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いるかコミュコミュのリレー小説「サーカス」第10回 トシ☆ハレンチ

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エピソード10 山田隆夫

 衛とみくは車に乗ってからずっと「寒い、寒い」と言ってガクガクと震えている。
「だから言っただろ。厚着してこいって」僕は少しうんざりして言った。
「だってこんなに寒いと思わないもん」そうみくは頬をぷっくりと膨らませて「まだ外の空気の方があったかいかも」と言うとかじかんだ右手を口にあててフーフーしながらもう片方の手で助手席の窓を開けようとした。
「あれ?開かないよ?」
「ああ、窓はロックしてある。勝手に開けようとすんなよ」
「なあ、どうしてこんなに寒いんだよ。おかしいぞ、この寒さ。これじゃクール宅急便だ。寒くて死にそうだ。隆夫、暖房つけろって。壊れてんのか?」悲鳴にも似た声をあげた助手席の衛はテロテロのナイロンパーカーを一枚羽織ってるばかりだ。そりゃ寒いはずだ。
「惜しい!衛、惜しいぞ。ジャストワンボールだ。まず、暖房は壊れていない。これは大間違い。惜しいのはその次だよ。『寒くて死にそう』じゃなくて、死んでる人がいるから寒くしてるの。分かる?あと、クール宅急便じゃなくて霊柩車だ。いい線ついてたんだけどな」僕がおどけたぶんだけ、彼のなるべく遠ざけていた切実な疑念が衛を強く刺激したらしい。
「ん。どういう意味だよ?」衛は急に嶮のある声を出すと後ろから運転席にしがみついた。
「だからそれも言っただろ。お前には電話で言った。覚えてないのか?この車は中村先生の死体を載せて走ってる」
「嘘でしょ?」衛よりも先にみくが素っ頓狂な声をあげる。
「…。それは聞いたけど…。お前の悪い冗談かと思ってた。なあ嘘だろ?」
信号が赤に変わった。僕はゆっくりと車を停止線の手前に落ち着けた。「そう思うなら後ろ、見るか?」信号待ちの交差点で目の前の横断歩道を老人が杖を持った片手で車を制するようにして渡っていく。その老人の緩慢な徒行を正面に見据えて僕がそう真面目な調子で問いかけるとややあってから同時に二人は「やめとく」と今にも消え入りそうな声で答えた。どんよりと重い空気が車内に流れた。信号が青になった。僕は再びアクセルを踏んで車を発進させる。誰もが息を殺すようにして見えざるかくれんぼの鬼に見つけられまいとその身を硬くしているようだった。僕は凍え死ぬかわりに閉塞による窒息で死にそうだった。沈滞した車内の空気が僕の呼吸器にドロリと入り込んでくる。僕はその空気を拒絶するように気道を狭くする。苦しい。当たり前だ。我慢できずに侵入を許した冷えに冷えてなおかつ重たい空気は肺に一旦入ってしまうとそこに永遠に棲み着くようにして僕の内側でたちまちにして淀むのだった。僕はその息苦しさに耐えきれずに一人であれこれとしゃべり続けた。僕が警察に行かなかった理由。腐りはじめた死体の悪臭に一日中頭を悩ませたこと。死体の保存にドライアイスを思いついたこと。2・5キロの固まりが6ブロック、合計15キロ2セットのドライアイスが15000円もしたこと。ドライアイスはマイナス78度の白い個体だってこと。そしてみんなにとても会いたかったってこと。なにを話しても手応えはなく、時折ピクリと動くみくの右手の中指の小さな反応を頼りに僕は延々と話を続けた。
「どうせならみんなで一斉に見る…」助手席でみくが僕の話の途中にボソリと涙声でつぶやいた。「…そうだね……」力なく衛が頷いた。僕はぎんなんの家まで話すのをやめた。

