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摩訶耶寺の庭園を世界に。コミュの其2。摩訶耶寺庭園について。

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簡単に説明させて頂きます。
この庭園は昭和43年の学術調査の結果、1240年頃に作庭されたものと推定。

日本な中世庭園を代表する庭園だと言われています。
樹木の植栽を人工的にアレンジして自然の縮図を美的に再構成しようとする近世庭園に対して、大自然に囲まれたなかに精神的な別世界を構築しようとするのが中世庭園の特色です。

造形力の高い池の地割りや築山構造、石組群が美しいハーモニーをかもし、蓬莱神仙の幽玄境に誘います。

昭和43年に発見された時は雑木林の様に埋まってしまっていたようです。

その当時重森三玲先生始め若き日の天才作庭家飛鳥井雅之氏らの懇親的な努力により時代を越え現代に甦りました。

氏、いわく、庭は立体的な絵である。

そして、それは見るタイミング、季節、気候、心境、人によってそれぞれ感じ方が違うと。


前方右に位置する岩は鶴である。

水面に映るそのシルエット。

完成させる時は左側2ヵ所から消防車を2台使って水を入れたそうです。

水は波となり、鶴にあたりそしてまさに今、水面をたたんとする飛び立とうとする様子に見えたそうです。

その時皆からは大歓声が上がったと。

コメント(11)


はい!

そう云う事です!

あれから・・モウ〜40年ダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)
こんにちは。。
こうじさんから副管理人を仰せつかりました・風梵です。

補佐と云うか・・
補助の役目ですから木目の細かさを要求されるかと・・
と云う風に勝手に解釈を致しました。

で・・

結構・・
日常性の中ではお眼に掛からない漢字なんかが出て来ますと
画面を見るのがイヤになるのは・・

私でした〜(o_O)

と云う事で・・ルビ(ふりがな)を付けますです。

●摩訶耶寺=まかやじ
http://www.onsen-ryokou.com/area04/find801.htm
http://www007.upp.so-net.ne.jp/japa-garden/tanbou/shizuoka/niwa_makayaji/makayaji.html
↑↑↑
コノ画面の[蓮]と[蓮の花]はいりません!
名画に生えてしまった[カビ]だと思って省いてご覧下さい。

http://www.listel-hamanako.jp/kanko01/makayaji/
↑↑↑
ココの写真は、まぁ〜行けてますです!

●地割り=じわり
庭園を形作っている基本的な線の事です。
池庭(ちていorいけにわ)の場合には[池のライン]など

●築山=つきやま
庭園の中心部の山の事です。
摩訶耶寺の場合には正面に中心的な三つの山があります。

●石組=いわぐみ
石組み(いしぐみ)と云うのはシロートさん!
プロは[いわぐみ]と読みます。
最近はシロートに毛の生えた様なクロートさんが多いです!
ネットで見ますと一目瞭然!

●蓬莱神仙=ほうらいしんせん
日本庭園の基本的なモチーフの考え方です。
中国の[蓬莱神仙思想]から影響を受けています。
http://blogs.yahoo.co.jp/toro_1969/53399887.html
おはようございますわーい(嬉しい顔)

師匠ウッシッシ

完璧な解説ありがとうございましたm(__)m

実はこないだのパンフの説明を丸写ししましたので実は僕もわけわからないで書いてましたあせあせ

僕も本当にすっきり理解できました〜ぴかぴか(新しい)

会員の皆様方良くお読みいただけますようよろしくお願い申し上げますわーい(嬉しい顔)
と云う事で..←どう云うコト?

管理人と副管理人の掛け合いになっております。

摩訶耶寺に関しては勿論ですが日本の庭園に関しての
皆様方の疑問質問などに対しての情報もありますと
庭園を観賞する際に役立つと思われます。

[質問]に関してのトピを別立てにして戴いてもイイですし
このトピを質問トピにしても宜しいかと..
管理人様へ

質問の別立てトピ作成をありがとうございました。
先にご紹介を致しました
http://www.onsen-ryokou.com/area04/find801.htm

こう云っては申し訳ないのですが
ココの写真はイマイチでしたが以下の情報がありました。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
摩訶耶寺への交通機関
・東名三ヶ日インターから車で15分
・東名ハイウェイバス三ヶ日バス停から徒歩10分
・天竜浜名湖鉄道三ヶ日駅から徒歩35分
・浜松駅からバス三ヶ日行き、三ヶ日バス停から徒歩30分
・住所 〒431-14 静岡県引佐郡三ヶ日町摩訶耶421
     電話 (053)525-0027

