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中東・イスラム世界との対話コミュのティジャーリーとアスリー。パチモンとオリジナルブランド。

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ワッハーブ派精神病から完全に逃れること、が、私が信仰者としてやり直すための必要最低限の条件です。

で、論理的帰結として悩み続けたのは、

1.棄教→クリスチャンOR仏教徒

2.イスラム教系の他宗派への転向

(1)シーア派(ジャアファル派)

(2)バハーイー教

1.は、やっぱり無理でした。ムハンマド様Sに下された啓示を信じてしまったことは、揺るぎのない事実だからです。

2.(2)は、論理的には非常に魅力的ながら、もうバハーイー教までいたると、信仰者なのか、世界平和を望む活動家なのか、よくわからないので、宗教としての魅力を感じませんでした。

残るは、やはり、伝統宗教である2.(2)となります。

これは、本当に悩みました。

私はこの選択肢で数年間悩み続け、ようやく今年になって出た結論は、とりあえず、スンニ派の枠にとどまりつつも、絶え間なくワッハーブ派ウイルスと戦い続けるという選択肢でした。

理由はいくつかありますが、打算的な選択としては、12年間もシリア人とかかわり、築いた友人や信仰共同体の重要な人たちはみんなスンニ派だという社会的アセット。そして、シーア派のイマームの誤謬論が、今の段階では、素直に受け入れにくいっていう2点だけです。

それ以外は、まったく、シーア派に改宗するのは、何の問題も感じません。

で、去年気がついたのは、ザイド派という特殊なシーア派の一派。これは、ゆくゆくの宿題です。ザイド派はシーア派起源ながら、スンニ派の正統カリフを受け入れるという、まあ、完全な折衷宗派で、イエメン北部に居住しています。

イエメンとビジネスを始めたら、改宗を考えてもいいかなと思いますが、まあ、形式的なバイアにこだわる必要もないので、まずは、時間ができたら、ザイド派法学を情報として勉強してみます。

で、ヨルダンでみつけた2つの、パチモンとオリジナルブランドの話。

アラビア語で、商品のクオリティーを説明するときに重要な概念があります。

主に、輸入される電化製品に対して使われますが、シリアやトルコ産の手仕事手工芸品に対しても、使えなくもないですね。

要は、

●ティジャーリー(←ティジャーラ、「商売」):安物。パチモノ。まがい品。偽造品。すぐ壊れるので使い捨て。→中国製や台湾製のことをさしたりもする。

●アスリー(←アスル、「起源」):本物。オリジナルブランド。ハイクオリティー。高額。壊れない長持ちする商品。→日本製のことをさしたりもする。

で、この概念はとってもあっちこっちで有効なんです。

たとえば、ですね。

「where r u from? japan or china?(アラビア語でね)」って聞かれるとしましょう。

ここで、

「俺は、アスリーだからね。ティジャーリーじゃないので。」

って答えると、一瞬ちんぷんかんぷんの空白の後、趣旨をわかってくれて、爆笑してくれます。

愛想のいい人なんかだと、俺の背中に回って、「おうおう、メイド・イン・ジャパンって書いてあるね」なんて乗ってくれます。

最近は、最後に、

「あ、でも、アスリーだけど、パテントが日本で、組み立てがシリアだからね」って付け加えて、いっそう仲良くなる方法まで覚えました。

で、ヨルダンのティジャーリーとアスリーの話。

ガザ虐殺事件の最中、シリアからヨルダンに陸路移動。

国境で驚きました。

まるで、イスラエル軍の検問所と瓜二つ。

コンクリの巨大な塊が、2つ、

■ 
 
  ■

こうおかれているのです。この間を相当徐行して、直角に曲がらないと抜けられないようにして、車の高速突破を阻止する一番簡単かつ効果的な妨害です。

いや、今の占領地の検問所は、きっともっと効果的でハイテクな防護策が実施されていると思いますが、90年代の検問所はみーんなこのコンクリの塊がおいてあって、そのコンクリの向こうに塹壕とイスラエル兵と機関銃ってのが、ある意味、懐かしい、中東の原風景なんです。

そのコンクリを抜けると、機関銃を構え、引き金に指をかけ、防弾チョッキを着て、完全に戦闘行動中の兵隊たちがずらーり。

車を降りて、旅券当局のビルに入るときには、金属探知機を抜け、その先で、同様に防弾チョッキを着て拳銃で武装した係官によるボディーチェック。

で、一番かわいそうだったのは、シリアに留学しているヨルダン人学生。

ヨルダン人ですよ。でも、シリア・イラン・ヒズブッラー・ハマスを仮想敵国としているヨルダンにとっては、シリアに留学している自国の学生こそが、もっとも要注意なんです。

別室取調べ、1時間の尋問でした。

で、別室で「VIP」待遇の不幸な学生を待っている間、このヨルダンのシリア・イラン・ヒズブッラー・ハマスを仮想敵国とするこの治安措置を皮肉る言葉を思いついたのです。

アレンビー橋という国境があります。

現在のヨルダン・ハシミテ国と、パレスチナ西岸を結ぶ、ヨルダン川の上にかけられた橋の国境です。

この国境は、いまでも、ヨルダンが法的には西岸の領有権を放棄したはずなのに、ヨルダンからイスラエルが管理する地域に入る旅行者にとっては、ノースタンプで出入りできる国境であり、さらにはヨルダン国籍にせよ、西岸居住者にせよ、ヨルダン領と占領地を出入りするための唯一の国境でもあります。

ですから、この特殊な国境の治安措置は、それはそれは、すばらしいのですよ。

疑わしき人物は、国籍を問わず、別室「VIP」待遇。

容赦ない尋問。

普通の旅行者に対する非人道的な対応。

私、最後にイスラエルが管理する地域に入ったのは2005年の5月で、このアレンビー国境を、10年ぶりに使ったのですが、7時間放置されました。公用旅券でも、この有様。

で、この悪名高いアレンビー国境にインスパイアされた、このヨルダンの対シリア国境の名称は、

「アレンビー・ティジャーリー」

となりました。

イスラエルが管理しているのは、

「アレンビー・アスリー」。

だから、アスリーの方が、本物で、レベルが高いけど、ティジャーリーもティジャーリーなりにアスリーを一生懸命まねているわけですね。

で、今回のアンマン滞在で見つけた、もうひとつのティジャーリーとアスリー。

例のワッハーブ派患者さんに、たまたま、道を聞いたら、こっちが、丁寧にアラビア語使って聞いているのに、ろくに聞こうともせず、英語で、ぞんざいな追い払い的な回答をつぶやくだけ。

おっしー、いじってやろうと決意。

「おじさん、立派なひげだね。アラブ服によく似合ってるよ。でも、なんで裾が短いの?」

「イスラームだからだ」

「コーランに書いてあるの?」

「書いてない。ハディースに書いてある。」

「ってことは、ファルド(義務)じゃなくて、ムスタハッブ(推奨行為)だよね?」

「なにをおっしゃるうさぎさん。ファルドである。ムスリムたるもの、この服を着るのがファルドだ!」

「ハディースに書いてあることがファルドだって、初めて聞いたけど、新しい法学派でもできたの? 
それに、コーランは主の言葉そのもの、だって俺も信じているけどさ、ハディースって誰が書いたか証明できないでしょ?本当かどうか、どうやって証明できるの?」

「偉大なる学者たちの教えに従うのが信者の義務であり、彼らの努力を疑うなどとはなんという不届きもの!」

「偉大なる学者様たちの努力は、俺はみーんな尊敬するよ。だから、シーア派の学者さんたちの長年にわたる努力も尊敬するし、彼らはスンニ派とは違うハディースを編纂しているから、どっちかが全部正しくて、どっちかが全部間違っているなんて決められないと思う。どっちも正しいところと、きっと間違ったところもあって、真実だけは主のみが知りたもう。」

「偉大なるスンニ派の学者様たちは、あのビドアのシーア派の連中などと違って、一切の間違いを犯すはずがない!」

おおっと、えーと、俺がシーア派に改宗するのをためらった教義上の点は、イマーム様の無謬論なんですが、このワッハーブ派精神病の中核は、なーんと、ムハンマド様Sの血筋の人でも、神秘知をシルシラで継承しているわけでもない、ふつーの人間たちが、イスラム法の知識に関して努力しただけで、無謬になってしまうという教義だったんですね!

これをして、

「ジャアファリー・ティジャーリー」

と命名してみました。

彼らにとって、一番耐え難い名称でしょうね。彼らは、だって、自分たちの名称として、「ワッハーブ派」を「シーア派と西洋による陰謀による中傷」と拒否し、シーア派やスーフィーを「似非ムスリム」で、シーア派なんて宗派はなく、「ラワーフィド(拒否派)」と呼び、スーフィーなんて連中は「クブーリー(墓石崇拝者)」とさげすみますからね。

彼らの、この学者無謬論の宗派は、

ジャアファル派のイマーム無謬論を批判しながら、それより、よっぽど質の低い歴史のない野蛮な砂漠のベドウィンたちを無謬だと主張しているまがい物である、という皮肉を込めて、

「ジャアファリー・ティジャーリー」

と呼びましょう。

でも、ジャアファリー・アスリーは、比較にならないほど、完成度も歴史も伝統も、そしてなにより、政治的な勝利を収めているという点で、もうまがい物には比較にならないクオリティーですけどね。

それで、です。

じゃあ、スンナ派の話に戻そう、って言って、トルコの成功例を詳しく解説していたら、このおじさん逃げ出しました。

で、それを引き継いだのが、横にいたおにーさん。

彼に、「とにもかくにも、シオニストと米国の抑圧にさらされているこのシリア地方のムスリムは、民族や政治理念や宗派の違いを超えて団結して、闘争を継続するのが信仰上の義務ではないか?」と聞いたのですよ。

その答えは、痛快。

「政治的抑圧など、永続するものではない。インシャーアッラー、そのうち、彼ら侵略者の体制は崩壊することは間違いない。今、信仰者にとって、もっとも大切なのは、純粋で正しい教義を追求し続けることである。」

「抵抗は放棄するの?」

「純正な教義を放棄した「抵抗」など、ありえない。そのような「抵抗」とは、まるでタイヤのない車にのるようなことである。もっとも重要で、不可欠なのは、純正な教義である。」

ええっと、あなたたちは、自分たちの望むタイヤ以外には、一切のタイヤを認めないし、タイヤさえよければ、それ以外はどうでもいいのですね?

