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麻生花児に学ぶコミュの自己紹介

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麻生氏とゆかりのある方々は、簡単な自己紹介をお願いします。どれくらいのお付き合いがあるのか、思い出に残っているエピソードや言葉などを書き込んで下さい。

 もちろん、すべてをありのままに書くと大変なことになってしまいますので、書ける範囲で結構です。



 ちなみに私は2000年春、ボストンにある「KAJI ASO STUDIO」を尋ねていって麻生氏と知り合い、1週間、毎日、スタジオに通い詰めました。

 ボストンの美大で音楽や美術を習いに来ている留学生から、地元の会社員、果てはバックパッカーまでが集まって、5、6人で英語でけんけんごうごうと哲学論議をやっているのが印象的でした。

 そういえば、茶室でお茶を点ててもらったときに、ボストン市の広報誌の作成を担当している女性が取材にやって来ました。

 女性記者は、ボストン美術界の大家を目の前にしているためか、禅の精神の結集である「SADO」に初めて参加するためか、ほほが引きつり、上目遣いで麻生氏の表情を伺い、明らかに緊張の色を浮かべていました。

 麻生氏は、そんな女性記者にお点前を披露した後、いきなり、「デカルトは『我思う、故に我あり』といったが、私は違うと思う」と哲学の話を始めました。

 このオッサン、唐突に何をいい出すんや・・・と思っていたら、麻生氏はあろう事か、「I am feeling horny, therefore I am」(私は性的に興奮している、故に我あり)と言うではないですか。

 ああ、外したな。下ネタで滑って最悪や・・・と思っていたら、女性はプッと吹き出し、肩の力が抜けてとても柔らかい表情に。

 麻生氏はすかさず、「そうそう。その方がいいよ。お茶は緊張していてもおいしくない。楽しむことが一番です」と言葉をかけ、居合わせた全員を和やかな気持ちにさせてしまいました。

 私はこの一件で、すっかり、麻生花児のファンになってしまいました。

コメント(30)

むむむ、お待ち申しておりますが、なかなか、現れないものですねえ。スタジオの参加者は・・・。設立して30年以上になるので、相当な数になっているのではと思っておりましたが。
2人目の参加、ありがとうございます。そうなんです。お亡くなりになったんです。

私も亡くなってから、3か月目に知り、ショックで1か月ほど放心状態が続きました。

60歳代後半になってもあれだけ元気で、明け方までパワフルに芸術活動やマラソンに打ち込んでおられたのに。私は数年後に、長期休暇を取って、スタジオにしばらく入り浸ろうと思っていたのですが、かなわぬ夢になってしまいました。
麻生先生の女性の助手は、ケート・フィネガンで、男性はゲーリー・タッカーではなかったかと思います。今は2人が中心となって、スタジオを運営しているようです。先生の最後はケート、ゲーリーとその2人の助手に看取られて、「私は大丈夫」という言葉を残されて、永眠されたそうです。
歓迎してくれると思いますよ。私も通算でスタジオに通ったのは1週間程度ですが、ケイトやゲーリーが日本に来るたびにちょくちょく、スタジオゆかりの人々の集まりに顔を出しています。

向こうも覚えているのか、いないのか、よく分かりませんが、麻生先生の思い出話で話が弾みます。


そういえば、2年前に東京で行われた麻生先生をしのぶ会で、ゲーリーが悼辞を読んでいました。彼が初めて知り合ったのは、ボストンミュージアム大の学生だったころだそうです。

ある時、麻生先生と一緒に写生に行き、偉大な先生と話をするチャンスだ。でも、何を話そうか・・・・と思い悩んでいるときに、麻生先生の方から近づいていき、「君はゲーリーというそうだね。日本ではゲーリーというのは、『diaria』というんだよ」とおっしゃったそうです。力が抜けたけど、人間味を感じたと
、ゲーリーは振り返っていました。


そうすると、スタジオに通い始めたのは1993年ごろからですか。何年ぐらい、通われたのですか?
そうそう。忘れていました。

お墓は、取手市内のお寺の中にありますよ。

私も1度、お参りしたのですが、何という寺だったのか・・・、名前が思い出せません。

市内の中心部にあり、境内もだだっ広かったのですが・・・。
るごさん

こんにちは!このようなコミュがあることを知り嬉しいというか驚きました。

ボストン(ブルックライン)在住の瀧波と申します。

1985年にスタジオを訪問して知り合いました。

マラソン 食べ歩き 旅の話 草野球 哲学 そして下ねたを

20年以上 一緒に楽しみました。もう少し 生きてほしかったです。

WBCが西海岸であったとき ゲリーさんから悲報をロサンゼルスで

聞きましたが 信じられませんでした。

アメリカ人は 数え切れないのは当然ですが スタジオで 人生を

教えてもらった 日本人のお弟子さん 訪問者もかなりいると

想像します。
おお、たきさん。いらっしゃい。20年以上の付き合いですか、私は数年間のお付き合いですが、実際にお会いした時間は通算でも1か月にも満たないので、うらやましい限りです。

スタジオでの四方山話、麻生氏の哲学や下ネタをいろいろと教えて下さい。よろしくお願いします。


すいません。ゲーリーのコメントで、「ゲーリーは英語で・・・」の下り、「diaria」ではなくて「diarrehea」でした。スペイン語と間違えたかと思いきや、スペイン語も「diarrea」でした。
ありがとうございます。

先生と一緒にマラソンは3回ですが走りました。スタートする西の郊外のホプキントンという町にも先生は知人がおおく大歓迎を受けました。

そのころは自分も20才代なので4時間から5時間で完走できたのですが。
先生がなくなったあとゲリーさんやケイトさんとほかのお弟子さんと走ることになり40才を過ぎてだったので7時間以上かけて歩いています。
なくなったあとから今年で3回やりました。スタジオのマラソンチームの名前はレッドスネーク(赤い蛇は先生の故郷の利根川にいて 敵に攻められてもなかなか死なないそうです)のユニフォームを着て走るので沿道の声援は先生と走っているときを変わりませんです。


