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アナタが作る物語コミュの中二病疾患 第四話『アジサイの季節に』

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第一話「空色デイズ」 はこちらから↓
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その他の現在連載中の作品はこちらから↓
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                      えんぴつ

 雨の日が続いて、今日は久し振りに晴れた朝を迎えた。でも、天気予報は夕方から雨が降るって。母さんが傘を忘れるなって言ってたっけ。分かってるって。私は少し大きめのビニール傘を持ってるんだけど、ちょっと現実って奴を思い知らされる。
 私の名前は新川千沙、藻茶北第二中学二年四組、クラスや学年は愚か、校内の女子の中では一番背が高い。体重は多分今井ちゃんの方があるけど、それでもそれなりに重い。中学に入ってからだいぶプクプクした感じがなくなったけど、小学生の時はデカ乳豚女、なんて影で言われていた程度にはぽっちゃりしていた。今はバレー部で汗を流しているが、同じように体育館を共有して部活をしている男子達は私の胸を見て揺れたとか言っていて、たまに嫌になる。
「ちーちゃん、これ校長じゃん?」
 ミキ姉がテレビを見ながら言った。私は囓っていたトーストを皿に置いてテレビを見た。地域ニュースの時間だった。画面には私も登下校に使っている住宅街が映し出されていた。朝の早い時間に撮影されたのか人通りがなく、どこか寂しげな情景を醸し出している。画面の下にはテロップで『藻茶市教職員 川端玲子さん(59)』と書いてある。確かに校長先生の名前だ。アナウンサーは淡々と昨日の夜、職場から帰宅中の校長先生が自転車を押して歩いていると、後ろから何かで殴りかかられ、肩掛けのバッグを奪われた、犯人は三人組で若い男、もしくは少年だったと言う。校長先生は殴られるのは回避したが、転んだ時にケガをしたらしい。
 私は怖くなって、背筋に冷たいものが走った。
 ミキ姉も同じ中学に去年まで通っていて、現在の校長先生はミキ姉が入学と同時に赴任して来たらしかった。母さんは校長先生を見て驚いたと言う。母さんが中学生の時の担任だったからだ。私も母さんの卒業アルバムで確認した。母さんも校長先生も別人としか思えなかった。二人とも横幅が今の半分しかなかった。でも、顔を見るとパーツは一致した。
「苗字が違うけど、離婚されたのよ。同窓会で言ってたよ。あんた達の通う学校の校長先生がこの人で安心したよ」
 母さんはそう言って笑っていた。その母さんは今日は早出だからと仕事に行っていて、このニュースは見ていない。いや、職場のテレビに映し出されたのを見てしまうだろうか。(因みに母さんは介護の仕事をしている)
「ほら、ちーちゃん、食べたらお皿早く片付けて。急がないとバスに遅れる」
 ミキ姉がせかす。私は慌ててトーストを飲み込んで、麦茶を飲み干した。私達の家では、こう言う事は当番制だ。母さんが食事を用意して、ミキ姉と私が交代で食器を洗う。
 私はお皿とコップを流しに持って行くと、ミキ姉に早くして、と言われた。
「ちーちゃんもあの道通るんだから気を付けなよ、ほら、最近よく一緒に登校してる男の子、離れちゃだめよ」
 たまにミキ姉はおせっかいおばさんみたいになる。
「分かってるよ、でも津山くんじゃ頼りないなぁ」
 クラスでは男女を合わせても一番小柄で、色白な津山くんを思い浮かべた。だめだ、小学生が中学の制服を着ているようにしか見えない。
「何であんたが頼るの? あんたがガードする側でしょうが、デカイ図体して」
 ミキ姉、私のコンプレックスをわざわざ刺激するのやめてくれる? 予想はついたけど。私よりも、と言うか母さんに似たのか少し小柄なミキ姉がたまに羨ましくなる。私は亡くなった父さんに似たらしい。父さん、千沙はまだ三歳だったから顔は写真でしか見た事のない人ですが、あなたの遺伝子は確かに私の中に生きています。母さんはよく、父さんも大きかったから、と誇らしげに私を見上げて言う。母さんの身長を超したのは小四の時だった。
 食器を洗い終えたミキ姉と一緒に自宅マンションを出る。一五四センチの姉と一七二センチの妹はおそらく異様に見えるだろう。小さい方が大きい方に傘は忘れるなとか道中気を付けろとか口うるさく言っている。
 マンションから徒歩二分、平屋の借家が並んでいるのが見える。そこで岩崎のおじさんと津山くんが何やら話している。いつもの朝の光景だ。
「おはようございます。津山くん、おはよう」
 私は二人に声をかける。

 ___

 静かな住宅街、昔ながらの古い日本家屋や商店もある。朝日を浴びて、昨日までの雨のせいで濡れた町がキラキラ輝く。湿った空気は夕方からまた雨が降ると告げていた天気予報を思い出させる。久し振りの青空を背景に自宅マンションを振り返る。
「似合わねぇ…」
 タワー型高層マンション、街並みに合わずに浮いている。こうしてマンションを出て一分歩いた所に平屋の借家が立ち並んでいる時点で、あの建物がいかに場違いか分かる。
「おはようございます」
 岩崎のおじさんに挨拶する。平日はいつも仕事用の作業着だが、今日のおじさんは私服だった。黒いティーシャツに灰色のチノパン、足元は黒のスニーカー。
「おはよう、浩樹」
 おじさんは服装以外は普段と変わらない笑顔で返してくれた。口元と目尻に細かなシワができる。
「今日は私服なの?」
「ああ、休みなんだ。有給休暇消化しないと工場がうるさくてな」
 大人の世界は色々と大変らしい。休みを取るのも自分の自由ではないらしい。この日はだめ、この日は休め、みたいな感じだろうか。
 昨日学校であった事を話す。アキが弁当の後に特大アンパンを三つ食べていた事とか、タケが階段から落ちてマサが巻き込まれた事とか。
 実はこの街に引っ越して来てから最初に出来た友達はアキやタケやマサではなく、岩崎のおじさんだった。まだ春休みだった。僕は私服で近所を散策していた。少し疲れたので児童公園で休んでいた時だった。
「ボク、顔色悪いけど大丈夫?」
 知らないおじさんに声をかけられて少し警戒した。
「大丈夫です」
「なら良いが、友達とかと一緒じゃないの? 家まで送ろうか?」
 色が白くて痩せているせいか、僕は体が弱そうに見えるらしい。事実、弱い。体力もなく疲れ易い。学校までの道のりを往復して、近所に何があるんだろうと歩き回っただけでヘタっていた。
 知らない人に声をかけられたり、家まで送られるのは警戒してしまうが、おじさんの屈託がない笑顔を見ていると警戒心が解けて来た。その日はマンションの前まで送ってもらった。
 岩崎と名乗るおじさんといくつか話しをした。静岡の学校から転校して新学期から藻茶北第二中学だと言う事や日曜の朝の特撮番組が好きな事とかだ。
 おじさんは自宅マンションから近い借家に独り暮らしで、フリーズドライ食品の工場でバイトをしていると言っていた。仕事は四時で終わるし、工場からは徒歩十分、四時半には帰宅できるらしい。なのでアキ達と仲良くなる前は、学校から帰っても退屈なのでおじさんとよく話すようになった。いや、今でもたまに夕方におじさんと話したりはする。以前に比べて回数はだいぶ減ったけど。あと、話す内容もテレビや習い事の話しが多かったが、学校で何があったかを話すようになった。それから、最近は朝、こうして仕事に向かう前のおじさんと登校前に話すようになった。
「おはようございます。津山くん、おはよう」
 声の方に目を向けると背の高い女の子が立っていた。新川千沙さん、同じクラスの子だ。クラスの女子の中では一番、男子を含めても三番目か四番目くらいに背が高い。クラスで一番背が低い僕と並ぶと改めて自分の小ささを思い知らされる。
 新川さんも岩崎のおじさんと知り合いだった。小さな頃からよく遊んでもらっていたらしい。
 余談だが、おじさんは僕と新川さんが同い年だと思わなかったらしい。僕が一年、更に新川さんは小さい頃から知っていたにも関わらず三年生だと思っていたらしい。新川さんが、津山くんも岩崎のおじさんと知り合いだったの? と聞いた時に二人は同じ部活の先輩後輩なのかと聞かれたくらいだ。
「じゃ、二人とも気を付けてな」
 おじさんはいつもと同じ笑顔で僕と新川さんを見送ってくれた。いつもならそのまま工場の方角に自転車で向かうのだが、今日は家に入って行ってしまった。休みだから当然なのだけれど。
 僕と新川さんは並んで歩き出した。確かに同級生には見えないだろう。制服を着ていなければ小学生と成人に見えるかも知れない。横を見ると、かなり大振りな胸が揺れている。頬が火照るので目を前に向ける。
「朝のニュース見た? 校長先生の」
 新川さんが訊いてきた。
「うん、この先の通りだよね」
 朝のニュースで自分が普段通学に使ってる道が映った時にはびっくりした。母が車で送ろうかと言い出したくらいだ。
「引ったくり的な感じでしょ? 多分子供は狙わないよ、お金持ってないから」
 母に今朝言ったのと同じ台詞を新川さんに言った。母は、それもそうね、とあっさり返した。放任主義なのか過保護なのかたまに分からなくなる人だ。
「私、制服着てなきゃ子供に見えないんだけどね」
 新川さんは笑いながら言った。ある程度自虐ネタも混じっているんだろう。
「僕は制服着てなきゃガチで子供にしか見えないんだけどね」
 一応自虐ネタを交えて笑いながら返す。その程度の気配りは出来る、つもりだ。
「やだ、カメラがある」
 校長先生が襲われたと言う現場に差し掛かろうとした。大掛かりなカメラを構えた男と報道記者らしき女が立っている。
「変に何か答えてテレビや雑誌に出たら怒られるよ。急ごう」
 新川さんが早足で事件現場を通ろうとしたので、僕は小走りに後を追った。脚の長さが違うから新川さんより早く動かないと置いて行かれるんだ。マスコミ関係者らしき男女の前を通った時、このように通学路としても使われ…と、女の方が言っていた。
「やだなぁ、学校や家の近くでこんな事。事件もそうだけど、あんな風にカメラで映されるのって」
 新川さんが言う。流石は運動部なのか全く平気そうだが、僕の方は走ったせいか元々体力がないのか少し息が上がっている。
「あ、ごめん。急に走らせちゃって。大丈夫?」
「うん、平気平気」
 学校に近付くと、副担任の桜井先生が立っていた。ガッチリした男の先生で理科の担当、柔道部と科学技術部の副顧問を担当していて、副の男なんて影で呼ばれている。一説によるとゲイで、奥さんに逃げられたらしい。桜井先生は僕達に笑って、おはよう、と言った。
「学校の前にテレビの人達が来てるけど、何か訊かれても答えるんじゃないぞ」
 相変わらず厳つい風貌が似合わない優しそうな低い声でそう言った。
「はい」
 僕達はそう答えると、校門に目を向ける。カメラと記者の組み合わせが今度は二組いる。
「おはよう」
 掠れた声が後ろからかけられた。タケだった。委員長と和也くんとはじめくんも一緒だ。
「ショーテンガイズ勢揃い」
「ショーテンガイズって言うな。カズとはじめは今日は朝練がないんだよ。先生達が忙しいとかで」
 そう言えば和也くんとはじめくんは朝練のない日はタケや委員長と一緒に登校している。でも二人共朝練がないのは週に一回あるかないかだ。そんな日に限ってタケや委員長は委員会活動の雑務とやらで早く登校してるから、商店街在住の四人が揃うのは珍しい光景と言えた。
 この辺りから一緒に登校するグループからクラスでつるんでいるグループに分かれ始める。
「ちーちゃん、おは」
 立野さんが新川さんに声をかける。その後ろから沢菜さんがおはよう、と声をかける。
「おはよう。じゃあ私、ユイ達と行くね、津山くん」
 新川さんが沢菜さんや立野さんと並んで歩き出す。
「おっす」
「おう」
 校門をくぐる時、アキとマサが合流した。
 今日が始まろうとしていた。

