人」と主張されているので、

このような事実誤認のプロパガンダーを、「ジャーナリスト」の立場から垂れ流す行為にはしっかりと反論する必要があるので、この場をお借りします。

以下、その「ジャーナリスト」の文章の抜粋。

(引用はじめ)

http://web.chokugen.jp/tahara/2006/11/15_1647.html

ことし7月、英国で一つの組織が設立された。スーフィー・ムスリム評議会(SMC)という団体だ。以前にも記したが、スーフィーは神秘主義と訳さ れるイスラームの一流派で、その昔に反植民地主義闘争を担ったこともあったが、現在は一般に体制に従順な体質を持つ。対照にあるのはサラフィーで、サウジ アラビアの国教ワッハーブ派やムスリム同胞団、ビン・ラーディンたちもここに含まれる。

 この二派は犬猿の仲だが、違いはどこにあるのか。簡潔に言えば、サラフィーが聖典クルアーンや預言者ムハンマドの言行録(ハディース)のみに根 源を求め、合理的かつ近代的な演繹を駆使する(つまり、論理や理屈をきちんと考える)のに対し、スーフィーには聖者信仰や集団舞踊などで神との合一性を感 受しようとする非合理性、非科学性が色濃い。知力を軽視する分、民衆の支持が厚いという一面もある。

 このSMCが真っ先に掲げたのは、国際的なスンナ派急進組織であるムスリム同胞団やイスラーム解放党への攻撃だった。いずれも反体制的なサラ フィー集団で、SMCは「彼らは誤ったイスラームだ」と宣伝した。根拠は「イスラームは政治的役割を負うべきではないから」だと言う。

 この団体の代表はゼイノ・バランという人物で、彼女の経歴から団体設立の意図が推測できる。彼女はネオコン系シンクタンクの米「ニクソン・セン ター」関係者で、米国の体制派ムスリム(例えば、アメリカ・イスラーム最高評議会)とも昵懇だ。さらに米国が天然ガス利権を狙うウズベキスタン政府とパイ プを持つ。ちなみに同国ではイスラーム反体制勢力が徹底弾圧されている。

 団体設立はネオコンによる「中東民主化論」が破綻し、新たに「イスラモ・ファジズム(イスラーム急進主義はファシズムの亜流)論」へと看板を掛 け替えた時期と一致している。すなわち「原理主義」「文明の敵」と反体制的なサラフィーを攻撃する一派(ネオコン)が、その材料として体制順応的なスー フィーに目を付たわけだ。

(引用終わり)

>「スーフィーは神秘主義 と訳されるイスラームの一流派で、その昔に反植民地主義闘争を担ったこともあったが、現在は一般に体制に従順な体質を持つ。対照にあるのはサラフィーで、 サウジアラビアの国教ワッハーブ派やムスリム同胞団、ビン・ラーディンたちもここに含まれる。」

この部分の後半は、詳細に検討すれば、あまりに大雑把に言いすぎであるし、同意できない部分もあるが、しかし、あえて反論する必要は、このコミュではないと判断する。(後ほど、補足で説明する。)

>「この二派は犬猿の仲だが、違いはどこにあるのか。 簡潔に言えば、サラフィーが聖典クルアーンや預言者ムハンマドの言行録(ハディース)のみに根源を求め、合理的かつ近代的な演繹を駆使する(つまり、論理 や理屈をきちんと考える)のに対し、スーフィーには聖者信仰や集団舞踊などで神との合一性を感受しようとする非合理性、非科学性が色濃い。知力を軽視する 分、民衆の支持が厚いという一面もある。」

この説明は、まったくの間違いである。

アラビア語もできないし、ムスリムですらないし、丁寧にイスラム教の聖典解釈の相違から生じた宗派や思想の複雑な歴史を理解しようともしない、そ この浅いジャーナリストらしい「分析」や「説明」であって、少しでもイスラム教の思想史や宗派史を理解できる人間なら、「笑ってしまうくらいトンでも」な 説明である。