ワッハーブ派のクオリティーに沿ったタイヤを探し出して、シリアやイランやヒズブッラーのエンジンやシャーシや武器や運転手や戦闘員や地図やトルコの支援を全部放棄して、で、獲得したタイヤだけでいったい何をできるのでしょうか?

きっと、タイヤを台車に取り付けて、らくだに引かせて、剣を掲げて、ねずみとトカゲを兵糧にして、勇ましく「ジハード」に出発するのはいいけど、敵国に乗り込むことすらできないことがわかると、欧米のクリスチャンの民間人の生活圏に侵入して、自爆することしかできないと思います。

シオニストとワッハーブ派ウイルスによって犯され、失地となったヨルダンの2つのティジャーリー。

イランとトルコに向かっている今のシリアの戦略を100%支持します。

コメント(67)


「外に表われるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。」

「美や飾り」と訳されているのは、ZAINA(T)です。

「きれいさ・美しさ・よさ」という名詞です。

つまり、「女性としての性的魅力」と解釈するのが自然でしょうね。



「自分の夫または父の外は、かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。なお夫の父、自分の息子、夫の息子、また自分の兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子または自分の女たち、自分の右手に持つ奴隷、また性欲を持たない供回りの男、または女の体に意識をもたない幼児(の外は)」

これが、「マフラム」の定義そのものです。

で、ハディースやスンナに何が書かれているのか、正直興味ないのですが、何が書かれているにせよ、スンナとはムスタハッブでしかないのが、聖法の根幹です。

で、ぬのっきれは、ムスタハッブですか?ファルドですか?

>男性は誇示される美しさは家庭内ではそれほど重視しておらず、適度な小ぎれいさとちょっとした女っぽさと、そっと寄り添うような空気感と優しさと誠実と安らぎを求めているとしか、私には思えないのですが・・・。つーか、むしろこっちのほうがハードル高いぞ。

すくなくとも、アラブ人ではないシリア民族でありたい私の女性パートナーに望むことは、まさにそのとおりです。

ぬのっきれ被っている女性より、被っていない女性のほうがいいなーと思うのは原則ですが、問題はぬのっきれを脱皮した女性は、モンスターのように厚化粧と過激な雰囲気に陥りやすいのが頭が痛いのです。

とはいえ、ぬのっきれを脱皮せずに、ボディーラインを強調して厚化粧で、ケツぷりぷりで歩くムスリマも多いのですが、これは一番最悪だと思います。

で、そもそも、ぬのっきれはぬのっきれでしょ?って思っているクリスチャンやアラウィー派女性なんかが、シンプルで自然な女性の美をかもし出すので、好きなんです。

イスタンブールの女性もそうですね。厚化粧で過激な女性は少なくて、みんな適度なおしゃれと控えめな服装で、みーんな自然にムスリマであり、女性であることを両立しています。ああ、イスタンブール・・・・
アブドゥさん、

いわゆるジキルの集会で、ムスリマ達が集まるのですが、ときどき、イスラムではない女性が
興味をもってくれて、参加と、いうか、加わることがあるのですが、

ムスリマたちは、当然、髪をかくし、顔だけだしているのですけれども、そのイスラムではない女性は、
当然のように、長い髪をだしています。

まぁ、それが、非常に女性らしいというか、はっきりいってしまえば、セクシーなわけです。

単純な、布ッきれでも、性欲から守られるということでは、けっこう重要だなと、思ったしだいです。

>ムスリマたちは、当然、髪をかくし、顔だけだしているのですけれども、そのイスラムではない女性は、当然のように、長い髪をだしています。まぁ、それが、非常に女性らしいというか、はっきりいってしまえば、セクシーなわけです。

それは当然、比較、いや本質的には、隠蔽と開示行為こそ、エロ概念の立件要素だからです。

アマゾンの部族にこういう集団がいます。

私たちの基準では、「裸族」ですが、彼らは「裸の恥」を知っている部族です。

なぜか?腰に身につける紐が、「性的魅力を隠す」衣服だからです。

ほぼ全裸なのに、この腰につける紐が落ちると、恥を感じ、急いで紐を付け直します。

紐こそが、社会的服装と、エロを隔てているのです。

つまり、そのジクル集会においては、本来は隠されている髪が、露出されるという状況が、エロなんです。

逆に言えば、髪を出すことが、普通な社会においては、髪でエロは成立しません。

エーゲ海の遺跡をめぐるたびの秀逸なエッセイを読んだのですが、エロに関して印象的だったのは、イスタンブールの博物館の彫刻の乳房に、本当のエロを感じたが、エーゲ海で夏を過ごすと、白人女性のリアルな乳房は風景の一部となり、何も感じなくなった、という感想でした。

乳房も、みんなが出していれば、エロですらなくなるのです。

江戸時代まで、日本の銭湯は混浴が基本でしたし、敗戦後までも、この種の文化は生き残り、私が幼かったころ衝撃的に覚えているのですが、昭和30年代の三重の海女さんの写真で、若いきれいな海女さんたちが、上半身をはだけて記念写真に写っていた記事です。かなり萌え、かつ、衝撃でした。

「あれ、日本って、性の乱れを云々するおっさん・おじさんが多いけど、昔のほうがもっと開放的だったんじゃないの?」って?

すべての禁忌や社会コードは、この種の「恣意性」の上に成立している「共同幻想」なんです。

と言い切れるのは、私がある意味「過激派スーフィー」だからです。

普通の信者さんにここまで割り切れとは言いませんけどね。
サラフィーが根拠にしているのは、クルアーンに出てくる「ヒジャーブ」という語のようです。

ヒジャーブというのは、「隔離」っていう意味でしたよね。この語は、クルアーンの中で何回か出てくるのですが、私が覚えているのは2つだけ。マルヤム章の第17節と、部族連合章の第53節です。

----------------------------------------------------
第33章 アル・アハザーブ(部族連合章)第53節
33-53.信仰する者よ、預言者の家に食事に呼ばれても食事の準備が、完了するまでは、家の中に勝手に入ってはならない。だが呼ばれた時は入りなさい。食事が終ったならば立ち去れ。世間話に長座してはならない。こんなことが預言者に迷惑であっても、預言者はあなたがたを(退散させることを)遠慮するであろう。だがアッラーは真実を(告げることを)遠慮なされない。またあなたがたが、かの女らに何ごとでも尋ねる時は、必ず帳の後からにしなさい。その方があなたがたの心、またかの女らの心にとって一番汚れがない。またあなたがたは、アッラーの使徒を、悩ますようなことがあってはならない。またあなたがたはどんな場合でも、かれの後でかれの妻たちを娶ってはならない。本当にそれらは、アッラーの御目には大罪である。
----------------------------------------------------

この、【またあなたがたが、かの女らに何ごとでも尋ねる時は、必ず帳の後からにしなさい。】の「帳」が、ヒジャーブですよね。
この節は、預言者(saw)と従姉妹のザイナブとの結婚披露宴の際に下ったもので、この節が下った後、預言者(saw)は男性のいる場所と、妻のザイナブのいる場所をカーテンで区切りました。これは、ハディースが根拠です。


参考リンク貼りますね。詳しくはこちらを読んでみてください。

http://d1.islamhouse.com/data/ja/ih_articles/Summary_of_the_Islamic_Fiqh_Tuwajre/06_Marriage/jp_01_marriage/jp_08_marriage.pdf
これは、サラフィー系のサイトと思われます。ヒジャーブが義務であるとの見解は、7ページ目に書いてあります。


http://islam.web.infoseek.co.jp/abu/hijab.htm
これは、アズハル大学で法学を修めた方のHP。ハナフィー法学の見解として「髪を覆う、胴体、膝から上、手首から上がアウラということになります。」って書いてありました。私がさっきコメント25で書いたハナフィーのアウラ、間違ってたみたい。すみません。


http://alianisa.hp.infoseek.co.jp/q&aislam.html
インドネシア在住のムスリマのHP。日刊紙の訳が載っています。部分抜粋すると、「頭と全身を覆った女性は必ず間違っていることはなく、一方、ムスリム社会での慣習にのっとり礼儀正しい服装をしているが全身を覆ってはいない女性は必ずしも間違っているとは言えないが、間違っている可能性が開かれていると言えます。」


>で、ぬのっきれは、ムスタハッブですか?ファルドですか?

法学者によって見解が異なる・・・としか、言えないですね。個人的な考えを言えば、部族連合章の第53節は、全体として預言者(saw)とその妻に対して取るべき態度について述べられており、「女性の義務」が主題ではないような気がします。
(アマゾンの部族にこういう集団がいます。
私たちの基準では、「裸族」ですが、彼らは「裸の恥」を知っている部族です。
なぜか?腰に身につける紐が、「性的魅力を隠す」衣服だからです。
ほぼ全裸なのに、この腰につける紐が落ちると、恥を感じ、急いで紐を付け直します。

紐こそが、社会的服装と、エロを隔てているのです)



なるほど、興味深い話ですね。なんとなく、アダムとイブがつけていた、いちじくの葉っぱを
思い出します。

(乳房も、みんなが出していれば、エロですらなくなるのです。)

これは、私自身が、二十年まえに、インドネシアのバリ島の海岸で、実体験しました。

西洋人女性のあられもない姿は、バリのさんさんと輝く太陽のもとでは、ただのオブジェでした。

と、いうことは、逆にいうと、サウジの殿方は、ふだん黒い服の女性しかみていないと、いうことは、
普通の格好の女性が、非常にエロく感じるというわけですね。

どうりで、インドネシアや、フィリッピン女性のメイドへのレイプが多発するわけです。

なかなか、おもしろい話、ありがとうございました。





>で、ぬのっきれは、ムスタハッブですか?ファルドですか?

私が知る限り、Shafii'ではファルドです。
根拠については忘れてしまったので、数日中に確認します。

また、女性のアウラについてはkawtharさんがおっしゃっているのと同じだと思いますが、手(手首から)と顔(首より上、耳を含まない)のみです。
足(くるぶしより下)については、学派によって見解が分かれるようですが、Shafii'ではつま先までアウラに含まれるはずです。
>32、34

伝統的な法学の解釈で、なにかをいろいろといじくりまわして、ぬのっきれをファルドと解釈してるのはよーく知っています。

しかし、ウラマーのイジュティハードを、タクリードするだけ、でいいのか?