 ___

 今日は午後から緊急職員会議が行われる事となり、給食を食べたら下校する事となった。
「寄り道せずに帰る事」
 帰りのショートホームルームで担任の灰田先生は少し語気を強めて言った。他にはマスコミの取材には答えるなとか、出来るだけ一人で帰らないようにとか、帰ってからも出歩かないようにとか。
 校長先生は転んだ時に膝を擦り剥いただけで軽傷だそうだ。
「津山くん、一緒に帰ろう」
 私は津山くんに声をかけた。
「うん。じゃあね」
 津山くんは普段、クラスで仲の良い田村くん、葉山くん、佐藤くんに手を振ると私と並んで歩き出した。校門を出る時にはマスコミはいなかった。
『止めてよ』
 男の子の声が聞こえた。ふと私と津山くんの間を誰かが走り抜けたような気がした。私は振り返った。津山くんも振り返る。けど、誰も私達の間を通ってはいなかった。走り去るはずの後ろ姿は見えなかった。
「待て、タケ。カバン開いてる」
 田村くんが葉山くんの背負っているカバンの蓋を閉めてあげている。良いよ、自分でやる、なんて言っている葉山くんを佐藤くんが笑って見ている。葉山くんは商店街メンバーに先に行ってて、とか言っている。別に珍しい光景でもなかった。
 私達の間に生白い手が一本伸びる。手は人差し指だけ伸ばして後の指は握られていた。指が指し示す先には田村くん達がいる。田村くん達を止める? 何をするのを? 訳が分からなくなった。
 その時、視界に一人の男の人が入って来た。黒い服を着て怖い顔をした…
「うわっ! 何だ?」
 田村くんが声を上げる。津山くんが走り出す。私は津山くんを追う。何人かの生徒達が振り返る。
「自首しろ、坊主!」
 男は岩崎のおじさんだった。普段は優しいおじさんのこんな顔は初めて見る。怒りと憎しみを持って、田村くんの胸倉を掴んでいる。
 だが、田村くんは柔道部だし、小学生の頃は相撲が強くて有名で喧嘩も強かったと聞いている。二人は取っ組み合いになった。私達は二人の側に駆け付けた。
「二人ともやめてよ!」
 津山くんの声が甲高く響く。その瞬間に田村くんの体がふわりと浮かび上がり、投げ飛ばされた。一本背負い、生で見るのは初めてだった。背丈は同じくらいだがガッチリとした肉付きの良い田村くんを軽々と投げ飛ばしてしまった。
「お願い、もうやめて!」
 私はやっと声が出た。その直後、涙が流れている事を知った。
「何をやってるんだ!?」
 桜井先生が駆け付けて来る。あのおじさんが生徒に急に襲いかかって自首しろとか…誰かが言った声が騒ぎ声に掻き消されて行く。
 どう見ても悪いのはおじさんだが、何の理由もなくこんな事をするはずもない。でも田村くん達も誰かにこんな事をされるような事をするはずがないとも思った。田村くんは身を起こしておじさんから離れると、葉山くんと佐藤くんの前に立って両手を広げておじさんを睨みつけている。おじさんは泣きそうな津山くんと既に泣いてしまった私を見て困惑している。
「ちょっと良いですか?」
 桜井先生がおじさんに詰め寄った。後ろには校長先生もいた。
「うちの生徒がお宅に何かしましたか?」
 桜井先生が低く押し殺したように問いかけた。
「あ…遊びです。こう言う遊びです」
 津山くんの高い声が突き抜けた。
「そう、遊びなんです。戦隊もののごっこ遊び。ほら、男子っていつまでも子供だから」
 そう言えばいつか岩崎のおじさんから津山くんは戦隊ものが好きだと聞いた事があったので、私も続けた。
「どう考えてもそんな雰囲気じゃないぞ」
 桜井先生が言う。もっともだ。私もそう思う。一方津山くんは田村くん達に目線を送っている。お願い、合わせて! そんな声が聞こえて来そうだった。
「あ、はい。遊びです。そうです、この人がヒーロー役で俺達が悪役です。自首しろとかもセリフです」
 田村くんは割とそう言う応用が利くらしい。スラスラと答える。佐藤くんはコクコク頷きながら(田村くんのカバンから漁り出した)パンを葉山くんの口に入れていた。おそらく空気読めない病を公言している葉山くんが何かしらの失言をしないためだろう。
「まぁ、とにかく、校長室で話しを聞きましょう。あなたも来て下さい」
 校長先生はおじさんを見て言った。おじさんが頷く。
 こうして私達は他の生徒達の視線とヒソヒソ声を受けながら校長室に向かった。
 校長室は奥に校長先生用の机、手前に応接用のテーブルとソファがあった。無印良品とかで売ってそうなシンプルなテーブルと少し硬いソファは質素な雰囲気すら与えた。部屋の両脇を固めるようにトロフィーや賞状の飾られた棚、応接セットの入った食器棚などに囲まれていた。自分の机の上で校長先生はお茶を煎れていた。部屋に通されたのは、田村くん、葉山くん、佐藤くん、津山くん、私、そして岩崎のおじさんだ。桜井先生は、後は私が話しますから、と追い返されるような形で校長先生に部屋から出された。
 まず、田村くんを真ん中に葉山くんと佐藤くんがソファにかけ、向かい合う形でおじさんを真ん中に私と津山くんが座った。校長先生は自分の椅子を引っ張って来てテーブルの端に座った。
「で、これはどう言う事ですか? 岩崎さん」
 校長先生ははっきりと岩崎さんと口にした。何故 おじさんの名前を知っているのだろう。
「いや、それは玲子が中学生の三人組に襲われたと聞いたから」
 おじさんは校長先生を玲子と呼んだ。何故下の名前で?
「で、私はその三人組の特徴と一致する三人を見付けた。それがこの子達だった」
「訳が分かりません。そもそも私を襲った犯人はうちの生徒ではありません」
「そうだったか。背の高いリーダー格を中心に坊主の子と目付きの悪い子と聞いていたから」
 校長先生は呆れ顔で溜め息を吐く。
「あの…お二人はどんな関係なんですか? 元からお知り合いみたいに見えるんですが」
 私は口を開いた。それは他の皆もそう思っていたようで、おじさんと校長先生を交互に見る。
「私達は元夫婦。もう十三年前に離婚したけどね」
 校長先生はスーパーで半額になったお総菜を買った、と言うようなさらっとした口調で言った。おじさんもなら今日のおかずはそれで良いよ、とでも言うように頷いた。私達はその場に固まった。
 そう言えば母さんがいつか校長先生は離婚したとか何とか言っていた。今度卒業アルバムを確認してみよう、苗字が岩崎かどうか。
「で、それと僕達を襲ったのと何の関係があるんですか? 犯人と特徴が一致しただけで勘違いして襲うって…」
 田村くんがもっともな事を言う。
「この人、梅雨になると精神が不安定になるのよ」
 校長先生は何でもない事のように言った。
「いやぁ、面目ない。私も妻が…」
「元妻」
 校長先生は『元』を強調して訂正した。
「中学教師である元妻が中学生らしき少年達に襲われた、きっと怒られたか何かの逆恨みだ、そう思ったんだ。そして、カッとなって藻茶北二中の周辺を探し歩いた。ニュースでやってた犯人の特徴を元にね。そうしたら君達を見付け、犯人だと思ってしまった」
「違います」
 田村くんは冷静にきっぱりと否定した。
「いや、ホントに申し訳ない」
「そもそも他校の生徒だよ。全員上は私服だったけど、下は同じズボンだったし。制服っぽい感じの緑系のギンガムチェック」
「それは警察には言ったのか?」
「制服だったとは言わなかったけど、ズボンは緑系のギンガムチェックでお揃いだったとは言ったよ」
「何でまたそんな回りくどい言い方して…」
「だって一応教育者だもん。他校とは言え学校指定してしまうような言い方は避けたかったんだもん」
「あのなぁ、母さん。自分が何されたか…」
「ケガは大した事ないし、財布から千円札二枚が抜かれただけでカバンごとすぐに捨てられてたの。被害も大した事ないよ?」
「そうじゃないだろ。こう言う時は毅然と…」
「特定の子達が疑われるような事は言いたくなかったの。お父さんもあんなバカな事はもうやめて大人しくしててよ」
 いつの間にか『母さん』『お父さん』と呼び合っている事に二人は気付いていないのだろうか。そんなやり取りを片目に私達はテーブル中央に置かれたクッキーを淡々と食べていた。あと何分くらいこの夫婦漫才モドキに付き合うのだろう。
 それよりも気になるのは、田村くん達の後ろに立っている男の子が何の違和感もないような顔をして一緒にクッキーをつまんでいる事だった。いつからいたの? 明らかにうちの生徒とは違う制服を着ていた。

 ___

 うちの学校の男子の夏服は、白いカッターシャツ、これは裾をカットしているタイプでズボンに入れる必要がない。ズボンは明るめの灰色だ。それなのにソイツの着用している制服は裾をズボンに入れた白カッターに暗めの灰色のズボンだった。そもそもいつからいたのだろう? 突然スッと現れ、アキとマサの間から手を伸ばしてテーブルの上の皿からクッキーを食べている。一枚くわえたまま更にもう一枚手に取って、それをアキの肩の辺りに持って行く。一瞬だけ白いオウムが現れてクッキーをくわえて消えた。
「クッキー食うの早過ぎ」
 タケが言った。
「そう言えば随分減ってるな」
 マサも言う。
 後ろに立っているソイツはバツが悪そうに笑った。
「まだあるよ」
 校長先生が立ち上がろうとした。
「いえ、もう大丈夫です」
 新川さんが言った。その目線は少年に向かう。
「そう?」
 校長先生が椅子に座り直す。
「とにかく、岩崎のおじさんは校長先生を襲った犯人を自首させたかった。そして勘違いから田村くん達とトラブルを起こしかけた。でも誤解は解けました。これで解決ですね」
 新川さんが言う。
「でも、まぁ、他の先生達と生徒達に変な誤解を与えてはいるけど、さっき言ってたヒーローごっこで押し通す? 押し通せる? あなた達はそれで良いの?」
 そうだった。まだ周辺への誤解も与えたままだし、まずはアキ達が納得しないといけないんだ。
「それで良いですよ」
 タケはあっさりと納得したようだ。
「俺もそれで」
 マサも納得しているみたいだ。
「色々この後が大変そうだけど、何とかなるだろ」
 アキも納得した。
「本当にこのおじさんが迷惑をかけてしまってごめんなさい」
「校長先生、頭を上げて下さい。僕達慣れてますから」
 アキは慣れてますから、と言う時にタケを見ていた。タケは気付いていないようだ。
 こうして話し合いは終わった。僕と新川さんは岩崎のおじさんと一緒に帰る事になった。タケは委員長が職員室の前で待っていたから一緒に帰る事になった(和也くんとはじめくんは先に帰ってもらったらしい。タケは委員長に経緯を話している)。マサはアキが送る事になった。アキなら大丈夫だろう、と送った後に一人で帰る事に誰も危機感を抱かなかった。
 校門の前に、緑のギンガムチェックのズボンを穿いた男の人が立っていた。背は高い方だ。髪は短く、目付きが少し悪いが、表情は柔らかい。僕らの方を見る。
「お兄ちゃん? 何で?」
 マサが言った。
「お母さんからラインあったぞ。雅希も午前中で学校終わるって。なのに帰っても家にいないから心配で迎えに来た」
「お兄ちゃんも学校早く終わったの?」
 マサのお兄ちゃん? 確か、お父さんがお兄さんをひいきしているからお父さんともお兄さんともあまり仲良くないみたいに聞いてたけど。心配で迎えに来てくれるの?
「ああ見えてマサの兄ちゃんはマサを可愛がってるんだ。親父さんの兄ちゃんびいきがあるだけで、マサは兄ちゃんとお母さんには割と大切にされてんだ」
 アキが耳打ちしてくる(この時、だいぶ前屈みになる)。
「ごめんアキ、俺、兄と一緒に帰る事になった」
「おう、じゃあな」
 アキは手を顔の前で合わせるマサに軽く手を上げた。お兄さんもごめんね、と軽く頭を下げる。
 一緒に帰るマサとお兄さんの後ろ姿を見ながら、岩崎のおじさんが呟いた。
「緑のギンガムチェック…」

