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詩人 山本陽子コミュの1968年頃の作品を掲載します。

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■全九頁の作品中、冒頭の見開き二頁を掲載します。
 前文ヨコ書きです。   1968年頃の作品です。



10 遙かする、するするながら


 遙かする
純みめ、くるっく/くるっく/くるっくぱちり、とおとおみひらきとおり むく/ふくらみとおりながら、
わおみひらきとおり、くらっ/らっく/らっく/くらっく とおり、かいてん/りらっく/りらっく/
りらっく ゆくゆく、とおりながら、あきすみの、ゆっ/ゆっ/ゆっ/ゆっ/ とおり、微っ、凝っ/まっ/
じろ きき すき//きえ/あおあおすきとおみ とおり//しじゅんとおとおひらり//むじゅうしむすろしか
つしすいし、まわりたち 芯がく すき/つむりうち/とおり//むしゅう かぎたのしみとおりながら
たくと/ちっく/ちっく すみ、とおり、くりっ/くりっ/くりっ\とみ」とおり、さっくる/さっく
ちっく/るちっく すみ、とおりながら
純みめ、きゅっく/きゅっく/きゅっく とおとおみ、とお、とおり、繊んじゅん/繊んく
さりさげなく/まばたきなく/とおり、たすっく/すっく/すっく、とお、とおりながら
すてっく、てっく、てっく
   澄み透おり明かりめぐり、透おり明かりめぐり澄み透お  透おりめぐり明かり澄みめぐり、めぐり澄み明かりぐりするながら、
  闇するおもざし、幕、開き、拠ち/ひかりおもざし幕開き拠ち

      響き、沈ずみ、さあっと吹き、抜けながら
  響き、ひくみ、ひくみ、ひくみ透おり渉り、吹く、透おり、/
 先がけ、叫び、しかける街々、とおくをわかち、しずみ、//透おり交いながら、/
  しずみ 、しずみ透おりひくみ、ひびき、ひくみ/つよみ透おりするながら、たえまなく
   透おり交わりするながら//ひびき透おり放ち、
     瞬たき、路おり乗するながら
夜として視護るごと、めばめき 帳ばり、ふた襞、はたはた ひらき 覆い/
       響き、/尽くし/吹く透おり/消え、
          しずみ、/ひくみ、/
ひびき透おり吹き
  ふためき、はたと墜として、はたり、/途断え、やみ、蔽い

吹く、吹く、吹く、おとないかぜ透おり、おとなしかぜ渉り、
   吹く、やすらぎ//すずしやぎ
  りり、 りりり、りりり

    夜する/ふんわり、かげろう 薄すまめぎ/口開き拠ち、
夜切り、浮きたち、ひろひろ透おり、澄み透おり透おり明かりするながら、
絹ぎ/すき/消え/さやとおり 澄まり静まり夜する口開切り拠ち

コメント(14)

あっ、此処に参加すればよかったのですね。お送りしたメッセージ、こちらに書き込みます。


詩の世界を遠巻きに見ていただけの者であるのに、いきなり深淵に佇んでいるような‥そんな気がします。

どきどきします。
ゆっくり感じていきます。 

これって、今の私には悲しみの言葉なんでしょうか‥涙が流れてしょうがないのですが。    耳子
とてもノイジーな詩ですね。
その中で、そのノイズが、すっと
純音のようなものを、見せます。