ボストンコモンパークやパブリックガーデンで夏の夜一緒にアベックの覗きをやりました。先生は上手なのでどしてうまいのですか?と質問したら芸大時代に日比谷公園で同じど覗き道を鍛えたそうです。


ゲーリーさんは同じ年なので今も仲がいいです。
彼がいま宣伝やウエブサイトそしてオペラの企画をやっています。
ケイトさんはまじめで昔からいつもケラケラわらっています。

ボストンに多少住んでいる日本人は一度は門をくぐると一時は言われていました。

たき
そうそう、私もレッドスネークの赤いTシャツをプレゼントされた覚えがあります。黒で蛇の絵が描いてあったやつですよね。
>SANTA-ORANGEさん

大変、失礼いたしました。配慮が足りずに申し訳ございません。以後、気を付けます。

ただ、一つだけ釈明させていただくと、麻生先生は下心があって、そういう行為をしていたわけではなく、人間観察の一環としてやっていたようです。そのような発言をお弟子さんから聞いたことがございましたので。

不快な思いをさせて申し訳ございません。以後、そういうネタは禁止で行きたいと思います。
>SANTA-ORANGEさん

たびたび、すいません。せっかくなのでお時間のあるときに陶芸体験のお話を書き込んでいただけませんか。私は陶芸体験をともにしたことがないので・・・。そもそも、麻生先生はどうやって陶芸の腕を磨かれたのでしたっけ?
そうそう、のぞきに関するコメントを削除してしまったので、歓迎のコメントも消えてしまいました。

たきさん、いらっしゃい。20年分の思い出を、思う存分ぶつけて下さい。よろしくお願いします。


やぶそばは有名でしたね。スタジオの間では・・・。
現在スタジオの2階に先生の写真が飾ってあり、訪問者は焼香してお祈りができるようになっています。先生はじめお弟子さんはほとんど無宗教ですがやはりスタジオに行くとき手を合わせて生前のお礼や思い出にふけるのはいい時間です。
やはりあと10年は生きていてほしかったですね。アメリカの父、いや年齢は24上ですが兄みたいな間隔でした。

今年も感謝祭のあたりからマラソンの練習が毎週日曜の夜始まると思います。
マラソンはじめスタジオのイベントは生前となんら変わりなく行われておりむしろ活発になったようにも思います。やはり寂しいですが、、、、

たき
SANTA-ORANGEさん
るごさん

先週は風が冷たかったけど 今日のボストンは比較的温暖です。きっと夜になると冷え込むのでしょうね。。。夕べはレッドソックスの応援をしてきました。先生とも数回フェンウエイ球場行きましたが、先生は弱いころのレッドソックスでいつでも当日券が変えていた時代の人なので最近 レッドソックスが強くて球場は満員なんですよといっても なかなか信じてくれなかったことも 懐かしい思い出です。

町はそろそろ かぼちゃの飾りつけが目立ってきました

たき
たきさん

ゲーリーさんと、ケイトさんが運営を始めてからは1度も足を運んだことがないのですが、運営が順調に行っているなら何よりです。あのスタジオの玄関、そして階段が懐かしいですね。

ボストンでどこかのハイソな感じのクラブで、麻生先生がオペラを上演されることになり、麻生先生直々に招待されました。当時は、ボストンマラソンに参加することが目的で野良犬のような服しか持っていなかったのですが、麻生先生がスーツを課して下さいました。

 過密スケジュールの疲れがたたり、オペラで麻生先生とパートナーの女性の柔らかい歌声を聞いているうちに私の頭がゆっくりと下がり、そのまま、前後に船をこぎ、気づいたら、オペラは終わっていました。一緒のテーブルでオペラをみていた人たちは、「いやあ、本当にいいパフォーマンスだった。楽しめた。楽しめた」と満足そう。そして私に向かって「君も楽しんだだろう・・・・居眠りを」といい、大笑いされてしまいました。

 オペラの翌日の朝、借りた服を袋に入れたまま、スタジオの入り口に下げておき、ボストンを後にしました。たった1週間だけの滞在でしたが、毎晩、入り浸っていたこともあり、スタジオから離れるのが非常にさみしくてなりませんでした。

 10年後に、1年間の長期休暇を取ってボストンに移り、再び、スタジオに入り浸りの生活を送ろうと、心の中で決意していたのですが、思いがかなう前に、麻生先生の悲報を耳にしました。80後半くらいまでは元気に走り回っておられるだろうと思っていただけに、信じられない思いで一杯でした。

 それまで米国に行ったのはアラスカ州だけで、本土には全く、興味はありませんでしたが、麻生先生やスタジオの生徒さんたちのおかげでボストンという町は少しだけ好きになれた気がしました。
ボストンは以上に暑い夏が続いています。
アメリカに来て一番気温が高い夏だと思います。

最後に書き込みしてから2年近くたってしまいました。
最近むしょうに 先生に会いたくなることがあります。
やはりあと10年は生きていてほしかったです。

スタジオの方はゲリーとケイトその他の主要メンバーが
がんばっていて、いろいろな行事やイベントを行っています。
以前よりむしろ活発に動いている気もします。
詳しくはスタジオのホームページを見るとわかります。
http://www.kajiasostudio.com/webroot/home.cfm

先生のサイト
http://www.kajiaso.com/webroot/home.cfm

では皆さんいい夏をお過ごしください

瀧波雅彦
ボストンより
自己紹介遅くなりました!花児さんが名付け親です。

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