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 かなり空は暗くて重そうな雲が下がってはいたが、雨は降らなかった。水色のアジサイが咲いている家の前を通る。
「ねえ、あの子、いつまでいるの? ってか、見えてる?」
 新川さんが前屈みになりながら小声で聞いてきた。
「やっぱいるんだ。他の皆は気付いてないみたいだけど」
 今はソイツを先頭に、岩崎のおじさん、二列に並んだ僕と新川さんが歩いていた。
「知ってる子?」
「知らないよ」
「だよね」
 新川さんには見えていたのだ。
「私や津山くんの家には付いて来ないよね?」
「さぁ? でも何か嫌だよね、それ」
「怖いよ」
 新川さんが泣きそうな声で言った。
「どうした、二人とも?」
 おじさんが振り返る。
「あの…私、お姉ちゃんが帰るまで一人で家にいなきゃいけないの。だから、それまでおじさんの家にいて良いかな?」
 新川さんが言った。自分の家にソイツに入られたくないのは明らかだけど、気持ちとしては解る。
「じゃ、僕も。家には電話すれば大丈夫だし」
 もしソイツが付いてくるのなら、どこの誰か確かめたい。興味本位だけど。
「じゃ、おじさんの家においで」
 おじさんはニコッと笑って言った。ソイツは僕と新川さんを交互に見ていた。

 おじさんの家の前には絵の具の赤紫のように鮮やかなアジサイが咲いていた。昨日までの雨と晴天のおかげで今朝はキラキラと水の玉を浮かべて笑っているようだったが、散々日射しを浴びて曇り空の暗い空の下ではどこか寂しげで、毒々しくもある。
 磨りガラスのはめてある引き戸をカラカラと音を立てて開けると、畳一畳あるかないかの玄関で、くたびれたスニーカーとサンダルが並んでいる。灯りを点けていないせいで薄暗い廊下は埃一つ落ちていなくて、几帳面な性格が覗えた。廊下を上がって右手は紺色の暖簾をかけた台所、左手は磨りガラスのはまった引き戸だった。おじさんは引き戸をガラガラと音を立てて開けると僕達を四畳半に上げた。テレビとちゃぶ台が置いてあるだけの部屋だった。開けっ放しの襖からは六畳くらいの部屋が覗いて見え、畳んだ布団や箪笥が見えた。あまり人の家の中をジロジロ見るのは良くないと思い、ちゃぶ台の前に座ると取り敢えずちゃぶ台の板に目を移す。
「津山くんはおじさんの家は初めて?」
「うん、新川さんは?」
「小さい頃は何度か。母さんが仕事で遅いときにお姉ちゃんとよく預かってもらってた。でも三、四年振りだよ」
 おじさんが台所からお盆を持って来た。
「中学生が喜ぶようなものはないけど」
 そう言って、黒ゴマと醤油のからめてあるアラレと麦茶を出してくれた。アラレをかじると、香ばしいゴマの香りが口の中に広がった。その時、雷が遠くで鳴って、屋根が水を弾く音が聞こえた。
「浩樹は傘は?」
「折り畳みが鞄の中にあります」
 そう言ってお茶を口にした時、ソイツが僕の目の前を横切った。新川さんもソイツを目で追っている。ソイツは開けっ放しの襖の向こうの六畳の部屋に入って、溶けるように消えた。
 カタン。何か小さな音を立てて落ちた。おじさんが音の方に目を向ける。そこは、僕達のいる四畳半と六畳間の境だった。

 ___

 津山くんにも見えていた男の子が消えて、何かが落ちるような音がして、部屋と部屋の間に写真立てが落ちていた。木製の枠の少し古びているけどシンプルな写真立てだ。
「あれ? 何で落ちたんだ? しかもあんな場所に」
 私は立ち上がっておじさんが寝室にしている六畳間の前まで行くと、屈んで写真立てを拾った。気が付くと津山くんも後ろから覗き込んでいる。
 家族写真だった。横幅が今の半分くらいの校長先生と髪のボリュームが今の倍くらいのおじさんに夾まれて、さっき消えた男の子が写っていた。正確にはさっき消えた男の子より少し幼く見える。さっきの男の子は中学生くらいに見えたが写真に写っているのは小学校高学年くらいに見える。
「これ、おじさんと校長先生ですか?」
 私はできるだけ自然に言った。
「ああ、若い頃のおじさん、中々イケてるだろ? 玲子…校長先生も痩せてたから美人に見えるだろ?」
 おじさんは少しおどけたように言った。でもその声は玲子と言いかけて校長先生と言い直した時、少しだけ震えたように聞こえた。
「この子は…」
 私は言いかけてやめた。
「私達の息子だ。名前は俊也」
 おじさんは覇気のない声で言った。
「十四年前に交通事故で死んだんだ」
 おじさんの声は外で降る雨音に掻き消されそうな小さな声だった。おじさんは写真立てを手に取ると寝室に入って行った。箪笥の上に置く。物悲しげな目と猫背気味の背中を私達は見ているだけだった。制服姿の中学生の俊也くんがおじさんと背中合わせに寄り添うように現れて、消えた。
 雨音を切り裂くように携帯の着信音が鳴った。私のだ。画面を見ると、ミキ姉だった。おじさんと津山くんに一応断りを入れてから出る。
『ちーちゃん? 家に着いたけど』
 そう言えばミキ姉には、一人で留守番は物騒な事が起きたばかりで不安だからおじさんの家にいるとラインを入れたんだった。
「あ、うん。分かった。迎えに来てくれるの?」
『一人で帰りな。つーかあんたおじさんにも迷惑でしょ、いきなり押しかけて』
 そうか。ミキ姉は学校からの襲撃騒動を知らないんだ。伝えてないから。
「だって物騒な世の中だし」
『でかい図体した怪力娘が相手なら犯人も泣きながら逃げるわ』
「分かりました。どうせ私はデカ女で怪力女です。じゃ、切るね」
 私はカバンに携帯をしまった。
「ごめんね、おじさん。私もう帰らなきゃ」
「おう、送ろうか?」
「迷惑だから一人で帰れって。多分大丈夫。私、腕力とかその辺の男子よりずっとあるし」
「そうか」
「僕が送ります」
 津山くんが立ち上がった。
「良いよ、私は大丈夫だし。遠回りにならない?」
「大丈夫、犯人はお金目当ての引ったくりでしょ? 子供は狙わないでしょ」
 社長の息子のあんたが言うと説得力ないんだけど、とは言わなかった。
「ありがとう。じゃ、おねがい。おじさん、押しかけたり変な事を聞いたりしてごめんなさい」
「良いって。じゃあな、二人とも」
 おじさんはいつもの笑顔で言った。

 雨は小降りになっていた。私達は玄関まで送ってくれたおじさんに手を振ると歩き出した。
 少し歩くと、津山くんの携帯が鳴った。
「ごめん、ちょっと待って。マサからだ」
 津山くんはポケットから携帯を出すと出た。
「もしもし? うん、今、ちょっと岩崎のおじさんとこに寄って、新川さんと帰るとこ。え? うん、うん、そうなんだ。うん、分かった。明日にでも伝えとくよ」
 津山くんは携帯をしまう。
「佐藤くん、何て?」
 佐藤くんは今日、迎えに来たお兄さんと一緒に帰って行った。お兄さんは清進学園の制服の緑のギンガムチェックのズボンにライトグレーのカッターシャツ、赤いネクタイを締めていて、顔は佐藤くんに似ていた。
「うん、犯人はやっぱり清進学園の生徒だってお兄さんが言ってたらしくて、職員室の先生の話しを立ち聞きした限りでは中等部の人でだいぶ絞れてるらしい。学校側から捕まえて説得して自首させるって息巻いてるみたいだ。だから犯人が自首するのも時間の問題だから、岩崎のおじさんにもそう伝えて安心させてって」
 私は急展開に付いていけていない。それよりも十四年前におじさんと校長先生が子供を亡くしている事がショックだった。校長先生は十三年前に離婚したと言っていた。俊也くんの死は二人の離婚に影響したのだろうか。もし、そうだとしたらあの幽霊の(少なくとも私はそう認識している)俊也くんはどんな気持ちで二人を見ていたのだろうか。未だに校長先生を玲子とか母さんと呼んでしまうおじさんと、おじさんをお父さんと呼んでしまう校長先生、二人の会話は夫婦とはこう言うものなのかと思わせる息の合ったものだった。父さんが物心がつくかつかないかの頃に亡くなっている私には身近な夫婦のモデルがないから想像でしかないけれど。
「写真、津山くんも見たよね。あの子、俊也くんだったんだね」
「うん、同じ顔だった」
「俊也くんはどんな気持ちで別れたお父さんとお母さんを見てたのかな? 二人の離婚は俊也くんの死が原因? それとも俊也くんが亡くなる前から決まっていた? だとしたら二人は険悪だったの? どちらにせよ、俊也くんが可哀想だよ。散々気味悪がってて今になってそう思うなんて、私、嫌な奴だよね」
「そんな事ないよ。僕だって同じ事を考えてたよ」
 私達はおじさんの家の方を見る。家の前のアジサイは雨を浴びたおかげで嬉しそうに笑っているようだった。鮮やかな赤紫の花を見るために立ち止まっているのか、スーツ姿の男性がいた。