ってのが、私がこの過激なコミュを立ち上げた趣旨なんです。

という点では、実は私はとっても過激派なんです。

これを追求して暴力を、伝統法学の権威を否定して正当化した連中が、ワッハーブ派のイフワーン軍であり、ムスリム同胞団の一部であり、そして、あの悪しきアル・カーイダなんです。

私は、それでも、なお、イジュティハードの見直しと再開を、もう一度やり直すべきだと主張する点では、まさに「サラフィー」なんです、実は。

その目的が大きく今のサラフィーと異なっているのですけど。

私は、ようは、宗教改革と近代化を目的に、もう一度イジュティハードをやり直しましょう、と訴えているのであって、「イスラム教こそ解決」というスローガンを叫ぶつもりはないのです。

正直、シオニストや西洋の侵略に晒されていない、牧歌的なムスリムの共同体なら、牧歌的に伝統的なイスラム教解釈を続けたほうがいいと思います。

たとえば、イエメンとか、オマーンとか、モロッコとか、インドネシアとか、マレーシアとか。

無理して近代化に取り組むと、いろーんな矛盾を抱えますからね。経済発展そのものは人生の目的じゃないですから。

でも東地中海のムスリムは、近代化による富国強兵に取り組まない限り、永遠の弱者として抑圧され続けるのです。

で、私がぬのっきれで示した思考的実験はあくまで、サンプルです。

ありとあらゆるイスラム法の規定が、この方法で再検証され、どこまで近代化が可能なのか、それを探るのが、この地域のムスリムの義務だと信じています。
それは、理屈としては、わかるんだけどもさ。

アブドゥさんの致命的なのは、あまりに多くの人を敵に回しすぎることだよね。
反感持たれて当然のことを軽々と言って回りすぎていると思うんだけど。

私が、ウラマーの見解をサーチして提示する以外のことをほとんどしなかったのは、自分の知識とか経験とかを鑑みて、自分の見解を語ったって誰に説得力を持つんだろうか、という、自制が働いたからです。


それでも、部族連合章53節について、「全体として預言者(saw)とその妻への態度について述べられている」と書きました。前節をずっとさかのぼっても、後節を見ても、預言者(saw)の結婚に対してのみ許される特例や彼の妻に再婚が禁じられたことなどが多く書かれているし、また、【預言者の妻たちよ、あなたがたは(外の)女たちと同じではない。】と、はっきりと信者たちの母たる彼女らと、一般の信徒の女性とを分けている記述もあるし、その点を法学者たちがどう捉えているのか、知りたいという気持ちもあったからです。

アブドゥさんは確かに過激派だよ。向こう見ずで、理屈をこねる割には、大事なところで計算が働かない、もっと言えば、子供っぽいかな。

反ワッハーブ派の法学者がアメリカの庇護の下にしか存在できず、庇護を得るのと引き換えに、パレスチナ問題に沈黙していることについて、どう思われますか?

こういう問題を、アブドゥさんはどうクリアーするつもりなんですか?
信念とスローガンだけなら、ウサーマ・ビン・ラーディンだって持ってるよ。そして、彼が招いたのは平安でなく、混乱だよね?建設的でないからだよ。また、建設する能力とかビジョンについて、すごく浅いものしか持っていないからではないの?

シリアとトルコとイランが・・・っていう話は、やめてね。常識的な感覚で言うけど、あなたはシリア好きの東洋人として、受け入れられているに過ぎないと思うよ。

はっきり言って、場当たり的な批判に終始しています。
夢を実現する前に、人に嫌われて疎外されて終わってしまわないといいのですけれど。
思想は、人に支持されるものでなければ、まったく意味がないと思いませんか。アブドゥさんは、方向としては正反対に向かっていると思う。

アブドゥさんが目標にしていることは、長い時間をかけて行われるべきことであって、今は、その素描として、いろいろさぐっている段階だというのはわかりますよ。でも、ちょっとずれている気が、私はするんです。
(私は、それでも、なお、イジュティハードの見直しと再開を、もう一度やり直すべきだと主張する点では、まさに「サラフィー」なんです、実は。)

そのことは、同意しますが、では、いったい、どんな方法で? だれが? どこで、どんな風に?

と、なると、たいへんなことだと、考えます。

アブドゥさんと、しては、どうお考えでしょうか?
Questioning about Islam is good but questioning Islam is wrong.

最近聞いたレクチャーで出てきた話で、当てはまる状況を良く目にする
内容だなぁと思いました。
例えばこのような質問です:

「どうして1日に5回礼拝しないといけないの?」
「どうしてマハラム以外の男性の前でヒジャーブしないといけないの?」
「現代の環境は預言者様(SAWS)に啓示が下った時代と状況が違うんだから、現状に合わせてシャリーアも改定されればいいのに・・・」

Allah & Prophet Mohammad (SAWS) told us to do so.
後々作られた様々な理由は別として、根本的な理由はこれだけです。

If you truely believe in them, you don't do it.

という内容でした。
全ての人がこの説明で納得できるわけじゃないのかもしれませんし、このトピックの趣旨に外れるかもしれませんが。
イスラムについて、質問するのは、よいけれど、イスラムを疑問視するのは、よくない。

そんなところですかね。

マーリク イブン アナスは、かつて、「慈悲深きお方は玉座に坐し給う」というコーランの一節について
「神はいかに坐し給うか」と、尋ねられた。この質問にマーリクはしばし頭をたれて沈黙した。やがてその額は、玉のような汗で覆われ、ついに顔をあげてこういった。
「坐し給うという神の属性は知りうるが、その様態についてはわからない。だが、それを信じることは義務であり、それについて詮索することは異端である」と、
これが、有名な、(様態のいかんを問わず、うけいれる)「ビラー カイファ バルカフィーヤ」の立場である。
理性的に考えるなら、時空を超越し、被造物からの類推を一切拒否する神が人間と同じように、
天の玉座に座していると考えることは不可能である。したがって、「玉座に坐す」の表現を文字通りに解釈することはできない。しかし、神ご自身が「天の玉座に坐す 」と述べている以上、その具体的意味に
ついては不明であるにしても、それについて詮索することなく、それをそのまま断固肯定しようとする立場である。
イスラームと近代。より。

ビラーカイファについては、アブドァさんのbila とは、without

kaifa とは、how

つまり、「いかにと問うことなく」という結論です。

が、分かりやすかったですね。

私も、妻にイスラムのちょっとした質問をすると、そんなことは、考えなくてもいいの。って
怒られることがあります。
>では、いったい、どんな方法で? だれが? どこで、どんな風に?

まさに、核心の質問です。

知識人が、孤独に、良心と信仰をしっかり持って、行うしかない、と思います。

それを政治運動にした瞬間に、きっと知的作業ではなく、教条的なカルト・政治団体になって終わりでしょうね。

「イスラームと近代」

を言及されていますね。私が卒論でもっとも重要な著作として使わせていただいた文献です。

その最後に、ネオ・イスラーム主義という紹介があったと思います。

ムハンマド・アルクーンなど。

そのまとめに、

「彼ら知識人らによる重要な聖典解釈のやり直しの知的試みは注目に値するが、彼らは、では、その高度に知的な行為をいかにして一般大衆に伝えるのか、という点は、まったく責任を負わない、という立場である点で、限界がある」

と指摘されていると思います。

私は現代思想のプロになるつもりはないし、宗教者になるつもりもありません。

特殊な哲学・思想用語や、フランス語や英語を使わずに、できるかぎり、分かりやすいトルコ語とアラビア語で、体系的な思想の構造を残せればいいと思います。

種をまくこと、以上のことは私は責任を負えません。もう30代半ばで、これからの人生でできることなんて、限界があることは十分に承知していますから。

枠組みさえ作って残せれば、その詳細は、誰かが、引き継いでくれるだろう、と期待するだけで満足します。
>アブドゥさんの致命的なのは、あまりに多くの人を敵に回しすぎることだよね。
反感持たれて当然のことを軽々と言って回りすぎていると思うんだけど。

>アブドゥさんは確かに過激派だよ。向こう見ずで、理屈をこねる割には、大事なところで計算が働かない、もっと言えば、子供っぽいかな。

自覚していますのでご安心ください。

私は政治家になるつもりも、政治運動を率いるつもりもまったくないのです。
政治家ならば、駆け引きや大衆を指導することが、理論なんかより、よっぽど大切な資質です。

しかし、私はたんなる理論を述べているだけの立場ですから、気兼ねなく好き勝手言わせてもらいます。

聞きたい人に聞いてもらえればいいし、理解してもらえる人に理解されればいいと割り切っているので。

理論を論じる知識人の仕事と、理論を実践して、大衆を組織化する政治家の仕事は、まったく水と油なんだと割り切っていて、私は政治家としての責任はまったく追うつもりはないのです。

ですから、一匹狼で、なーんにも矛盾を感じません。一匹狼で、失うのが怖い政治的・社会的立場がないからこそ、気楽に生きていけるので。

とはいえ、家族ができたら、少なくともシリア・トルコ国内の政治文脈での駆け引きや用心には、いっそう慎重になるべきだって自覚はあるのですが、ま、日本語のネットでは、なーんの気兼ねもしません。

>私が、ウラマーの見解をサーチして提示する以外のことをほとんどしなかったのは、自分の知識とか経験とかを鑑みて、自分の見解を語ったって誰に説得力を持つんだろうか、という、自制が働いたからです。

一人の信仰者としては、それが正解です。私はいうなれば「鬼子」であり「反逆児」なんで、見習わないでくださいね。

とはいえ、この種の議論は、シリアのアラウィー派の人たちとはふつーにできますし、スンニ派でも良心的な知識人であれば、きちんと成立しますよ。そこまで、「過激」な意見ではないです、少なくともシリアでは、いや、トルコでも。イランは知りません。

>反ワッハーブ派の法学者がアメリカの庇護の下にしか存在できず、庇護を得るのと引き換えに、パレスチナ問題に沈黙していることについて、どう思われますか?

卑怯だと思います。だから、政治的なしがらみを抱えない孤独な知識人であることを私は選択します。エドワード・サイードが、師匠ですね。

とはいえ、トルコ国籍を取得すれば、どうしてもクルド人やアルメニア人の人権問題は沈黙せざるを得なくなることは覚悟しています。卑怯だと自分でも思いますし、認めますが。
>とはいえ、この種の議論は、シリアのアラウィー派の人たちとはふつーにできますし、スンニ派でも良心的な知識人であれば、きちんと成立しますよ。

で、話の後で、「実験」だの「サンプル」だの言っても、別に嫌な顔もされないわけですか(−"−

ヒジャーブがどうこう、は、べつに過激でもなんでもないよ、確かに。
釣るような書きかたしたり、しかもそれを平然と認めたり、ムスリム同士で戦ったらそれは聖戦か否かそんなことも知らないで闘争を語ったり、そういう姿勢が過激なんですー。(−"−
アブドゥさん

>正直、シオニストや西洋の侵略に晒されていない、牧歌的なムスリムの共同体なら、牧歌的に伝統的なイスラム教解釈を続けたほうがいいと思います。たとえば、イエメンとか、オマーンとか、モロッコとか、インドネシアとか、マレーシアとか。

え〜、モロッコが西洋の侵略にさらされていない??? シリアを特別視したいお気持ちはわかりますが、だからといってその他の地域を「たいした重要性をもたないもの」と決めつけるのはどうかと思いますよ。

>ありとあらゆるイスラム法の規定が、この方法で再検証され、どこまで近代化が可能なのか、それを探るのが、この地域のムスリムの義務だと信じています。

この地域のムスリム、というものの中にご自身が含まれるのでしたら、もう少しイスラム法や思想全般をお勉強なさってからいろいろおっしゃってはいかがですか?

