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いるかコミュコミュのリレー小説「花札トリッパー」最終回 田中いるか

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最終話  山口鉄雄

 運転手が出て行くと、部屋は再び静寂に包まれた。誰も何も言わない。俺たちは足元に散らばるリサの残骸をただ茫然と眺めていた。俺の脳裏には、美しいリサの体がバラバラと崩れ落ちていく映像が繰り返し流れた。まるでニューヨークテロの時の貿易センタービルみたいに、一度崩れ始めたリサの体は加速度を付けて崩落していった。
「壊れちゃった、みたいだね」
ヅラが誰にともなく言った。
 リサが去って行った時はほとんど脳みそがバグっちゃってたのに、今の俺は自分でも驚くほど冷静にリサの死を受け止めていた。それはきっと、あの時と違って俺にはリサのためにするべき事がはっきりとあるからだ。
「殉死」
リサの体が崩れている最中から、この言葉が俺の頭にははっきりと浮んだ。
 偉大な女王が死んだのだ。家臣がそれに殉じて死を賜るのは当たり前の事だろう。そして、リサの死に殉じた時、俺はリサと永遠の主従関係を結べるのだ。

早く死ななくちゃ。

俺がそう思っていると、エプロンがぎょっとした顔で振り向いた。俺は今、言葉を呟いたのだろうか。
 リサが崩れ去った後、俺の心は静かになった。まるでハリケーンの後みたいに、俺の心はここ十年来見たこともないほどの平安に包まれていた。俺はその静けさの中で、リサと出会ってからこれまでの1ヶ月間を振り返った。
 リサと出会って俺は変わった。それは、マゾになったとかサドになったとか、そんなありふれた言葉では説明のつかない、本質的な変化だった。彼女のまばたき一つが生み出す衝撃は、それまでの俺の29年間の人生なんて簡単に吹っ飛ぶほど強烈だった。俺の本当の人生はリサと出会った1ヶ月前から始まったのだ。そしてリサの死と共に、俺の本当の人生も今終わろうとしている。1ヶ月という時間が長いのか短いのか、俺にはわからない。ただはっきりしている事は、この1ヶ月間、俺は今という瞬間の連続を生き抜いたという事だった。
 その瞬間の連続は、妙なリアリティをもって俺の心の中に留まっていた。一つ一つの瞬間に含まれた音を光を匂いを、俺は鮮明に思い出す事が出来た。

 俺は今のこの俺の中の静けさが少し不思議にも思えた。リサが殺されたのだ。それなのに俺はリサを殺した運転手を恨む気持ちには少しもならなかった。運転手は恐ろしくなってリサを殺したのだろうが、人間の防衛本能を考えればそれはむしろ正しい行動なのだろうと思った。リサの瞳の奥には、人を真に恐怖せしめる何かが潜んでいた。俺も、怖かった。リサと出会ってから、いつもいつも怖かった。このままリサと共に行動を続けたならば、俺は狂うだろうという確信があった。狂った挙句、自らの命を絶つだろうという確信があった。だから俺は、あの運転手に感謝すらしていた。今にして思えば、リサの瞳の奥に潜んでいたのは、俺自身の自棄への憧れなのかもしれない。リサはいつも俺を誘惑した。自棄という甘美な媚薬で俺を誘惑し続けた。
 いや、これでは俺の気持ちの説明にならない。胸のうちにあるものはこんなにはっきりとしているのに、言葉にするとたちまちぼやけてしまう。俺は自棄を拒んでいる訳ではない。リサが死んだ今も、俺は自らの体をリサのために傷付ける事を切望している。俺は死をも望む。あと一時間後には、俺はリサの死体と共にこの世から消え去っている事だろう。
 俺が言いたいのは、あれ以上リサと共にいたならば俺の中で自棄を望む俺の自我までもが完全に崩れ去ってしまったであろうという事だ。自らの肉体に対する尊厳という、誰もが当たり前に持っている物すら、リサの前ではほとんど無価値だったという事だ。
 俺は俺の気持ちと同様に、リサという存在自体をどのように説明していいのかもわからない。リサは、この世の中で、少なくとも俺が知っている中でもっとも淫乱な女だった。それでいて、リサは俺が知っている中でもっとも高貴な女だった。淫乱と高貴、この相反する二つの要素が一人の人格の中で並び立つところを俺は実際にこの目で見た。それらは、狂信的な仏教信者が立てたパゴタのように燦然と輝いていた。俺にとって、リサはこの世でただ一人の女王様だった。
 そのリサが、死んだのだ。リサのために、亡き女王のために、盛大なお葬式をしよう。俺は思った。
「そのためにはもっと殉教者が必要だな」
 俺一人がリサに殉ずるのでは、足りない気がした。偉大な指導者の葬儀には、いつも多くの殉教者が必要なのだ。始皇帝の場合も日本武尊の場合もそうだった。埴輪だって、元々は死んだ主を慰めるために墓に埋められたものだ。
 まだ俺の仕事は残されているようだった。俺は平安な心の中で思った。今の俺はこの上なく満ち足りているが、このままでは最後の仕事が遂行出来ない。最後の力を振り絞って、俺は脳みその回転速度をフルスロットルにまであげないといけない。
「おーい、はにまる君。はにまるおおーじー」
俺は大声でそう歌いながら、目下の殉教者候補たちを眺めた。
 エプロン。こいつはいったい何だったのだ?結局何が目的のキャラだったのか分からぬまま、今俺に殺されようとしている。まあ、何が目的であっても死んでしまえばみんな一緒だから、良いっちゃあ良いのだが。
 ヅラ。こいつは今回一番大きなモノを獲得したよな。今も目がキラキラと輝いているし。ちょっと殺すには忍びないけど、でもよく考えればリサに目覚めさせてもらったんだしな。リサに殉ずる資格はあるよな。
 博士。こいつは殉死決定だ。こいつがリサの産みの親なのだ。こいつには責任を取ってもらって、俺たちと一緒に消えてもらおう。
 しかし考えてみると、こいつの一生っていったい何だったのかな。誰にも知られないところで何十年も研究を続けて、誰にも知られないまま作品と一緒に死んで行くんだ。はは。まあ、自業自得だな。

