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アナタが作る物語コミュの【恋愛】 2 シンデレラに恋をしている

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 こちらは「【恋愛】1 シンデレラに恋をしている」の続きです。
 できましたら先に「【恋愛】1 シンデレラに恋をしている」をお読みください。こちらです。
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                    ブティック

 泣きそうになっているのに涙が出てこなかった。悪い夢を見ている様だった。
 よねさんは何度も優しく私の背中をなぜた。

「必要な物を残し、要らない物はお返ししましょう。
 それでいいんですよ。お気になさらずにね」

 返したらお店に迷惑がかかると言う私によねさんはそう言った。

 部屋着、普段着、お出かけ用、フォーマル。
 それに合わせたバック、靴、帽子。アクセサリー。
 靴下から下着まで。
 今の季節の物。次の季節の物。

 二人でチェックすると、それぞれきちんと揃っている。
 不要で返さなくてはいけない物はそれほど無かった。
 むしろ、自分の持っていた物の少なさを思い知らされる。

 一から揃えなければいけない事が初めに伝えられてあったのだろう。
 真潮さんはそれに合わせてプロの仕事をしていた。

 今までの私の服は捨てられてしまうのだろうか。
 よねさんに聞くと「ひろ様の許可を得ずに捨てる事はありませんよ」と笑う。
 母と私が使っていた食器も、まだちゃんとキッチンにあるという。

「明日からはもっとお出ししましょうね」

 私がつらそうだから、きっとよねさんはそう言い足したのだろう。
 それでも少しずつ、以前の自分が消えていく様な気がした。


 二週間の私の個展が終わり、近江さんの作陶展が始まった。
 一ヶ月間という長さだ。

 私には陶器の事はわからない。でも、すばらしかった。

 大きな作品がいくつもある。賞を取った物も何点かあった。
 自在な形と色。ほとんどが非売品だった。
 値札がついている物のいくつかには、すでに予約済みの札がついていた。
 お茶用の器ひとつの値段で、私の一年の食費になる。

「僕の作品をどう思う?」

 百貨店の開店前。
 作陶展の会場で、近江さんからそう聞かれて感じたままに答えた。

「明るくて、透明で、落ち着いていて…。
 でも、静かで悲しいわ」

「…やっぱりか」

 近江さんはそう言って目で笑った。意味がわからない。
 一人にされた時、置いてあったパンフレットを読んだ。

 あちこちの釜場で修行をしたらしい。
 いくつもの技法を取り入れた大胆な作風。奔放で自在。
 若い頃から完成されていて、しかも挑戦し続けている。
 力強く主張し、そして破綻が無い。……。

 そんな誉め言葉が並んでいた。私が感じた事と少し違っている。
 奔放で自在? そうかも知れない。
 力強い? 確かにそうかも知れない。
 でも、それだけだろうか。あらためて見てもやっぱり悲しい。そうとしか言えない。
 明るくて、透明で、落ち着いていて、そして…静かで悲しい。

「作陶展が始まれば時間ができるよ。いろいろと見に行こう」

 近江さんが楽しそうにそう言う。


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


「彼女がね。僕の作品を見て悲しいと言ったよ。静かで悲しいと」

 根津が驚いた顔をした。
 父と母が死んだ後、根津は使用人で父親代わりだった。

「気づく人はお前とよねさんぐらいだと思っていた」

「まだお若いのに」

 根津は痛ましそうな顔をした。
 彼女を賞賛するよりも先に、その感受性があまりに若い体に宿っている事を案じてしまう。
 根津のそのやさしさに僕も守られてきた。


 屋敷の片方のはしには、作陶のためのスペースが造られている。
 教室用の小さな物と、その隣に、僕個人用の広い作業場だ。
 裏口に近いので、バスで来て徒歩で出入りする生徒達には便利だった。

 作陶展が始まってしまえば、僕のしなければいけない事はかえって少なくなる。
 僕はまた作品作りに没頭する様になった。
 作陶にあきると、新しい服を着た彼女を連れて、展示会や美術館に行った。

 彼女の反応がおもしろかった。
 ゴヤの『裸のマヤ』を見せた時には、口を閉じるのも忘れて見ていた。
 彼女のあごの下に手を伸ばし、口を閉じさせた。
 案の定、顔を真っ赤にして怒る。でも、彼女は僕に何も言わない。