と云う事で。。

・東名ハイウェイバス三ヶ日バス停から徒歩10分

と云う事ですので風梵の様に東京発の場合には
コレが良いようです。

帰りはコレでOKの様ですし・・
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
東名三ヶ日 (とうめいみっかび) 時刻表
http://www.tomeibus.com/timetable/station/mikkabi

下の方には地図も有りまして
確かに徒歩で10分程度の様です。

不動産屋さんの広告の場合には
10分と云うのはジュウブン(充分)と云う風に読むとかで・・
30分近い時もある様ですから怖いのですが・・(笑..

折を見てoff会を兼ねての団体での鑑賞会も可能かも・カモ・鴨〜
いいですね指でOK
解説付だと素晴らしさ倍増!

バスじゃあ〜なくっても・・
車(RV)で費用ワリカンと云う手も有りでしょうか?
当然ですが・・
少人数になりますかね..
勿論ですが・・
ウナギの旨いのは食う事に..
むかっ(怒り)コルトレーンさんへ

こんにちは。。
オヒサシ魚鰤ブリッ。>゜))))彡で〜す(^^)/

其1の処で書きますと
自己紹介の方が埋もれますので
こちらに移して書かせて戴きます。

> この寺に行くのに駅からかなり歩いた記憶があります。

でしょう〜
大変でしたですね。

今回、私の場合には、
こうじさんの家から車(RV)車を出して戴いたので
高速道路経由で本当に楽に行けましてクローバーラッキーでした。

偶然だったのですが・・
途中で、こうじさんと運転を変わりまして
私の運転で摩訶耶寺に着いたのですが・・
ヒョイとその事を思い出しまして・・
40年振りの事でしたので・・

(´;ω;`)感慨無量の思いがしました。

ところで。。

> 別コミュー「庭道」でもこの庭のコメントがあります。

> http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=2&comm_id=1745003&id=14525526

ご紹介をありがとうございます。

私は、こちらでも副管理人を拝命しておりまして
このページは風梵担当の様になっています。

但し・・

こちらのコミュと違いましてメンバーの方々はプロの方々が
基本的には多いと云う前提で手加減無く辛口で書かせて貰っています。

ところで。。

コルトレーンさん。

全国の名だたる古庭園を観ておられるコルトレーンさんとしては
摩訶耶寺をご覧になられての感想は如何でしたでしょうか?
風梵さん

最初、摩訶耶寺の庭を見たとき
何故か、雪舟が作庭した常栄寺の庭が頭に浮かびました。
そして天竜寺の庭が・・・
(天竜寺の庭は鎌倉時代ですが池庭は室町時代らしいですね)
優雅な気品のある庭だと思いました。

重森三玲薯「日本庭園歴覧辞典」の解説には
本庭は現摩訶耶寺の西方に当たり、全面積約460坪であり
池泉はその内132坪ほどあって、南北にやや長いが大体に
池心の広い庭である。池中には鶴島と思われるもの一島が保存され
西部に出島に近く枯山水様の石組があって、これが亀島的である
北部から東部にかけて七つの峯をもつ築山が連続していて、これらの
築山には、いずれも多くの石組みをみせている。
そしてその築山のなかで東部南端の築山に三尊石組があり
また中央の築山にも三尊石組がある。これらの石組を一覧すると
その手法は平安初期の作庭として注目される、京都の大沢池庭園中の
名古曾の滝趾石組と酷似していることである。
名古曾の滝趾石組に見る三尊手法は、平安初期だけに特に強く
それに比較するとやや調子は弱いが、全く同じ三尊手法をもっていて
一種の作庭記流の手法と見てよいから、その点で本庭を平安末期の
作庭と見てよい。
そして本庭の北の築山と次の築山との間に最初は水を差し入れ、そこに
渓谷式の滝石組を見せている。あるいはまた池庭の汀の線は、北部と
南西で州浜形の線をみせ、これは天竜寺庭園の池汀の線に似ているが
天竜寺池庭の池は天延年中(973〜975)のもので平安中期であるから
そうした作庭法が強く伝統を残しているとみてよいから、それらの点からも
本庭が平安末期の作庭と考えられる訳である。
 さらに本庭の中島は、豪華な石組が見られ、比較的によく石組が
保存されている。中央の立石による四方正面的三尊手法や、北部の
鶴首石の雄大な表現等は、大体において三重式の護岸手法とともに
平安末期のものと見てよいし、さらに南西の枯山水的石組もはなはだ
豪健であるが、本庭はその南部に元の居館があったと考えられるから
陸上のものは近年相当あらされている。いずれにしても本庭のような
古庭が静岡県下に現存したことははなはだ嬉しい次第である。