サラフィーなり、ワッハーブ派なりが、「合理的、かつ近代的な演繹を駆使する」などという説明が、当事者でもない非信仰者の「ジャーナリスト」なり「知識人」からなされるのは、初耳である。

彼女は、心情的には、サラフィーら、イスラム原理主義を擁護しているのではないかと判断するのが妥当だろう。

そして、スーフィーという思想を、「知力を軽視する 分、民衆の支持が厚い」などと片付ける説明も、まるで、サラフィーのプロパガンダそのものとしか言いようがない。

サラフィーの起源を説明しよう。

近代思想としてのサラフィーには、源流が2つある。

ひとつは、オスマン帝国末期のイスラム教の近代改革による、政治・社会の近代化という近代化の試みとしての宗教改革の思想、エジプトに流れてきたアフガニスタン出身の知識人、アフガーニー師によって提唱された(19C末)。

もうひとつは、現在サウジアラビアと呼ばれている地域の中央部のネジュド砂漠で成立したワッハーブ派であり、その開祖が、ムハンマド・アブドル・ワッハーブ(18C)。

この二つの思想は、その根源において、実は、まったく異なる思想である、と区別されないから、上記のような、アル・カーイダやワッハーブ派が「合理的、かつ近代的な演繹を駆使する」などという、正反対の認識に至るのだ。

彼女はエジプトに留学していたらしいが、おそらくエジプトで知識レベルの高い、ムスリム同胞団のイデオローグ的な人間と交流して、彼らから一方的にイスラム教の説明を受け、それをそのまま受け売りしていることが容易に想像できる。

無自覚なムスリム同胞団プロパガンダーだと判断するべきだろう。

アル・カーイダを生み出したワッハーブ派の教義がいかなるものかそれを知らずに、同じ「サラフィー」だという用語の問題や、ムスリム同胞団系のエ ジプト人が結果的にアル・カーイダに合流して共闘し、現象面では、ムスリム同胞団の流れとアル・カーイダが融合したということだけを根拠に、その思想や教 義の根本を理解せず、アル・カーイダらワッハーブ派系のサラフィーを擁護せざるを得ない、エジプトのムスリム同胞団系の知識人の説明を鵜呑みにした結果 が、この奇妙奇天烈な「サラフィーが、近代的な理性的な教義で、スーフィーが、知的レベルの低い教義だ」という、サラフィーのプロパガンダの垂れ流しに なったわけだ。

さて、ワッハーブ派の人間を捕まえて、アラビア語でこう聞くべきだろう。

「お前らは、理性を根拠に、聖典を合理的、かつ近代的な演繹を駆使して解釈するのか?」

彼らは、断固として、このような聖典解釈を拒否し、そのような聖典解釈をするものは、「異端」であり、その根拠を「哲学はイスラム教に由来しな い、ギリシャや西洋の思想である」とか、「理性は信じられないし、理性に基づく聖典解釈を主張するものは、イスラム教を破壊するための口実としてそれを主 張しているに過ぎない」とか、「イスラム教には近代化など必要ない、それ自体で充足した完全な神から使わされた人間のための、総合的なシステムであり、人 間は、それに従属すること意外には選択肢はない」と回答するだろう。

これこそが、まさに、ワッハーブ派の本質であり、一切の解釈や理性や演繹や改革や近代化を拒否すること、が彼らの存在理由である。

ひとつ例を挙げよう、

ワッハーブ派の20Cの最大の宗教権威として、ビン・バーズなる人物がいる。

彼は、最終的に最高法官という政府が任命する最高宗教権威にまで上り詰め、その役職に数十年在籍した。

その彼の逸話である。

80年代に、西欧の科学者らと同席したシンポジウムで、話題が、西洋キリスト教世界における、科学と宗教の争いの象徴である、天動説と地動説の話になり、ビン・バーズは、それに反論し、