「きれいだろう? 背景の緑と、はだのピンク」

「ええ。彼女はゴヤに恋をしているのね。
 だから、ゴヤはマヤをだれよりもきれいに描きたかったんだわ」

 絵の話をしている時の彼女は雄弁だった。

コメント(8)


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 室田さんが入ってきて、テーブルのはじでコーヒーを飲みながら、私達の朝食が終わるのを待っていた。
 
 なんとなく様子が変だった。楽しそうにこちらをチラチラ見ていた。
 近江さんも変だった。知らん顔をして、とてもゆっくりと食べていた。

 やっと食事が終わって、コーヒーが運ばれて来て、近江さんが私に言った。

「結婚指輪はどうしました?」

「…持っています。…先日、室田さんから受け取りました」

「持って来て下さい」

 部屋に戻り、ドレッサーの引き出しから取り出した。あのU字のかんざしと一緒に入れてある。
 しなかった事を叱られるのだろうか。自分だってしていないのに。

 戻るとテーブルの上に指輪のケースが置いてあった。私のと同じ物だ。
 近江さんの指輪のケースだろう。
 その横に私のケースを置いた。
 近江さんは開けて中を確認すると、ふたを閉じて私の前に置いた。

「して下さい」

 近江さんが言う。また思った。自分だってしていないのに。

 私がケースを手に取ると、室田さんが立ち上がり、走って来て、私の手からそのケースをもぎ取った。
 近江さんに向かって何も言わずにそのケースを差し出した。
 そして、私のほうを向いて、

「左手を出して下さい」
 と、言った。

 近江さんが私の指に、私が近江さんの指に指輪をすると、後ろから拍手がした。
 根津さんとよねさんと小麦ちゃんだった。

 室田さんから指輪を受け取った時、自分の部屋で、一人でしてみた。
 その時にはとても重かった。トゲの様にそこが熱くなった。

 母の入院費用を必ず払うという誓約書と借用書に判をついた。
 その判と同じくらいに私をはじいた。
 なんとなく指から外し、ケースのままドレッサーにしまった。

 今は重くなかった。でも、同じ様に熱くなった。

 指輪を交換してから、近江さんは私をひろとよぶ様になった。
 私は近江さんをなんとよべばいいのだろう。


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 朝食に、ひろが起きてこない事が多くなった。今朝もだ。
 よねさんが心配顔で言った。

「ベッドではお休みでない、と小麦が申します。
 アトリエのほうで。最初に小麦がかけた毛布をそのままお使いになって。
 時には絵筆を握ったままお休みだと。」

 朝食の後で見に行くと、手に絵の具をつけたままアトリエの床で寝ていた。

 壁際に彼女の絵がいくつもたてかけてあった。
 ほとんどが最初の個展で見た物だった。
 新しい物は何回も描き直され、ただ混乱し、中断していた。
 一枚、大きな絵が裏返しに置いてあった。

 どす黒い絵だった。憎悪と言っていい。
 人形はぎらつく眼でこちらを凝視していた。
 花は咲いたまま腐っていた。

 タオルを濡らしてきて、彼女の手を拭いた。
 毛布ごと抱き上げた時、彼女が起き始めていると感じた。

 ベッドに移した時、彼女の体が緊張した。
 掛け布団をかけ待ったが、彼女が寝たふりをしているので、そのまま部屋を出た。
 閉めたドアに、何か柔らかい物、多分まくらが投げつけられる音がした。