「はにまる君は1人かい?2人かい?それともみんなまとめてはにまる君なのかい?」
俺は出来るだけ陽気な声でそう言った。3人の怯えた表情を見て、3人とも殺す事に決めた。
 バットが欲しかった。バットがあれば、一撃でみんなを叩き殺せるのに。最高のリサへの供物になるのに。
「博士、バットない?バット」
俺がスイングをしながら言うと、博士が目を伏せた。みんなはきっと、俺の事をキチガイか何かだと思っているのだ。
 俺は、一度自宅に戻ってバットを取って来る事にした。やっぱ、使い慣れてるバットの方が強いインパクトで叩けるから。俺は全速力で広間を飛び出した。グズグズしていたらあいつらに逃げられてしまう。
 広間の外は真っ暗で、どうやら左右に長い廊下が続いているようだった。左か右か、どちらに進めば出口に辿り着くのかはまったくわからなかったが、よく見るとリサの体の一部分が点々と落ちていたので、俺はそれを拾いながら走った。
 気付くと、俺はビルの外に出ていた。外は明るくなっていた。
俺はここで何をしようと思っていたんだっけ?
俺は思った。
ああ、そうだ、バットだ。家に帰ってバットを取って、さっきの奴らの叩き殺すんだった。あ、あいつらを縛っておくのを忘れた。いや、縛ったんだった。たしか俺は、落ちていた荒縄であいつらを太い柱に縛りつけたのだった。
 俺の脳みそは高速で回転していた。俺は今、自分の脳みその形がはっきりと知覚出来た。脳みその部分だけが熱を帯びて頭蓋骨から溢れ出そうになっていたからだ。
 それにしても、ここはどこだ?俺の家にはどうやって帰ればよいのだろう?
気付くと俺は見た事のない場所でリサの残骸を抱えて途方に暮れていた。
 途方に暮れた俺に、やがてひどい眠気が襲って来た。目を閉じればリサがやって来て、優しく包み込んでくれる事はわかっていた。しかし俺にはやらねばならぬ事が残っているのだ。リサのための殉教者を集めなくては。
 ふらふらと歩く俺の視界に、見覚えのあるタクシーが入って来た。中を覗き込むと、運転席の男はシートを倒して眠っていた。俺はそいつを見た事がある気がした。助手席には何故かリサが乗っていて、こちらを見て微笑んでいる。何故リサがこの車に乗っているのだ?
 俺は腕に抱きかかえたリサを見た。腕の中のリサもこちらを見て微笑んでいる。脳みそがジクジク痛んだ。俺には、そのどちらもが本当のリサのように思えた。
 車の中のリサは、髪を紫色の花で飾っていた。それは俺の見た事もない花だったが、雌しべからは黄色い花粉の粒子が溢れ出ていた。俺が運転席の窓ガラスを叩き割ると、その衝撃で飛び散った黄色い粒子が鼻腔に絡みついた。
 それは女性器の匂いと似ていた。微笑むリサの姿とその匂いによって、俺の意識は再び覚醒へと向かった。
 俺は、車の中をリサの頭にある花で埋め尽したいと思った。これで飾り立てれば、この車はこれから冥土へと旅立つ俺とリサのちょうどよい棺桶になる。
 この花はどこへ行くと摘めるのだろう?俺は運転席にいる男を揺すって大声でそれを聴いた。男はなかなか目覚めなかった。じれったくなった俺は、車のフロントにあった鼻毛切りで男の首筋をめちゃくちゃに切り裂いた。男の血潮に聴いた方が早いと思ったからだ。
 血の量が足りないと思って、途中からははさみを首に向けて垂直に突き刺した。返り血で視界がぼやける。男はしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。リサは相変わらず俺の方を見て微笑んでいた。
 この男の死体がリサへの捧げ物になるのではないかと思った。俺は男の死体を一度外に引きずり出すと、後ろのドアを開けてそこに押しこんだ。