「科学と宗教の争いなどというテーマを持ち込むのは、イスラム教を破壊するためであろう、しかし、イスラム教に、天動説や地動説を持ち込んでも無駄である。

コーランには、

『お前たちのために、私(神)は、この大地を平らにしてやったではないか』

と明言されている以上、この大地は、天動説や地動説が成立し得ない、平面なのであるから。」

現在、私たちが使っているグレゴリオ暦より、さらに正確で厳密な暦を作ったことで有名なのが、イラン出身のムスリムの科学者で、それは中世のことであった、という歴史的事実を考えるに、

彼らワッハーブ派は、近代どころか、イスラム中世の科学すら否定する宗派だと考えるべきであろう。

一時が万事、彼らワッハーブ派の聖典解釈はこの有様で、その起源は歴史的な哲学や理性をめぐるイスラム教の宗派争いに起因するのだが、イスラム教 の教義の展開の核心であるこのテーマすら知らない程度の人間が、一方のプロパガンダを丸呑みにして、「ジャーナリスト」や「カイロ留学」なんぞを売りにし て、イスラム教の教義を説明しようとするから、こういうアホなことを言うことになるという、いい例です。

そして、その哲学や理性や解釈を拒否する歴史的な教義の出発点とは、

スンナ派の最保守派であるハンバリー派の「ビラー・カイファ」、つまり、「いかに、と、問うべからず」という教義であり、多くのスンニ派が、この教義に影響されてしまったのである。

「いかに、と、問うべからず」という教義が必要になったのか、それを理解するためには、イスラム教が野蛮なアラビア半島から、文明の先進国であっ たイランとシリアに進出したことから始まる、「ペルシャ思想や、ギリシャ哲学や、キリスト教神学という世界の最高の知的ロジックに対し、いかにイスラム教 を戦わせるか」というテーマに行き当たるわけです。

コーランをさらっと読んでいただければ分かりますが、ちいっとも論理的ではありません。ストーリー性も、前後の整合関係も、編集の基準も、ちいっとも論理的ではありません。

預言者様が、直面した数々の政治・社会問題に即して、啓示が下されたという、イスラム法の起源の部分と、終末論と一神教と神への恐れや讃えを詩のように畳み掛ける、いわば、聖書の黙示録や詩篇に相当する部分が混在しているテキストに過ぎません。

このテキストそのものを、文字として提示しても、イランやシリアの知識人には歯が立たないのです。

そこで、ムスリムたちは、このテキストを、いかに、ペルシャ思想や、ギリシャ哲学や、キリスト教神学のロジックと言葉を活用して、すべての人間に訴えることのできる知的な体系の学問にするのか、に命をかけて、数百年がんばったのです。

その結果、果たして、啓示と、哲学や理性、のどちらが、より重要なのだ、という議論が巻き起こりました。

一方で、素朴な宗教心や神への愛情そのものを、啓示された文字や、その哲学的な解釈や、聖典から演繹される聖法への隷属より、個人の信仰として重視する運動も生じました。

しかし、この運動は、キリスト教の伝統であった、隠遁者の精神遺産を活用し、それらの思想を吸収し、イスラム教を豊かにし、それをベースに、積極的に哲学も取り込み、やがて、超というべき知識人を対象にした、神秘哲学というジャンルを生み出すことになります。

その神秘哲学の代表が、イブン・アル・アラビーで、今のアラビア語話者でも、大学生でも理解は難しいくらいの哲学体系です。

イブン・アル・アラビーに代表されるように、スーフィズムは、本来は理性ではなく、霊感に信仰の根拠を置く思想なのですが、それを言語化するに当たって哲学の用語や思想を大量に取り入れ、逆に、イスラム教と哲学の関係を一層深めることになりました。