つむりうち/とおり//むしゅう かぎたのしみとおりながら

身体の、意味。意味的存在としての身体を捨てたり消したりしながら

純粋な感ずる主体が、がーがーと瓦解しながら
感覚している。器官。

詩が身体の外に書かれたというよりも
身体の内のオルガンとして澱んでいる。

がーがーと。
膨らみかけた子房のような、微小で、堅く、丸く、明確な響き。

成熟することがない すでに知っている意志は 
どこからくるのだろう。

とおり、微っ、凝っ、/まっ/

なんと言ったらいいか‥

解ろうとするから解らないことが増えてくる。
「身体の内のオルガン」に心を添わせればいいんですね。
はじめまして、山本さんのドキュメンタリーを作りたいと思ってからずいぶんと時間がたってしまったのですが、この詩の感覚をどう扱えばいいのか、いつも自分の姑息な企みが、この言葉の前には無に返されてしまうのです。でも今も彼女の存在はもの凄く或る重要な問いを僕らに突きつけているように思うのです。
ドキュメンタリーであれば
彼女のノイズとして
音楽にすればいいのかもしれない。

詩とか言葉とかではない。

彼女の身体に迫る
いのちの姿は

むしろ、言葉の背後か
言葉が、せり出す前面にあるのかもしれない。

ドキュメント、
ぜひ、挑んでください。
おひさしぶりです、

今週金曜日の夜、虎ノ門で、「地球環境問題への言語学的接近」というテーマで話をするのですが、その中で、山本陽子に触れます。

言語には2種類ある。意味のある言語(記号、概念)と、意味のない言語。
意味のない言語は、オノマトペの言語。これが人類の最初の言語であった。

山本陽子は、初期の「神の孔は深遠の穴」以来、人類の現在を追い求めて
最終的に「遥るかする、するするながらIII」に到達して、悟りを開いて死んでいった
のではないでしょうか。

といった感じです。


「人間は 国家とか 政治組織がなくても生きることができて しかも新しい人間になり続けていかなければ 人間はもう生きることができない。人類は消費し続けてきたので、いま最後の偉大なる消費、人間の消滅へと向かっているのだ。そして人類の絶滅・殺りくは悲劇ではなく 尾を引いたすい星で 宇宙のちっぽけな排泄にすぎず 静かに闇がおしよせてきて その死は無意味なものであり 人間の不滅の死はもうそこから失われている。
 このあらゆる神なき宗教が偶像崇拝をまきおこしている終末、悪魔ほど生き生きしているものは もう他にない。死んだ人間の名によって世界をつなぎとめようとしても だからむだなことなのだ。」

(「神の孔は深遠の穴」より一部、あぽりあ 1号、1966.12)
山本陽子もまた、完き「生きた人」であり
その言葉に、畏怖はしますが
神格化したり霊性に頼って、読むと
書かれた事実や実体がかすんできます。
ただひとつ言えるのは、唯一者であることの
希求かもしれません。
詩を書く者の、それは代償です。
孤絶の代償であり、
オノマトペのようでもありますが
詩人の肉声、呻吟が「そのように」
軌跡として残されています。
詩は本来的に、「別」の「異」世界への
希求であるわけで、そちらから
「どこかを」打撃します。
我々は、詩人が「どこかを打撃している様」
を追体験しているように錯誤することができます。

「どこかを打撃してくる」

その共感覚があるからこそ
魅惑のエニグマが、こちらへ刺してくるのでしょう。

山本を鏡にしたいことは、このことです。
昨日、「はるかするするするながら3」を朗読したのですが、
やはり、人を惹きつけるものがありますね

言語には、概念・記号である言語と、言語そのものが意味であるオノマトペと
2種類あると考えた場合に、山本陽子の「はるかする」の言語は、記号性を
超越しているように思います

詩を書かなくなってから、ビル清掃の仕事をしていたというのも、
まるで香厳智閑のような生き方ですよね

書き手と読み手では微妙に違いますね。
詩の書き手は、記号性を逃れよう、破ろうと
もがきますが、そんなことはできません。
読み手は、もちろん自在にその「もがき」や「いどみ」
を感知することはできます。
共感したように錯覚することはできます。
ただ、記号であっても
空間に布置されれば、模様や気配や
音楽の独自性が生まれます。
書き手と読み手が共振するのは
この響きや柄や空気においてなのでしょう。
そこでは、「国語」に対する信など
うち棄てられます。
うち棄てることは、どこかに寂寥が満ちます。
それでも、記号性の渦に巻き込まれながらも
独自の布置を続けます。
泥沼です。
詩を書くことにおいて
職業は、まったく無関係です。
職業を自覚することも、書いている時間には
よぎることもないでしょう。
詩は、つねに、外に出されます。
外に出されたものを、はじめに目にするのは
その書いた詩人です。
「遥るかする、するするながらIII」を全編朗読して(ちょっとつっかえたところありますが)MP3ファイルにしました。