「すみません。大先生(おおせんせい)にまで来ていただいて」

 大先生は室田の祖父だ。昔は彼が我が家の会計士をしていた。
 代替わりをして、今は孫の室田が会計士をしている。

「いやいやいや、こちらこそ。いつも、孫が迷惑をかけております。
 息子も孫も、いつもは煙たがっているくせに、忙しいとなるとわしを引っ張り出しますよ」

「その忙しい理由が、本職の会計の仕事ではなくて、僕の個人的な事で。
 本当に申し訳ありません」

「アトリエをお建てになるそうですなぁ。奥様のためにとうかがっております」

「はい」

「あいつでお役に立つのなら、なに、どんどん使ってやって下さい。
 お屋敷のかたがたには、言葉には尽くせぬほどのご恩があります。

 それに、こちらの仕事をしている時のあいつは、実に生き生きとしておりましてなぁ」

「そう言っていただければ、気が休まります」

「はっはっはっ。
 どうも、好きな人がいるらしいのですよ。こちらに」

「?」

「あいつの母親がそう言っておりましてな。
 そういう事に関しては、母親のカンというのは、どうも、わしら男には太刀打ちできませんなぁ。」

 溜まった領収書を渡し、細々とした打ち合わせを済ませ、大先生は帰って行った。
 室田に好きな人が? この屋敷の関係者に? 誰だろう…。

                 ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 二十四時間、絵を描いていたいと思っていた。それができる様になった。
 でも、できなかった。無理に描いても、それは私の絵ではなかった。
 毎日、描けないまま、夜が明ける。

 屋敷の中を歩き回り、迷子になりそうになる。
 時にはよねさんを見つけ、話した。

 近江さんのお母様は近江さんの小さい頃、近江さんの事を天ちゃんとよんでいらしたそうだ。
 天ちゃん。
 よねさんの前だから、笑わない様にしたが、一人になった時には、何度も笑ってしまった。
 天ちゃん。
 近江さんが今度なにか嫌な事をしたら、そうよんでやろうかと思った。

 子供の頃は体が弱くて、冬には半分も学校に行けなかったそうだ。
 それでも、作陶は休まなかったという。
 よねさんと話して、少しずつ、近江さんの事を知っていく。

 小麦ちゃんにも会った。これからお昼を取ると言うのでついて行った。
 ちょうど大工さんがたがお昼を取っていて、私がお部屋に入るなり、大きな声で、

「お、きれいな姉ちゃんだなぁ。室田のこれかい?」
 と言って小指を立てて見せた。

 ちょうど食事をしていた室田さんが、むせてせきこんで、小麦ちゃんが怒って何かを言いかけた。

 よねさんがせきばらいをして、「こちらのお屋敷の奥様でございますよ」と言って、ころころと笑った。

 奥様という言葉には、まだ慣れる事ができない。
 私は奥様なのだろうか。近江さんとはまだキスさえしていないというのに。

 近江さんが私に与えてくれる物の代償に、私は何を渡せばいいのだろう。
 愛だろうか。
 心を売るぐらいなら、体を売るほうがいい。

「お、こりゃすまねぇな。
 いやあ、もっと前に会ってりゃなぁ、女房を追い出してくどくのによぉ」

「追い出されるのはお前のほうだろうが」

「違いねぇ」

 仲間内で受けて笑い合っている。
 小麦ちゃんは怒りすぎて、目に涙を浮かべていた。

「奥様ってぇ事は、俺達が作っているのはあんたのアトリエかい?」

「はい」

「そりゃあ、良かった。ご本人に聞きたい事もあるからよぉ。
 時々は顔を見せちゃくんないかい?」

「ええ、そうします」

 食べ終わって部屋を出て行く時には、大きな手で小麦ちゃんの背中をばんばんとたたきながら「お前さんの大切なご主人様に失礼な事を言っちまったなぁ。まぁ、気にすんなよな」と、言った。

 そして、私のほうを向いて、

「大事にしてやんなよ」と、言った。

「はい。良い子です」と、私は答えた。

 小麦ちゃんが本当に泣きそうになった。


 お屋敷には、私が思ったよりも大勢の人が居た。

 作陶の教室の事務のかたが一人、毎週土曜日には朝から通って来ている。
 教室のそばの部屋で、午後から来る生徒さん達のお世話をしながら、仕事をしている。
 近江さんが教室を見るのは月に一回だが、生徒さんがたは毎週土曜日、教室を自由に使っていた。
 五・六人は毎週来て、熱心に何かを作っている。

 生徒さんの展示会が近くなると、大勢の生徒さんがたが朝から作業場にいらして、お昼はお屋敷でみんなと一緒に食事をするのだそうだ。

 どうやら近江さんは誰にでも、お食事を提供するようだ。

 お庭の一角には、お庭係のお年寄りが、奥様と二人でお住まいだった。
 お二人ともあまり姿を見ない。
 深いお庭のどこかに居るのだろう。時々、落ち葉を燃やす煙が見える。