しかし、一方で、霊感に根拠を置かない、理性そのものに信仰の根拠をおく宗派が成立して、アッバース朝において繁栄を極め、ついには国教となり、時のカリフを取り込んで、最終的には、異端審問を国家権力を背景にするという間違いを犯します。

その質問の核心は、

「コーラン被造説」でした。

理性こそ、もっとも高次の信仰の根拠だと主張した彼らは、神の属性を、ギリシャ哲学のイデア論に絡めて展開し、最終的に、神が永遠という属性を持 つものであり、属性とは神の一部であるならば、永遠なる存在は、神以外に存在してはならない、とするならば、神の言葉のコーランが、永遠なる存在であって はならない、神にならぶ永遠なる存在があることは理性に矛盾する、よって、コーランという書物は、一定の時間の後に滅ぶべきものである、よって、理性こ そ、聖典を超える信仰の根拠である、

これが「コーラン被造説」の核心です。

ここまで、理性だけを信仰の根拠にできる人間などごく一部の知識人だけであろうし、大多数の信徒にとっては、神の言葉そのものであるコーランを否定されることは耐えられない教義でしょう。

必然的に、この宗派は反動を招き、滅び去ります。

この宗派を滅ぼした宗派こそが、ハンバリー派であり、その武器が、「いかに、と、問うべからず」なのです。

そして、ワッハーブ派は、ハンバリー派の後継者であり、歴史的なハンバリー派以上に、この「いかに、と、問うべからず」の教義を活用します。

歴史的なハンバリー派は、上位カテゴリーであるスンナ派の枠組みを尊重し、スンナ派としても一定の条件をつけて認めるイスラム哲学や神学、そして、それらを根拠にスンナ派の正統な教義の一部として認められたスーフィズム、それらを全否定することは避けていたのですが、

ワッハーブ派は、この理性拒否、哲学拒否、神学拒否、解釈拒否の立場を徹底し、スンナ派一般が認める、哲学・神学・スーフィーのすべてを拒否・否定・異端とする立場をとりました。

このように、実は、ワッハーブ派の教義の本質には、スンナ派の枠組みを否定してしまう核心があるのですが、しかし、ワッハーブ派は、自分たちが「新しい宗派」を構築したという事実を一切拒否します。

その彼らが使うレトリックが、「サラフィー」という言葉です。

私たちは宗派ではない、タダ単に、かつてあった、正しいイスラム教を、サラフ(祖先)に習って、行おうとしている改革運動に過ぎない、だから、私たちは「ワッハーブ派」なる宗派ではないし、あえていえば、「サラフィー」なんです。

そして、法学としてはハンバリー派に属しているから、スンナ派の一部です。いや、もっとも正しく、純粋なスンナ派なんです。

と主張するわけです。

さて、ようやく、エジプトでオスマン帝国末期に成立した近代化に向けた宗教改革の話です。

この思想潮流の原点は、アフガニスタン出身のシーア派信徒のアフガーニー師で、彼は迫り来る英国植民地主義の脅威を南アジア地域で体験し、当時の イスラム帝国の大国であったオスマン帝国を近代化して、富国強兵を進め、ムスリムたちは一丸となって植民地支配に抵抗すべき、と、エジプトで、アラビア語 でスンナ派ムスリムたちに訴えた人物です。

彼は、カリフ制には反対していなかったのですが、オスマン帝国政権にとっては、反体制になりかねない人物として警戒され、最終的には、彼はイスタンブールで幽閉され死亡します。

その主眼は、「近代化による富国強兵」と、「ムスリムの防衛」で、その手段が、「イスラム教の近代的な宗教改革」だったのです。

しかし、英国をはじめとする西洋の植民地支配が、リアルなものとなり、実現し、それに抵抗できないオスマン帝国の現実が明らかになるにつれて、彼 の本来の目的であった、「宗教改革を通じた近代化」は忘れされれ、「ムスリムの防衛」が重視され、やがて、それは「ムスリムの防衛」ではなく、「イスラム 教の防衛」になってしまいました。