>私は、ようは、宗教改革と近代化を目的に、もう一度イジュティハードをやり直しましょう、と訴えているのであって、「イスラム教こそ解決」というスローガンを叫ぶつもりはないのです。

アブドゥさんのおっしゃるイジュティハードやタクリードの意味が全然わかりません。イジュティハード云々と主張するのでしたら、歴史的にイジュティハードがどのように論じられてきて、どのような意味のバリエーションがあり、法の適用においてどのような役割をはたし、現在はどのように考えられているか、くらい、お勉強なさってからにしてはいかがですか?

アブドゥさんはマスラハという術語の使い方もめちゃくちゃです。それに、どっかに書かれていましたが、ガザーリーは全然ムウタズィラ派なんかじゃないですよ。

いちいち間違えを指摘してもしょうがありませんが、さっきパレスチナのコミュでアブドゥさんの「オレが一番よく知っている、なぜならオレはシリアに住みアラビア語話すムスリムだから」という主張は、謙抑的な(構造主義的な)姿勢に欠けすぎていて私は賛同しかねると書きましたが、それ以前に、イスラム的知識のレベルで誤認識が多いのも否めません。それほどご自身のアラビア語に自信をお持ちなのでしたら、ガザーリーでもなんでも、お読みになってはいかがですか?ガザーリーの著作は、諸法学者の諸著作に比べたらものすごーく簡単ですから。
>え〜、モロッコが西洋の侵略にさらされていない??? 

おっしゃるとおりです。フランスの植民地支配により深刻なアイデンティティーの危機にさらされ、今でもセウタやジブラルタルなど地中海沿岸の戦略拠点が、英国やスペインによって支配されています。

謹んで、拙速を認め、訂正します。オマーンやイエメンも、植民地支配には晒されていませんが、地政学的な戦略地として、欧米のみならず、地域のワッハーブ派覇権国家であるサウジを含め、ポストコロニアルな支配体制にしっかり組み込まれています。

>この地域のムスリム、というものの中にご自身が含まれるのでしたら、もう少しイスラム法や思想全般をお勉強なさってからいろいろおっしゃってはいかがですか?

ご指摘のとおり、イスラム法学を体系的に学んだことがない、という点で、あなたのご指摘は正鵠を得ています。

当面はビジネスと結婚など現世生活で多忙ですが、数年後には時間を見つけて、ターリブ・アル・イルムとして勉強をしっかりしなければ、今こうして日本語で好き勝手に書きなぐっていることは、何の説得力もない思いつき程度の文章であることは重々自覚していますので、謹んでご指摘を受け入れます。

>アブドゥさんのおっしゃるイジュティハードやタクリードの意味が全然わかりません。イジュティハード云々と主張するのでしたら、歴史的にイジュティハードがどのように論じられてきて、どのような意味のバリエーションがあり、法の適用においてどのような役割をはたし、現在はどのように考えられているか、くらい、お勉強なさってからにしてはいかがですか?

もちろん、そのとおりです。専門家から見れば素人が無責任なことを言っているとの判断はそのとおりです。

>それに、どっかに書かれていましたが、ガザーリーは全然ムウタズィラ派なんかじゃないですよ。

すいません、これは私の誤解なら、教えていただきたいのですが、ガザーリーの神学・哲学者としての出発点はムウタジラ派で、それを極めた上で、哲学・神学批判によるムウタジラ派批判を展開し、アシュアリー神学を構築した、という理解は正しいでしょうか?

>さっきパレスチナのコミュでアブドゥさんの「オレが一番よく知っている、なぜならオレはシリアに住みアラビア語話すムスリムだから」という主張は、謙抑的な(構造主義的な)姿勢に欠けすぎていて私は賛同しかねると書きましたが、

これには、少し訂正をさせてください。「一番知っている」とは書いていません。

ただ、パレスチナ人に対し、より説得力を持って対話できるのは、あなたのような信仰をネガティブに捕らえるサヨクよりは、アラビア語話者で信仰者のムスリムである私のほうではないですか?という比較論をしただけです。

私がより真理を知っているなどとは主張していませんが、そう受け止める解釈が成立する言い方である、ということはおそらく事実だろうと思います。

謙虚な姿勢に欠けている、とのご指摘は、謹んで受け入れます。

>それ以前に、イスラム的知識のレベルで誤認識が多いのも否めません。それほどご自身のアラビア語に自信をお持ちなのでしたら、ガザーリーでもなんでも、お読みになってはいかがですか?ガザーリーの著作は、諸法学者の諸著作に比べたらものすごーく簡単ですから。

私が、アカデミズムに適応できる人間だったならば、知識と勉学に集中して今頃はそれなりの専門家になっていたと思いますが、結婚という責任問題を抱えたため、きっと肌には合わないだろうと思いながら、契約コンサルとして外務省から仕事を頂き、アカデミズムからは遠ざかり、その後は、公職で、自分の勉強を続けることができる環境(時間的にも、精神的にも)がなく、そもそも、9.11以降のムスリムたちのテロへの共感・支持により、もう信仰もアラビア語も捨てるかどうかでずっと悩んでいたくらいですから、私のイスラム法学の知識は断片的かつ不正確かつ不十分であることは素直に認めます。

ようやく、こうして無責任な文章を日本語で書き続け、シリアとトルコでの人生なら信仰者としてやり直せることが、気持ちの上でも論理的にも整理がついたので、まずは、ここでのビジネスの成功に集中して、その後時間を作って、本格的に勉強を再開しようと思いますが、私はもうアカデミズムに戻るつもりはほとんどないので、あくまで、自分自身が将来著作をするための準備として行います。

アカデミズムという世界は、知識の深さをめぐって自己鍛錬をするのにはいい場所ですが、あの「権威」が限りなく胡散臭くて嫌でしたから、戻るつもりはありません。在野の自称「知識人」として著作と発言が、トルコ語とアラビア語でできれば十分です。

また、数年後でしょうけれども、ターリブ・アル・イルムとして勉学を始めた際には、ぜひ、ご指導をお願いします。
>で、話の後で、「実験」だの「サンプル」だの言っても、別に嫌な顔もされないわけですか

そこまでは言い切りませんが、「要は、シャリーアって、そもそも何?って話をせずに、とにもかくにもシャリーアを国家の法律として適用すれば、すべての問題が解決されるなんていう夢物語を語る人たちは困ったもんだよね、まずはシャリーアが、今のテクノロジーや政治制度や経済制度において、どのような有効性を持ちえるのかってことを検証して、んで、改革をしつつ適用しないと、なんの意味もないし、有害だよね」って言ってまとまりますね。

>ヒジャーブがどうこう、は、べつに過激でもなんでもないよ、確かに。

そうですか?少なくともサウジや、サウジシンパのパキスタンの方々とは、とてもそんな冷静な議論にはなりませんけど。あまりにも、サウジやワッハーブ派が特殊なんでしょうかね?

私が、ある意味被害者意識が強すぎるのかもしれませんが、結局スンナ派の王道って、ワッハーブ派やサラフ派でしょ?と思っているのは、たんなる特殊な実存なんでしょうか?本当にそうであることを祈ります。

>釣るような書きかたしたり、しかもそれを平然と認めたり、

確かに、その点は私の不徳です。まだまだ足りません。

>ムスリム同士で戦ったらそれは聖戦か否かそんなことも知らないで闘争を語ったり、そういう姿勢が過激なんですー。

私は、確かに、ワッハーブ派を敵だと認識していますが、戦争をすべきだなどとは思っていません。ただ単に、シリア地方は、アラビア半島との国境をしっかり閉ざして、トルコやイランに対し国境を開放して、ワッハーブ派の影響をできる限り最低限にすべきだ、そして、思想的に闘争すべきだ、と主張しているだけです。

まして、その思想的闘争を「ジハード」などと主張するつもりはありません。この地域の多宗派のムスリムやクリスチャンの、シオニストや欧米に対する抵抗運動を維持するためには、彼らのようなムスリムやクリスチャン同士の殺し合いにいたるような宗派を拒否することが、政治的な抵抗運動だ、と指摘しているに過ぎません。

私は、ありとあらゆる意味で、タクフィールに反対していますので、ワッハーブ派を敵だと断定しますが、タクフィールはしません。敵だ、という認識は、この地域の国民的な抵抗運動を破壊するから敵だと指摘しているだけで、ムスリムすべての敵だ、などとは主張しません。

とはいえ、嫌いという感情だけで、筆が滑ることも多々ありますけどね。それは、まだまだ、私の信仰者としての寛容の精神が足りないからだ、と謹んで非を認めます。
>そこまでは言い切りませんが、「要は、シャリーアって、そもそも何?って話をせずに、とにもかくにもシャリーアを国家の法律として適用すれば、すべての問題が解決されるなんていう夢物語を語る人たちは困ったもんだよね、まずはシャリーアが、今のテクノロジーや政治制度や経済制度において、どのような有効性を持ちえるのかってことを検証して、んで、改革をしつつ適用しないと、なんの意味もないし、有害だよね」って言ってまとまりますね。

相手によっては余計な一言をちゃんと謹んでいらっしゃるようなので、とりあえず安心しました。


>>ヒジャーブがどうこう、は、べつに過激でもなんでもないよ、確かに。
>
>そうですか?少なくともサウジや、サウジシンパのパキスタンの方々とは、とてもそんな冷静な議論にはなりませんけど。あまりにも、サウジやワッハーブ派が特殊なんでしょうかね?