 次の日は朝から小雨が降っていた。結局、おじさんの家で見てから俊也くんを見ていない。津山くんがおじさんに犯人はすぐに捕まるだろうと言う事を話していて、それからいつも通り学校に向かう。今日は取材記者はいなかった。
 事件現場を通りかかった時、若い男の人とすれ違った瞬間に、また俊也くんが現れた。今度は男の人を見ている。私達には目もくれない。
「あの人、昨日もいたよね?」
 津山くんが言った。
「え? 記者の人?」
 私は思わず身構えた。
「いや、おじさんの家の前で。アジサイを見てた」
「でもよくそんな人を覚えてたね」
 言われてみれば昨日、おじさんの家の前でアジサイを見ている人がいたようや気がするが、どんな人だったかまでは覚えていない。スーツを着た男性だっけ?
「あの人とすれ違った時、俊也くんが出て来て、その瞬間に昨日のアジサイを見てた人の映像が浮かんで来たんだ。何故か顔までくっきりと」
「何それ? 昨日の事と言い、何か俊也くんは伝えたいって言うの?」
「よく分からないけど」
 気が付くと事件現場を通り過ぎ、もうすぐ学校だ。周りは私達と同じ制服の生徒ばかりで、裾をズボンに入れた黒っぽいズボンの制服の子は一人もいない。
「ヒロ、いたいた!」
 佐藤くんが慌てた様子で津山くんに声をかけて来た。走ったせいか、傘はさしていたが雨に濡れていて、髪やシャツが張り付いている。息も切れ切れだ。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「犯人、逃走中」
「え? 訳が分からないよ」
 私はつい口を挟んでしまい、しまった、と口を手でふさいだ。佐藤くんは構わず話し出す。
「校長先生を襲った犯人と思われる三人組が逃走中。昨日、清進学園の先生がその内の一人の家を訪ねたら、玄関でその先生を突き飛ばして逃げ出したって。後の二人にも連絡がいったのか、昨日から帰ってないらしい。で、もし見かけたら家に帰るように言えって。そう連絡網が来たって兄が言ってた」
「お兄さんはそいつら知り合いなの?」
「いや、同じ学校ってだけで全くの他人だよ。学年違うし。でも犯人の一人は俺と同小だったんだ。こいつ」
 佐藤くんは画像を私達に見せた。卒業アルバムの写真を携帯で撮影したらしい。前髪を七三に分けた人の良さそうな男の子が写っている。下の名前の所には「篠原友樹」と書かれていた。
「今は坊主にしてるらしいけど」
 そう言えば犯人の一人は坊主頭だっけ。だから坊主に近い短さの葉山くんが犯人の一人だとおじさんは勘違いした。
「大町小出身の奴らは皆動揺してる。だって大人しくて真面目な奴だったんだ」
 佐藤くんは困惑していた。きっと何かの間違いだ、なんて思っていそうな顔だった。

 ___

 学校はざわついていた。僕達の通う藻茶北第二中学校は三つの小学校の学区から出来ている。藻茶大町小、藻茶北小、高の台小の三つだ。僕が住んでいる地域は学区的には北小の中に入る。アキやマサの家、商店街があるのは大町小。僕は小学生時代は丸々静岡で過ごしていたから、改めて知る事となる。
「大丈夫かな、昨日のおじさん。また取り乱してしまわなきゃ良いけど」
 タケが給食を片付けた机に突っ伏して言った。
「まぁ、昨日の事もあるし、おかしな事はしないだろ。しっかし、あの友樹がねぇ」
 アキが言う。
「どんな子だったの?」
 僕は聞いた。
「中学受験するだけあって真面目な奴だよ。大人しくてさ、お当番も宿題もサボるような奴じゃないし。無理矢理仲間にされてたんだと思う」
 タケが突っ伏したまま答える。
「あともう一人は他の学区から来てる奴で、もう一人は小等部から清進学園に通ってるらしい。小等からの奴が二人をまとめてたって」
 マサが言う。
「大町小の奴らは皆それなりに心配してる。友樹をそそのかした奴らをぶっ飛ばしてやるなんて物騒な事を言う奴までいやがる。口だけだけどな」
 アキの口振りでは、その篠原友樹なる人物はそれなりには良い奴だったらしい。僕の知らない人とアキやタケやマサが友達だったんだ考えると、胸の奥がムズムズしてしまう。
 そこに俊也くんが現れた。すっと出て来ると、教室を見渡す。少し離れた所で沢菜さんや立野さんと話していた新川さんにも俊也が見えているようで、少し驚いている。俊也くんは構わず、両手を耳に当てて目をつむった。少しして手を耳から離して目を開けると、ツカツカと新川さん達の方へ向かって歩いた。そして指差す。指した先は新川さんではなく沢菜さんだった。
「ねぇ、このクラスで大町小の出身って他に誰がいるの?」
「俺達と商店街メンバー、後は健太、仁平、洸太、女子は竹山、恒川、木下、戸田、沢菜ってとこだな」
 アキは教室を見渡しながら応えた。
 新川さんは怪訝そうに俊也くんを見ていて、それを見た沢菜さんが心配そうにしている。


 放課後になって雨はやんだ。
「葉山くん、行くよ」
 沢菜さんがタケを引き連れて教室を出る。
「ごめん、委員会でやらなきゃいけない事ができてさ。先に帰ってて」
 タケが言う。新川さんと僕は目を合わせた。
「じゃ、待つよ」
「待ってもつまんないよ」
 二人の後に続いた。行き先は用具倉庫。
「誰かのいたずらだと思う。床に取り置きのトイレットペーパーが散乱しててさ。一応昼休みの終わり頃に倉庫には片付けたけど整理する時間はなかったから」
 きれいに元あったように収納しないといけないらしい。なるほど、乱雑に入れられたトイレットペーパーが見える。いくつかは床に落ちてもいる。沢菜さんとタケはそれらを拾い集め、きれいに並べ直して行く。
「誰、こんな事する奴?」
 沢菜さんが嫌そうに溜め息を吐く。
「どうしたの? わ…質が悪い…」
 タケも嫌そうな顔をする。僕らは倉庫を覗き込んで、沢菜さんが持っているトイレットペーパーを見た。包み紙には『トモキに会え』と書いている。
「これ、使う用にする」
 沢菜さんは包み紙をはがし始める。
「ねぇ、篠原くんってどんな子だったの?」
 新川さんが訪ねた。
「よく知らないよ、卒業してからほとんど会ってないし」
 ほとんど。
「お隣さんじゃん」
 タケが口を挟む。
「中学に入ってからはお互いに部活とか習い事で忙しくなってたまに朝に挨拶する程度。葉山くんも鈴木くんや森くんとは二年になって同じクラスになるまでは一時疎遠だったでしょ」
 沢菜さんは淡々と言いながら、包み紙をきつめに握って丸めてポケットにしまった。
「でも、これは質が悪過ぎるよ。このタイミングで、私達に見せるためにやったのかなって疑いたくなる」
 沢菜さんは怒っているようだ。
「後は、さっさと保健室に報告して、さっさと帰るよ」
 沢菜さんは歩き出した。途中、渡り廊下のゴミ箱に丸めた包み紙は捨てられた。いつの間にいたのか俊也くんはゴミ箱を見て、僕達の方を見た。
 まさか俊也くんがやったのだろうか。でも、この状態の沢菜さんに友樹くんの家まで案内してくれなんて言えそうもない。
「結唯の家なら知ってる。葉山くんがお隣だって言ってたし。こっそり行くよ」
 新川さんが昇降口で耳打ちして来た。
「やっぱり新川さんも俊也くんがそうしろって言ってるように思うんだ」
 僕らは目を合わせ、頷いた。
 沢菜さんとは校門で別れた振りをしてやや遠回りだが二人で沢菜さんの家を目指す。僕達は帰る方角が同じだからきっと二人で行動しても怪しまれないだろう。
 沢菜さんとタケは参っちゃうよね、なんて話しながら歩いている。その先に、マサがいた。校門の所で、昨日会ったお兄さんと一緒にいる。
「何やってんだ、あの兄弟」
 口げんか? ギャーギャーうるさい。下校中の生徒達が怪訝そうに見ている。
「どうしたの?」
 タケが声をかける。
「ああ、ちょっとな。うちの兄が色々あって」
「だから、どうしたの?」
「兄が友樹達がまだ捕まってなくて物騒だからって迎えに来たんだよ。ガキじゃあるまいし、恥ずかしいだろ、こんな兄」
「あのなぁ、お兄ちゃんはお前の事が心配なんだよ」
「自分でお兄ちゃんとか言うなよ。大丈夫だって」
 過保護なとこがあるけど、良いお兄さんじゃないか。兄弟がいない僕からは少しだけ羨ましいけど。
「昨日あの後、岩崎のおじさんのとこに寄ったんだけど、うちのお姉ちゃんなんか迎えに来てくれなくて、一人で帰って来いって言われたよ。良いお兄さんだと思うけど」
「ほら、普通の人は弟や妹を放って置くんだって」
 マサ、新川さんはそんなつもりで言ってないよ、確実に。少し呆れてしまうが、僕も母がそんな過保護な事をしたら恥ずかしいだろうなと思った。
「ん? あの人、うちの先生達だ」
 お兄さんが目線を移した先には事務室から出て来た人が三人いた。一人は校長先生。そして痩せたスーツ姿の中年の女性。もう一人は朝すれ違って、昨日もおじさんの家の前でアジサイを見ていた男性だ。
「先生なんですか? 何でうちの学校に?」
 僕は思わずお兄さんに聞いてしまった。
「うん、女の人が中高の校長、男の人が中等の先生。男の先生は矢口先生、俺が中二の時に担任だったんだ。多分、北二中の校長先生に謝罪に来たんじゃないかな」
 なる程、確かに二人とも校長先生に頭を下げている。
「ほら、他校で兄弟げんかして騒いでたなんてバレたら怒られるから早く帰るぞ」
 そう言ってマサを小突いてお兄さんは足早に歩き出した。マサは不機嫌そうに後を追った。
「じゃ、私も帰るね」
 沢菜さんはさよならと手を振った。
「じゃ、バイバイ、ヒロ」
 タケも手を帰るようだ。
 俊也くんを見ると、清進学園の先生達、男の先生を見ている。
 決行だ。
 ___

