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憲法九条を暮らしに生かす会コミュの谺さんの遺志実現 ハンセン病、人権の碑除幕 草津の栗生楽泉園

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2019年11月16日東京新聞
写真:建立された「ハンセン病・人権の碑」。車いすの男性が入所者自治会の藤田会長。後ろの建物が納骨堂=草津町で
 草津町の国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」で十五日、差別の歴史や人権の尊さを訴える「ハンセン病・人権の碑」の除幕式と祝賀会が元患者や支援者ら計約百七十人が参加して開かれた。碑の建立は二〇一四年に志半ばで亡くなった元患者で、ハンセン病国賠訴訟の全国原告団協議会(全原協)の会長を務めた谺(こだま)雄二さんの遺志。支援者ら千人以上から寄せられた六百万円以上の寄付金で実現し、参加者たちは谺さんを追憶した。 (菅原洋)

 碑は園内で亡くなった元患者ら約二千人の遺骨が入る納骨堂の近くに建立された。納骨堂があるのは、家族からも故郷の墓に入ることを拒否されるという、想像を絶する差別のためだ。

 「これが元患者たちの現実なんだよ。俺もこうなると思うと、寂しいもんだ」

 谺さんは二〇一〇年、こう記者に漏らした。谺さんは差別に立ち向かう象徴的存在として政府などに歯に衣(きぬ)着せぬ発言を続けていただけに、この気弱な言葉が脳裏に焼き付いている。

 今回の碑は、谺さんが「沖縄戦の戦没者名を刻んだ平和の礎(いしじ)のような石碑を園内に建て、遺骨が引き取られない元患者の名を彫って残したい」と日ごろ強調していたのがきっかけ。元患者の名を彫るのは個人情報などの面から見送られたが、「群馬・ハンセン病問題の真の解決をめざしともに生きる会」などの支援者たちが尽力して完成した。

 谺さんが全霊を注いだのが、園内にあった懲罰施設「重監房」の復元運動だ。重監房は戦時中を中心に理不尽な理由で延べ九十三人の患者を冬は氷点下十数度の密室に監禁し、粗末な食事しか与えられなかった。

 碑文は「断種・堕胎、強制労働などの処遇に反抗的とみなされると、重監房に投獄された。暗闇、極寒、飢餓の中で二十名余の人が命を落とした」と刻んだ。

 除幕式では、元患者でつくる入所者自治会の藤田三四郎会長(93)が「この碑を多くの方々に見てほしい。立派な碑が多くの方々の協力で完成し、衷心より感謝します」と式辞を述べた。

 国賠訴訟では谺さんの盟友だった元患者で、全原協事務局長の竪山(たてやま)勲さん(70)は「差別の最たる重監房があったこの地に、碑が建立されたのは意義深い」とあいさつ。終了後、竪山さんは取材に「谺さんの御霊は『差別との闘いはまだまだだ』と思っているのではないか」としのんだ。

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