ワッハーブ派がいかに特殊であるか、ご自分でよくご存知なはずでしょうに。
あとね、アブドゥさんはパキスタン人を激しく誤解してらっしゃると思います。
パキスタン人にとって「タリバーン」とは、「ワッハーブ派」ではなくて、「パターン(パシュトゥンのこと)勢力」のことなんですよ。仮にパキスタンの平野部でワッハーブ派が増えたとしても、基本的にタリバーンとは相容れません。タリバーンは、パシュトゥンである以上、パシュトゥンワーリという民族の掟の中で生きる人々です。他民族とは混じり得ないんですよ。タリバーンがイスラマバードまで兵を進めたとしましょうか、パキスタンで一番力を持っているのはパンジャーブ人ですが、彼らがパシュトゥンの首都進出を許すはずがありません。パキスタン人を支配しているのは地縁・血縁です。宗教思想は多民族を緩やかに結合させているものではありますが、民族対立を完全に抑えきるほどの力は持っていないのです。パシュトゥンを抑えるために、別のイデオロギーが持ち出されることは確実でしょうね。
パシュトゥンであるタリバーンがアフガンを支配するようパキスタン政府が支援をしたとしても、パシュトゥンがパキスタンを支配することは、容認されることではありません。

あと、私の個人的経験で物を言えば、ワッハーブ派は、民衆の支持を得ないと思います。カラチのワッハーブっぽいの厳格すぎるムスリムってすごく狭量で他者に対して優しくなくて、自ら驕ること甚だしく、協調性に欠け、服装etc.にうるさいわりに、ムスリムらしい心を持っていません。どちらかというと、人間として人々に愛されていないんです。私の接した厳格主義ムスリムは、そういう傾向にありました。経験上、そういう感想を持っています。
多くのパキスタン人の信仰は、布教活動や書籍などによって教えられたものではなく、家庭の中で両親と兄弟姉妹との生活の中で培われたものなんです。規則にこだわり、それを厳格に行使することがイスラームの目的ではないことは、無学な人でもわかっていることなんですよ。そして学校での穏健な宗教教育がそれを補足する役割を果たしています。マドラサは必ずしもこの限りではなかったようですが(対インドを抱えたイスラーム国家の宿命です)、厳しいので有名ですから、子供を積極的にそこへ入れたがる親は、実は非常に少ないのです。そして、そのマドラサも、ワッハーブ系というわけではありません。ほかの・・・なんだっけ、名前忘れてしまいましたが・・・。

ただ、改宗したばかりのにわかムスリムが、大した知識もないのに傲慢にもシャリーアのあり方がどうこう・・・などとまくしたてたとしたら、パキスタン人は伝統を重んじる人が多いですから、サウジシンパでなくとも、否定的な反応が返ってくることは、十分ありえると思います。
あ、でも、基本的に、改宗ムスリムに対しては、とても丁重にやさしく、尊敬を持って接してくれる人たちですよ。ムスリムとして至らないこところや、知らないことが多くあっても、逐一それを指摘して押し付けたり、無理やり改善させるような態度を取られたことはありません。少なくとも、私は。
>私が、ある意味被害者意識が強すぎるのかもしれませんが、結局スンナ派の王道って、ワッハーブ派やサラフ派でしょ?と思っているのは、たんなる特殊な実存なんでしょうか?本当にそうであることを祈ります。

もう一度書きます。ボーンムスリムの信仰は、書籍によって暗記されたものではなく、家庭の中で育まれたものなんです。
サウジがワッハーブ思想の普及に力を入れだしたのは、ここ10年とか20年くらいのものでしょう?この先どうなるかは保障はありませんが、人々の心で生きているのは、未だ、伝統的に親から子へと伝えられて守られてきた信仰であるはずです。
一般のムスリムがワッハーブ系の過激派を支持したとしても、それは、思想に対する支持ではなく、対アメリカ、という姿勢に対して一縷の望みを託しただけのことなのではないでしょうか。
あと、現代のムスリムたちの社会は、ワッハーブ派の浸透以上に、世俗化のほうがスピードが早いように思うんですが。私はカラチのことしかわかりませんが、そういう風に感じているのですけれど。


>私は、確かに、ワッハーブ派を敵だと認識していますが、戦争をすべきだなどとは思っていません。ただ単に、シリア地方は、アラビア半島との国境をしっかり閉ざして、トルコやイランに対し国境を開放して、ワッハーブ派の影響をできる限り最低限にすべきだ、そして、思想的に闘争すべきだ、と主張しているだけです。
>
>まして、その思想的闘争を「ジハード」などと主張するつもりはありません。この地域の多宗派のムスリムやクリスチャンの、シオニストや欧米に対する抵抗運動を維持するためには、彼らのようなムスリムやクリスチャン同士の殺し合いにいたるような宗派を拒否することが、政治的な抵抗運動だ、と指摘しているに過ぎません。

それは、わかっています。
そういうことに触れるつもりで書いたんじゃないので、ごめんなさい。
あんま、気にしないでください。


>私は、ありとあらゆる意味で、タクフィールに反対していますので、ワッハーブ派を敵だと断定しますが、タクフィールはしません。敵だ、という認識は、この地域の国民的な抵抗運動を破壊するから敵だと指摘しているだけで、ムスリムすべての敵だ、などとは主張しません。

タクフィールの危険性を指摘し続けることは、私も、大事なことだと思っていますよ。よっぽどのことがなければ、あれは、やっちゃいけない。タブーだと思うな。
閑話休題。

ファッションサイトをサーフィン中に、おもしろいのを拾ったので、ぺたり。あっかんべー

左:シリア、ヒジャーブスタイル図鑑。
右:黒黒シスターズ・マトリックス版。

 39〉イスラムについて、質問するのは、よいけれど、イスラムを疑問視するのは、よくない。

 でもこれって下手すると宗教権威に従えってことにもなりませんか?その辺のイスラム教徒に聞いてまともな答えが返って来なくてもしょうがないけど、聖職者には質問にちゃんと答えてほしいと思います。
39〉イスラムについて、質問するのは、よいけれど、イスラムを疑問視するのは、よくない。

 でもこれって下手すると宗教権威に従えってことにもなりませんか?

結局それで、つまり、その宗教権威とやらに、したがったつもりで、自爆テロとか、やっていると、
思うのですよ。

シーア派などは、ものすごく簡単にいうと、ジハードのような、ことについて、判断をくだせるひとが、
いない、ということもあって、自爆テロはおきない、らしいです。

スンニ派は、その点が、難しくて。

スンニ派の宗教権威って、いったい、だれですかね?
>アブドゥさんはパキスタン人を激しく誤解してらっしゃると思います。

私が実存で接触したパキスタンの方々は、サウジの出稼ぎ労働者の方たちで、多くがヒゲヒゲ、裾短、「ホダー・ハーフェズ」と挨拶すると、剥きになって「アッラー・ハーフェズ」と答える人たちが、メインだなという印象でしたが。

それはやはり、サウジに来る連中がそもそも、もしくはサウジで洗脳が進んだという意味でいっそうコンデンスミルクなんでしょうね。

でも、もう、パキスタンに行きたいとは思わなくなりました。怖いんで・・・

きっと、山岳部のイスマイル派の居住区とかなら、安心して訪問できると思いますが、スンニ派地区は、勘弁です。誘拐されて、斬首されたくないので。日本人の元外交官にして、スーフィーなんて、もう格好の標的ですよ。斬首映像とか配信されるのは勘弁です。

>パキスタン人にとって「タリバーン」とは、「ワッハーブ派」ではなくて、「パターン(パシュトゥンのこと)勢力」のことなんですよ。仮にパキスタンの平野部でワッハーブ派が増えたとしても、基本的にタリバーンとは相容れません。タリバーンは、パシュトゥンである以上、パシュトゥンワーリという民族の掟の中で生きる人々です。他民族とは混じり得ないんですよ。タリバーンがイスラマバードまで兵を進めたとしましょうか、パキスタンで一番力を持っているのはパンジャーブ人ですが、彼らがパシュトゥンの首都進出を許すはずがありません。パキスタン人を支配しているのは地縁・血縁です。宗教思想は多民族を緩やかに結合させているものではありますが、民族対立を完全に抑えきるほどの力は持っていないのです。パシュトゥンを抑えるために、別のイデオロギーが持ち出されることは確実でしょうね。

まあ、その事情はよく分かりました。北部の部族地区での「タリバン」の部族性は、しかし、では、どうして、イスラマバードの国会のすぐ近くのモスクにテロリストが立て篭もったり、パキスタンのあっちこっちの地区からインドに出撃するテロリストが登場したりするのでしょうか?

もはや、ワッハーブ派やアル・カーイダは、パシュトゥーンの部族の枠を超えて浸透していると考えるべきではないでしょうか?

>あと、私の個人的経験で物を言えば、ワッハーブ派は、民衆の支持を得ないと思います。

それは希望的観測、もしくは、カラチでのシスターの実存です。

アラビア語世界のスンナ派の感染率や感染のリスクや免疫力の弱さは、他でもないスンナ派のアラビア語話者である私自身がよーく知っています。

アンマンなんかだと、チョーリッチなスンナ派パレスチナ人が、豪邸にヒゲヒゲブラザー・シスターになって、熱心に「イスラームの正しさ」を熱弁したりしていますよ。

確かに、貧困だといっそう、免疫力が低下するのは事実ですが、貧困だけが問題ではない、スンナ派の免疫力・ワクチンソフトの弱さの構造的な問題が、大きな原因です。

>多くのパキスタン人の信仰は、布教活動や書籍などによって教えられたものではなく、家庭の中で両親と兄弟姉妹との生活の中で培われたものなんです。規則にこだわり、それを厳格に行使することがイスラームの目的ではないことは、無学な人でもわかっていることなんですよ。

そういった伝統的な宗教解釈と宗教教育が保持されることを祈ります。そのシンボルが、きっとシリアと同様に聖者廟なんだろうな、と直感します。

>マドラサは必ずしもこの限りではなかったようですが(対インドを抱えたイスラーム国家の宿命です)、厳しいので有名ですから、子供を積極的にそこへ入れたがる親は、実は非常に少ないのです。そして、そのマドラサも、ワッハーブ系というわけではありません。ほかの・・・なんだっけ、名前忘れてしまいましたが・・・。

パキスタン版のワッハーブ派コピー、タブリーグ・ジャマーアでしょうね。

日本で活動するパキスタン人の宣教活動家のほとんどが、その関係者だ、と聞きましたが、容易に想像がつきます。

>サウジがワッハーブ思想の普及に力を入れだしたのは、ここ10年とか20年くらいのものでしょう?この先どうなるかは保障はありませんが、

とんでもない、エジプト発の系列が違う「サラフ派」であるムスリム同胞団の母体となった政治的イスラム主義の雑誌は、19Cから発行されていますが、サウジのワッハーブ派は、その初期から、この雑誌に資金を提供していたのが歴史的事実です。