 衛の携帯で呼び出されたぎんなんは自分の家から下手糞なスキップに足をもつれさせ、車まで転がるようにしてやってきた。さっきまでの車の中での会話をかいつまんで僕はぎんなんに説明をした。するといかにも嬉しそうにぎんなんはこう言ったのだった。
「それってあれだね。死刑執行人が電気椅子のスイッチのボタンを大勢で同時に押すのと一緒だね。恐怖と罪悪感の等しい分担と責任所在の不明瞭化。その気持ち、よく分かるよ、みく。さあ、さあ。はやくみんなで見ようよ」どうもこの男だけは僕の話を真に受けてないらしい。
「それ、ちょっと違うんじゃねーの?まあいいや。開けるぞ。どうか最悪の瞬間をみんなで共有してくれ」僕はイライラとしてぎんなんを軽く睨んでから車に半身を突っ込んで運転席の脇に仰向けになっているトランクを開けるためのツマミを引っ張りあげた。

 3人の後ろにまわって固まったそれぞれの背中を眺めながら「さて」とわざとらしい大きな声を出して僕は手をポンと叩いた。転がっている死体を半円を描くようにして囲んだ3人の背中がいっせいにビクリとする。
「なあ、いつまでも眺めていても死んだもんは生き返らないんだぞ。分かってるとは思うけどさぁ」僕の言葉を受けてそれぞれが思い出したように、目の前に死んだ人間を見ているという紛れもない事実を認識してリアクションをはじめる。衛は左手で前髪をかきあげるとそのままムシャムシャとツムジの周りを掻きむしった。みくは大げさに「キャー」と声をあげてそのままヘナヘナと地べたにへたり込んだ。ぎんなんは死体を指差しながら僕の方を振り返って口をパクパクとさせている。「ぎんなん、ざまあ見ろ」と心の中で思った僕は顔をニヤニヤとさせた。それを見逃さなかったぎんなんはすかさず全身を震わせながら僕に詰め寄った。
「おい。なんで隆夫は笑ってるんだい?あ!まさか、君が…」みくが僕の膝の高さでそのぎんなんの言葉の続きをかき消すように再び大きな叫び声をあげた。白々と街にコダマするみくの声の残響が耳から消えるのを待って僕は口を開く。
「まさか。俺は慣れただけだ。お前らもじき慣れる」
「無理よ、無理。絶対無理」ぼんやりとした目でアスファルトに浮かぶ油脂を見つめながらみくは力なく言葉を吐き出した。絶望にも似た感情に脱力した体を路上に投げ出す女はたとえみくのように醜い女であっても男の性に訴求するものがある。みくの顔に群生している産毛が道の街灯に照らされて金色にその輪郭を縁取っている。
「萌え」ぎんなんがそんなみくを見て小さく感動的につぶやく。さっきまで恐怖に飲み込まれていた男とはとても思えない。
「神々しい。まるでビーナスだ…」続けてはっきりとそう言ったぎんなんの言葉に僕と衛は互いの目を見合わせて同時に吹き出してしまった。
「俺はそんなお前に『萌え』だよ。ちっとは状況を考えようぜ。ほんと、ぎんなんは可愛いなぁ」衛が優しい笑顔を見せると張りつめた場の空気は一気に明るく和んだ。

 僕は二回目の「さて」を前置きにして、一同に事の経緯をなるべく細かく説明をした。なるべく細かくと言ってもただ「自分の車に中村先生の死体があった」ということが事の顛末の全てである。それ以上でもそれ以下でもない。もしなにか付け加えるなら死んだ中村先生は銃を口にくわえていたということだ。全ての説明を終わると僕はダウンジャケットの内ポケットからゆっくりと銃を取り出した。死体を見た時以上の気まずい空気がじっとりと流れる。僕の右手に持たれたピストルの重量感のあるどす黒い光に衛もみくも息を呑んだ。ぎんなんだけが好奇の目を輝かして「おお」と声を漏らすほどに興奮している。
 雲ひとつない秋の夜空には上弦の月がかしいでいる。星はまたたき気の遠くなるほどの遥かかなたに明滅を繰り返す。目を細めてみると一層激しい明滅に星屑は震え、まるで放射冷却で底冷えする地表から立ち昇る冷気に凍えているようだった。