 運転手の根津さんも、奥様とお庭の一角にお住まいだ。

 よねさんと小麦ちゃんはお屋敷の一部屋を使っているけれど、小麦ちゃんは週末には両親の元に帰る。
 メイド係は、他にも二人通って来ている。

 キッチン横の大きな部屋で、みんな思い思いにお昼を取っていた。

 室田さんも、時々そこでお食事をしている。
 お屋敷では室田さんも使用人だから、近江さんや私と一緒にはお食事をしないのだ。

 住み込みのコックさんと、通いの若いコックさんが二人、計三人でみんなの食事を作っている。

 大勢の人が出入りしているのに、気がつかなかった。
 お屋敷はいつも静かで、時間までもが静かに過ぎて行く様だった。

 よねさんと話したり、みんなのお食事の席にお紅茶で混ざったり。
 そして、アトリエに帰って来ると、自分の顔に、まだ笑顔が張り付いている事に気がつく。
 多分私は楽しんでいる。少しずつこの生活に慣れてきている。

 でも、思う様な絵が描けない。描けない理由がわからない。
 落ち着いた気分。幸せに近い。なのにとても居心地が悪い。

 泣きたいのに、泣く理由が無い。

 …絵が、描けない。

                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 僕が庭で犬がえさを食べているのを見ていたら、廊下でひろも見ていた。
 いつまでも何も言わず見ているので、こちらから話しかけた。

「これは野良なんだよ。名前も無い」

「?」

「塀があるので、どうやって入ってきたかわからないんだけれどね。
 弱っているものだからエサをやったら、居ついてしまった。
 まぁ、番犬がわりになるかと…」

 ひろがキズついた顔をしているので、その先が言えなかった。何だろう。

 身をひるがえし、行ってしまう。

 あぁ、そうか…。

『弱っているものだからエサをやったら、居ついてしまった』


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 わかっている。感謝をしなければ…。
 でも、あの人に感謝なんかしたくない。

 毎日、食費の事を考えていた。残り少ないお金で一番安い画材を買った。
 必死に生きる事を考えていた。
 もう、考えなくていい。アトリエには沢山の画材が用意されている。

 今、私は生きていない。きっと。
 だから、描けないんだ。
 
                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 ひろのアトリエができあがったので、彼女の個展を決めた。
 八ヵ月ほど先。
 最初の個展の時よりも、倍ほどの広さになる。その分、絵も枚数が要る。
 間に合わなければ、最初の時の絵も使うと言ってある。

 彼女には、昔の絵を使うというのは納得できない事だろう。
 新しい絵を描かなければならない。
 描き直している時間は無い。
 迷いを捨てて描かなければならない。

 …つらいだろう。

 彼女の迷いに付き合っていられるほど、僕には時間が無かった。
 あの、憎悪の絵があれば、他には無くてもかまわない。


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 私の新しいアトリエは白い。だって卵だから。私が産まれる卵。
 そして私が眠る卵。だから、白い。

 でも、外見は白じゃだめだと室田さんが言った。
 お屋敷のイメージを壊してしまうそうだ。
 お屋敷に合わせて、レンガと木。茶色だ。

「その代わり、つたを植えましょう。涼しくていいですよ」
 室田さんが言った。

 涼しいからではなく、茂ったつたは鳥の巣の様で、きっと私の卵を包むだろう。
 だから、それでいいと言った。

 でも、内側は真っ白だ。
 丸い床に壁。天井。全部白だ。
 壁にはぐるりと窓があって、どこからでも光が入って来る。

 窓の一角からはお屋敷が見えて、ほかはお庭だ。深い林。
 朝夕には小鳥達が騒がしい。

 朝食が終わると近江さんは作業場へ、私はアトリエに向かう。
 途中までは一緒だ。

 生徒さん達のための洗面所やシャワー室の手前に、新しくドアが作られた。
 そのドアを開けると真っ白な階段が上に、まっすぐに向かっている。
 上のドアを開けて、小さな和室に入る。白い壁。白い障子。

