ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

東南アジア史コミュの東南アジアのナショナリズム

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
新しいトピックを立てさせてください。

東南アジアのナショナリズムについて歴史的な背景から議論したいと思っています。19世紀にフランスで出てきたナショナリズムですが、東南アジアではどのように出てきたのでしょうか。どのような背景で出てきて、どのように発展したのでしょうか。また、定義はどのようにしたらいいのでしょうか。各国のナショナリズムはそれぞれに定義が違うと思いますが、東南アジア全体に共通していえることは何でしょうか。近代から現代に至るまで幅広く議論したいと思います。

宜しくお願いいたします。

コメント(5)

『アジア英雄伝―日本人なら知っておきたい25人の志士たち』 に収録されている
東南アジアの英雄一覧。

 インドネシア  マハティール・ビン・モハマド、ラジャー・ダト・ノンチック
 マレーシア  スカルノ、モハマッド・ハッタ、スハルト
 タ    イ  ピブーンソンクラーム
 フィリピン  アンドレス・ボニファシオ、アルテミオ・リカルテ、ベニグノ・ラモス
 ビ ル マ  ウ・オッタマ、アウン・サン
 ベ ト ナ ム  クォン・デ
無粋なつっこみですが、

インドネシア  スカルノ、モハマッド・ハッタ、スハルト
マレーシア マハティール・ビン・モハマド、ラジャー・ダト・ノンチック

が正しいです。スハルトが「英雄」かというとかなり疑問ですけど。

あと、シンガポールとラオスとカンボジアとブルネイと東ティモールが無視されているのが気になります。 
パトリとかナシオというのが根底に共同体というか、ラテン語でムラ、サト程度の意味を内包するものであり、それを一段と飛躍させたところにフランス・ナショナリズムの意味があるのでしょう。アジアのナショナリズムは当然、それを敷衍するような格好を取ることになった。ホー・チミン(胡志明)もリサール(黎薩)も、そして朝鮮独立の志士たちも「国外」からナショナリズムを「持ち込んで」いますね。ガンディーも同じ、でしょう。また、東アジアや東南アジア諸域の場合、ナショナリズムの台頭以前は中国との関係性において自らの位置を判断した、などというのもあって、それらを腑分けするのはなかなか厄介な作業でもありましょう。
 ナショナリズムの日本語訳は通常「民族主義」ですね。ナショナリズムも民族主義も長年使い古された言葉なので、その意味は自分ではわかっているように思っていますが、もう一歩掘り下げて考えてみると、いくつかの疑問が湧いてきます。
 元の言葉の「nation」は、大きくふたつの意味があると思います。「民族」と「国家」です。民族は、言語・文化・習慣など文化人類学的観点の匂いが強いですよね。国家は明らかに政治的概念。日本のように民族と国家の重なる割合が極めて高い国は、世界の中では例外です。
 世界のそれぞれの国や地域の中で、このふたつの意味を含んだ「nationalism」が矛盾を起こしたり対立したりしたことはあったと思いますが、いつどこでどのような出来事だったのでしょうか。「民族主義」と「国家主義」、日本語ではふたつの言葉を使い分けできますが、他の地域では「nationalism」の言葉の使い分けはどうしてたのでしょうか。そして実際の政治行動はどうだったのでしょう。もし「国家主義」と「民族主義」が対立していたとすると、結果的にどちらが政治的正当性・歴史的正当性を獲得したのでしょうか。
 ナショナリズムについては、まずこの辺りにに疑問と問題意識があります。
2014.04.26

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

東南アジア史 更新情報

東南アジア史のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。