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修復腎移植を認めさせようコミュの移植学会幹部への公開質問状、その4

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7.3.生体腎移植と矛盾する「腎全摘有害」論=「病腎移植など聞いたこともない」、「がんの腎臓を移植すればがんが移る」という主張を、すべて事実により否定された学会は、今度はレシピエントの問題からドナーの問題に論点を変えた。それが「腎全摘はドナーに害がある」という主張だ。移植学会などは厚労相宛の「要望書」(2.1.)でこう述べている。 
 「生体ドナーが提供によって残りの人生に不利益がもたらされることがないことが、国際的な指針として明記されています。生体腎移植においては、ドナーの人権を守ることが何よりも優先されるべきですが、病腎移植ではこの原則に抵触する危険があります。国際的な指針として明記されています。具体的には「小径腎癌の標準治療は部分切除だ」というものだ。この言明の根拠として「WHO指導指針」と「アムステルダム報告」をあげている。
 問題は2点ある。第一は、「病腎移植」を否定した07年3月30日の「高原発表」、翌日の「四学会共同声明」、7月の「病腎移植禁止」厚労省通達は正しかったのか?という問題だ。「病腎移植はかつてなかった。がんの腎臓を移植に用いればがんが移る」という認識は誤っていたこと、2005年当時小径腎癌はほとんど全摘されていたことが実証された。ならば出発点の「高原発表」の内容自体に重要なあやまりがあり、結果的に「誤審」をもたらしたといえよう。学会による「再審」が必要となる由縁である。
 第二は、「生体腎移植」(健康腎からの腎摘出)と修復腎移植(治療のための腎摘出)を同一視して論じている点だ。「アムステルダム報告」の執筆者はハーバードのデルモニコ教授であり、その彼がアルゼンチンの国際会議の会長として小川の「修復腎移植」論文に賞を与えたのだ。つまり報告では「修復腎移植」は生体腎移植に含まれていないのだ。報告書の読み違いでないのなら、移植学会は「授賞を取り消せ」とお手の物の妨害レターを書くべきだろう。腎がん患者の希望で行った腎全摘が患者の生命予後を悪化させる、部分切除ないし部分切除後の自家移植が「標準治療」だと学会は主張している。では本当に、がんの腎臓を全摘したら生命予後が悪くなるのか?
 彼らが依拠するのは、腎がん部分切除の推進論者である米メイヨー・クリニックのトンプソンやキャンベルらだ。しかし「全摘するとドナーの生命予後が悪くなる」と主張したのはトンプソン(2009)だ。彼の共同研究者キム(2011)が調べた18万9,000例の腎がん切除例(2003〜2008)のうち、部分切除はわずか20.7%にすぎず、残りは全摘だった。このような現状を変え、部分切除を推進するために書かれたのがトンプソン論文だ。しかしこの論文では、患者生存率に影響を与える重要因子である「パフォーマン・ステータス(PS)」(全身状態)を解析に組み入れていない。PSの悪い患者(つまり進行がん)では、手術時間が短く、手術合併症も少ない全摘が選択される。このような患者は、もともと生命予後が不良なので、部分切除と単純比較すれば全摘群の生存率が低くなるのは当然である。同じく部分切除術の唱道者である外科のキャンベルもさすがに、これは見過ごせず、PSを組み入れた多変量解析を行ったところ、生存率の差は消失したと、同論文の編集者コメントで述べている。厚労省への「要望書」で、学会はこのトンプソン論文を根拠として全摘反対論を述べている。だが、このように海外論文のうち自説に都合がよい箇所だけをつまみ食いした、お粗末な論拠からなっている。
 腎がんの部分切除が米国で「標準治療」でないことは、キム論文を見れば分かる。日本の事情については、2006年の堤調査、2012年の厚労省の調査、5被告が松山地裁へ提出した自施設で行った過去の腎がんの全摘、部分切除、全摘後の自家移植の内訳資料が明らかにしている。いずれも「部分切除が標準治療だ」とする学会の主張に反するものだ。
 最先端にあると自認する学会幹部の施設においてすら実施されていない自家移植を、「使える腎臓なら患者に戻すのが当然だ」と主張する神経はまったく理解できない。人間として良心の疼きを感じないのだろうか?「病腎移植事件」を人体実験と呼んだメディアがあるが、「731部隊」などの医学者犯罪は帝国大学医学部を卒業したエリート医師たちによるものだ。その根底には医師としての職業的良心の麻痺があったことを忘れてはならない。薬害エイズも同様だ。ドナーの人権が損なわれやすいのは親族間の生体間腎移植の場合であって、修復腎移植の場合ではない。昨日までは健康だったのに、今日は死者になることさえある、健康人をドナーとする親族間生体臓器移植の非倫理性やドナーへの医学的悪影響をまったく問題とせず、修復腎移植をことさらにあげつらうのは異様としかいいようがない。アッシャー教授が指摘した「内なるパターナリズム」について、医師たるもの、絶えざる内省が必要である。
 もし「全摘すると生命予後が悪くなる」のが事実であれば、年間約1,200例行われている生体腎移植は、医学的にはドナーに有害な行為であり、やってはならない医行為だということにならないだろうか?従来、健康腎を摘出した場合、残った腎臓の代償性肥大が生じるが、それでも2腎の場合に比べ30%の腎機能低下が生じるとされてきた。しかし、腎臓に予備力があるので通常の生活を営むには差し支えない、というのが生体腎移植や腫瘍等に伴う腎全摘術の医学的根拠だった。移植学会幹部はこの通説を否定するのか?ならばちゃんとした医学的根拠を示す必要があろう。通説を否定すれば、健康な腎臓を摘出する生体腎移植は、倫理的にも医学的にもドナーに重大なデメリットのある医行為だということにならないか?この問にもちゃんとお答え願いたい。

