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アナタが作る物語コミュの【異世界ファンタジー】隙間の旅人 第一話『奏でる男』

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 今日も、この街のこの場所で、彼は歌っていた。
 ギターのコードはあやふやでよくもたつくし、声がよく裏返るし、歌が進むにつれてただの叫び声に変わり、挙げ句の果てには掠れてしまうし、上手いとはお世辞にも言えない。ついでに言うと不細工ではないが冴えないルックスで、着ている物もくすんだ色のTシャツに擦り切れそうなズボンにサンダルだし、短い髪は寝癖でぱっくりと後ろがいつも割れたような形になっている。
 何だ、こいつ?
 ただ声質だけは良いのか、やや甲高い明るくてよく響く声は、悪くない。楽器を弾かずに歌に集中して、歌い方を勉強して、そうすればもっとちゃんとしたステージとかで歌えるだろうに。
 それに、メロディやリズムは(よく狂うから)分からないが歌詞も良い。この世界で生きて行く、希望を抱いて、誰かに希望を抱かせてあげられるように、そんな歌詞だ。
「ありがとうございます」
 歌い終わった彼は、にこにこしながら私に深々と礼を言う。
 私は少しだけ笑いかけると、その場を立ち去った。

 私は隙間の旅人、隙間の世界と様々な現実世界を行き来する能力を持つ者。
 私が今いる世界を含め、現実世界は百八つ存在している。そして、実体のない──いわゆる天国や地獄のある死後の──世界が存在する。それらの間には隙間の世界が存在する。隙間の世界のほとんどは時間の流れが不安定で広大な隙間の森で、ミルク色の濃い霧が立ちこめている。
 私はいくつかの隙間の森を通って、いくつかの現世に足を運んで来た。そして、しばらくその現世に滞在し、飽きるか居づらくなったら立ち去り、また違う現世に行く、そんな生活を続けて来た。
 今いるこの世界も、いずれは立ち去る。

 私はスーパーの青果コーナーでのアルバイトを終え、また彼の歌を聴きに行った。
 今日の私は珍しく手にはリンゴを持っている。傷物だから商品として売れない物だ。それと、賞味期限切れ間近のポテトサラダ、こちらは格安で買い取った。
「これ、差し入れ」
 私はポテトサラダとリンゴを、歌い終わった彼に手渡す。
「あ…ありがとうございます!」
 彼の笑顔がぱっと咲いた。まるで菜の花の柔らかな黄色のような、柔らかな春の日射しのような笑顔だった。
「いつも聴いてくれてますよね…あ!」
 私は瞬時に隙間の入り口を開き、隙間の森に入った。彼の目には突然私が消えたように見えただろう。私は出入り口である隙間の世界との境界線から彼のキョトンとした顔を見ていた。
 もう深く関わってはいけないかも知れないな…。そう思った。

 前にいた世界で手に入れた玩具は珍しかったのか、質屋では少し高い値段が付いた。それにこの世界でアルバイトもしていたから、お金には余裕はあった。もう少し滞在していられるだろう。
 しかし、もうそう長くはいてはいけない気がしていた。
 この世界では隙間の世界とか異世界の存在は受け入れられているし、私はバイト先や滞在中のマンスリーマンションでは、隙間の旅人である事はきちんと言っていた。彼らの中には、ずっとこの世界にいちゃえば? なんて言ってくれる人もいたが、大抵の人々は私がいずれこの世界から出て行く人間である事を分かっているだろう。
 明日、出て行こう。私は決めた。

「もう、聴きには来れないんだ」
 私は彼に言った。
「出来ればきちんと学校に行って歌をちゃんと勉強すれば、きっとあなたは素晴らしい歌を、もっとちゃんとした場所で歌える」
 最後に彼の歌を聴き、歌い終わってお辞儀をした彼にアドバイスした。いや、そんな大それたものではなく、余計なお世話を焼いた。
「隙間の旅人…さんですよね?」
 彼に問われたので頷く。別に隠すつもりはない。
 彼には隙間の旅人である事は言ってはいなかったが、異世界の人間にはその世界にはない匂いやオーラや声の響きがあるらしい。それを感じ取れる人間もたまにいる。だから、別に驚かない。
「オレ、憧れていたんです、あなたみたいな隙間の旅人に。色んな世界に出入りして、その世界を見て回って、それを歌に出来たらどんなに素晴らしいだろうって」
 彼の目に瞬く星のような光りが宿る。キラキラとした美しい目だ。
「そんなに羨ましがるような物ではないよ。フラフラといい加減な人間だ。それに、あなたはこの世界だってロクに見て回ってもいないんじゃないか?」
 出来るだけやんわりと返す。
「そうですね。オレはこの世界だって、この街と生まれ故郷しか知らない」
「なら、この世界を見て回ると良い。この世界だって隅々まで回ろうとしたら、人間の一生じゃまず足らない。こんなその世界のごく一部分のみしか知らずに、さっさと立ち去るような愚か者に憧れるなんてバカらしく思わない?」
「思いませんね。むしろ…」
「ロクなもんじゃない。」
 むしろ何だと言いたいのだろうか。まあ良い、所詮は憧れと言う名の幻想だ。私は彼の言葉を打ち切るように言った。
「むしろ風のように自由で、美しいと思います」
 風、そう来たか。
「そう思うのは、あなたが隙間の旅人ではないからでは? こんな力を持っているとたまに羨ましがられるが、実際そんなに良い物ではない」
 そう言うと私は、また隙間の入り口を開き、隙間の世界に入った。
 隙間の入り口から見た彼は、えらく間抜けな顔をしているように見えた。
「あの…! ありがとうございます。オレ、ちゃんと歌を勉強して、色んな人に聴いてもらえるように頑張ります!」
 私はその声だけ聞くと、完全に隙間の入り口を閉じた。

 次はどの世界のどんな場所に行こうか。

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