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-日本人の誇り-コミュの気高く誇り高き日本人よ、祖国を心に取り戻せ!

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気高く誇り高き日本人よ、祖国を心に取り戻せ!

日本人は貧しい、しかし高貴だ。世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ=ポール・クローデル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB

日本人が日本人であるために。 反日・偏向メディアが氾濫する中、その真逆、サムライ・ジャパン、親日メディアを中心に紹介します。 皆さんもご協力ください。

コメント(9)

          オフィシャルサイト:http://www.areiraise.com/


          オフィシャルサイト:http://www.areiraise.com/

          12月18日を記憶せよ

■日系二世が発揮した「武士道精神」

大東亜戦争が勃発して間もなく、在米日本人はほぼ全ての資産を没収され、米軍管理の「日本人強制収容所」に拘束されました。彼らは犯罪者ではありませんでしたが、祖国が日本のため工作活動や破壊活動、また反米活動を事前に抑止する目的で、米国政府はそのような措置を取りました。

全米各地にこのような施設が作られ、彼らは自由を奪われましたが、反日感情をあらわにする一般市民や反日活動家からの攻撃を防いでくれる効果もあり、監視はされているものの施設内は平穏でした。

この時すでに「日系二世」が成人しており、これらの青年に対して「米国に忠誠を誓うものは、米国人として兵役に徴用する」との布告がなされました。日系二世の殆どは米国で生まれ米国で育ちましたが日本人蔑視や差別、囚人収容所のような拘束された生活、に憤りを感じると共に、「日本人は優秀だ!見返してやりたい。米国人と同等の扱いをされたい」という思いから、多くの青年が徴用に志願しました。

この、日系二世のみで編成された米陸軍部隊を「米陸軍第442連隊」といいます。
彼らは立派な日本人として米国に忠誠を誓い武士道精神を大いに発揮し、必ずや「武勲」をたててやる。そして、日本人を差別できないようにしてやる!相手が例え日本兵であろうとも、忠誠を誓った以上立派に戦ってやる!と、422連隊は結束を新たにしたそうです。

日本に対する裏切りではありません。まさにこれが「武士道精神」であります。忠誠を誓った以上、その国の兵士として戦うのは当たり前なのです。(しかし、日本人以外の人種でこのような「精神」を理解できる人種は多く無いでしょう。)

1年余りの過酷な戦闘訓練を終え、422連隊はヨーロッパ戦線への出兵が決定しました。


--- 以下、米国紙原文から抜粋 ---
第二次世界大戦中に日系人の志願兵によって結成され、数々の戦功をあげた米陸軍第442連隊と、欧州戦線でドイツ軍に包囲され「失われた大隊」と呼ばれながらも、442連隊に救出された米陸軍テキサス大隊の元兵士が1日、テキサス州ヒューストンで再会を果たした。

式典にはマレン統合参謀本部議長も出席し、老境を迎えた日系人の元兵士を「もっとも高貴な魂と勇気をもった男たち」とたたえた。

 出席したのは全米から集まった両部隊の生き残り40人。65年前に救出された元テキサス大隊のアル・トートラノ氏(88)は「442連隊にいくら感謝しても足りないと今でも感じている」と述べた。

第442連隊戦闘団は、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍において日系アメリカ人のみで編成された部隊です。ただし士官はその限りではありません。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘しました。その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が雄弁に物語っています。さらにアメリカ合衆国の歴史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊としても有名。

その兵士の多くの家族は、抑留を受けました。第442は自給自足の戦闘部隊で、イタリア、南フランスとドイツでまれな区別を敵に戦いました。単位は 21人の名誉勲章受取人を含むアメリカ合衆国Armed Forcesの歴史で最も高く飾られた部隊になりました。そして、別名「名誉負傷章大隊」といわれるようになりました。

第100大隊は1943年9月2日、アルジェリアのオラン)に上陸して当初は北アフリカでの補給列車を守る予定でした。 しかし、大隊長ファラントL.ターナー大佐は、第100大隊は戦闘任務を付与されるべきだ主張しました。大隊は第34歩兵師団第133連隊の第2大隊がアルジェの連合軍司令部の警護に回されたのに代わって第133連隊に編入されました。

続く ↓↓
第100歩兵大隊は1943年9月19日に1,300名で北アフリカから出航して、1943年9月22日にサレルノの上陸拠点に到着しました。 9月29日ドイツ軍と交戦、そこでB中隊の高田茂雄軍曹が戦死します。同日後で、ケイチタナカ(B中隊)二等兵が戦死(KIA)。

最初の目標であるモンテMilletoを占領後、第100歩兵大隊はモンテカッシーノに対する攻撃に加わりました。 第100は勇敢に戦いました。そして、多くの犠牲者に苦しみました。1944年2月までには、521人の兵しかを召集することができませんでした。大隊は損耗しつつ1944年5月までのアンツィオ、それから、ローマへの更なる攻勢で上陸拠点の確保援護に加わりましたが、都市からわずか10マイルで停止しました。何人かは、第100大隊が日系人兵士がローマを解放するのを好まず故意に停止させられたと思っています。

第442連隊戦闘団(第1大隊は2世兵士の訓練のため米本土に残る)は5月28日にアンツィオに着いて第100歩兵大隊と合流して第34歩兵師団の指揮下に入りました。1944年8月10日に、第100歩兵大隊は第442連隊戦闘団第1大隊としての編成に組み入れられましたが、その優れた戦闘記録が認められ、第100大隊の名を保つのを許されました。一方、米本土キャンプシェルビーにあった第442歩兵連隊第1大隊はその後1944年9月5日に第 171歩兵連隊の独立大隊に再編成されます。

1944年9月に部隊はフランスへ移動し、テキサス州兵で構成される第36歩兵師団に編入されます。

1944年10月24日、第34師団141連隊第1大隊(通称:テキサス大隊 テキサス州兵により編制されていたため)がドイツ軍に包囲されるという事件が勃発。彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」 (Lost battalion) と呼ばれ始めていました。10月25日には、第442連隊戦闘団にフランクリン・ルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊が出動。休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げます。

10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功。しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の約800名が死傷しました。救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜んだのですが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、 442部隊の一少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されています。

再編成を行った第442連隊戦闘団はイタリアに移動し、そこで終戦を迎えています。隷下の第522野戦砲兵大隊は、フランス戦後はドイツ国内へ侵攻し、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊・ダッハウの強制収容所の解放を行った。しかし日系人部隊が強制収容所を解放した事実は1992年まで公にされることはありませんでした。

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