「なあ」と衛が長い沈黙を破った。
「なあ、隆夫。俺。さっきめぐさんにふられたんだ。………。…ごめんな、こんな時に……」そう出し抜けに言うと衛は堰を切ったように僕らの目も憚らずに泣いた。さめざめと泣いた。こんな時に言うことか?それともこんな時だから言うのか?僕には分からなかった。ただ突然そんなことを衛が言い出したことに僕は激しく混乱した。「はじめて本物見た。隆夫、もっと僕によく見せてよ」ぎんなんがむせび泣く衛にはまったくの無頓着で僕の体の周りを銃見たさにグルグルと突然走りだす。もつれた僕の思考はいよいよ渦を巻いて行き場を失った。
「ぶぐお。ぶぐお。オウッオウッオウッ」みくが激しくもらい泣きの嗚咽をはじめた。僕の渦巻きの回転がキュルキュルと加速する。次第に僕の体は全体が震えだしガチガチと音をたて始めた。そう。壊れた洗濯機のように。増幅する遠心力は僕の理性を巻き込んで外に出ようと激しく僕の体を内側から突き上げる。玉のような汗が僕の前髪をぺったりと額に貼付けた。不意にピキピキと卵の殻が割れるような音が体の中から聞こえた。いや、正確に言えば頭の中、それも一番左右の耳から遠いところ。脳味噌のど真ん中。それは僕の内側で生まれた亀裂が縦横に走る音だった。もう駄目だ…。
「ああぁあ、うるせぇええぇぇ」そう叫んだ僕はキリリと撃鉄を起こして銃を夜空に構えた。驚く3人が目を丸くして血走った瞳をギョロギョロと落ち着きなく動かす僕を見る。僕はこの引き金を引けば弾丸とともにドロドロとした僕の内側に巣食った膿みたいなものを外に吐き出せるような気がした。躊躇はなかった。引き金をひいた。
ーーパァーンーー
 その刹那から時間はゆっくりと流れた。瞬間が無限に感じた。
 火薬が爆ぜる。衝撃は肩を貫通して手先に握るピストルの重みがずっしりと増した。その重みは軽い痺れにかわり心地よく僕の指先を愛撫した。目に見えないほどの凄まじい螺旋を描いてその銃口から飛び出すはずの美しい弾丸の姿を期待して僕はじっとその銃先の一点を見つめていた。3人もその瞬間を固唾を呑んで見守っていた。4人の視線は銃口を頂点としたいびつなピラミッドを中空に創りだしていた。しかし。次の瞬間。僕ら4人の瞳に映ったものはだらしなく筒状の銃身から飛び出した色とりどりの万国旗と秋の夜風に揺曳する無数の紙吹雪だった。瞬間は瞬間に成り果てて時間は本来を取り戻した。僕をあざ笑うかのように散り舞う紙吹雪の銀紙たちは鈍色に輝きながらその身を宙にひるがえす。大気を泳ぐようにしてしばらく漂うと疲れ果てた幾多の紙片は枯葉の敷き詰まる路地にきわめてソフトにランディングした。
「アハハハ、イーヒッヒヒ」ぎんなんが腹をよじらせて狂ったように笑いだした。ぎんなんはまるでブレイクダンスをするように背中をアスファルトにつけたまま手足をバタバタとさせてクルクルと笑ってる。ぎんなんが激しく動けば動くほど、巻き上げられた銀紙と枯葉は命を取り戻したかのように低く宙を飛んでみせる。みくはオロオロと、放心している僕の表情をチラリと盗み見ると、動き回るぎんなんの耳元で「隆夫が怒っちゃうってば。やめなよ、ぎんなん。ねえってば」と言葉を投げた。「だって、だ、だって、ハァハァ」壊れたぎんなんは息の切れた体を休めると僕を見た。そのまま僕の顔色をしばらく窺っていたぎんなんは僕の表情に変化のないことを見てとると「あーぁあ、どっちらけ」と大声を出して、またスイッチが入ったかのように人気のない狭い秋の路地でけたたましいブレイクを再開した。
(つづく)

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