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ポストモダンコミュのオススメ本とか気になった本とか

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コメント(8)

哲学から少し離れて、
ちょっと社会系で気になったのがあった本があったので書きます。

ジョージ・リッツァ『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4657994131/250-9712619-8840243

この本で言っている
「効率性の追求ゆえに行われているファーストフード店の
カウンター前で並ぶ行列は、まるで餌を与えられるのを待つ家畜のようである」という説明は
Radioheadの人口音声曲、"Fitter happier"(ok, computerに入ってます)の最後、
"a pig
in a cage
on antibiotics "(現代人=檻の中の抗生物質漬けの豚)
と同じ見解ですよね。

この本で、
合理性の追求がもたらす非合理性は、
自由意志を持って逃れようと思っても
簡単に逃れられるもんじゃなく、それはウェーバーの言う
「合理性の鉄の檻です」という説明がされています。

合理的システムがどんどこ発展していることに
対して、「んじゃ、俺、非合理主義で行く!」などといっても
それも合理性に対して、意識して作られた非合理という
二項対立の一方の「檻」(この辺、哲学っぽいですが)なので
結局、どこも檻じゃねぇか、家畜じゃねぇか
という気がします。

要するに、我々は何某かの「檻」に束縛されている(必要としている)存在であることは確かでしょう。
社会と共通感覚(喜怒哀楽、言語など)があるかぎり、「ルール」や「檻」がなくなることは多分、ないでしょう。

それに、人間の感覚や体感を
ある一定の限界を持つ「檻」と考えれば、
我々は、その檻に既に入ってしまっているので、
その檻から抜け出すことは、
「肉体の死」とか「超音波を聞こえる耳にする」とかなのだから、
檻の中で限界まで楽しめれば、良いんでないの?とも思います。

だから、限界を知った上で楽しむことは、大切な考え方だと私は思います。

少し、本論からずれましたが(笑。
率直にいえば、一人の想像力なんてたかがしれているので、私はつねに、『限界』のある「自由」を楽しむようにしてる。

>a pigin a cage on antibiotics "(現代人=檻の中の抗生物質漬けの豚) と同じ見解ですよね。

だから私はレディオヘッドを愛している。身近にあるってこういうことなんだろうと思う。この身近っていうのは、つまり、ブルデューとかがいうところの「実践=プラティック」なんだけど。

>合理性の非合理性。
多分だけど、イコール資本主義は発展するほどその身を滅ぼす、っていうのに似てる。

てかマクドナルド、名著なのに読んでません、出直します。
ま 気持よければいいさ アホでもね

マクドナルド興味津々
さがしてみよう
初めまして。こんにちわ。今POSTMODERNITYを勉強してます。あまり、リゾムがよくわかりません・・誰かわかる方一ラシャいますでしょうか・・たすけてください。お願いします・・泣
ぜんぜん有名ではなく、あまり入手しやすい本ともいえませんが、

千石好郎編『モダンとポストモダン』法律文化社

が、私にとってはわかりやすかったです。

また

Strinati, Dominic. 1995. An Introduction to Theories of Popular Culture. Routledge. =2003渡辺 潤・伊藤明己『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』世界思想社.

に所収のポストモダンについての章も個人的に好きです。

定義にもよりますが、1970年代以降の生まれの人って、ある意味ではポストモダンな現実が既に自然な状況で育ってきているので、かえってわざわざポストモダンと言わなくても済んじゃう、みたいな生活感覚があるような気もします。

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