そして、アフガーニー師が、「近代化による富国強兵」という目的のために示した「イスラム教の改革」の方法論であった、「聖典原点に戻って、そこからイスラム教を立て直す」という手段の方法論だけが、本末転倒で、目的化してしまいました。

しかも、アフガーニー師は、「今ある、非近代的で非合理的な法・社会・国家の現実に対し、聖典という最高権威を持ってきて、しかも、その聖典の解 釈の基礎に理性を使い、近代的な法律や制度や思想を、イスラム法の体系として構築し、近代化を達成する」ということを提唱していたのに、

「理性、解釈、近代化」がすっぽりとどこかの異次元に迷い込み、ムスリムの脳裏から消え去り、

「この矛盾する社会・国家の現実に対し、聖典を持ってきて、その原点に戻って、宗教改革を行い、宗教統治を回復することによって、すべての問題が解決される」

という主張に落ちぶれ、

その前提となっているのは、なんと、

「なぜならば、イスラム教こそ真実であり、主はイスラム教を実行するムスリムを愛していて、主は全知全能であるならば、すべては主のご慈悲で、解決される」

という、もう無責任極まりない、信仰者のエゴに過ぎないのです。

で、ようやく、宗教改革という点で、あの近代化や理性を一切拒否するワッハーブ派との共通点。

アフガーニー師の死後、ですが、アフガーニー師が目的の方法論で示した、「聖典原点に立ち戻って、そこから改革を目指す」という一点だけを、より 宗教的かつ大衆迎合的な説明をするようになり、「ほんもののムスリムたちはすごかったんだー、昔のムスリムはすごかったんだー、今のイスラム世界が弱者に なったのは、昔のすごーいムスリムたちのほんとうのイスラム教を忘れたからなんだー、だから、昔の祖先(サラフ)のイスラム教に戻れば、昔みたいにすごー いことになるんだよーん」

という無責任カルトとして、アフガーニー師の後継者(と勘違いしている連中)たちは、あろうことか、ワッハーブ派とおんなじ用語である「サラフィー」を使うように落ちぶれたのです。

彼らが「サラフィー」と名乗るようになり、同じ「サラフィー」のワッハーブ派のサウジから資金提供を受け始め、その思想の民衆動員の政治運動として、ムスリム同胞団が、エジプトで誕生したわけです。

それでも、エジプト国内の政治団体としてのムスリム同胞団のポリシーが明確だった間は、彼らが、本来はまったく思想的起源が異なるワッハーブ派と 融合することはありえなかったのですが、エジプトでの弾圧の結果、アフガニスタンに逃亡したエジプト人の「サラフィー」たちが、かの地で本家本元の「サラ フィー」のワッハーブ派に洗脳され、結局は、世界規模で民間人を殺傷する「ジハード」以外には何もできない、卑怯なテロ集団に落ちぶれたわけです。

こうして、イスラム教改革集団、思想として最大のムスリム同胞団とアル・カーイダの区別がどんどんと「サラフィー」という言葉で融合してなくなっ ていったこと、への反省、ワッハーブ派やアル・カーイダへの断罪と決別をできないなら、彼らサラフィー派のムスリムたちは、いくら「特定の国民国家の内政 としての民主主義」に基づく宗教・政治運動を訴えても、警戒されるのは仕方ないし、その流れを利用した権力者に「対テロの戦い」で弾圧されるのも、政治責 任だと思います。

こうして、本来は、理性、解釈、近代化をめぐって、敵同士であったはずのアフガーニー師の思想と、ワッハーブ派は、同じ「サラフィー」というカテゴリーに入れられてしまい、一体、どっちのサラフィーなのか、を、都合よく、彼らサラフィーやムスリムたちは使い分け、