 結唯の家は賃貸マンションだ。四階建てで一つの階に四部屋、結唯の住んでいるのは二階の角部屋で四LDKと記憶している。マンションと道路を挟んで向かい側に公園がある。そこからはマンションのベランダが見える。隣ならばあの部屋しかない、私はレースのガーデンがかかった窓を指差した。
「結唯の家の隣ならあの黄色いシャツがかかってるあの部屋だよ」
 いつの間にかまた俊也くんは消えていた。辺りを見渡すが姿は見えない。
「ヤバい、隠れて」
 津山くんが言ったので、私達は植え込みの影に身を潜めた。まるでギャグアニメの悪役のようなアホらしい行為だと思ったが、この際仕方ない。一人の男の子が歩いて来た。同じクラスの江野くんだった。江野くんは水泳部なので、背は高くも低くもないが均整の取れた体付きで、短くした髪と鋭い目付きの男子だ。騒がしい男子グループのリーダー格でありながら、割としっかりしていて面倒見が良く、普段は温厚な笑みを浮かべている。しかし、今日は妙に張り詰めた表情で歩いていた。私達が隠れた植え込みの前まで来ると、立ち止まり、さっきまで私達が見ていたベランダを見ている。
「江野くん?」
 結唯が声をかけた。私達はいつの間にか結唯より先に着いてしまったらしい。
「おう」
 江野くんは軽く手を上げた。
「友樹、まだ帰ってないって?」
「分からないよ。今朝、おばさんにはもし見かけたら帰るように言って欲しいって言われたけど、見てないよ。おばさんも仕事を休んで近くを探してみるとか言ってたけど」
「心配ばっかかけるよな、あいつ」
「昔からそうだからね。今回のは特にキツいけど」
「所で沢菜ちゃん、誰か後ろで盗み聞きされてないか?」
「ちーちゃんと津山くんだよ。バレてるから出て来なよ」
 私達はひょこっと顔を出した。江野くんが少し驚いたような顔をする。
「私はあんた達が隠れてるの見えてたからさ」
 結唯が溜め息を吐く。怒っていると言うよりは呆れているようだ。
「ごめん、何か気になって」
「ホントはトモくんの事、あんまり知らない人達にはどうこう言われたくなかったんだ。学校でああでもない、こうでもないって言われてるのを聞くのもホントは嫌だった。でもまあ、あんた達なら悪意って程の事もないでしょ」
 結唯はそう言うとベランダに目を向けた。
「ねぇ、篠原くんってどんな子? 大人しくて真面目でそんな事をする子じゃないって聞いたけど」
 結唯は答えなかった。
「沢菜ちゃんがいつも面倒見てたな。勉強は出来たけど抜けてて、トロくさい奴だよ。だから校長を襲ったりするような奴じゃないんだ」
 江野くんが代わりに答えた。
「あいつ六年にもなってビート板なしじゃ泳げなかったんだぜ? 毎年夏になると水泳習ってるんだから教えてあげて、って沢菜ちゃんに言われてたっけな」
 結唯は何も言わずに江野くんに顔を向けると、俯いた。綺麗な横顔は今の曇り空のように暗く沈んでいる。
「あ、おばさん?」
 江野くんが向いている方に目をやると母さんとそう変わらない年頃の女性が歩いて来ていた。栗色のショートヘアに緩いウェーブがかかっていて、ベージュのブラウスにグレーのパンツを合わせているオシャレな印象の人だった。
「こんにちは」
 江野くんが頭を下げる。少し遅れて、笑顔を作った結唯もこんにちは、と挨拶をした。
「江野くんも来てくれたの? ごめんなさいね、友樹、ちょっと帰ってなくて」
 おばさんは疲れを隠しきれない笑顔で答えた。
「その子達は…江野くんのお姉さんと弟さん?」
 ぐわーん、と音がして頭にタライが落ちてきた。制服姿で年上に見られた…。津山くんも同様にタライが落ちてきたようだ。
「制服なのに年下に間違われた…」
 と、呟いている。
「大丈夫? タライが急に…」
「気にしないで下さい。いつもの事ですから」
 結唯はおばさんの心配をさっさと取り払いにかかった。
「買い物がてら探してみたんだけど、中々いなくて…」
 息子が通り魔だか引ったくりの一味だと言われ、一晩帰らなかったのだ。気が気じゃないのだろう。空のエコバッグが寂しげに揺れていた。
「あ、先生」
 おばさんはすみません、と頭を下げた。やって来たのは清進学園の矢口先生だった。確か佐藤くんのお兄さんがそう言っていた。
「友樹の幼なじみの結唯ちゃんと江野くん、心配してくれたんです」
 初対面の私と津山くんはどう紹介して良いか困るようだ。まだ自己紹介すらまともにしていない。
「矢口先生、友樹の担任なの。昨日からずっと探して気にかけて下さってるの」
「矢口と言います。友樹くんの行きそうなとことか分かるかな?」
 矢口先生は出来るだけ優しい顔を作って私達に聞いた。私と津山くんは知らない人の行きそうな所までは分からない。
「ほら、あそこは? 男子達が秘密基地にしてた学校林の小屋」
「俺らが卒業と同時に壊されたよ」
「中央公園の用具倉庫。トモくんいつも隠れんぼの時に隠れてた」
「清掃の職員さんに見付かるだろ」
「じゃあさ、河川敷の橋の下」
「今月入ってから橋は強化工事中」
「じゃあさ…」
「沢菜ちゃん、分かってるだろ? そんなとこ、きっとおばさんも探してる」
「今行けばいるかも…」
 結唯は一生懸命だ。駆け出してしまう程に。
「ありがとう」
 結唯の手を掴んでおばさんが優しく言った。
「結唯ちゃん、いつも友樹の事、気にかけてくれてたもんね。でも良いの。結唯ちゃんはもう帰りなさい。あなた達も」
 結唯の手は力なく下がり、おばさんは手を放した。
「分かりました。取り乱してすみませんでした」
 結唯はうな垂れると、そのままマンションに入って行った。
「彼女が言った場所は私も探してみるよ。君達はもう遅いから帰りなさい」
 矢口先生が言うと、江野くんはおばさんに頭を下げて歩き出した。私と津山くんも慌てて頭を下げて後を追った。
 通りの向こうに俊也くんが立っていた。目をつむって耳に手を当てている。
『矢口孝史を見て』
 男の子の声が聞こえた。矢口孝史…矢口先生のフルネームだろうか。津山くんも男の子、多分俊也くんの声が聞こえたのか、私達は同時に振り返った。矢口先生はお母さんと何やら話していて、お互いに頭を下げている。
 そこにあるイメージが浮かび上がる。中学生くらいの男の子になった矢口先生が汗だくになって自転車を漕いでいるイメージだ。顔に流れた汗を拭う。いや、泣いていて拭ったのは涙?
 私達が再び俊也くんのいた所に目を向けると、俊也くんは消えていた。
「訳、分かんないね」
「うん、でも何で中学生くらいの矢口先生、泣いてたんだろう?」
 私と津山くんは顔を見合わせた。

 翌日は土曜日だった。普段なら午前中は部活で午後から結唯や杏子と遊んだりするが、そんな気分にはなれない。そもそも部活は校長先生襲撃の犯人が捕まるまではお休みらしい。
 携帯電話が鳴る。津山くんから?
『あ、新川さん。今大丈夫?』
 津山くんの声が聞こえた。
『今さ、岩崎のおじさんの家にいるんだ。来れる?』
「行けるよ。何?」
『おじさんが俊也くんの事とか離婚の経緯とか話してくれるって』

 おじさんの家には校長先生も田村くんも葉山くんも佐藤くんもいた。
「千沙も座ってくれ」
 小さなちゃぶ台には取り囲むように校長先生と津山くん、葉山くん、佐藤くんが座っていた。寝室とテレビの部屋の境の辺りに田村くんとおじさんが座っている。四畳半には定員オーバーだろうと思う。少なくとも小柄ではない成人男性、太…ふくよかな成人女性、大柄な中学生二人と場所を取る人ばかりで集まるような部屋ではないだろう。私は部屋の出入口付近に腰を下ろした。
「では皆集まったし、話しましょうか」
 校長先生が言うと、おじさんが頷く。
「俊也は生きていれば今年で二十八歳になります」

 ………

 俊也は生きていれば今年で二十八歳になります。
 私と主人…元主人ですね。私達の結婚は早く、お互いに教師になって二年目の二十四歳で結婚しました。あら、新川さんも津山くんも驚いているようだけど、二人とも知らなかったの? おじさんは元々は中学の英語の先生で柔道部の顧問だったの。だから田村くんを軽々と吹っ飛ばせたんです。ついでに言うと私が国語の先生。因みに職場恋愛ではなく、元々は大学の同級生で共に教師を目指す同輩としての関係でした。それがおじさんに恋人になってくれなきゃ俺は死ぬって土下座されて、当時はスリムな美人だった私は御曹司でもイケメンでも選び放題でしたが…。
 あ、はい。調子こきました。虚言がありました。本当は周りの友達から仲が良いとか冷やかされるようになって、いつの間にか私達もその気になって、若さ故の勢いです。ロマンチックもへったくれもありません。とにかく、教師になって二年目で私達はさっさと結婚しました。プロポーズはおじさんに土下座され…はい。嘘です。私の親に学生時代から付き合っている人がいるのなら逃げられる前にお嫁に行け、と言われたから私から求婚しました。これが現実です。
 中々子宝には恵まれなかったのですが、お互いに仕事が忙しかったので気にする素振りは見せませんでした。授かり物ですからね。でも気が付けば私達は三十を過ぎていました。丁度その頃、お腹に俊也がいる事が分かりました。実は子供は諦めかけていたのです。何年も子供ができなかったから。だから私達は嬉しくて嬉しくて、まるで女子中学生のようにロマンチックな事を口走ったり、その辺りを走り回って飛び回ったりしたい気分でした。転んでお腹の子に悪影響があってはいけないので飛び回ったり走ったりはしませんでしたが。
 俊也が生まれたのは夏休みの終わり頃ですね。日中は熱いのに朝と夕方には冷ややかさを帯びるようになって来た時期でした。子ども達は宿題に追われている頃でしょうか。やや小柄ではありましまが、元気な男の子でした。
 俊也は男の子相応にやんちゃな所はありましたが、どちからと言うと大人しい部類に入る子でした。でも素直で曲がった事が嫌いな、これは主人似ですね。そのお陰で友達にも恵まれました。
 矢口孝史くん。俊也に取って一番の友達でした。小学校の三年生から卒業までずっと同じクラスでした。小柄な俊也とは対照的に背が高く、物腰の柔らかい男の子でした。勉強もよく出来る子で、よく気が付いて、学級委員をしたりもしていました。孝史くんは中学を受験して清進学園に行きました。本当は俊也も受験していたのですが、落ちてしまって。孝史くんは俊也が行かないのなら僕もいかないなんて言ったのですが、俊也は受かったんだから行くべきだ、自分で勝ち取った結果なんだから誰かを気にかける必要はない、と言って、孝史くんは親御さんの説得もあり清進学園に進みました。それと同時に孝史くんは住んでいたマンションが老朽化して取り壊される事になったので少し離れた場所に引っ越しました。
 学校は別々になっても家が離れても、二人は連絡を取り合って、休みの日はよく一緒に遊んで、関係は変わりませんでした。むしろ友情は硬く強くなったようでした。中一の夏休みなど、毎日のように自転車を漕いで孝史くんの家に行っていたようなものです。中二になっても変わりませんでした。
 六月も終わりに差し掛かったある日曜日、その日は朝から晴れてはいたのですが、夕方から小雨が降り出しました。俊也は孝史くんの家に遊びに行っていました。帰りは孝史くんのお父さんが送ってくれると言ったのですが、自転車だからと俊也は断りました。そして、帰り道で交通事故にあって死にました。狭い道でトラックに幅寄せされて、牽かれて押し潰されました。
 私達夫婦は悲しみました。孝史くんは自分が誘ったからだと深く悲しみました。翌年度、主人は仕事を辞めました。息子と亡くなった時と同年代の子ども達に接する仕事は辛かったのです。私はそれでも子ども達と向き合う道を選びましたが、仕事を辞めた主人を避難するなんて出来ません。私自身もいつ同じ理由で辞めてもおかしくなかったのです。私が今もこうして教師をしている事は奇跡と言って良いでしょう。
 俊也の話しに戻ります。私達も昨日知ったばかりだったのですが、俊也には学校の先生になりたいと言う夢がありました。小学生の頃は機械いじりが好きだった事もあり、ゲーム製作の仕事をしたいなどと言っていたので、少し驚きました。中学に入ってからは、将来は私達と同じ職業に就きたいと言っていたのです、孝史くんにだけは。
 その孝史くんです。今は清進学園で先生をしています。俊也の夢を叶える事が自分の夢だといつしか思うようになっていたそうです。これも昨日知りました。私を襲った犯人と思われる三人の中学生、彼らの担任が孝史くん…今は矢口先生と呼ぶべきでしょう。私達はこんな不運なのか、因縁なのか、よく分からないもので繋がっていたのです。
 矢口先生と清進学園の校長先生がやって来たのは、私への謝罪のためでした。うちの生徒達が酷い事をして申し訳ない、と。校長先生は退学にする、内一人は学区の都合上、北二中になるが別の中学に入るように教育委員会にも保護者にも呼びかけるつもりだとおっしゃいました。私はそれを断りました。彼らは自分の力で運命を切り開いて清進学園に進む権利を勝ち得たのだ、と。それを潰すような事を教師がするべきではないと、一教員として、偉そうに説教垂れてしまいました。それに退学になったとしても、内の学区にいる子ならば本人と親御さんが嫌がらない限りは受け入れる、とも伝えました。因みに私は告訴する気もありません。
 孝史くん…矢口先生は元から彼ら三人(確かめて見ないと犯人かどうかも分からないですが)を出来るだけ清進学園で再教育して行きたいと思っていたのですが、校長先生の手前、それを言えないようでした。なので、私と言う味方を付けて、それを校長先生にはっきりと言いました。最後には校長先生も納得して下さいました。
 因みに、普段は車で通勤している私が何故あの日、自転車で帰宅していたのかと言うと、車検に出していたからです。代車は馴染まなくて好きじゃなかったからです。

 ………

「代車は馴染まなくて好きじゃなかったからです」
 校長先生は話し終えると、おじさんの方を見た。
「私も玲子に説得されて、今は同じ意見だ。まぁ、機会があれば説教くらいしてやりたいって気持ちはあるけどな」
「やめなさいよ、岩崎の説教はネチっこくて意味がない上に長くて気持ち悪いって言われてたよ?」
 校長先生はお茶を飲みながらおじさんをディスった。そこまで言う? おじさんは軽くうな垂れている。
「えっと…言いにくいんですが…」
 葉山くんがセリフとは裏腹にカリントウをほおばりながら言った。
「犯人の内の二人、実は朝からはじめ…森くん家で保護してるんです。犯行も認めてます」
 一瞬固まる一同。口の周りにカリントウのカスを付けながら淡々と言われても困るんだけど。
 ええええぇーっ!?