 向かいの障子窓を開けると、私のアトリエが見下ろせる。
 描きかけの絵が光の中で私を待っている。

 ぐるぐるとらせん階段を降りて、アトリエに着く。
 まわりの窓から光が入って来る。

 光の中は居心地が悪い…。


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 個展の話をしてから、ひろの生活は規則正しい物になった。
 朝食を一緒に取り、階段の下で別れ、僕は作業場に入る。

 作陶にあきると、アトリエに行き、増えていく彼女の絵を見た。

 どれも偽善だった。
 静かで、落ち着いていて、明るくて、からっぽだった。
 何を追いかけているのだろう。
 彼女自身を絵にすれば良いのに。

 静かで、落ち着いていて…。
 僕か? 僕の作品に言った彼女の感想に似ている。
 ばかな。

                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


「具合が悪いの?」

 近江さんの生徒さんのおひとり。確か高坂(こうさか)さんといった。
 二十五歳ぐらいの、お金持ちの家のおじょうさん。
 時々着物を着てお教室に来る。いつも良く似合っていた。

 私のアトリエへの階段のそば、洗面所で、その彼女が吐きそうにしていた。
 驚いて振り返る彼女の目の奥にかすかな敵意。なぜ?

「なんでもありません」

 口元をハンカチでぬぐい、立ち去ろうとする。

「妊娠しているの? つわりでしょ?」

「…」

「確かまだ結婚してなかったと思うけれど?」

 彼女の目の奥の敵意に引きずられ、言わされた。

「奥様に…。あなたに関係ないわ!」

 ほほをうたれたような気がした。自分が恥ずかしかった。

「…ごめんなさい」

 アトリエへのドアを開け、ドアを閉めようとして気がついた。
 彼女の向こう側、廊下の角に近江さんの姿が見えた。
 ドアを薄く開けたまま、閉められなかった。

「今の話は本当?」

 近江さんが静かな声で聞いていた。なぜ、それだけで泣きたくなるのだろう。

 高坂さんは答えない。近江さんは待っていた。
 そして、待ちきれず聞いた。

「妊娠をしていると…」

 近江さんの声をさえぎって、高坂さんが答えた。

「先生の子です」

「……」

「先生の子ですっ」

 投げつけるように言って、高坂さんは走り去った。


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・

 
 高坂が走り去る前に、アトリエへのドアが開いている事に気づいていた。
 僕は高坂を追いかけるべきなのだろう。
 でも、多分ひろは聞いていた。

 ドアを開けた。ひろは居なかった。階段を登る途中で音が聞こえてきた。
 二階の障子窓から下のアトリエに、何かを、描きあがっていた自分の絵を、投げ捨てる音だろう。

 らせん階段を走り降りるひろの足音。
 ゆっくりと僕は白い階段を登り、らせん階段を降りる。
 アトリエで二階から投げ捨てた絵をひろが切り裂いていた。

 壁に並ぶ描きかけの絵も…。
 かまわない。どうせ失敗作だ。
 ただ描き直しとなると個展に間に合うかどうか…。
 
 あの憎悪の絵の前でひろがたじろいでいる。
 想いを断ち切るように、ナイフを持つ手を振り上げた。その手を僕はつかんだ。
 この絵を破かせるわけにはいかない。
 ナイフが床に落ちた。

「僕の子供じゃないよ。言っただろう。僕に子供はできない」

「あなたの子よ!」

「……」

「高坂さんはあなたが好きなんだわ。
 あなたじゃないと言うなら、誰かをあなただと思って抱かれたのよ!」

 これは嫉妬なのか?

「だから、高坂さんのお腹の子はあなただわ!
 あなたで、そしてあなたの子よ!」

 僕への嫉妬なのか? それとも妊娠している高坂への?