そして、オイルマネーの潤沢な資金を調達して、50年代以降は世界中で、宣教活動を開始しました。

マナールへの資金提供からはすでに100年以上、オイルマネーでの直接の宣教活動は60年ちかくの歴史があります。

この先も、潤沢なオイルマネーを武器に、そして人的資源をパキスタンのタブリーグに求め、世界中で洗脳活動を続けるでしょうね。50年とかそれ以上のスパンで継続すると覚悟しましょう。

>一般のムスリムがワッハーブ系の過激派を支持したとしても、それは、思想に対する支持ではなく、対アメリカ、という姿勢に対して一縷の望みを託しただけのことなのではないでしょうか。

アル・カーイダという組織、というか、コピーブランドですが、に関しては、そのご指摘は正しいと思います。

問題は、ワッハーブ派の「スンナ派としての教義上の正しさ」というウイルスの感染力は、伝統的なイスラム教育を受けていない世俗的知識人や、まして知的レベルが低い一般信徒に対し、恐るべき感染力を持っているのです。それは、対米闘争ではなく、「スンナ派の教義」の構造的な弱点をたくみにつく戦略で、そうとうのワクチンを接種しないと、あっという間に感染します。

>あと、現代のムスリムたちの社会は、ワッハーブ派の浸透以上に、世俗化のほうがスピードが早いように思うんですが。

同時並行で進むのです、この世俗化の進行と、ワッハーブ派への感染は、そして、社会は2極化し、統合力を失い、いっそう、イスラム世界は不安定化するのです。

マジで、いっそうのこと、これ以上感染者を出さないために、思い切って、ワッハーブ派のウイルスの進入に悩む地域のスンニ派ムスリムは、がらがらぽん、と総シーア派改宗で、このウイルスから逃れるしかないのではないか?

とすら思います。

この地域で、この2極化による不安定化は、トルコですら進んでいます(とはいえ、トルコのイスラム主義とワッハーブ派の関連性はまだ知らないのですが)。

イランの革命政権がどうなるか分かりませんが、ま、トルコとイラン以外のこの地域のムスリム国家の政治的安定性には、長期的に、みーんな疑問ですね。
>スンニ派の宗教権威って、いったい、だれですかね?

本当にいったい誰なんでしょうか?

「ユダヤ教徒を根絶する」と主張したらしい、アル・ジャジーラ放送のTV説教師のユーセフ・カルダーウィー師が、きっと今のアラビア語話者のスンニ派には一番影響力があると思います。

愚衆政治みたいなもんで、過激で、劣悪な発言をすれば、人気が出る、そんな劣悪化競争を、伝統的なイスラム教育の外の信者が、自らの「権威」でもって、競い合っている、のがスンナ派の「宗教権威」の実情でしょうね。
>私が実存で接触したパキスタンの方々は、サウジの出稼ぎ労働者の方たちで、多くがヒゲヒゲ、裾短、「ホダー・ハーフェズ」と挨拶すると、剥きになって「アッラー・ハーフェズ」と答える人たちが、メインだなという印象でしたが。

パキスタンでは、サウジ帰りの人もそういう服装はしていないですね。
してたら、多分、道で笑われると思います。うれしい顔
期間限定だったんじゃない?
あ、でも、挨拶にホダーを使う人、確かに減ったような気がします。が、私がホダーを使っても、特にツッコミはなかったですけど。


>それはやはり、サウジに来る連中がそもそも、もしくはサウジで洗脳が進んだという意味でいっそうコンデンスミルクなんでしょうね。

えーと。コンデンスミルクっていうのは?濃くなったってこと?


>でも、もう、パキスタンに行きたいとは思わなくなりました。怖いんで・・・

行きたいと思ったことあったんですか?笑
タフな場所だし、アブドゥさんには雰囲気からして合わないと思うけど。


>きっと、山岳部のイスマイル派の居住区とかなら、安心して訪問できると思いますが、スンニ派地区は、勘弁です。誘拐されて、斬首されたくないので。日本人の元外交官にして、スーフィーなんて、もう格好の標的ですよ。斬首映像とか配信されるのは勘弁です。

わはは。外務省の人とおんなじ発想だ。おもしろいね。イラクではあんな事件あったし、無理もないけど。
ルートに気をつければ(ペシャワールから遠ければ)過激派の心配はさほどないみたいです。やばいのはむしろ、強盗とかでしょうね。(ただ、都市部ではISIの工作で時限爆弾を使用したテロがランダムに起きることもあり、これは予防が不可能なので、運を天に任せるしかないです。)
日本人観光客に人気があるのはフンザみたいですよ。風の谷のモデルになったって言われてるらしいです。今でもたま〜に、旅行者の方が治安情報をパキスタンコミュで聞いておられますが・・・。
聖者廟が攻撃対象になっているのは、タリバンの支配地域のみです。ペシャワールの周辺でシーア派のモスクで自爆があったりっていうのも、今年に入ってから、私が覚えてるだけで2度ほど、起こっていましたね。また、最近はタリバン&アル・カーイダの和平派と和平反対派の対立が出てきたみたいで、スンニー派のモスクでも、部族の指導者クラスの人物を狙った爆破事件が起きています。これも同じく、タリバンの支配地域でのことです。

あと、スーフィースーフィーっていうけどさ、アブドゥさんのどこらへんがスーフィーなわけなの?ワッハーブ派に対して言ってるだけで、その他の場面でスーフィーなときって、ほとんどなくない?
素で言うけど、へんだよ、それ。

>しかし、では、どうして、イスラマバードの国会のすぐ近くのモスクにテロリストが立て篭もったり、パキスタンのあっちこっちの地区からインドに出撃するテロリストが登場したりするのでしょうか?

これは簡単です。ラール・モスク事件は、軍内部のタリバン寄りの勢力(これもパシュトゥン)がタリバンと関係のあるモスクに武器を横流しして、拠点に仕立てていたんです。反政府行動なので、血みどろの解決となりました。インドのムンバイテロ事件は背後に政府内政府たるISIがあり、おそらくその指示のもとに行われた事件です。ですから、その事件の首謀者とされるゲリラ組織に軍だか警察だかが踏み込んで指導者を含めた幹部を拘束しましたが、無血解決です。つまり、捕まるほうも同意の上でつかまってるんです。今のタイミングでインドと開戦するわけにいかないですからね。茶番なんですよ。

なんでパキスタンのあっちこっちからインドへ出撃するか、そりゃ、宿命だからでしょう。そして、対インドと、聖者廟は無関係であると言っていいのではないでしょうか。また、タリバンと他のゲリラ組織が呼応して反政府行動をしたことも、今のところ、まだないと思います。カシミール系のゲリラは、タリバンと結んだら政府の後押しを得られなくなることくらい、ちゃんとわかっているはずです。9.11後のアフガン戦争でも、ムジャヒディンとしてアフガン入りしたパキスタン人はパシュトゥンばかりでしたし。
ごめんなさいね、すごく長文になりそうです。アブドゥさんはパキスタンには興味ないだろうと思うんですが、話の流れですから、一応書かせてください・・・。

つづきです。
9.11以降の戦争状態に対するカラチ在住パキスタン人の率直な感想は、難民が流入して治安が悪くなって、政府は財政破綻寸前で、大変迷惑。建前としてイスラム主義を擁護はしても、感傷的にタリバンやアル・カーイダに本気で共感するような甘い人々じゃないんですよ(大多数の人は)。政府の悪口言うついでに、タリバンを褒めてみる、という程度でしょうね。


>もはや、ワッハーブ派やアル・カーイダは、パシュトゥーンの部族の枠を超えて浸透していると考えるべきではないでしょうか?

私の実感としては、それは薄いですね。というか、パシュトゥン自身がパシュトゥンの枠を超えられる立場にないのです。掟を持っているから。さっきも書きましたが、北部で起きている自爆テロはタリバンとアル・カーイダが起こしていると思われ、南部や中部の都市部で起きている時限爆弾テロはISIが世論操作等を目的にやってる可能性が高いんです。口でタリバンを支持したとしても、実際に自分の生活圏で爆発が頻繁に起これば、褒める気なんてなくなりますからね。
ただ、ブット暗殺は例外で、ISIとタリバンの共同作戦だと思われます。彼女は、ムシャラフ政権とタリバンの共通の敵でしたから。


>それは希望的観測、もしくは、カラチでのシスターの実存です。
>
>アラビア語世界のスンナ派の感染率や感染のリスクや免疫力の弱さは、他でもないスンナ派のアラビア語話者である私自身がよーく知っています。
>
>アンマンなんかだと、チョーリッチなスンナ派パレスチナ人が、豪邸にヒゲヒゲブラザー・シスターになって、熱心に「イスラームの正しさ」を熱弁したりしていますよ。
>
>確かに、貧困だといっそう、免疫力が低下するのは事実ですが、貧困だけが問題ではない、スンナ派の免疫力・ワクチンソフトの弱さの構造的な問題が、大きな原因です。

パキスタンでは、ワッハーブ派になったからって、豪邸には住めないと思うなぁ。サウジは、パキスタンに対してはそういう政策はとっていないんじゃないかな?カラチで、一代でのし上がるように経済力を手に入れた人はたくさんいるけれど、外国で成功したとか、中国相手に貿易業を営んで成功したとか、地方からカラチに出稼ぎに来て経験を積み、独立して経営者として成功したとか・・・、そういう人しか、私は知らないですね。カラチはまだまだ荒れてますけど、10年前と比べると、はっきり「発展」を感じることはできますよ。もちろん、インドにはかなり遅れをとっていますが。

パキスタンはアラビア語圏ではないし、地理的にもどう考えても南アジアブロックだし、石油を安く回してくれるサウジは友好国だけど、軍事的には中国と関係を深めるだろうし、出稼ぎもサウジよりはドバイのほうが人気だしメリットも大きいだろうし、、、ヨルダンと同じ現象が起きるほうが変な気がするんだよね。ちなみに、私の義弟の一人はサウジに出稼ぎに行ってたことがあるけど、べつにひげひげ化はしていないし、聖者廟をごちゃごちゃ批判したりもしないよ?
むしろ、日本に住んでるパキスタン人のほうが、ワッハーブ派っぽい考えの人は多いような気がします。(しかし、これもごく一部です。ほとんどの人はゆるゆるの世俗ムスリム。)
>パキスタン版のワッハーブ派コピー、タブリーグ・ジャマーアでしょうね。
>
>日本で活動するパキスタン人の宣教活動家のほとんどが、その関係者だ、と聞きましたが、容易に想像がつきます。