 ___

 何この展開? 何で皆して商店街のパーラーフォレストに向かってるの? 何ではじめくん家で犯人の内の二人を保護してるの? 今朝から? 今は十一時前だから、八時と仮定して三時間弱前から? 説明してくれよ、タケ! そして、いつの間にか現れてついてきてる俊也くんは、もう気にしなくて良い?
「わぁ、ごめんなさい、ごめんなさい! トモと徹郎くん、あ、一緒にいる子ね。二人が罰せられるのとか可哀想で黙ってました。校長先生が訴えるつもりないとか言ったので安心して言っちゃいました。本当に大事な事なのに黙っててごめんなさい!」
 マサがお兄さんに連絡して、矢口先生の連絡先が分かるかを聞いてくれた。連絡先は知っているようで、パーラーフォレスト(はじめくんのおじいさんとおばあさんが経営している喫茶店だ)に連れて来るそうだ。
 タケによると、友樹くんと徹郎くんは行方をくらました木曜の夜には南出くん(リーダー格の人だ)と一緒にいたらしい。そして、徹郎くんの小学校の同級生の家に、親に黙ってて泊まらせてもらったらしい。食事とかは友樹くんと徹郎くんの小遣いでコンビニやファミレスだったらしい。金曜の夜、二人の小遣いが尽きたので、南出くんから逃げ出した。その日は徹郎くんの別の友達の家に泊まったらしい。そして今朝、匿ってもらう為に友樹くんははじめくんに連絡した。それが運の尽きだった。すぐさま委員長に伝わり、和也くんとタケにも伝わった。今は二人に説得されているらしい。
「沢菜さんには連絡しないで欲しいって言われたんだ。まぁ、わかるけどね。だってトモの事となると心配性が暴走するんだもん」
 昨日、普段は大人っぽい印象の沢菜さんが友樹くんの事で取り乱しているのを見た事を思い出した。
「それで?」
「トモも沢菜さんには絶対怒られるーって。ありゃ親か、いや、あの優しそうなお母さん以上に口うるさい人だからな。だから、沢菜さんには絶対バレないように親元に連れ戻したいんだよね。沢菜さん、黙ってた事とかバレたら俺もガミガミ言われるから。同じ委員会だしね。最近は委員長みたいにうるさくてさ」
「それで?」
「え? いや、見た目は可愛いのに説教ババア臭くて絶対トモも大変…」
「それで? どうなのかなぁ、葉山くん?」
「その声…」
 タケが振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべた沢菜さんが立っていた。
「何で!?」
「実はさっきから合流してたんだけど、気付かなかった? 大人数で何やらやってて凄い目立ってたけど」
「はじめの家で預かってる辺りから聞いてたぞ」
 逆に気付かずにベラベラしゃべって、余計な本音まで言っていた方が凄いんだけど。タケの頭にタライが落ちて、ぐわーんと音を立てた。
「お話しは月曜にしようか。さて、パーラーフォレストに行こうか」

 商店街のアーケードをくぐる辺りでマサのお兄さん、矢口先生と合流した。
「店の中じゃなくて二階のはじめの部屋にいます。鍵が開いてれば俺の部屋から窓伝いに侵入もできますが、どうします?」
「普通に入れてくれ」
 アキがため息を吐きながら言った。
「こんにちはー。はじめに用があって来ましたー。上がりまーす」
 タケは店内のおじいさんに声をかけると、こっち、と喫茶店の中を通って、『スタッフオンリー』と札の付いたドアを開けた。その向こうは事務室、と言うより簡素な机と本棚とパソコンが置いてある小部屋で、そこから更に引き戸を開けて出ると、裏口と階段がある。階段を登る。昼の混雑前なのか、店内にいるお客さんはおばあさん三人組だけだったが、大人数だったから驚かれただろうか。
 タケは階段を上がって廊下を歩いて、一番の奥の襖を指差した。はじめくんの部屋らしい。何やら話し声が聞こえる。委員長が説得しているようだ。
「大丈夫だって」
「絶対退学だよ」
「あのね、篠原くん、松山くん。いつまでも逃げられる訳ないでしょ。さっさと帰って大人の判断に任せる方が良いよ?」
「でも、ナンちゃんは絶対に怒って俺らに復習すると思うんだ」
「そん時は沢菜さんに追っ払って貰え。世話係で用心棒なんだから。ああ見えて結構怖いだろ」
 和也くんも余計な事を…。沢菜さんが覚えてろよ、と冗談めかして呟いたが、タケだけは少し怯えている。
「それに親も結唯も、多分勘当される」
「だーかーら、多分大丈夫だって」
 沢菜さんが襖を開ける。
「その沢菜だけど」
 部屋の中には、はじめくん、委員長、和也くん、予想外に江野健太くん、そして知らない男の子が二人。一人は坊主頭で人が良さそうな顔をしていてマサから見せてもらった画像で見た事がある、友樹くんだ。もう一人は目つきが鋭く髪がサラサラした感じで、彼が徹郎くんだろうか。沢菜さんを見た途端、友樹くんの頭にタライが落ちてきて、ぐわーんと鈍い音が響いた。
「結唯! これは違うんだ! えっと…ごめんなさいっ! 誘われて出来心でした!」
「謝る対象はこちらね」
 沢菜さんは校長先生を部屋に通す。
「本当にすみませんでした」
 友樹くんは校長先生に土下座をした。隣にいた徹郎くんも慌てて土下座をする。
「頭を上げて。って言うか土下座なんてどこで覚えたの、あんた達」
 校長先生は二人の前に座りながら優しい声を出した。
「後、こちらの先生にも。色々心配して捜し回ってって」
 矢口先生も部屋に入る。入れ替わるように委員長、和也くん、はじめくん、健太くんが立ち上がり、部屋を出る。
「当事者と近くにいた方が良い人だけにしてあげよう。沢菜さんは篠原くんに付いててあげて」
「私は良いかな? 校長先生の別れた夫なんだが」
「いてあげて」
 岩崎のおじさんには新川さんが応えた。僕達は襖は開けたままで、廊下から見守る事にした。友樹くんと徹郎くんが並んで正座し、向かい合うように校長先生とおじさんが座る。矢口先生はその後ろに座り、沢菜さんは部屋の出入口付近に座った。俊也くんは、矢口先生の後ろに立っている。
「本当にすみませんでした」
 二人は頭を下げた。
「きちんと謝ったんだから私はそれで良い。後のお説教はあなた達の先生と保護者がすれば済む問題よ」
 校長先生は毅然と言った。おじさんも頷く。
「では矢口先生、お願いします」
 校長先生は矢口先生を振り返り、立ち上がって場所を入れ替わった。
「友樹、徹郎」
「「はい」」
「お前達は自分達が何をしたか、分かるな?」
「はい、そこにいる北二中の校長先生を後ろから殴ってケガをさせてお金を奪いました」
「それから、捕まるのが怖くて逃げて、沢山の人達に心配をかけました」
「そうだ。北二中の校長先生は、許すと言ってくれている。私と清学の校長先生が謝りに行った時は逆に先生達は叱られたよ。自分達の生徒がやったと確定した訳でもないのに退学処分を検討するなんてとんでもない、そうだったとしても反省していればそちらで処分ではなく指導して更正のチャンスは与えるべきです。私はそれを聞いて、教師としてお前達とどう向き合うか考えさせられたよ。お前達は自分から後悔はしていたし、反省も態度で示した。だから私はこれから清学でお前達を指導して行くよ。お前達が嫌がってもな。うちの校長先生も納得済みだ」
「はい…えっと、ありがとうございます」
「ありがとうございます。しっかり反省します」
「分かった。もう泣くな」
 俊也くんは満足気に頷いた。
「で、南出はどこにいるんだ? 携帯も繋がらないし」
「それが分からないんです。俺達の携帯もバッテリー上がってて連絡できません」
「そうか。なら仕方ない。お前達が何でこんな事をしたのか、どうしてこうなったのか、一から説明してくれるか?」
 二人は俯いて黙った。
「少しずつで良い」
 沢菜さんの声が優しく響いた。シトシトと雨が屋根を叩く音がした。アーケードは店の前に面している所だけで、家の屋根は覆っていないのだ。
「俺と徹郎が仲良くなって、ナンちゃんが加わったのは中一の頃の事です」

