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麻生花児に学ぶコミュの麻生氏に関する記事

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朝日新聞(1997年3月25日夕刊)
「ボストン美術大学教授の麻生花児さん 冒険は創作の支え」

 世界の名だたる大河の川下り、ボストンマラソンの28年連続完走、テノール歌手として年4回の演奏会。画家以外に多才な活躍を続けるボストン美術館付属美術大学教授の麻生花児さん(60)=写真=が、東京・渋谷のBunkamuraギャラリーで「エンドレスジャーニー」をテーマに、4月1日まで個展を開いている。

 茨城県取手市出身。東京芸大で学び、1967年からボストン暮らし。川下りは25歳の時、利根川下りを試みたのがきっかけ。スタートして10分後、急流にのまれ転覆。食糧などすべてを流し、空腹のまま下流へ。「その失敗から自然の恐ろしさを学び、肉体的挑戦へふるい立った」

 83年、ミシシッピ川、89年にはボルガ川、94年にナイル川など7つの大河を下った。「冒険は体力だけではなく、思慮がプラスしないとできない。アマゾン、メコンにも挑みたい」

 「冒険もそれ自体が芸術的行為。厳しい自然と肉体の格闘を通じて、日常生活では見えない光の点、風の形などを感じとることができる。予期せぬ能力の発見、これが創作の支え。空間そのものに生命力を盛り込んだ作品を見てほしい」と話している。

コメント(4)

朝日新聞(1997年12月24日、東京版)

「出版記念、銀座で個展開催中」

 洋画家として米国を本拠に、日本、欧州をまたにかけて活動する。水墨、書、声楽の分野でも評価が高い。ボストンマラソン完走二十九回。世界の大河下りを続ける冒険家でもある。

 麻生花児さん(六一)。その彼が、イギリスのある団体から「二十世紀の二千人」に選ばれ、これを土産にした個展を銀座の画廊で開いている。

 「名誉なこと。でも、二十一世紀も目標に向かってまい進したい」

   ■

 茨城県取手市の出身。東京芸術大学油絵科、版画専攻科に学んだ一方、ボクシング部を作ったり、ゴムボートで利根川下りを実行したりした。

 一九六五年、当時の琉球政府などの招きで沖縄を訪問したついでにインドネシアに足を伸ばした。ここでクーデターの騒乱に遭遇。デモに参加した仲間を射殺され、銃を持って宮殿襲撃を策する学生たちを、「革命は市民の支持なしには成功しない。遺影を掲げ、静かに行進する方が賢明だ」と説得。各地の大学に連帯を呼びかけて、変革の大きなうねりづくりに一役買ったこともある。

   ■

 帰国後、「ぬるま湯のような日本」を抜け出しボストンに移住、文化・芸術活動を始めた。「心理学、自己分析偏重を改め、もっと外界にある自然に目を向けよう」が基本姿勢。作品発表だけでなく、芸術家の指導・育成に当たったり、俳句・和歌のサークルを作ったりした。

 芸大時代から本格的に始めた声楽はボストンで磨きをかけ、八四年から日本と米国で年に四回コンサートを開いている。九五年には伊・パドバ市の聖アンソニー生誕八百年芸術祭にテナーとして招かれ、ベネチアでリサイタルをした。

 マラソンはにぎやかしに走って病みつきになった。以来、ずっと完走を続けている。こんな活動から八一年にはボストン市の「名誉市民」に推された。

 川下りも木曽川、北上川、信濃川をはじめナイル、セーヌ、ボルガ、ハドソン、スワニー川など三十余の大河に挑み、今年もスペイン・ポルトガルを流れるタホ川を三週間かけてこいだ。それでも「まだアマゾン、メコンが残っています」。

   ■

 開催中の個展には、東洋文化に関する出版物で有名な米国シャンバラ社が今年刊行した一茶の「おらが春」に掲載した、麻生さんの挿絵や油絵が出ている。同社は二年前に「芭蕉から一茶まで」を出版、二万部を完売した。この成功も麻生さんの挿絵が一因といわれる。

 今も歌の練習を毎日一時間半、体のトレーニングを一時間欠かさない。来年はイタリアで今年開いた個展の作品を日本に紹介する。

 マラソンは体力の続く限り毎年、川下りは体力と財力がいるので再来年したいという。麻生さんに「休む」という言葉はないようだ。
朝日新聞(1998年8月7日、東京版)

「20世紀の2000人 麻生さんの受賞祝い」

 イギリスの人物調査機関「インターナショナル・バイオグラフィカルセンター」による「二十世紀の傑出した二千人」に選ばれた、米国ボストンで活動する芸術家、麻生花児さん(六二)の受賞を祝う会が六日、都内のホテルであった。