この解説を読んでいると
この庭がいかに凄いか解ります。

ワクワクしながら作業されていた、風梵さんの姿が
目に浮かんできます。

むかっ(怒り)コルトレーンさん

感想をありがとうございます。

> 最初、摩訶耶寺の庭を見たとき
> 何故か、雪舟が作庭した常栄寺の庭が頭に浮かびました。

そうですか・・
不思議ですね〜
石の扱いに似ている処があると私は感じたりもしていますが・・

> そして天竜寺の庭が・・・

でしょう〜。。
あそこは私と当時、農大の二年生だった岸野純一君(※)と二人で測量をしました。
コツコツと汀の線を実際に測って行った訳ですが・・

※ 現在・彼は鹿児島の故郷で作庭をしています。

確か・・
彼もどこかに似ている・・どこかに似ている・・
と言っていて・・
何日か経過して・・
段々と地割のラインが図面上に現われて来まして・・

“あぁ〜天竜寺かも..”と云う感じでした。
京都の天竜寺の庭園は平安時代の初期に園地(おんち※1)だけは
嵯峨天皇の別業(べつぎょう※2)として作られていましたから
明らかに前栽秘抄(せんざいひしょう※3)の影響下で作られたと
推定可能な摩訶耶寺庭園の場合には似ていても不思議ではないと思います。

※1 園地=平安時代に使われた[池庭(ちていorいけにわ)]の呼称

※2 別業=別荘の事

※3 前栽秘抄=平安時代に書かれた庭つくりの[覚書]の書。
  藤原家に伝えられていて風梵の先祖の家にも伝わっていてらしい。

> この解説を読んでいると
> この庭がいかに凄いか解ります。

そうですね。。
これだけリキを入れて書いている重森 三玲 先生の文章と云えば・・
阿波国分寺の庭園の文章くらいかも知れません。。

当時、私が幹事長をしていた日本庭園研究会と重森 三玲 先生の
京都林泉教会で合同調査をした事がありますが、
その時の重森 三玲 先生の興奮振りには珍しいものがありました。

しかし・・
あの庭園の作庭の時期や作庭者に関しては
当時から諸説が出ていまして、重森 三玲 先生は平安時代末期説でした。
(上記の文面にもありますが・・)

しかし・・
私が実際に池庭を測量しました結果としては
あの池は[船遊式(しゅうゆうしき)]ではなく[座視観賞式(ざしかんしょうしき)]と
云う形式になつている事が決定的でした。

と云うのは・・・
池庭の水深が船を浮かべるだけの深さがありませんし
広さもありません。更には池の底には[操船の際の「棹」を受ける爲の割栗石]も無いのです。

荒廃をしていても少しは残骸がある筈なのですが・・
全く有りませんでした。
最初から[観賞だけを]目的に作られていまして
確かに石組や地割のラインは平安時代の名残が色濃いのですが・・

作られたのは既に1200年代に入っていたと推定が可能なんです。
コノ庭に関しては恩師・重森 三玲 先生の説といえども
実地調査の強みからも真正面から反対をしている風梵なんです。

それと作者に関しては私の家の流れが関係していた可能性が・・
コレに関しては重森 三玲 先生も目星を付けて居られた様子でして・・

“君の家に文献はないか?”と何度も訊かれました。

ですから・・
不思議な縁だと感じ入っているんです!

そして・・
また40年振りに私の運転で到着をしましたから・・

なお更に不思議と云うほかはありません。

> ワクワクしながら作業されていた、風梵さんの姿が
> 目に浮かんできます。

ありがとうございます。
まったく、その通りなんです!

本当に当時は全てが持ち出しで・・
真夏の炎天下での測量ですし発掘でした。

青春のまっただ中!でしたので
本当に懐かしい庭園なんです。

では、また。。

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