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憲法九条を暮らしに生かす会コミュの明治憲法と自民改憲案 「緊急事態」条項  一橋大名誉教授 渡辺治さんに聞く

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【しんぶん赤旗】2016 焦点・論点
明治憲法と自民改憲案 「緊急事態」条項(上)
一橋大名誉教授 渡辺治さんに聞く
乱発80回 戦争の道へ
写真
(写真)わたなべ・おさむ1947年東京都生まれ。一橋大学名誉教授。研究分野は政治学、憲法学。著書に『現代史の中の安倍政権』(かもがわ出版)など多数
撮影 縣章彦
 安倍改憲を許すのか、戦争法を廃止するのかは参院選の大争点です。自民党改憲草案は「現行憲法の全ての条項を見直し」(同草案Q&A)といっているように、9条を焦点にして憲法の全面改定を狙っています。安倍晋三首相らがその突破口として言及しているのが「緊急事態」条項(国家緊急権)の導入です。この問題について、九条の会事務局の渡辺治一橋大学名誉教授に聞きました。(山沢猛)
明文改憲へ執念
 ―安倍首相は、憲法改定を認めない世論が年々ふえているのに、明文改憲に執着していますが。
 安倍首相は、戦争法を通したものの、「憲法は生きている、死んでいない」ことを実感したと思います。
 なぜなら、戦争法に対して反対運動が歴史的高揚をみただけでなく、強行採決後も廃止を求める運動が盛り上がり、参院選前には戦争法の発動ができない事態に陥ったからです。
 参院選後に戦争法を発動しようとしても、国会では戦争法廃止のスクラムを組んだ野党に憲法違反を追及され、違憲訴訟も多数起こるでしょう。9条がある限りこの“泥沼”はいつまで続くかわからない。憲法そのものを改変しなければ「戦争する国づくり」はいつまでも完成しないというあせりが、明文改憲の執念につながっているのだと思います。
大震災を口実に
 ―改憲勢力は憲法に「緊急事態」規定が入っていないことを問題にしていますが。
 3・11の東日本大震災などを口実にして自民党と改憲勢力は「緊急事態」条項の導入をいっていますが、現行憲法にこの規定が入らなかった理由をふり返る必要があります。
 緊急事態規定の危険性はナチス・ドイツの台頭を手助けした例などで指摘されていますが、明治憲法下の日本ほど、緊急事態規定の乱用の危険性を示している国はありません。
 実は明治憲法は緊急事態規定の“宝庫”でした。
 天皇制の政府は、戦時、大震災、非常時を口実にこの規定を乱発し議会を通さずに国民の自由を奪い、ついには日本を戦争への道に引きずり込んだのです。その反省から日本国憲法はあえてこの規定を入れなかったのです。
 明治憲法は、絶対君主制下にあったドイツのプロイセンや他のラント(州)の憲法をまねてつくられたのですが、天皇制を守るために、そこにあった各種の緊急権をすべてとりいれた結果、二重三重の緊急権をもった特異な憲法になりました。
 数えてみると、少なくとも明治・大正で70件、昭和には10件、国家緊急権条項が発動されています。(つづく)
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明治憲法と自民改憲案 「緊急事態」条項(中)
一橋大名誉教授 渡辺治さんに聞く
政府命令で人権抑圧
乱用された8条
 ―緊急権の内容はどんなものですか。
 明治憲法には四つの緊急事態規定がありました。もっとも乱用されたのが、第8条の「緊急勅令」です。
 これは「公共の安全を保持し、またはその災厄を避くるため緊急の必要により帝国議会閉会の場合において、法律に代えるべき勅令を発す」というもので、これを使えば、天皇制政府は「公共の安全」のために緊急に必要だと判断したら議会を通さずに、人民の自由を制限する命令をだすことができました。
 同様に、第70条は、緊急時には政府が議会に諮らず「財政上必要な処分」ができる、つまり財政出動したり税金をかけたりできるという規定です。財政を議会に諮ることは近代市民革命の一番の原則ですが、それを天皇の命令で破れるというとんでもない規定です。
 第14条は「戒厳大権」です。これは戦時、非常時のとき、軍の統帥権をもつ天皇が「戒厳を宣告」して軍事独裁を敷くことができる規定です。軍事独裁の下であらゆる市民の自由は禁圧されます。
 第31条は「非常大権」で、政府が危機に陥ったときには天皇が憲法を停止できるというものです。
独裁への武器に
 簡単にいうと、8条、70条は政府の独裁を、14条は軍部の独裁を、31条は天皇の独裁を認めるもので、これら規定は議会の攻撃から政府を守る何重もの防壁となっただけでなく、独裁政治をつくる便利な武器となったのです。
 とくに、政府が緊急事態と認定したら議会に諮らず政府の命令で人民の自由を弾圧し人権を抑圧できるという8条の緊急勅令は、政府には使い勝手がいいことから、国家緊急権の核心になりました。
 問題は、現在の自民党改憲草案の緊急事態の規定の中には、緊急事態の宣言を発したら政府は「法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」「財政上必要な支出その他の処分を」行えるという形で、明治憲法の8条、70条が盛り込まれていることです(別表)。自民党は、戦前の明治憲法でどこが重要なのかを承知しているのです。(つづく)
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乱用された8条
明治憲法と自民改憲案 「緊急事態」条項(下)
一橋大名誉教授 渡辺治さんに聞く
治安維持法を死刑法に