 ………
 俺と徹郎が仲良くなって、ナンちゃんが加わったのは中一の頃の事です。
 クラスの約半分は小学校から同じ清進学園の人達で仲良くて、俺達中学受験組はソワソワしてました。仲良くなれるかな、勉強に付いて行けるかな、なんて思いながら、不安でいっぱいでした。こんな事なら北二中に入れば良かったなんて思ったりもしました。北二中なら親しかった人もいっぱいいるから。それに、小学校から清学の人達からは目に見えない壁みたいなものがありました。俺達の方が清進学園は元祖でお前らは後から入ったよそ者なんだぞって感じなんです。向こうは約半分が同じ所からで、もう半分の僕らはバラバラの所から来ている、そんな感じです。
 同小だったのは三四年の時に同じクラスになった事のある吉川さんだけでした。知ってる人もいると思うけど、吉川さんは水沢さん姉妹と張り合えるくらい頭が良くて、でも物静かで近寄りがたい感じの人で、仲良くなれそうになかったんです。それで、同じ天文部に入った松山徹郎に声をかけました。徹郎は目つきが少し悪くて見た目は近寄りがたいけど、少し話すのが苦手で、俺と似た所がありました。
 いつも二人で一緒にいました。部活もクラスも同じだったから必然的に一緒にいるだけじゃなくて、一緒にいて落ち着くんです。中一の夏休みなんかはずっと二人で遊んでいたくらいです、小学生の延長みたいな感じで。女子や人気者の男子達からは、根暗同士で気持ち悪いみたいな事を言われたりもしたけど、気にしませんでした。
 そこにナンちゃんが入って来ました。
 ナンちゃんはハブられていました。小学校時代はガキ大将でケンカが強くて、体が大きくて誰も逆らわなかったと聞きましたが、中学に上がってからは変わったそうです。勉強が出来ない事が協調されたようです。中学に上がって試験だの学力だのを重視されるようになった事に加え、受験を勝ち抜いてきた人達が一気に入って来た。更に、受験組の中にはスポーツ推薦で入ってくるような人もいて、体育が得意なナンちゃんでもスポーツで負けるなんて事が出て来ました。
「南出なんてどうって事ないじゃん」
「一番にはなれないのに威張ってるだけ」
「ウザいし無視しようぜ」
 小学生の時はナンちゃんナンちゃんと付いて回っていた人達も離れて行きました、アカラサマに。そこで、いつも二人だけでつるんでいた俺と徹郎に声をかけました。他の運動ができるタイプの強気な人達と接点がある訳でもない、小学校から清学だった人達に未だに苦手意識を持っていて、俺達は大柄で威圧的なナンちゃんに逆らえません。クラスの他の人達もあまり仲良くない僕らを助けるような事はしません。こうして、ナンちゃんが加わりました。中一の一学期の事です。
 とは言え、やる事は中一です。所詮は小学生の延長です。ガキ大将を中心に子分二人がくっついているだけです。単に学校とたまに休みの日に一緒に遊ぶだけになりました。意外と頼りになっていいやつでしたし。
 中二からは方向性は変わって来ましたが。
 清進学園では二年に一回クラス替えがありますので、中一から中二はそのまま持ち上がります。徹郎やナンちゃんとも同じクラスのままです。
 二年に上がってからはちょっと俺達の関係も変わって来ます。ナンちゃんは俺達の知らない所で万引きをしていたようです。たまにお菓子を奢ってくれたり、レア物のトレーディングカードをくれたりしていて妙に金回りが良いと思った事もありましたが、ナンちゃん家は割りと裕福なので小遣いがたくさん貰えるんだろう、程度にしか思いませんでした。
「いつもありがとうね」
 何て言う俺達にナンちゃんはサラッと答えました。
「気にするな、ただで貰ってるから」
 製菓会社か販売業者に(親が)知り合いがいて、包装がうまくいかなかった奴とかを貰ってるんだな、とはその時は思っていました。また別の時に、
「万引きだから金はかからないんだ」
 とか言った時もギャグだろうと思ったくらいです。当然笑えないのですが、愛想笑いはしておきました。
 ナンちゃんの万引きにはポリシーがあったようで…あ、はい。盗みにポリシーもへったくれもないのは分かります。とにかく、一種のルールを決めて遵守していました。絶対に一人でやる、です。
 ネット上で見た中学生の万引きの手口とかだと、仲間が店員を引き付けたり見張ったりして、その隙に盗みを働くのが一般的みたいに書かれていましたが、ナンちゃんはそれをしませんでした。俺らに迷惑をかけたくなかったと言うよりは、俺達が怪しまれた時に口を割られないようにするためでした。信頼されてないんです。
 でも、ナンちゃんは俺達を巻き込む事にしたようです。万引きにも飽きて来たのでしょう。安いお菓子やゲームやカードを盗むより、大きなお金を得て、好きな物を堂々と買いたいとも思ったのでしょう。スリルだって求めていたのでしょう。周辺のコンビニやスーパーで怪しまれ始めたのかも知れません。ナンちゃんは強盗をする事にしたのです。でもバイクも持っていない中学生です。一人では抵抗された時が不安です。そこで僕らを誘いました。一週間前の事です。
 始めは冗談だろうと思いました。でもナンちゃんは本気でした。やめようとも言いましたが、凄まれて殴られて、逆らえませんでした。
 火曜日までは雨が降っていたので諦めました。水曜日は、雨もやみかけ、降ったりやんだりしていました。ちょうど雨がやんだ時、俺達は狙いやすそうな人を捜していました。本当はそんな人見付からなければ良い、そう思ってました。でもナンちゃんが校長先生(その時はそんな人物だとは思いもしませんでしたが)を見付けました。自転車を押して歩きながら肩に鞄をかけているおばさんです。女が相手なら抵抗されてもタカが知れているだろう、そう言われました。ナンちゃんは校長先生に後ろから襲いかかりましたが、校長先生に気付かれて振り向かれました。でもナンちゃんは躊躇わずに殴りかかりました。校長先生は何とか避けましたが、自転車に足を取られて転びました。ナンちゃんがバッグを掴み取って引っ張ると簡単に肩から抜けました。
「行くぞ」
 ナンちゃんはそう言うと、走り出し、俺達も続きました。
 どこかで冗談だと思いたかったのだと思います。まさか実行するとは思いませんでした。だから俺達は上はTシャツに着替えてましたが、下は制服のままでした。これはナンちゃんに取っては誤算です。と、言うか気付かずに実行した事の方が驚きです。そのお陰で翌日には犯人は清学の生徒、該当する人物はすぐさま絞られ、自分達が犯人だとバレていました。
 木曜の夕方、ナンちゃんの家に矢口先生が出向き、ナンちゃんが突き飛ばして逃げ出した事を本人からの電話で聞きました。そして、怖くなって徹郎を誘って逃げました。

 ………

「そして、怖くなって徹郎を誘って逃げました」
 友樹くんは一息吐いた。
「で、後は皆知っての通り…な、訳だな」
 矢口先生の言葉に二人は頷く。
「僕の小学校時代の友達の家を渡り歩いて、今朝、友達の家を出てから南出くんから逃げました。食事とかは僕と友樹の小遣いからファミレスやコンビニだったんですが、小遣いも尽きたから逃げたんです。きっと怒ってます、南出くん」
 徹郎くんが不安そうに言うと、友樹くんも俯く。
「じゃ、その南出くんのとこに言って文句の一つも言ってあげるよ」
 沢菜さんが口を開いた。
「そうだね。その子にはお説教が必要かもね」
 校長先生が言う。
「ちょ…南出くんはケンカとかめちゃ強くて…」
「委員長も田村くんもいるから大丈夫。ちーちゃんもいるし」
 沢菜さんが立ち上がって友樹くんのとこに歩み寄る。
「え…私も戦闘要員?」
 新川さんが困惑していた。それもそうだろう。
「でも…」
「あー、もう! とっととその南出くんのとこに連れて行く!」
「だから、どこにいるか知らないよ」
「中学生の移動範囲なんてタカが知れてるでしょうが。こっちには人海戦術があるし」
 沢菜さんが僕達を振り向く。
「え? やるよ」
 ついうっかり答えてしまった。しまった、と顔を背けたが、手遅れっぽい。
「浩樹もやる気か。私も協力するぞ」
 岩崎のおじさんもやる気みたいだ。
「しょうがないな」
「矢口先生、その南出くんの写真とかありますか?」
「あるよ、集合写真を拡大したのなら」
「ほら、皆。覚えて、この顔」
「じゃ、行くぞ」
 皆やる気になってるみたいだ。

 僕と新川さんと岩崎のおじさん。校長先生と健太くんと和也くんとはじめくん。委員長とタケとマサ。沢菜さんとアキとマサのお兄さん。友樹くんと徹郎くんと矢口先生。俊也くんは僕達に付いて来た。
 そして、出発から十分後…。
「結唯からだ」
 新川さんの携帯が鳴っている。スピーカーにして僕達にも声が聞こえるようにしてくれた。
『ごめん。南出くん見付かったんだけどさ、取り抑えてやり過ぎて気を失ってしまったんだよね』
 どう言う意味?
「何があったの?」
『私に掴みかかろうとして、田村くんに抑えられて、調子に乗った佐藤くんのお兄さんがボディ決めたら泡吹いて倒れちゃって。今、皆こっちに向かってる。私の家の前の公園なんだけど』
 カタが付くまでハイスピード過ぎるだろ! ってマサのお兄さんは何やってるの?
「行くっきゃないんだね」
 新川さんが力なく言った。

 ___

 公園では水色のアジサイが咲いていた。昨日は気付かなかったっけ。なんて、しみじみしている場合ではなかった。
 まず、昨日会った篠原くんのお母さんが篠原くんを叱っていた。意外とネチネチしてそうだ。そして佐藤兄弟は何やら言い争っている。お兄ちゃんは調子に乗り過ぎだとか正当防衛だとか。ベンチでは仰向けに寝かされた南出くんらしき人を結唯と葉山くんと校長先生が取り囲んでいる。看病? 保健委員だから? 矢口先生と松山くんは校長先生の脇で立ち尽くしていた。
 カオスだった。何が起こっているのか分からない。
 俊也くんが矢口先生の方へ歩いて行き、私達に手招きをする。 来いって事? 私達が向かうと、岩崎のおじさんも付いて来た。
「良かった。目が覚めた」
 校長先生が言った。
「南出、大丈夫か?」
 矢口先生が声をかける。
「話しは聞いた。これが本当のみ事かどうか答えて欲しい」
 矢口先生は篠原くんが話した内容を南出くんに聞かせた。いつの間にか皆、集まって来ていた。
「本当だよ」
 南出くんは言い逃れできないのと、暴れても無駄だと分かったのと、両方だと思う。事実として認めた。
「つまんねー事ばっか。だからやったんだ」
「勉強に付いて行けないから? 小学校時代の取り巻き達が離れてしまったから?」
「そんなとこ」
「あのな、南出。徹郎と友樹が言ってたぞ。ナンちゃんがまたおかしな事をしなきゃ良いって。そんな事をしたら学校に戻れなくなるからって。私は聞いたよ、どうして子分扱いされてたのにそんか心配するのか。よく分からないけど心配なんだって二人とも返して来たよ。
 南出、それはな、二人ともお前がどんな奴だろうと、嫌いな部分はあっても友達だと認めているからだよ」
「何で友達なんだよ? あいつら勉強は普通にできるし、内心俺の事をバカにしてるだろ?」
「なら何で二人ともさっさと逃げずに今朝まで一緒にいたんだ? 逃げるなんていつでも出来るはずだ。小遣いが尽きたからってのは自分達への言い訳。お前が一人になってまた何かやらかさないか心配だったから付いて行ってたんだ。万引きとか強盗とかしないために自分達の小遣い叩いたんだ。じゃなきゃ自分達だけ親に泣き付いて全部南出くんが悪いんです、って言えば良いだけなんだ。それが分からない程子どもじゃない。友樹も徹郎も、この一年でお前との間にそれなりの関係を築いて来たんだ」
 南出くんは俯いたままだった。唇を噛み締めて肩は震えていた。泣きそうなのを我慢しているように見えた。
「良い先生だ」
「ホント、私も見習わないと」
 おじさんと校長先生が言う。俊也くんが矢口先生の隣にやって来て、目をつむって耳に手を当てた。
『ありがとう、浩樹、千沙。僕の姿は二人にしか見えないみたいだから、二人に協力してもらったんだ』
 私と津山くんはお互いに顔を見合わせ、俊也くんを見る。
『申し遅れました。岩崎俊也です。
 母が引ったくりに遭って、その犯人が孝史の受け持っている生徒で、父はなぜかキレまくってて、嫌な偶然が重なったってのに三人とも僕を見る事も声を聞く事も出来ないから困ってたんだ。そこに僕を見えてるらしい人達が現れた、君達だ。だからこの事件を解決して欲しくて周りをうろついていた。驚かせちゃってごめんね。
 それにしても孝史は良い先生だね。僕が先生になるよりずっと良い先生だと思う。内心、僕が死んだ事へ責任を感じで先生になった部分があったと思ってたんだ。でも、孝史は僕の代わりに先生になったかも知れないけど、先生としての使命とか誇りとかを持ってちゃんと生きてる。それが確認できて良かったよ。
 後は家の両親だな。こっちはまだまだ手がかかりそうだな。親不孝をした僕が原因なんだけど。でも、母さんは立派に働いてるし、父さんも浩樹と千沙のお陰でだいぶ立ち直ってるみたいだ。ありがとう。
 じゃ、そろそろ黙るね。声を伝えるのは結構疲れるん…』
 まだ途中までしか言っていないようだったが、俊也くんはふっと消えた。まるで始めからそこにいなかったかのように。