タブリーグはね、日本とか他の先進国ではけっこう宣教してるけど、本国パキスタンでは、たいして存在感ないんですよ。本拠地のラホールにいるくらいらしいです。カラチではタブリーグの活動って、私はまったく聞いたことがありません。
タブリーグって、ファダイィル・アマルっていう本数冊しか読まないんですよ。厳格な人だと、クルアーンを訳すのはダメだって言うし。ジャマートと称して3ヶ月も仕事を忘れて家族も忘れて、集団生活してたりするし。だから、ワッハーブ派コピーというのは、だいぶ違ってますね。
マドラサは、デオバンディー系の何かではあるんだろうけど、タブリーグとは別物なんじゃないかと思います。


>とんでもない、エジプト発の系列が違う「サラフ派」であるムスリム同胞団の母体となった政治的イスラム主義の雑誌は、19Cから発行されていますが、サウジのワッハーブ派は、その初期から、この雑誌に資金を提供していたのが歴史的事実です。

おぉー。そんなに古いんですか。地道ですねぇ。


>そして、オイルマネーの潤沢な資金を調達して、50年代以降は世界中で、宣教活動を開始しました。
>
>マナールへの資金提供からはすでに100年以上、オイルマネーでの直接の宣教活動は60年ちかくの歴史があります。

・・・・・にしては、パキスタンでは存在感なかったですねぇ。私がはじめてパキスタンへ行ったのは12年位前ですけど、影も形も感じませんでしたけれど。最近は「妙に傲慢で厳格すぎる人」の存在は、たま聞きますけどね。でも、愛されていませんけど。笑


>この先も、潤沢なオイルマネーを武器に、そして人的資源をパキスタンのタブリーグに求め、世界中で洗脳活動を続けるでしょうね。50年とかそれ以上のスパンで継続すると覚悟しましょう。

タブリーグじゃないですから。あれは、政治活動より、新興宗教的な面のほうが強いグループです。
あと、私の感覚では、対アメリカのテロリズムって、なんかムスリムの間でもそれほどもてはやされなくなってきた気がするんですよね。ムスリムの立場が不利になるだけって、そろそろ、答えが出てきつつある気がするんですけど。アブドゥさんの感じ方は、ちょっと前まではたしかにリアリティはあったと思うけれども、、。最近は、もっと冷めてきてない?って思うのですが。そちらの周辺では、まだまだ熱いんですか?
>問題は、ワッハーブ派の「スンナ派としての教義上の正しさ」というウイルスの感染力は、伝統的なイスラム教育を受けていない世俗的知識人や、まして知的レベルが低い一般信徒に対し、恐るべき感染力を持っているのです。それは、対米闘争ではなく、「スンナ派の教義」の構造的な弱点をたくみにつく戦略で、そうとうのワクチンを接種しないと、あっという間に感染します。

あ、それ、私もそう思います。だから、先進国に住んでるムスリムのほうがワッハーブっぽい人の割合が高いですよね。
あと、アブドゥさんの元の職業から考えて、アブドゥさんっって格好の人材だったと思うんですよ。だから、かなり熱心に引っ張られたんじゃないですか?だからトラウマが強いのかもね、って、私は思いました。
ただ、素のボーンムスリムって、もともと頭でっかちじゃないしね、ワッハーブ派に理屈こねこねされたって、日常生活のなかで静かに信仰できりゃいいわけで、自分にとってはそんなん別にかんけーないゼ、だから、そこまでの危機感は、私は感じてないんですけどね。(もっと言えば、理屈こねこねの段階で「変?」って思うことも、多々あるはずなんです。)

そうだな・・・。スンニーのスーフィーが中央アジアの石油を持つことができれば、スンニー派世界の偏ワッハーブ構造を変えることはできそうな気がするんですけど、どう思われますか?サウジも、中央アジアが石油価格に影響力を持つことを警戒して、アフガンにウサーマを送ったのでしょうし(自分で行ったのか、行かされたのか、ウラ事情は知らないけど)。


>同時並行で進むのです、この世俗化の進行と、ワッハーブ派への感染は、そして、社会は2極化し、統合力を失い、いっそう、イスラム世界は不安定化するのです。

予言者かよ、キミは。笑
中東ではそうなんだ、と思っておきますね。
パキスタンの不安定材料は、それとはまた別のものだと思うので。


>マジで、いっそうのこと、これ以上感染者を出さないために、思い切って、ワッハーブ派のウイルスの進入に悩む地域のスンニ派ムスリムは、がらがらぽん、と総シーア派改宗で、このウイルスから逃れるしかないのではないか?
>
>とすら思います。

オセロゲームじゃあるまいし。笑
短絡的だね。シーア派になったからって、石油争奪合戦が終わるとは思えないけど。


>この地域で、この2極化による不安定化は、トルコですら進んでいます(とはいえ、トルコのイスラム主義とワッハーブ派の関連性はまだ知らないのですが)。

あぁ、イスラム主義と世俗化で2極化するわけね。それなら、わかる。
正常なイスラム主義に目覚めればいいわけでしょう?で、過渡期に荒れるのは、仕方のないことだよね。おそろしがったってしかたないわな。政治・経済的な安定があれば、徐々に中和される問題だと私は思っていますが。それがないからこそ、難しいのでしょうけれども。


>イランの革命政権がどうなるか分かりませんが、ま、トルコとイラン以外のこの地域のムスリム国家の政治的安定性には、長期的に、みーんな疑問ですね。

要衝の地の宿命なんでしょうね。国境線多すぎだし。
「ユダヤ教徒を根絶する」と主張したらしい、アル・ジャジーラ放送のTV説教師のユーセフ・カルダーウィー師が、きっと今のアラビア語話者のスンニ派には一番影響力があると思います。


この影響力というのは、どのくらいなのですかね?

この話をまともにうけて、ユダヤ人を標的にした、テロがおこるとか、そんな感じですか?

メヘルバンデさんの受け売りですが、

イスラム学者ムハンマド・ジャワド・シューリ師(Mohammad Jawad Chirri)の多大なる貢献により 1959年、エジプト、カイロのスンナ派イスラームの枢要、アズハル大学の総長イマーム・シェイク・ムハンマド・シャルトゥートゥ師によってシーア法学派は他の法学派と同等の正当法学派として承認されました。

と、いった、じつに有意義なことも、あります。

私は、イスラムについての疑問については、スーフィの仲間の先輩たちに、たずねております。

その答えがじつに、なっとくできると、いうか、非常に合理的なのに、おどろかされます。



>55

>ペシャワールの周辺でシーア派のモスクで自爆があったりっていうのも、今年に入ってから、私が覚えてるだけで2度ほど、起こっていましたね。また、最近はタリバン&アル・カーイダの和平派と和平反対派の対立が出てきたみたいで、スンニー派のモスクでも、部族の指導者クラスの人物を狙った爆破事件が起きています。これも同じく、タリバンの支配地域でのことです。


ちょっと自分で補足します。興味がある方、読んでください。

首都イスラマバード南方約90キロの町チャクワルで5日(昨日ですね)、イスラム教シーア派のモスクが自爆攻撃を受け、現地の病院発表では24人が死亡しました。
チャクワルっていうのは、パンジャーブ州の町です。パンジャーブ州は、先月の終わりごろにラホールの警察訓練所が襲撃&爆破&人質とって立てこもり事件に遭っています。攻撃対象がちょっと南下してきた感じがしますね。イスラマバードでも治安部隊に対する小さめの自爆攻撃(3人死亡)は起きていますが、それと平行して、大規模テロがパンジャーブ州で立て続けに起こっている形です。

パキスタン政府と北西辺境州スワート地区の武装勢力(タリバン系)は、今年2月半ば、和平協定の締結で合意しています。その後もアメリカ軍の空爆は止まらず、自爆などの事件もちょこちょこ起きているのですが、スワートの勢力は「和平を妨害する勢力がある」ことを指摘する発言をしています。パキスタン政府も、今のところ、まだ和平の破棄はしていません。

パンジャーブ州を地盤にしている政治家はナワーズ・シャリーフで、ザルダリ政権と対立する政党の党首なんですが、最近彼は支持を伸ばしているんですね。で、ナワーズの政党PML(N)はイスラム政党で、タリバンとの和平を一番強く推している勢力なんです。また、大統領の権力削減も、強く訴えています。パンジャーブ州での大規模テロは、こういう流れを切る方向で働いているとも考えられます。

でも、パキスタンは今、三つ巴、四つ巴の綱引き状態なんで、これと違う見方だって出来ると思いますが。

警察訓練所の事件は、「フェダイン・ハルク」(アフガニスタン国境の部族支配地域の武装勢力などの連合組織。タリバン系)が、地元メディアに犯行声明を出しています。フェダイン・ハルクは、去年の9月に首都で起きたマリオット・ホテルでの自爆&奇妙な火災事件でも、犯行声明を出しており、おそらく、タリバンの中でもアル・カーイダに近い勢力なんじゃないかなぁ、と私は思っています。

アル・カーイダの目的は対アメリカでしょうから、和平には最も強く反対しているはずです。しかし、タリバン主流派の目的は、「対アメリカ」より縮小されつつあり、「自分の土地で自治を獲得し自分たちの法を施行すること」、になっていっている感じがします。

ちなみに、マリオット・ホテルの自爆テロは、爆弾を満載したトラックがホテルの敷地内で自爆し、火災が起きたって事件なんですが、自爆したトラックが作った地面の大穴とホテルまでは、なにげに距離があり、火災による火の出方も不自然で、事件前日にアメリカ兵がぞろぞろやって来てホテルの職員を外に退去させ、中で何かしていたという話もあり、9.11の真似っこバレバレ版とも言える事件です。
アブドゥさん

回答が遅れ、申し訳ありませんでした。

>すいません、これは私の誤解なら、教えていただきたいのですが、ガザーリーの神学・哲学者としての出発点はムウタジラ派で、それを極めた上で、哲学・神学批判によるムウタジラ派批判を展開し、アシュアリー神学を構築した、という理解は正しいでしょうか?