時には信じられないような非合理的な信仰を正当化し、

時には、スーフィー派やシーア派を「非合理的で非科学的」として非難し、あたかも自分たちがより、「理性的」で「知的」であるかのように誤魔化す、

という玉虫色のご都合主義が正当化されてしまうようになったわけで、

この「ジャーナリスト」が、「エジプト留学」で、散々仲良くしたムスリム同胞団の「知識人」から、この闇なべ「サラフィー」のプロパガンダを吹き込まれたんでしょう。

シーア派の政治的イスラム主義や、近代化、理性、解釈の議論は、そもそも以上のスンナ派の枠組みに於けるソレ、とは異なったアプローチと説明が必要になるので、いったん、ここでアップします。

またスーフィズムと近代化や政治との関係に関しても、整理したいのですが、とりあえず。

コメント(7)

アブドゥさん

アタチュルクのイスラム近代化を取り上げて頂きありがとうございます。

日本ではアタチュルク像ばかりが話題になり、アタチュルクのイスラム近代化についての話題は全くありません。

もし、日本人の多くにアタチュルクのイスラム近代化の意味を伝えることが出来れば、来年トルコ日本友好120年に華を添えることになるのではないかと思っています。

これからも宜しくお願いします。
アブドゥさん

アタチュルクは何派のムスリムなのですか?
後、スルタンカリフ制とアタチュルクのような世俗的なイスラム近代化とイランのイスラム革命の違いがよく分かりません。

ご教示願いたいのですが、宜しくお願いします。
>2

標準的なトルコ人だとするならば、

当然、スンナ派でしょう。

ただし、トルコからシリアにかけて、主に山岳地帯にいる少数派のアラウィー派(アレヴィー)という、シーア派の少数宗派のムスリムもいますから、その可能性も否定はできません。

彼に関する都市伝説では、なんと、「元ユダヤ教徒の改宗ムスリム」という話すらありますが、もうこうなってくると検証する意味もないくらいの話ですが、まあ、そんな話もありますよ、と。

スルタン・カリフ制とは、

世俗的な王の称号であるスルタンを名乗る世俗的な王族による王朝支配が、「スルタン制」で、今でもオマーンという湾岸の国がこれに当たります。

カリフとは、スンナ派信徒の宗教的な指導者で、当初は、正統カリフのように、政治指導者でもあったのですが、ウマイヤ朝以降は、政治的な権力を失い、宗教的な権威になっていた制度です。(アッバース朝の一時期を除き)

で、オスマンの一族は、まずは、世俗的な王族としてスルタン国を作り、最終的には、宗教権威のカリフ位まで手に入れ、実力で、その権威を支配する地域のすべてのスンナ派ムスリムに認めさせることに成功し、世俗政治権威としての「スルタン」と、宗教権威としての「カリフ」を統合したわけです。

アタチュルクは、まずは、オスマン帝国の軍人として頭角を現し、オスマン帝国のカリフ・スルタンが、売国的な占領を許す条約(セーブル条約)に署名して、オスマン帝国の本土であるアナトリア半島の外国への明け渡しを認めたことに対し、ある種の反乱を起こし、スルタンとしてのオスマン王家を統治者として拒否し、アナトリア半島のムスリム住民たちを「トルコ民族」のイデオロギーで結集させ、国民軍を創設し、侵略してきたギリシャ・イギリス連合軍を実力で打ち破り、その政治的・軍事的成功を背景に、オスマン王家の統治に代わる政府として、旧オスマン帝国臣民であり、「トルコ国民」の支持を集め、最終的に、オスマン家のカリフとしての宗教権威すら否定し、これを退位させたわけです。

イランのイスラム革命は、カリフ制とも、アタチュルク革命とも、無縁です。

なぜならば、カリフ制はスンナ派信徒にとっての権威や統治の制度であり、アタチュルク革命は、アナトリア半島に住み、トルコ語を話すムスリムたちが、トルコナショナリズムという民族主義で起こした革命であります。