 ここに来て、全てが繋がって来ている。リサ、俺、死体、棺桶、花。そう言えば俺は、元々はあの広間にいた奴らを殺すために外に出たのだ。もうあそこには戻らないが、この死体はあいつらの変わりになるのではないか。しかも俺とリサはいつか遠い昔に、この男と出会った事があるのだ。
 フロントガラスは真っ赤に染まっていたが、俺には周りの風景が驚くほど鮮明に見えた。今だったら、もしかしたら桑田の球だって工藤の球だって打てるんじゃないかと思った。
 俺はアクセルを思い切り踏んだ。どこに向かおうというあてもなかったが、俺はただ走りたかった。
 どれぐらい走ったのだろうか?俺は俺の前を流れる視界の中に一軒の花屋を見つけた。俺は車を急停止して、あのリサの髪を飾っている花をあるだけくれと言った。店員は恐怖に満ちた表情で、何か俺にはわからない言語をしゃべっていた。俺は店内を歩き回ったが、残念ながらリサの花はこの店には売っていなかった。仕方がないので、俺は店員にこの店にある花を全てくれ、と言った。店員は、やはり恐怖に満ちた顔で、俺にはよくわからない言語を話していた。俺は店員にも無理矢理手伝わせ、車がいっぱいになるまで花を投げ込んだ。
 積み終わると、車は、色とりどりの花で溢れた。運転席に座る俺も胸のあたりまで花で埋まっていた。俺は足の感触を頼りに再びアクセルを踏んだ。
 さて、と思った。これで準備は整った。リサの花でない事は残念だったが、俺たちの棺桶は完成したのだ。気付くと後ろには何台ものパトカーが追いかけて来ていた。日本の警察なのだろうか?そいつらもスピーカーを使って聴いた事のない言語で何かを言っていた。
 俺はとても気分が良かった。どこの国のパトカーなのかはわからぬが、どこかの国のパトカーが数十台で俺たちの旅立ちを見送ってくれている。まるで、王様の葬儀みたいじゃないか。これこそがリサに相応しいパレードなのだ。
 俺は目の前を流れ行く風景の中に、俺とリサの火葬場に相応しい場所を探した。なかなか良い場所が見つからず、俺は闇雲に都内の道路を走った。
 やがて俺の視界に一本の煙突が見え始めた。それが銭湯の煙突だと分かった時、俺は堪らず声をあげて笑った。それは、考えれば考えるほど素晴らしいアイデアだった。
 このままの全速力で銭湯に飛び込んでやろう。銭湯の中には、老若男女を問わず、裸の人間が大勢いる事だろう。この車で銭湯ごと炎上させてしまい、その生まれたままの姿の男女をリサへの捧げ物にしよう。
 俺は煙突を目指して、狭くなって行く路地の中で何度もハンドルを切った。いつの間にか、俺は運転が上手くなっていた。後ろに付いてきたパトカーは、あっという間に視界からいなくなった。
 最後のカーブを曲がると、いきなり俺の目の前には巨大な銭湯が出現した。ほとんど、何も考える時間はなかった。そして、このまままっすぐ進めば銭湯に突っ込む事が出来ると確信した俺は、隣りのリサに向かって微笑みかけた。
 リサが俺にありがとうと言ってくれた、と思った瞬間、強い衝撃と共に黄色いイナヅマが車を飲み込んで行くのを感じた。

 俺は、最高にハッピーだった。これで、俺は本当の意味でリサの元に傅けるのだ。俺とリサは完全な一対の主従として、永遠を手に入れる事が出来るのだ。
 
ありがとう。

強い光の中で、俺はこの世の全ての物に対してそう感謝をした。

                                                 終わり

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