え〜。正しくないです。

アシュアリー派は、当たり前ですが名祖アシュアリーにその源は由来しますし、実際に同派の教説の体系化に寄与したのはアシュアリー以後の学者たち(特にバーキッラーニーとか)です。ちなみに、アシュアリーはもともとムウタズィラ派神学を学んでいましたが、伝説によると、ある日夢枕に預言者ムハンマドが現れ、「ムウタズィラ派とは異なる真の神学体系を打ち立てよ(略)」的なことを言われたことになっています。

ガザーリーが身を置いてきたのはもともとアシュアリー派であり、ムウタズィラ派は批判対象でしかありません。それは師匠であるジュワイニーと一緒です。ただ、彼の思想はだんだんと既存の派内にとどまるものではなくなっていくので、最終的な彼の思想をアシュアリー派的なものとして理解すべきかどうかについては研究者の中でも異論があります。

彼の哲学との関わりについても種々の見解があり、彼は実は神不在の宇宙論を奉じていた、みたいなことを主張している研究者もいます。


>58

シスターの丁寧なコメントとフォローに謝意。

>正常なイスラム主義に目覚めればいいわけでしょう?

ええっと、私が理解した中で、「正常な政治的イスラム主義」と判断できるのは、その初代のアフガーニー師とその愛弟子のアブドゥフくらいなもんです。それ以降は、私は「イスラム原理主義」と切り捨てます。

で、「ネオ・イスラム主義」と呼ばれる欧州のムスリム知識人の存在もすごく気になっていますが、もはや、彼らの知的作業は、「現代思想」と呼ばれるジャンルに近く、一般ムスリムには理解不能な言説(そもそも、著作を仏語でしていますしね)でしょう。

で、いまだによく理解できないのは、トルコのAKPなんかが、どうして今のところは大コケせずに、まっとうな政治を実施し続けているのか、です。隠した長期的アジェンダでもあるんじゃないの?と疑っていますが、今のところ、彼らにトルコ国民の支持が集まるのは理解できますので、「AKPに政権のチャンスを与えたトルコ国民を支持する」という立場で、それはまるで、私のハマスに対するそれ、と同じです。

>60

>事件前日にアメリカ兵がぞろぞろやって来てホテルの職員を外に退去させ、中で何かしていたという話もあり、9.11の真似っこバレバレ版とも言える事件です。

ええっと、ですね、その9.11の都市伝説、「9.11直前に、怪しげな「メンテナンス」要員が、ビル内部でなーんか怪しいことしていたよーん」って報道源は、単なる「匿名の垂れ込み」でしかなく、なーんのソースとしての意味もありませんので、語る価値はありませんよ。

パキスタンのホテルテロは私は、まったくコメントする立場ではないですけど。

で、9.11で、可能性が残っていて、私もそうだろう、と推測している陰謀のシナリオは以下のとおり。

アル・カーイダの創設にはCIAが支援した⇒よって、重要な情報がリークされても不思議でない⇒その情報を入手できるのは、きっとごく一部の諜報機関の人間のみ⇒よって、彼らが、その情報をもみ消そうが、どう利用しようが、ホワイトハウスは蚊帳の外⇒彼らが、軍事産業と結託して、911の情報を事前に入手し、冷戦構造に代わる低強度の継続的紛争状態の創造のため、わざと、アル・カーイダを泳がせた(←というのも、これは、政治家や司法機関からのリークなんで確実性が高い報道ですが、諜報機関や捜査機関や司法機関の現場レベルでは、米国内でのアル・カーイダの活動を察知して本格的な検挙を求める試みが、いろいろな機関・レベルで起こっていたが、すべて無視されていたらしいのです。これは私は十分に信頼できる報道だと思います。)⇒9.11がおきたら、ネオコンら刺客を政権に送り込み、世界中で「対テロ戦争」を始めた⇒軍事産業はおお儲かり(←きっと、ラビン氏暗殺のシナリオを書いたのも、JFK暗殺のシナリオを書いたもの、彼らだろう、と推測できますね)

これ以外の「陰謀」は、あまりにも荒唐無稽なんで、言うだけ、自分のクレディビリティーを損ないますよ。いい損なんで、気をつけましょう。

あのペテン師、タナカウーと同じ電波妄想レベルに落ちるのは自粛しましょうね。
>9.11の都市伝説、「9.11直前に、怪しげな「メンテナンス」要員が、ビル内部でなーんか怪しいことしていたよーん」って報道源は、単なる「匿名の垂れ込み」でしかなく、なーんのソースとしての意味もありませんので、語る価値はありませんよ。

これは、ツインタワー崩壊の原因が制御解体であるって説のやつですよね?
田中宇は、制御解体には触れてなかったと思いますよ。もうちょっと駆け引きっぽいことを虚実を混ぜて書いてる人ですよね。

ツインタワーの制御解体説は、証明は無理だし、ツインタワーそのものよりも事件の背景のほうが重要だと思うんで、私は、今はそんなに興味はないんです。陰謀系のコミュを見てたことはあるんですけど、制御解体があった派の説明も、なかった派の説明も、決め手に欠けるので、どっちも信用できないなー、と思いました。


マリオットホテルはね、火災の映像見れば、すぐ「変」てわかるんですよ。自分は、当日にパキスタンでTV見てたんですけど、同じ階の窓から、一列に同じくらいの大きさの火が噴き出していて、火災映像を見慣れている日本人の目には「変ですよ?」って映らずにはいられないんです。ふつー、爆発が原因の火災なら、爆破地点に近い場所から火の手が上がるじゃないですか、あさっての所でボーボー、しかも一列に均等な炎で燃えないですよね。

アメリカ兵の話は、報道ではなく、ホテルのすぐ近くに住んでいてホテル職員とも顔見知りの人がブログに書いてた話です。「トラック3〜4台に200人の米兵が投宿(めったにない事柄) 現地の警備員を寄せ付けずに自分たちで荷物を運び込び、翌日は9人を残してチェックアウト。 マリオット・ホテルは350室前後だったと思うから、前夜は米兵で半分近くが埋まった勘定だ。」だって。
「職員を退去させた」っていうのは、ちょっと違いました。私の覚え違いです。

あと、当日、首相とか大統領とか政府の幹部大勢が、あのホテルで食事する予定だったのに、直前にキャンセルして、首相の自宅に変更してるんですよ。(これは、日本のYahooニュースの記事で見ました)


「9.11の真似っ子」って書くと、陰謀信者だと思われちゃうわけですね。CIA陰謀説を、ISIが真似っ子したんじゃない?って書けば、まだホントっぽいかな。
・・・にしても、ISIの仕事はバレバレ度が高すぎます。「We did it!」みたいな自己主張さえ感じます。。もうちょっと諜報機関らしく、闇から闇へ暗躍する態度がなぜ取れないのかと・・・・orz


日本語で、アフガーニー師に関して書かれた本って、ありますか?もしあったら読んでみたいです。
>にしても、ISIの仕事はバレバレ度が高すぎます。「We did it!」みたいな自己主張さえ感じます。。もうちょっと諜報機関らしく、闇から闇へ暗躍する態度がなぜ取れないのかと・・・・orz

それは、私はパキスタンに詳しくないですが、なんとなーく想像できます。もう、やくざみたいな組織ですからね。したい放題だと思います。すみたくないですパキスタン。

情勢が落ち着けば、うわさに聞く、北部の山とか、清浄な聖者廟文化や、見事な手工芸文化に触れるためにぜひ、行きたいとは思うのですが・・・果たしていつになることやら。

>日本語で、アフガーニー師に関して書かれた本って、ありますか?もしあったら読んでみたいです

アフガーニー師やアブドゥフ師に関しての日本語文献はたくさんあります。

代表的なものでは

「イスラームと近代」

ナカムラコウジロウ

ですね。いい本です。

「近代以降における、より適切なイスラム法の解釈とは?」という疑問に、とっても丁寧に、まじめに、真摯に取り組んだ日本語の名著ですね。私の今の考え方の骨組みになっています。

ナカムラ氏が、これでムスリムなら、もっと説得力を持って訴えることができるのに、という点が残念ですが、信仰は主のお導きですからね。

その点、井筒俊彦師は、偉大な日本人ムスリム思想家ですね。私は、2つ、日本国籍日本語話者に生まれたことで、感謝していることがあります。

それは、日本旅券と、井筒俊彦師の2つです。
井筒俊彦のコーランを読むは、本当に、素晴らしいですね。以前アブドゥさんが紹介されていたので

読んだのですが、読みきれません。もう、濃縮ジュースを生のまま飲んでいるような、濃厚さです。

読んでは、考え、また、前のページに戻ったり、決して難しいことが、書いてあるわけではないのに、

理解するのには、大変な労力が要ります。

スーフィの仲間がほとんどインドネシア人なのが、残念です。日本人なら、すぐ、読むように勧めて、色々と話ができるとに、それでも、つたないインドネシア語でジャマールとジャラールの話をすると、
とても、興味をもってくれますが、なかなか、うまく説明できず、仏教の話に脱線していったりします。

私が、スーフィとしていきていくためにも、実に重要な本であると、確信しております。
>61

ヌーラさん。

プロの立場から、丁寧な情報をありがとうございました。

勉強になります。ビジネス立ち上げと結婚プロジェクトがひと段落したら、本格的にアラビア語で、イスラム思想史を、体系的に勉強したいです。

今後ともご指導をお願いします。

このトピック改めて読んでみたんですけど、私も似たような部分があるんですよね。ティジャーリーとアスリー、チュルク語でも似たような意味で使われてるんですけど(アラビア語だったんですね、チュルク系の言語はペルシャ語の外来語の方が多いので新鮮に感じました。勉強になります)、その意味合いが少し違うので意味がわかってませんでした。

 主人はシーア派なのですが、私が自分のフィールドだと感じてるのは今のところ中央アジアで(この辺は主人の意識でも同じだと思うのですが)、友人の多くはスンニ派です(といっても本人たちにその意識がない人が多いです。スンニ派、シーア派があることすら知らない人ばかりですから)。
 だからシーア派の考え方は悪くないにしても、自分自身がシーア派に属することに少し抵抗を感じている部分があったんです。

 ただこのトピックをみて、「もしかして」ですが主人がなぜ細々ではありますが絶え間なく密にアゼルバイジャン人とのコミュニケーションをとっているのかがわかったような気がします。普段は多くのチュルク系民族の友人と付き合いながらも、シーア派である同じチュルク系であるアゼルバイジャン人と常に付き合うことで自分のアイデンティティを守ろうとしているのかもしれません。
 一時は「アゼルバイジャンに住もう」なんて話もしてましたけど、結局物価が高いのと、主人自身がロシアの影響を強く受けたアゼルバイジャンの料理が合わないという理由で無理だと思うのですが。私もあのロシア語の発音の影響を受けたチュルク語が聞き取れませんし。

 正直、私も自分がどの方向に進んで行ったらいいのか全然わかりません。同じ日本人である皆さんの意見を参考にしていきたいと思います。



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