どこかに貼り付けることができるのなら、貼り付けますし、ご興味のあるかたがおられたらお送りしますので、メッセください。

長さは11分くらいです。
よき・の・し
(1967年)

あらゆる建築をうちこわし、
いかなることばを
あとにのこすな、
すべてをもえつき、
もやしつくせ、
全けき白さをひっさらって
        死のとりでをひとこえよ
よきをひだにふくみのみ
さまざまなる夜をはらめ、
       死のこちらには死がひそみ
       種のうちには絞られた精気、
       濾過した夜に
       血清があった
やさしく勇気みついかりを決して決して
あとにおとすな、
よきのうちに苦しみがあり、
苦しみのあいだに割れ目あり、
黒き旋転に露しとろうと
決して それをそれとおもうな、
       死がすべてをけし去っていて
        全けき ものつれ去るとも
       飛ぶときには
      軽ろきがいた、
     残した埋(も)れ木は 焼ぽっくいで
    残した種は 鳥がついだ
あとをうがち、あなあしため
したたりおとした数千の、
透明な肉をすいつくし、
決して決して
環えるな
いのち白い霧吐きだすたび
星をえて 光りしない
血を亡脈に黒ずませ
こころのかたどり、雲をちぎり、
冷気ちらし、空を去らす

突破するたびに数千の綱が壁をつくった
       壁はからみ しとねつき
       頭のなかに 垂直がある
       光こごらせ 結晶がある
       にごいもてはなつ海をよび
       海泡のつぶて くだけちる

かつて死んだひとりの男がいて
おまえに置言(ごと)を手渡したら
その言葉を地に埋めよ
かつてすべてが刃向かっていて
おまえの仄を噴き出したら
汗に黒さびた金属(かなもの)を
ずきずきと踏み 風にはなて
     かつて死んだひとりの男がいて
     かってにしやがれと呟いたとき
     かってなき塩の結晶が造った
     朝の食卓にピケルスがあった
     かつてあったひとつの種が
     身をやくたねをもとめたとき
     木々は交れり火花散した
かつてある禁忌が衣、ばさりおとし
     かってなきことについて
     かくてかってにあるときには
魔術がひとをかなしばりする
いまは
いまわのきれなるかた、
僧侶の裸体に手濡れつくし、
身体にこれ小鐘がなると、
あけ方に骨きしむ勤行がおこる、
しぜんてきしぜんがしぜんするあいだは、
ひつぜんすべては、
おまえがうみだした卵ばかりだ

      あらゆる魔術を変身しつくし
      いかなるひとも
      あとにのこすな
      あらゆる大陸をわたりはなら
いかなるもの、いかなるあし、いかなる、は
をも 露に尽きさせ 冬にくだけ
あとに あとをのこすなら
おまえは死を譲り渡す、
あとにのこしてきたものが
無をおまえに譲り渡す、
廃跡は、いつ いかなるともにあった、
それは いつ いかなるときになかった、
それは いま だけにある
かつて現在というものがあるときに
廃墟は未来のものであり、
かつて現在というものがあったあいだ
過去は未来の廃墟であり、
かつてなかった過去の過去は
いま だけにある、
死のむこうにはなにがあるか
死のむこうにはなにがないか、
なくてあるものは
いま だけにあり
死は生のうちにひそみ、
無をおまえに譲り渡す
否、やさしく勇気あるいかりを決して
決してあとにおとし、あるものとなしてはいけない。
冷却したすべて
というものには
    死の数否ひそみ
    冷い凝乳に
    悪はうせる
朝の立売りには昨日という、
いまわの過去が巻きパンとともにやってきて
さらばということばをいくらかだけはかせ、
夜の冷気までに死はちかんしていた
決して決して
あとをおとすな、
あとに、
全けき白さをひっさらって
        死のとりでをのりこえよ
もし、ということばはらむなら、
決して決して
ならばとは
いうな、
もしをもしものものからやかれよ

