若くして画家としての才能を開花させたものの、生ぬるい日本での生活が物足りなくなり、20代半ばにすべてを捨てて渡米、ボストンで総合芸術学校「KAJI ASO STUDIO」を設立した麻生花児氏(1936−2006)の思想や生き様に学ぶコミュニティ。
「絵描きが、部屋にこもって筆ばかり握っていたら、ろくな作品が出来ない」
麻生氏は、その口癖通り、専門の絵画だけにとどまらず、詩や陶芸、声楽、茶道、哲学にまで活動の幅を広げてこられました。
ボストンマラソンを何十回も完走、世界の大河を何本もカヌーで下ってのけるなど、驚異的な体力の持ち主でもあり、文武両道を地でいくその生き方は、中世ヨーロッパの天才を思い起こさせます。
かといって、芸術家にありがちな気難しいタイプでも、求道者のように堅物でもなく、女性の美しさと下ネタとキューバ産の葉巻をこよなく愛し、慕ってくる人間には胸襟を開いて、何時間でも話し相手になる懐の深さがあり、国籍や年齢、職業を越えて、多くの人々を魅了しました。
「自然の中で体力の限界に挑むことで、生の本質に迫ることができる」
「冒険もそれ自体が芸術的行為。厳しい自然と肉体の格闘を通じて、日常生活では見えない光の点、風の形などを感じとることができる」
「日本の学者や芸術家はほとんどが、文化輸入業者だ。自ら考えたり、生み出そうとしたりせず、すべて欧米の文化を翻訳し、右から左に伝えようとしているだけ」
「人間は小さなもの。自分を主張しすぎる現代美術の主流の考え方に挑戦してきた」
人を楽しませたり、驚かせたりすることが大好きで、時にはユーモアを交え、時には過激な言葉を用いて、物事の本質を言い当てる人でした。その言葉には、本当に学ぶべきところが多かったと思います。
まずは、麻生氏と交流のあった人たちに思い出や、印象に残っている言葉などを自由に語って頂き、麻生氏の活動や生き様を少しでも多くの人々に知って頂けたらと思っております。ただ、下ネタは、麻生氏の思想や心温まるエピソードにつながったりする時以外、なるべくご遠慮ください。
もし、麻生氏とは全く面識がなかったけれども、活動を詳しく知りたいという方は、「KAJI ASO STUDIO」のホームページ(http://
困ったときには