が、

イランのイスラム革命は、イランの住民のシーア派信徒たちが、シーア派の統治論のひとつであるホメイニーのウィラーヤト・アル・ファキーフ論を支持して起こしたシーア派の革命です。

スンニ派とシーア派は、特に、イスラム哲学・神学・神秘主義などで多くの遺産を共有していますが、こと政治論や統治論では、そもそも前提が違う体系なので、違うものであることを前提にした比較くらいしか成立しませんし、これをリンクさせるのは、私は間違っていると思うのです。

だから、ヒズブッラーやイランのイスラム革命を、アル・カーイダらスンナ派テロリストとの戦いの文脈で語ることは、根本的に反対しているのです。

体系も違えば、地域も違えば、民族も違えば、闘争する目的も動機もイデオロギーも違う、唯一の共通点は、イスラム教の宗教用語で自らを説明・定義しているというだけです。

ま、たとえれば、

米国のテキサスかカンザスかどこかで80年代くらいに起きたキリスト教系のカルトが、国家権力に対し反乱を企て、銃撃戦の挙句、信徒一丸、女性子ども含めて数十人自決した事件がありましたが、

その事件と、

ドイツのキリスト教民主党の運動を、

「キリスト教を掲げた政治運動」

であるという一点で、同じ扱いをするような話です。

逆噴射するカウンター宗教原理主義とでも理解すべきでしょう。

んで、シーア派の統治論の話は、スンナ派の私がしたり顔ですることは不適切ですので、

メヘルバンデブラザーら、シーア派の方々にコメントをお願いしたいところです。
アブドゥさん

ご丁寧な解説ありがとうございました。
多様化されているイスラム世界をまた少し理解することが出来ました。

アタチュルクにそんな都市伝説があるとは、驚きました。
まぁ、彼ならありそうな気もします。

スルタンカリフ制を結果的に廃止したアタチュルクは、現在他のスルタン制やカリフ制、又はスルタンカリフ制を採用している国からはどのように評価されているのでしょうか?
後、トルコ国内でも、彼の評価はどのようにされているのでしょうか?

聞くところによると、トルコ国内の偉い人?多分政治家とかと思うのですが、年に3回、アタチュルク廟に祈りを捧げに行く習慣があると聞いたのですが、その辺、いかがですか?
>スルタンカリフ制を結果的に廃止したアタチュルクは、現在他のスルタン制やカリフ制、又はスルタンカリフ制を採用している国からはどのように評価されているのでしょうか?

スルタン制を掲げる国は、現在オマーン・スルタン国だけです。が、オマーンはアナトリア半島と接点のない、アラビア半島の角、アフリカと南インドとイランとアラビア半島をつなぐ海洋国家です。

ですので、同じ「スルタン制」であったという比較で、オスマン帝国と比較する意味はあまりありません。

まして、オマーンのスルタンは、同時に、オマーンとギニア湾岸とリビアあたりにだけ生き延びた、ハワーリジュ派というスンナ派でもシーア派でもない宗派の末裔なので、宗派が違えば、統治論や政治論の体系が違うという点で、オスマン帝国のスルタンとは無関係です。

また、カリフ制は、スンナ派独自のものであり、原則的にカリフは一人しかありえません、もちろん、後継争いなどで、複数のカリフが、「俺こそ本物」争いをした歴史もあるでしょうが、まあ、天皇制の南北王朝みたいなもんです。

で、少なくともオスマン帝国がカリフ制に移行してから、スンナ派世界にはオスマン帝国のカリフ以外にカリフは存在しておりませんでした。

また、スルタン制とカリフ制を統合したスルタン・カリフ制はオスマン帝国独自の制度です。

>後、トルコ国内でも、彼の評価はどのようにされているのでしょうか?