(「山本陽子全集 第一巻」より)
山本陽子 「神の孔は深淵の穴」

第1行ー


 自由の神の開拓者 そうわたしは彼らを呼ぼう。精神の地下革命
の予言者たち、自由な人間は いつも世界の放浪者であった。しか
し、彼らはひとつのきずなに結ばれている。たとえ遠く離れていて
も たがいに相手を見出して、しかも彼らは つねにひとりである。
ひとつの精神の多様な風土、自由の霊的な世界をひらく 彼らは人
間という種族であった。人間と神の解放をかたり、生の創造行為を
たからかにうたい、そして彼らが死した後 自由は不滅の実在とな
って人間の新たなる魂にうけつがれる。すべての人間たちよ、なぜ
君は生きることをはじめないのか。絶望と死の深淵からそう復活の
歌をひびかせるのも彼らである。わたしはいつも考える。彼らこそ
 あのオーデンの 神の種族ではないかと。彼らはほろびさること
はない。燃えつきた彼らの生命のほのおから 不滅の自由がうかび
でてそれは永遠に生きるだろう。人間はそれをひきづいで あらた
な生命を発見する。もしそれを、深淵よりかがやきいでる光にみい
だせないとすれば、人間という種族もいなくなって 世界は消え去
るにちがいないのだ。終末が近づいていて 今はその時であるにち
がいない、二つの道がひらけていて、それは孤独な彼らの生命、そ
の光をすいとってより以上の人間になるか、新種のむしになりかわ
るかのどちらかなので、もうそれしか出口はない。彼らの放浪する  20
魂とわたしたちの魂が たがいに手をさしのべあい この歴史的な
時を空間をこえて おなじ世界に神の愛を 生命の創造行為をうた
うことが はたしてやってくるだろうか。勇気はいつも孤独であり、
自由の道をきりひらく、今こそ その勇気の時なのに、人々は が
っしりとからみあって動かない。レヴィアタンは その上に君臨し、
人々は恐怖におびえながら ひっそりと黙りこんだままなのだ。も
し人間が 死にものぐるいのエネルギーで、旅をはじめていかなけ
れば、夜もまた はてることはないだろう。
 1000年ののち おそらく最後の審判がやってきて 人類はた
だひとつの 判決をにない 人類がかつて人間たりえなかったこと
を 人々はおののきつぶやくだろう。その時神は沈黙して みずか
らもまたになうだろう。神もまた 神たりえなかったという最大の
罪、唯一無比の人類の苦悩を。そのとき、すべてがうしなわれると
き、はじめて神と人間はたがいに手をさしだして いだきあうこと
ができるだろう。人間は神なくして生きられず、神もまた人間なく
して生きられないことを すべてがはじめてさとりあう、審判は
人間と神との和解によって そのときはじめて救いとなり、人類の
滅亡と神の死は 意味をもつにいたるだろう。
 解放のらっぱはひびきあい 人間は人間にめぐりあう、すべての
時空の放浪者、自由の人間の放浪者、彼らも ここにつどいあう。
彼らの生涯の十字架は 自由という名の深淵は ひとつに流れる光  40
の河 生命のいずみのほとばしりとなって 人々はその水をむさぼ
りのむ。そして世界は 没落し 人間は神は 滅亡する。
日記に感想などを書きました。よろしければどうぞ。


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1137915160&owner_id=13668040

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