 土曜日の夕方から夜にかけて小雨がぱらつき、日曜日には晴れた。だから、と、言うか何故!? 私達は河原に遊びに来ていた。車で一時間くらいの綺麗な水がサラサラと流れる河原だ。
「増水とかしてなくて良かった」
 津山くんはウキウキとしている。
「津山くん、あんなに元気な子だったっけ?」
「ヒロは自然の多いとこが好きだからな、こう言う場所だと元気になるんだ」
 田村くんが教えてくれた。なるほど。
 この集まりを企画したのは岩崎のおじさんと校長先生だ。世話になったり迷惑をかけたりしたからお礼とお詫びに遊びに連れて行ってくれる、と言う事だった。誘いに乗ったのは、津山くんと仲の良い田村くん、葉山くん、佐藤くん。この三人はおじさんの襲撃の事もあり、是非来てくれ、との事だった。後は、篠原友樹くん、松山徹郎くん、矢口先生。この三人は校長先生が打ち解けたいからと是非にと誘った。本当は南出虎次くんも誘ったのだが、あんな事件を起こした後だからと親が外出を許してくれなかったし、本人にも拒絶された。後は結唯。結唯は友樹くんの保護者代理として来ていると言っていた。
「妹達やおばあちゃんと出かけるから」
 とは委員長の欠席理由。
「部活あるから」
 とは鈴木くん、森くん、江野くんの欠席理由。因みに佐藤くんのお兄さんは行きたがったらしいが、昨日の南出くんへの過剰防衛を佐藤くんからお母さんにチクられ、外出禁止らしい。
 梅雨の晴れ間は眩しい程の日射しだった。雨粒を浮かべてキラキラと光らせたアジサイが鮮やかな紫色を讃えている。川の水も日光を受けて煌めきながら淡々と静かに流れている。河原には私達の他に小学生の女の子と五歳くらいの男の子を連れた両親、大学生くらいの男女六人のグループがいる。皆、楽しそうにしていた。
「よっしゃあ、泳ぐぞ!」
 津山くんが勢い良くTシャツを脱ぎ捨てた。佐藤くんと松山くんもそれに続く。次いで下も脱ぎ…え?
「あ! ちょっと…」
 私はつい、目を手で覆ってしゃがみ込んだ。男子三人の見てはならない部分を見てしまった。もうお嫁に行けないかも知れない。
「お前ら、女子の前! ガキか!」
「向こうにも大学生の姉ちゃんとかいるから!」
 田村くんと葉山くんの慌てる声が聞こえた。逆に葉山くんにそう言う良識があった事の方が意外だった。
「しょうもないもん晒しちゃって。もう大丈夫だよ、ちーちゃん」
 結唯に言われて私は手をどけて立ち上がる。光りが眩しい。その中に俊也くんが水着姿で走り抜け…え? ちょっと俊也くん? 何で普通の事であるかのように津山くんと岩の上によじ登って川に飛び込もうとしてるの?
「どうしたの?」
 ポカンと口を開けていると、校長先生が聞いてくる。流石に、息子さんは成仏してませんでした、なんて言えない。
 でも、津山くんのあんなに活き活きしている顔を見るのは初めてだ。二年に上がる時に転向しては来て、五月くらいまではずっと一人で教室の隅にいたのに。
「浩樹の奴、元気だな。本当に小さい頃は病弱だったのか?」
 おじさんがそう言う。そう言えば隣のクラスの子が心臓が悪いとか言っていたような気がした。
「それって心臓?」
「ああ、本人が言ってた。もう小さい頃に手術もしてリハビリもして、今は普通に暮らせるみたいだけどな」
 初めて聞いた。
「ああやって弱そうに見えても意外と逞しいんだよな、あいつ。何て言うか、生きたいって言う気持ちみたいなのが人一倍強いんじゃないかな。本人は気付いてないけど」
「変な事を聞くけど、俊也くんも事故に遭って、生きたいって思ったのかな」
「親としてはそう思ってて欲しいな」
 川に足を浸けながら男子達を笑って見ている矢口先生を見る。生きていれば二十八歳になる年、中学生の時の夢を抱き続けて叶えていれば今頃は岩崎先生。
 ねえ、俊也くん。俊也くんが死ぬ前に生きたいって思ったから、そんな気持ちが分かってる津山くんの前に現れたのは分かる。でも何で私の前にも? よく分からないよ。
 私は青空を見上げて、笑っている皆を見渡す。紫色のアジサイが目に止まる。

 ___

「疲れただろ?」
 木陰の大きな石に座り込むと、タケが声をかけて来た。校長先生も一緒だ。
「タケは泳がないの?」
「六月だよ。まさかもう泳げるとは思わなかったから、水着ない」
「フルチンで良いのに」
「アホか。俺は恥じらいあるの、これでも!」
「あったんだ…」
「あるよ。ってかさ、ヒロ。校長先生がお礼を言いたいって」
「ありがとうね、津山くん」
 いきなりお礼? 何で?
「元亭主、岩崎のおじさんと仲良くしてくれてありがとう」
 キョトンとしていると、校長先生は笑いながら言った。
「いえ、こっちこそ仲良くしてもらってます」
「やっぱり男の子が近くにいるとあの人もどこかで俊也と一緒にいるような気持ちになるのかしら」
「そうなんですか? 僕も父親がいつも仕事が忙しくて月に数回会えるくらいだから、父さんみたいにどこか感じてたかも」
「多分ね。新川さんもお父さんと一緒にいるみたいに感じてたと思うよ。あの子は小さい頃にお父さんが亡くなって、おぼえてないから」
「そうなんですか。お母さんしかいないのは聞いてましたが」
「そう。実は新川さんのお母さんは私の元教え子。新川さんのお姉さんが私が校長として配属された北二中に入学して、入学式の後に声をかけられたの。色々話しをして、私が離婚した事も伝えたし、新川さんのお母さんがご主人に先立たれた事も聞いた。だからお父さんをおじさんに求めてるのね、本人は気付いてないけど」
「気を悪くしたらすみません。校長先生、俊也くんは事故に遭って死ぬ前に、おじさんと校長先生の事を考えていたんじゃないかって思うんです」
 俊也くんは昨日、おじさんと校長先生はまだ手がかかるとか心配してそうな事を言っていた。
「親としてはその方が嬉しいんだけどね」
 校長先生はふっと笑った。
 俊也くん、新川さんの前に現れた理由が分かったよ。新川さんがおじさんがお父さんだったら、そう思ってたからだよね。俊也くんは自分が死んじゃったけど、死別して悲しいとか寂しいって気持ちは分かったんだよね。でも、僕には分からない事があるよ。何で僕の前にも現れたの? 僕の両親は健在で、新川さんほどおじさんに強くお父さんを求めてないと思うんだ。
 その俊也くんは今はアジサイを見て笑っている。アジサイも水の玉を浮かべて笑っているようだった。

【了】

【誰得その一】

 新川千沙 しんかわ ちさ
 体育委員。バレー部所属。九月生まれ乙女座。
 クラスで男女合わせて三番目、全校女子生徒一の長身。かなりの巨乳、更に力持ちでもある。ふんわりめなショートヘア。見た目の割にはやや内向的で大人しい性格でのんびり屋かも。

 沢菜結唯 さわな ゆい
 保健委員。テニス部所属。七月生まれ蟹座。
 学年で一二を争う美少女で、大人っぽい性格と思われがちだが、実は世話焼きおかんタイプだと今回発覚した。サラサラロング。保健委員として健、幼なじみとして友樹の世話に追われる実は苦労が絶えない人。

 江野健太 えの けんた
 水泳部所属。八月生まれ獅子座。
 和也もいる男子騒がしいグループのリーダー格。温厚そうだけど、ギャアギャアうるさい奴らをまとめ上げる実はやり手。ソフトモヒカンで見た目はややイカツイかも。同じ水泳部の木下恵美子と仲が良く、実は良いコンビ。
【誰得その二】
新川「ほら、津山くん、早く早く。始まってるよ!」
津山「今日は河原から僕、津山浩樹と!」
新川「私、新川千沙がお送りします」
(ラストの河原のシーンの一時間後です。皆はお昼を食べてます)
新川「津山くん、河原に来てから元気だよね。大学生グループのバーベキューまでちゃっかり食べさせてもらってるし」
津山「自然の多いとこが好きだから。元気出るよね!」
新川「うん、えっと…普段は静かなんだけどな」
津山「それよりさっさと進めようよ。まず今回のゲスト、幽霊の俊也くんについて」
新川「神出鬼没、いつ現れるか分からない。でもある一定のルールはあるみたいだよ。姿が見える人に対してでも声を伝えるには力がそれなりに要るとか。だからあまり長話は出来ないって」
津山「後は生前の関係者、今回は岩崎のおじさん、校長先生、矢口先生が近くにいないと見えないみたいだ。学校は校長先生の管理下だから近くにいなくても見えるみたいだけど」
新川「何でそんな事まで知ってるの? いや、よく考えたらそんな気がしないでもないけど」
津山「夢枕に立たれたんだ」
新川「ちょ…幽霊の立場利用してる! ってか、私の夢には出なかったよ」
津山「出てる筈だよ、新川さんのとこに寄ってから来たって言ってたし。多分忘れたんじゃない? 夢って割りとすぐ忘れるから」
新川「そうなの?」
津山「それより今回はツッコミ所満載ですよ、新川さん!」
新川「まず、ゲストの幽霊と親友の名前がタカ&トシ!」
津山「お笑いか!」
新川「南出(なんで)くんの子分がテツ&トモ!」
津山「(腕を胸の前で交差させてクネクネさせながら)何でだろう?」
新川「ネーミングの時点でネタ切れ感が…」
津山「そしてラストの河原のシーンで新川さんと沢菜さんが水着を着ていないと言う悲劇!」
新川「ちょ…だってまだ六月だよ。泳げるとは思わなかったし、泳ぐ気すらないし」
津山「だってIカップともJカップとも言われる新川さんのビキニ姿は見たかった…はぁ…」
新川「あの! 私、そんなにでかくないから! Gだよ、G75!」
津山「充分でかいよ! ひゃっはーっ!」
新川「私とケンカしてみる?(拳大の石を拾い上げ、握り潰して粉々にしながら)」
津山「はい、すみません。調子こきました…」
新川「分かれば良いんだけど、まさかまた大人数でワイワイやるとはねぇ」
津山「ホントはアキ、タケ、マサ、岩崎のおじさんと校長先生、新川さん、僕、で南出くん率いるテツ&トモと対決する予定だったんだけど、何故か途中で皆付いて来るし」
新川「結唯があそこで暴走するからだよ。対決って言っても七対三だし」
津山「確かにあの過保護なオカンぷりは凄かったね。沢菜さんって人気あるんだよ。ババ臭くて絶対イメージダウンしそう」
沢菜「聞こえてるけど」
新川、津山「!!?」
沢菜「さて、月曜のガミガミリストに津山くん追加しとこうか…ふふふ」
新川「ご愁傷様」
津山「明日が来なきゃ良い…」
沢菜「さて、じゃ、次回予告と行きますか」
新川「次回の舞台は七月半ば、中間テストも終わって梅雨明けと楽しい夏休みを待つばかり。そんな中、え? ウソ!」
沢菜「森くんに恋人発覚。葉山くんの初恋」
新川「しかも相手って…えー!? 二人とも趣味悪い…」
沢菜「しかもタイトルは梅雨明けを意識して『男心と夏の空』だって。梅雨明けに間に合えば良いけど」
新川「ほら、津山くん、落ち込んでないで」
新川、津山、沢菜「では次回をお楽しみに!」
第一話『空色デイズ』
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第二話『イタい子達のレクイエム』
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第三話『イタい子達のレクイエムパート2』
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>>[27]
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