 ―緊急勅令はどんなときに使われましたか。
 青年将校によるクーデター事件である2・26事件(1936年)は、その後の軍部独裁のてこになりましたが、この時、政府は、8条を使い戒厳令を発動して東京を軍事独裁下に置き、一切の言論、政治活動を禁圧しました。
 大災害を口実にして人民への弾圧をやった例は、1923年9月1日の関東大震災です。「3・11のような大震災には緊急事態規定がないとたいへんだ」という自民党や改憲派の言い分がいかにウソであるかが経過からよくわかります。
 地震の翌2日、8条により東京地域に戒厳令が発動され戒厳司令官のもとで軍事独裁が敷かれました。戒厳令の下、命令で治安維持令が出され、「暴動」が起きるかもしれないという口実で大勢の朝鮮人が虐殺されました。4日には南葛労働会の川合義虎ら青年労働者が虐殺され、16日には大杉栄と伊藤野枝も虐殺されました。軍事独裁下だからこそできた虐殺でした。
議会が反対しても
 また緊急勅令は、政府が、議会や国民の反対する悪法を通すためにも使われました。
 1928年の治安維持法大改悪がそれです。
 治安維持法(1925年制定)は「国体の変革」、つまり戦前の絶対的天皇制の民主的改革などをめざす結社をつくったり加入したりすること自体を重罰に処す、つまり共産党に入るだけで処罰する悪法でした。政府は28年の3・15事件で日本共産党に対しこの法を発動しましたが、その直後に、より弾圧を強化するために大改悪に乗り出したのです。
 この改悪は、共産党の幹部に対し最高刑を死刑にしたこと、また党員でなくともその「目的遂行ノ為ニスル行為」をおこなった人びとを2年以上の懲役にするとして労働組合や民主団体に弾圧の手を広げるものでした。
 ところが、この改悪案は当時の帝国議会でも反対が多く、議会で否決されました。しかし政府は議会が閉会したとたん、緊急勅令で改悪を強行したのです。8条がいかに乱用されるかの典型です。
植民地支配で猛威
 8条の規定は植民地支配の道具としても猛威を振るいました。日本は1910年に韓国を併合しましたが、このときにも緊急勅令で、韓国では議会にかけずに朝鮮総督の一存で法律に代わる命令を出せると定めたのです。これが終戦まで半島の人民の自由を奪う手段になったのです。
 ―安倍改憲を許すかどうかが問われますね。
 戦後の多くの改憲の動きの中でも、安倍政権の積極姿勢は際立っており、9条改定と表裏一体で、明治憲法の緊急事態条項を形を変えてそっくり復活させようとしています。
 戦争法廃止か、安倍改憲かが参院選のもっとも大きな争点です。
 広範な共同の力を集めて安倍政権を包囲し、安倍改憲をストップしなければなりません。
(おわり)

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