 東京芸大で油絵や版画を学んで一九六七年に渡米。ボストン美術館付属美術大教授として活躍し、芸術学校を設立して、二百人を超える門下生に絵画の指導をしている。

 創作活動の基本は、「人間は自然の一部」という考えだ。自然に溶け込むために、ボルガ、ナイル、ミシシッピ川など世界各地の川下りをしてきた。ボストンマラソンには六九年から今年まで三十回連続出場し、完走している。ボストン名誉市民に選ばれ、米国の人物調査団体が行った「五百人の指導者」にも選ばれるなど、活動は米国内でも高く評価されている。

 「人間は小さなもの。自分を主張しすぎる現代美術の主流の考え方に挑戦してきた姿勢が評価されたのだと思う」と麻生さん。
読売新聞(1988年12月2日婦人欄)

「自宅に茶室づくり 米国でブームの兆し」


 数寄屋づくりの象徴である茶室を、社交場や日本文化研究の一つとして自宅に建築する動きが、アメリカで相次いでいる。
 その一人が、ボストン在住十五年余になる画家、麻生花児さん(51)。毎年、セーヌ川や信濃川など内外の川下りをして「行動する画家」として知られるほか、版画、書道、陶芸、オペラにもぞうけいが深く、アトリエを社交場として開放している。
 そこで、もっと日本文化の香りがするサロンにしようと、今年の春から三階建て自宅の一角に、現地用材を主にした八畳間の茶室を建築している。年内には、教え子らを招いて茶室開きをする予定という。
 また、今年の夏、アメリカの文化視察をした京都文化女子短大助教授の筒井紘一さんの話によると、カリフォルニア大学教授のヘルベルト・プルチョウさんが、自宅に茶道家元からプレゼントされた扁額(へんがく)をかけた四畳半の茶室を建築したり、ワシントン大学教授などを歴任したグレーン・ウェッブさんが座禅も出来る茶室を手掛けているという。
 このほか、国際茶道の普及に力を入れる裏千家今日庵事務局には、「茶室についての問い合わせが連日のようにある」というほど関心が高い。
 こうした動きについて筒井さんは、「アメリカに渡っていた茶道は、これまでは遊芸としてとらえられていた。しかし、研究者の間から、茶室は日本文化の中で重要な位置を占めるものだという認識が高まり、これが実際の建築にまで結びついたのでしょう」と話している。
読売新聞(2002年4月19日、茨城面)

「ボストンマラソン 快挙!!33回連続完走 取手市出身65歳・麻生さん」

 十五日(日本時間十六日未明)に行われた米・ボストンマラソンには、世界中から集まった約一万五千人の正規ランナーのほかに、ゼッケンを持たない「飛び入り選手」も多数参加した。そのうちの一人、取手市出身の画家で、ボストン美術館付属美術大名誉教授の麻生花児さん(65)(ボストン在住)は、今年で三十三回目の挑戦。そのいずれもゴールまで走りきっており、連続完走記録を33に伸ばす快挙を達成した。
 ◆「生きる喜び感じる」
 麻生さんは一九六一年に東京芸大洋画科卒業後、東京女子美大講師を経て、六七年に渡米。ボストン美術大で教べんをとる傍ら、七三年には、書道、茶道、絵画、陶芸、哲学、詩などを教える「カジ アソウ スタジオ」をボストン市内に開設した。
 ボストンマラソンに初めて参加したのは七〇年。当時はまだ参加者数が千三百人と少なく、大学陸上部などで専門トレーニングを積んだ人ばかりだったため、周囲からは「とても無理」といさめられた。しかし、前年に日本人の采谷義秋選手が優勝した姿に感銘を受けた麻生さんは、わずか二か月の練習で本番に臨み、見事3時間53分のタイムでゴールイン。既成概念をうち破り、関係者を驚かせた。
 その後も、趣味のカヌーでヴォルガ川(旧ソ連)やナイル川(エジプト)の本格的な川下りに成功したり、学生時代に始めたオペラで本場イタリアでの公演を敢行したりと、多彩な活躍を見せる麻生さんだが、「マラソンで得た『やってみれば案外簡単』という教訓があればこそ」と振り返る。
 大会前日、麻生さんはスタジオ内の茶室で生徒たちにお茶を立てた。「茶道は心の調和を保ち、生きている喜びを分かち合うもの。マラソンでも体を動かすことで生きている喜びを感じられる。本質は同じです」と麻生さんは語る。
 今年は、同行スタッフのペースに合わせ、六時間かけてゆっくり走った。ゴール直後には「来年は四時間で走りたい」と新たな決意を語っており、挑戦はまだまだ続きそうだ。

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