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-日本人の誇り-コミュのそもそも「国を守る」とは

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そもそも「国を守る」とは、どういうことか

田母神氏の出来事から端を発した「国防」論。
では「国を守る」とは、どういうことなのだろうか?

■種の保存と繁栄
どの生命も「種の保存と繁栄」を目的として「生」の営みを送る。世界は己の利権を堅持するとともに、他から搾取しようとする欲望で成立しており、時代は違えど、人間が「動物」であったころから大きく変わることは無い。

人間も生命体である以上、人間に「理性」があろうが無かろうが、この法則から逃れることは出来ない。この世に生まれ出た瞬間から、「死」へのカウントダウンが開始される。

他の自然界の動物は「ダーウィンの進化論」の示す「進化と退化」を繰り返し、増えすぎれば減り、減りすぎれば増える。またその都度弱い種は淘汰され、強い種が生き残る。そしてまた、環境に適応した別の種が誕生する。

しかし、人間が他の動物と違うところが一つある。

それは、人間は自身の欲望を満たすために「知恵」を使い、その欲望に「際限が無い」ということである。必要以上に食い、必要以上に飲み、必要以上に欲しがる。

しかし、いくら欲求を満たそうとも、大局的に見れば「種を保存し繁栄させる」という生命の原始的な輪廻から逃れることは不可能なのである。

■種を保存するための共存
日本は古来から己れの生命を維持する方法として「農耕」の道を選んだ。大陸とは違い、遊牧するような地理では無いため、そうせざるを得なかったのだろうと推測する。

しかし、狩猟民族のように獲物を追う必要もなければ、縄張りを争う必要もない。むしろ、互いに共存して、大勢で農耕作業をした方が効率が良い。互いに共存するためには、互いの協力が必要であり、互いが協力しあう為には「ルール」が必要になってくる。日本人が決まりに対して非常にシビアであり、厳格なのはこの辺から来るのではないだろうか。
また日本が「義の国」と言われるのも、そうした民族性たるが故ではないだろうか。

■神国「日本」
日本は、天皇を「神」とする「神国日本」という方が居られるが、それは間違いと言えるだろう。

日本は古来から万物に精霊が宿るとされ、山に、木に、川に、石に、鳥にもヘビにも、そして、自然現象にも精霊が宿り、神の力が及ぶと考えていた。古来日本人は「八百万(やおよろず)の神」と呼び、この自然界に八百余万の神がいるとされ、我々に生を与えるものに「感謝」の祈りを捧げた。日本人が食事をする時に「頂きます」と言うのも、あなたたちの「命を頂きます」という感謝と供養の祈りの言葉である。また我々の命を支えてくれた他の生命を尊び、それらの命に感謝するために、各地に寺や神社があり、それらを「神」として崇めるのである。

日本は鯨や海豚を食すため、「野蛮な民族」として欧米では忌み嫌う人たちがいる。
しかし、日本人は必要以上の殺生を好まず、ましてや趣味や嗜好で他の生命を断つ事は無い。また、それら鯨や海豚に感謝し、その御霊を供養するために各地に寺や神社が存在する。このような「鯨寺」や「鯨神社」なるものが存在するのは日本だけなのである。

さらに、「捕鯨」は「野蛮な愚行」と声高に訴える欧米が、実は一番鯨を乱獲し、それが元で絶滅の危機に瀕した背景がある事に彼らは何も言わない。ましてや、その御霊に感謝し法要をしている欧米諸国などはどこにもないのである。

このように、日本は自然界のあらゆる生命に感謝し、それらを丁重に扱ってきた。

それが例え「植物」であっても同じである。 日本は急傾斜の山地が多く、山深い森林が多く存在する。そういった地帯の山に入ると、必ずと言って良いほど「山神」が存在し、巨大な木を「神木」として祭ってある。己の糧になってくれる木に感謝し、霊を祭るのである。

他の「木材産出国」のように「切ったらほったらかし」にすることは無く「地あらけ」・「地ごしらえ」・「植林」・「手入れ」の順に何百年もの永きに渡り作業を行い、木を大事に育てるのである。紀伊山地に入ると、500年ほど昔に植林された巨木から、樹齢60年ほどの木が山を緑に染めている。

このように、世界広しといえど、800万以上の神が居る国は日本くらいなものだろう。

しかし、日本人は「神」に「感謝」はすれど「崇拝」はしない。これがまた、他国と大きく違うところであり、宗教民族の理解できないところでもあるだろう。

現に、欧米が作成した、戦前・戦中の記録を見ると、大日本帝国は己れの国を「神国・日本」といい、天皇を「神」と崇め、正月には皇居に参拝する。「神国」は「天皇の国」、天皇は「ヒトラー」のごとき独裁者であり、天皇にとって国民の命は「蚊」ほどの重みもない。と紹介している。

国民が天皇に感謝し、そして天皇が国民に感謝する、年に一度の行事である事をまったく理解できないようだ。

以下の文は、そんな「大日本帝国時代」に天皇が国民に対して説いた「教育勅語」の一部である。

「国民の皆さんは、両親を孝行し、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を高め、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。」

現在、日本の統治下であった東南アジア諸国に住むお年寄りが、今もなを、日本に感謝の念を絶やさない。それは、この「教育勅語」を旨とし、しつけや道徳、高等教育を受け、それを誇りに感じているからではないだろうか。

■恩を義で返す。即ち「仁の国・日本」
日本は昔から、他から受けた「恩」に感謝し、義を以て仁となす事を是としていた。
日本の童話や昔話によく登場する「◯◯の恩返し」と言うのがそれであり、子供に対する道徳教育の一つだったと考えられる。他国の人に「日本人は義理堅い」と言われるのは、そういった道徳心が身についているからであり、歳暮や中元はその気持ちを表したものだろう。

またそれらを頂いた側も「わざわざ足を運び、財産の一部を分け与えてくれて、ありがとう」と感謝をするのである。これは明らかに他国には無い道徳観念であり習慣であろう。

■「国防」とは祖国に感謝し、恩を返すこととおぼえたり
よくぞここまで戦えり。何ゆえ彼らはそこまで戦うか。 と、欧米を震撼させた「日本軍」の真髄はなんであろうか。
それは真に、先人や親・兄弟、家族・・そして「祖国」に「ありがとう」と、兵士一人ひとりが感謝できる国であったからではないだろうか。

戦争を代名詞とする他国からの侵略行為を、武力をもってそれを排除し、祖国の独立と主権、平和を維持することが「国防」と言うのは非常に明快で分かりやすい。しかし、その国が「健全」であり「健康」であるからこそ、これらが可能になるのだと思う。

「国防」とは祖国に感謝し守る事である。

祖国に愛国心の無い兵士は、単なる「殺戮・戦闘集団」であり、「国防」とは言えないのである。

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