 振り上げた手をつかんだままの僕の手。
 そのまま彼女を抱きしめてキスをした。

 彼女が僕の唇に噛み付き、僕を押しのけた。

「だいっ嫌い!
 出て行って! 私にさわらないで!」

 階段を降りながら考えた。
 殺人者と、自分を殺させた者。どちらが罪が重いのだろう。
 僕は殺人者なのか、それとも自分を殺させた者なのか。

『あなたじゃないと言うなら、誰かをあなただと思って抱かれたのよ!』

『だから、高坂さんのお腹の子はあなただわ! あなたで、そしてあなたの子よ!』

 そうか、そういう事だったのか。
 そして、高坂に嫉妬するひろ。

 だとしたら、僕はもしかしたら、再生できるのかもしれない。


 その日からもひろは、きちんと朝食に現われ、昼食を取った。
 だが、思いつめた顔で何も言わず、アトリエに戻る。

 あまり寝ていないのだろう。
 小麦が「アトリエに行くといつでも奥様が絵を描いている」と言っていた。

                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 絵を描くのに疲れると、らせん階段を登る。それから白い階段を降りる。
 階段の下で座る。
 ドアを薄く開けておくとお教室での会話が小さく聞こえてくる。
 近江さんが居ないと、噂話が始まる。

 座って聞いているとそれはさざなみの様だ。

『高坂さんが、家出をした。妊娠していたらしい』

『室田さんが最近お屋敷に来ない。高坂さんに失恋したから…』

 噂話が怖いのは、ほんの少し真実が混ざっているから。

 階段の下は暖かくて、白い光に包まれている。
 母が居た時の、私達の小さな部屋。
 母が死んだ後に、私だけの部屋になった。
 あの部屋で、私を包んでいた暖かさと光に似ている。

 そこに母が居ない事が、信じられなかった。
 母が死んだ後も、すぐそこに、いつでも母が居た。
 薄い壁が一枚、母と私の間にあって、触れる事ができないだけだった。
 なんとかしてその壁を越える事ができないかと、心の一部がいつも思っていた。

 ここは、あの部屋に似ている。私は一人だ。誰にもみつけてもらえない。

 誰かが、私の肩に触れた。やめて。
 私を起こさないで。

 ふわりと抱き上げられて、近江さんだと思った。


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 階段の下で眠るひろを見つけた。
 肩に触れると、小さな声で「母さん」と言った。

 どちらにしよう。迷ったが、アトリエに運ぶ事にした。

 短期間に、新しい絵が増えている。


                  ・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・


 床に降ろされ毛布をかけられた。
 その感触に薄く目を開けると、近江さんが私の絵を見ていた。

「見ないで。そんな絵。…大嫌いよ」

「いい絵だよ」

「汚いわ。嫌な事ばかり考えている。嫌な絵」

「どんな?」

「言いたくない」

「怒り。苦しみ。悲しみ。憎しみ」

 目を閉じた。近江さんの深い声が降ってくる。
 みんなわかっているのね。

「取り返しに行かないか?」

 目を開けた。

「僕を。
 高坂に盗まれた僕を。
 きみになら取り返せるよ」

「ええ。行くわ」

 毛布ごと近江さんが私を抱き上げた。
 また、眠くなった。

 
 肩を揺すられて目を開けた。運転席に近江さんが居て、私は助手席に居た。
 近江さんが目の前のマンションを指差した。

「あそこだ。
 はじからふたつ目の部屋。四階だよ。
 僕はここで待っている。行っておいで」

 表札には、室田さんの名前があった。
 室田さんは、疲れた顔で私を見た。
 髪は乱れたまま、ひげものばしたままで、目の下にはクマができていた。

「なんの用ですか」

 不愉快そうにはき捨てる。

「近江を返してもらいに来たの」

「嫉妬ですか?

 あんたにそんな権利があるんですか!
 金で買われたあんたに!

 金で若い女房を買っておいて、他にも女を作る。
 あんたのだんなは色情狂だ。」

 壁をこぶしでたたき怒りをぶつける。
 こんな言葉達は室田さんに似合わない。
 可愛そうに…。
 
「僕は本気だったのに。
 なぜ、あんな男がいいんだ…」

 そうか。高坂さんはこの人に抱かれたんだ。
 近江の代わりに。

「近江を返して欲しいの」

 私は中に入り服をぬいだ。



 ドアを開けて振り返ったら、室田さんがベットの上で泣いていた。
 静かに、自分を責めていた。
 室田さんが自分を責める必要など無いのに。

 罪を犯したとしたら、高坂さんと私だ。
 室田さんの想いを利用して、彼を近江の代わりにした。
 続きます。
 3はこちらから。↓

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