私の乏しいトルコの知識で、この今のトルコのもっともほっとな問題を扱うのは気が引けるのですが・・・

しかし、一言で言えば、少なくとも政党政治に参加している勢力は、全て、アタチュルクの築いた今のトルコ共和国への忠誠と、建国の父であるアタチュルクを支持する立場です、その温度差こそあれ。

AKPなど、イスラム主義政党を支持する民衆は特に、アタチュルクはすごい、大好き、だが、イスラム主義も好きだし、支持する、という折衷でしょう。

AKPのイデオローグや幹部の本音は知りませんが、少なくとも彼らでも、公の場でアタチュルクを批判することはしませんね、したら、多くの民意を失うことはトルコ人政治家としてよく知っているはずです。

しかし、一部の過激なイスラム主義の集団は、彼を全面的に否定し、彼の行った世俗主義改革をひっくり返して、それ以前に戻すことを本気で考えているはずですが、ここまで突き詰めると大衆の支持は得られない、秘密結社としてしか活動できないでしょうね。

おそらく、AKPは一枚岩ではないと思います。その中には、上記のような過激なイスラム主義も混在していて、しかし、指導部は、その過激派を抑えて、現実的な政党、与党として、国民を指導できるような政策を追求しているのでしょう。しかし、では、AKPの本音はなんだ?というところで、いまだにその評価はよく分かりません。

まあ、紋きりの単純化をすれば、

アタチュルク主義             ⇔            イスラム主義
(軍部、民族主義政党、知識人)         (イスラム主義政党、宗教界の一部、民衆の一部)

という構図がある、のは事実ですが。

>聞くところによると、トルコ国内の偉い人?多分政治家とかと思うのですが、年に3回、アタチュルク廟に祈りを捧げに行く習慣があると聞いたのですが、その辺、いかがですか?

少なくとも公の地位のあるトルコ人の政治家であれば、アタチュルク廟への参詣は、愛国心や忠誠心の表現として、当然行います。

独立記念日とか、まあ、その種の国家行事では、大統領や首相はいかなけらば、民衆の支持を失いかねない国家への忠誠への反抗と受け止められるでしょう。

まあ、今のAKPの政治家が心からそれを望んで行っているかどうか、まあ、本人にでも誰か聞いて欲しいですね。
アタチュルク革命というムスリムがムスリムの指導者の下で、特定のムスリムの共同体の生存・存続・発展・強化のために行った一連の政府・社会・宗教・経済改革を、イスラム教の立場から、どう評価すべきか?

という難しいテーマの鍵となるのは、「マスラハ(公益)」です。

また、一方で、「世俗主義」も鍵となり、こちらだけ、で評価すれば、「イスラム法の統治を拒否し、世俗人定法を西洋から取り入れ、イスラム共同体を破壊した」という、まさに、イスラム原理主義者らの紋きりになります。

しかし、イスラム法の目的とは何か?というそもそも論に戻れば、政治的行為の善悪は、その結果、ムスリムの民の利益を実現できたのか、否か、という現実主義的な評価もありうるのです。

それが、「マスラハ」なのです。

と、非常に乱暴に「マスラハ」を紹介しましたが、これは、わたしの理解が浅いから、いとも簡単にこうやって言い切ってしまっているのもまた、事実です。

私はとてもとても追いつけない議論を、先輩ムスリムたちの方々がしてくださっていました。読み返しても、まだ、私にはよく分からない・・・

将来の宿題にしております。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=40465552&comm_id=3871028

しかし、いずれにせよ、アタチュルク革命は、あまりにも、イスラム原理主義の側からの「世俗主義=イスラム教の共同体の破壊」という説明だけで語られることが多かったのではないか、と思います。

それに対して、アタチュルク革命の功罪を総合的に評価できるキーワードが、「マスラハ」なんだ、と指摘しておいて、お茶を濁します。

中途半端な議論はしたくないので。将来の宿題です。
アブドゥさん

難しい問題を優しく解説して下さり、ありがとうございます。
『マスラハ』というキーワードありがとうございます。

これからも宜しくお願いします。

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