 7.4.「移植後進国」から離脱するには=学会幹部はこの公開質問状に対して、誠意ある回答を本誌に寄せ、「病腎移植」断罪が間違ったものであったことを謝罪し、和田移植以来の移植医療に対する国民の不信を解消するように努力すべきだ。前述(6.2.)のように、患者裁判の目的は学会の謝罪と修復腎移植の公認にある。何をためらうのか?
 日本の臓器移植は「臓器移植法」の制定をめぐり、「脳死移植を認めると、脳死になると医師が治療を怠り、結果的に蘇生の機会を失い、臓器を取られてしまうおそれがある」という脳死を人間の死と規定することへの反対論のせいで、大きく遅れた。和田心臓移植の灰色決着が移植医療不信につながっていることは確かだろう。「◯◯のおそれがあるから、危険だ」という論理が脳死移植を遅らせたことを移植関係者は認めるだろう。しかし「修復腎移植は◯◯のおそれがあるから危険だ」という移植学会幹部の論理が、まさに脳死反対論と同じものであることに、どれほどの人が気づいているだろうか?
 移植学会は、最初は「病腎移植は他にどこもやっていないから認められない」と主張した。文献を集め日本でも世界でも過去に事例が多数あることを示すと、「がんの腎臓はがんを持ち込むから危険だ」と主張を変えた。小径腎癌を用いた移植例について、50例以上があり、がんが持ち込まれた例はないことを示すと、今度は「ドナーの不利益」を主張するというふうにコロコロと変わった。ドナー不利益論は「生体腎移植」否定論につながり、日本の生体腎移植の正当性を否定することになる。学会は「結論ありき」の否定論をやめ、圧倒的に多くの医学的証拠の前に、潔く過去の言説を撤回すべきだ。
 修復腎移植には大きなメリットがある。患者本人には不要有害な腎臓を治療目的で摘出してもらい、その腎臓で人ひとりの生命を救うことができる。他人が健常な生活を取り戻すのに奉仕できる。移植医療はこの奉仕の精神(利他主義)が根底になければ、歪んだものになってしまう。死者は語れない。生者は語れる。修復腎移植のドナーは自分の体験を誇らしく他者に語れる。腎臓をもらった患者も自分の受けた恩恵を、喜びをもって語ることができる。これは第一の移植(死体腎移植)にも第二の移植(生体腎移植)にもない、明らかなメリットで「歩く広告塔」が二人生まれるのである。現に自分のドナーとしての経験を生徒に語り継ぎ「生命の大切さ」を教えている小学校教師もいる。
 問題は予想されうるトラブルないしドナーへのデメリットを最小限にするための、適切な措置を工夫することだ。潜在的ドナーについては、50歳以上の男女に対する筆者のアンケート調査によると、小径腎がんの全摘を希望する人は42%、うち腎提供に同意したのは70%だった。林秀信弁護士の調査によると腎移植希望登録患者の70%が「がん伝達リスク10%」でも修復腎移植を希望しているという。米UNOSのナレスニクらの論文(2011)によれば小径腎癌の持ち込みリスクは0.1%程度である。英国のデサイら(2012)は、腎がんだけでなく他臓器のがんを含めてもドナーがんの持ち込みリスクは0.05%と報告している。
 他方、「日本臓器移植ネットワーク」資料によると、1995年4月の登録開始以来、累計37,341名の腎移植希望登録があり、うち3,090人が待機期間中に死亡している。8.3%の死亡率だ。同資料によると登録患者の56%が5年以上腎移植を待ち続けている。20年以上待っている人も546人いる。修復腎移植によるQOLの向上とがん伝達のリスク、死体腎が廻ってくるまでの待ち時間の長さと死亡のリスク、この両者を比較すれば、専門知識のない患者でも優劣が判断できるだろう。どちらを選ぶかは患者が決めるべきで、医師集団である学会が決めることではないだろう。修復腎移植が再解禁されれば、約1万3,000人の登録患者は2〜4年の待ち時間で腎移植をうけることができる。まさに「第三の移植」である。
 事件発生から間もなく7年目を迎えようとしている。筆者の立場は7年前の論説と変わらない。修復腎移植を広く導入することによって、移植用の腎臓供給を増やし日本の腎移植医療を先進国の水準に高め、その波及効果によって「脳死移植」に対する国民の理解を高めることだ。この方策によってのみ、日本の移植医療はようやく先進国の仲間入りができるのである。移植学会の幹部は「和田心臓移植」の過ちを二度と繰り返してはならない。

注:表1、2はうまく載せることができませんでした。


















表3. 病腎移植(市立宇和島病院25例)と国内の生体・死体腎移植の成績
  生着率   生存率  
数字は% 5年後 10年後 5年後 10年後
病腎(全症例) 35.4 25.3 71.7 55.4
病腎(がん11件) 21.8 21.8 46.7 23.3
生体移植 83.4 69.6 90 84
死体移植 69.2 54.3 84 77
  (資料:2007.3.31付読売新聞)


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